【ライオネル】剣を取る理由 4
俺は腰に佩いた剣の柄を強く握りしめた。
これは、師匠が騎士団に入団する際、餞別代わりにくれた剣だ。彼が王都で剣術指南をしていた頃に使っていたもので、使い込まれているが、手入れが行き届いており、今でもその切れ味は鈍っていない。
「クラリス殿」
前を見据えたまま、隣の令嬢の名を口にした。彼女がこちらを向く気配を感じる。
俺はゆっくりとクラリス殿に向き直ると、彼女の華奢な姿を見下ろし、次の瞬間、その場に膝をついた。
「ライオネル様?」
驚いたように、彼女が俺の名を呼ぶ。普段と変わらない無機質な声音ではあるが、その中に微かな動揺が混じっているように感じた。
「突然申し訳ありません。ただ……どうしても感謝をお伝えしたくて」
「感謝、ですか?」
俺の唐突な行動に、クラリス殿が戸惑っているのがわかる。
だが、それでも構わない。俺はどうしても、この思いを伝えなければならなかった。
なぜ俺が剣を手に取ったのか、なぜ剣術を学ぼうと決意したのか──
それを、俺はずっと見て見ぬふりをしてきた。
怖かったのだ。その理由を意識することで、もし自分がその目的を達成できなかったとき、自分を許せなくなるのではないかと思って。
だから、あえて意識せず、剣を振るう日々を過ごしてきた。自分の弱さを認めずに。
しかし、俺は思い出してしまった。クラリス殿の言葉が、俺の心を凍り付かせていたものを溶かし、俺に目を向けさせたのだ。
──俺は、弟のような弱き者を守るために、この剣を手に取った。
俺のように、大切なものを失い、悲しむ人々を救うために、この道を選んだのだと。
俺は頭を垂れ、深く息を吸い込んだ。そして、感謝の気持ちを言葉にする。
「……ありがとうございます、クラリス殿。あなたは、私に忘れてはならない大切なことを思い出させてくださいました」
そこまで言葉にして、俺はゆっくりと顔を上げた。そして、不意に言葉を失った。
そこには、いつもと違うクラリス殿がいた。
無表情な顔立ちは変わらないはずなのに、ほんのわずかに見開かれた紫紺の瞳が、確かな感情を宿していたのだ。
その美しい瞳に吸い込まれるように、俺は動くことができなくなった。
「……ライオネル様?」
動きを止めた俺を不審に思ったのか、彼女が静かに俺の名を呼んだ。その声にハッとし、俺は慌てて目を逸らすと、勢いよく立ち上がった。
「も、申し訳ありません、クラリス殿。無礼をお許しください!」
「……いえ」
焦る俺とは対照的に、彼女は何事もなかったかのように視線を前に戻した。
俺も仕方なくそのまま前を向き、リナ殿とルーク殿の様子を見つめる。二人は、俺が突然跪いたことに驚いたのか、手を止めてこちらを見ていたが、俺たちの視線が自分たちに向いたのを察すると、慌てたように素振りを再開した。
二人の素振りの音が響く中、しばらくの間、沈黙が続いた。
「……きっと」
不意に、彼女が口を開いた。
視線は依然として前方を向いたままだったが、その声はどこか穏やかだった。
俺は視線だけをそっと彼女に向ける。
「その力が、大切なものを守るために使われるときが来ます」
その言葉に、胸の奥がかすかに震えた。
彼女はそのまま前を向き続けたが、少しだけ表情が緩んだように見えた。その微かな微笑みが、なぜかひどく温かく感じられる。
「……はい」
俺はそれ以上何も言えなかった。ただ、彼女の横顔を見つめ、こみ上げる感情を抑え込むように、佩剣の柄を握りしめた。
彼女にはきっと、俺の心の奥底まで見透かされているのだろう。それがわかったからこそ、俺はその場で立ち尽くし、胸の中で彼女の言葉を噛み締めていた。




