【リナ】手のひらのぬくもり 3
そんなある日のことだった。
廊下を歩いていたときのこと。遠くから目を引く二人がこちらに向かってくるのが見えた。
まばゆいばかりの金髪と透き通るような青い目を持つ、貴族然とした優雅な青年。
その隣には、長い黒髪をなびかせながら歩く、美しい少女。冷たい紫紺の瞳が、まっすぐ前を見据えている。
それはまるで、本の中から飛び出してきた王子様とお姫様だった。
二人の気高さに圧倒され、私はその場に釘付けになってしまった。彼らの周囲だけ空気が変わったような、特別な雰囲気が漂っていた。
まるで自分がその空間にいること自体が許されないような感覚に陥る。
足が動かない。声も出ない。
だが次の瞬間、自分が二人の行く手を遮っていることに気づいた。慌てて道を譲ろうと脇に避けようとした、そのときだった。
「お待ちなさい」
凛とした声が、私をその場に縫い止めた。
その声は冷たく鋭く、まるで氷の刃のようだった。驚いて顔を上げると、その声の主があの美しい少女だと気づく。
彼女の深い紫の瞳が、裁定者のように私を射抜く。
周囲のざわめきが一瞬で消え、廊下全体が静まり返る。私は喉を鳴らしながら、どうにか視線を彼女に向けた。
「王太子殿下に対して、失礼なのではなくて?」
その言葉に、私の全身が強張った。冷たい声の響きが胸に刺さる。
王太子殿下……?
その瞬間、彼女の隣に立つ金髪の青年が、本物の王太子だと理解した。血の気が一気に引いていくのを感じる。
なんてことをしてしまったのだろう。廊下で王太子殿下に敬意を払わず、道を遮った上、無視してすれ違おうとしたなんて……
思い返してみれば、彼らが歩いてきたとき、周囲の生徒たちはすべて脇に避け、深く頭を下げていた。私だけがその礼を知らず、呆然と立ち尽くしてしまったのだ。
どうすればいいのかわからない。じわりと目に涙が浮かぶが、必死にこらえる。
「クラリス、別に構わない。ここは学園内だ。身分差など関係ない」
低く穏やかな声が、私を助けた。
あの王子様が、優しい声でそう言ったのだ。
王太子殿下、優しい……!
平民の間でも、このエルデンローゼ王国の王族は民を大切にすると評判だった。実際にその優しさに触れた私は、感動で胸がいっぱいになった。
王太子殿下の一言により、私を見下ろしていた彼女の紫の瞳の冷たさが、少しだけ和らいだ気がした。
「……次から気をつけることね」
冷静で毅然としたその言葉は、私の胸に深く突き刺さる。それでも、彼女が背を向けて王太子殿下と歩き去る姿に、私は何もできず「はい」と小さく答えるだけだった。




