そんな裏設定とか聞いてない
謁見の間に入ってきたのは、国王陛下、宰相、騎士団長、そして魔術師団長。
彼らが現れる前に、この場にいたリナ、アレクシス、ルーク、ライオネル、ゼノ、そして私以外の者は、すでに退出を命じられていた。
私がアルフォンス陛下の登場に合わせて礼を取ろうとすると、陛下はそれを素早く手で制した。
「よい。まだ傷も完治したわけではないのだろう? 無理やり呼び出してすまなかったな、クラリス」
気さくながらも威厳を保った声でそう言うと、陛下は玉座に腰を下ろした。
その周囲には、宰相を始めとした国の要職たちが立ち並ぶ。
──この光景、知っている。
これは、私が記憶している“あのイベント”とまったく同じだ。
ヒロインはこの国の中枢にいる者たちに囲まれ、不安に押しつぶされそうになる。
しかし、隣に立つ攻略キャラのフォローによって、落ち着きを取り戻す。
そして──頬を染めながら、こう言うのだ。
「そばに……いてくれますか? あなたがいてくれれば……私、頑張れる気がするんです」
……くーっ! エモい!!
個別ルートに入ったからこそ見られる、二人だけの世界……!! たまらない!!
私はリナの立ち位置を確認するため、ちらりと視線を向けた。
──思ったよりも近くにいた。
彼女はすぐ傍で、私のドレスの裾をぎゅっと掴んでいる。
……うん? 待って。
攻略キャラ全員が揃っているのに、なぜヒロインのあなたが、こっち側にいるの?
私とリナが並んで立ち、その後ろに攻略キャラたちが控えている。
立ち位置の妙にツッコミを入れようとしたが、リナの表情を見て言葉を飲み込んだ。
「クラリス様……」
リナの瞳には不安の色が宿っていた。
おそらく、これから何を告げられるのか──彼女も知らないのだろう。
この一ヶ月、あの「古代の神」に関する情報も与えられず、ただ答えのない時間を過ごしていたのかもしれない。
そう考えた瞬間、私は無意識のうちにリナの手を取っていた。
「大丈夫よ、リナ。あなたは一人じゃないわ」
──あなたには、絆を結んだ人がいるのだから。
それが誰なのかは、私にはわからない。
けれど、彼女が「封印の鍵」を手にしたということは、間違いなくその証だ。
リナは私の顔と、重ねられた手を交互に見つめ、頬をほんのりと染めた。
「……はい!」
その笑顔は、まるで花が咲いたように可憐で。
心の奥がじんわりと温かくなる。
──ああ、あなたは本当に立派なヒロインになったわね。
その実感に、目頭が熱くなった。
私たちの様子を玉座から眺めていた国王陛下は、口元にかすかな笑みを浮かべると、低く響く声で告げた。
「──では、話を始めよう」
その一言を合図に、陛下の語りが始まった。
一ヶ月前、グランドナイトガラの夜に起こった騒動の顛末を──
あの夜、学園に現れた大量の魔物は、学園内の魔素濃度が異常に上昇したことが原因だという。
ただし、通常の魔素上昇であれば、その場にいた生物が魔物化するはず。
だが今回は、どこからともなく魔物が現れた。
──その原因は、いまだ解明されていない。
幸い、学園には魔術師団長シリルによる結界が施されていたため、魔素の影響は外部に漏れなかった。
被害は学園内部に留まり、生徒の多くは軽傷で済んだという。……私を除いて。
ガラに参加していなかった教師陣や、近隣で訓練を行っていた騎士団の救援が早かったおかげで、最悪の事態は免れたらしい。
現在、学園は原因の調査のために一時閉鎖されている。
そこまで話すと、アルフォンス陛下は視線をリナに向けた。
「──リナ・ハート」
「は、はいっ!」
──来た。あのシーンだ。
握りしめた拳に力が入る。
私は込み上げる緊張を、必死で抑えた。
突然名を呼ばれたリナは、裏返った声で返事をし、慌てて背筋を伸ばす。
私の手を握るリナの指先に、ぎゅっと力がこもった。
……相変わらずのパワー。ちょっと痛いけれど、我慢する。
「まだ全容を解明できたわけではない。──だが、一つだけ確かなことがある」
陛下の声には、揺るぎない確信が宿っていた。
「あの魔物たちは、そなたの“力”を狙って現れたのだ」
その瞬間、謁見の間にいる全員の視線がリナへと向かう。
静寂が、場を支配した。
「え、えっと……?」
リナは戸惑い、困惑の色を浮かべたまま固まっている。
突然の注目に、言葉が出てこないようだ。
陛下はそんな彼女を見て、苦笑しながら自らの胸元を指先で軽く叩いた。
「──そなたが首から下げている、その『封印の鍵』の力を、奴らは狙ったのだよ」
「封印の鍵」という言葉に、リナがはっと息を呑んだ。
一瞬、私の方を見てから、視線を胸元へと落とす。
服の下に隠していた“それ”を、震える手でそっと取り出した。
そこには──
「これ……?」
古い意匠で、壊れてしまいそうなほど繊細な形。
中心には、リナの瞳と同じ色をした緑の宝石がきらめいている──小さな鍵だった。
──ああ、やっぱりモノホンは違う……!!
思わず手に取って、まじまじと眺めたくなる衝動を必死に抑える。
グランドナイトガラの夜にも目にしていたが、あれは幻だったのではないかと、自分の記憶を疑っていたのだ。
この鍵が登場するのは、終盤も終盤。個別ルートの最終盤、ヒロインと攻略キャラの絆が最高潮に達したときだ。
その場に自分が居合わせることなどないと思っていたから──
まさか今、この目で見る日が来るなんて。
……本当に良かった。
少しフライング気味ではあるけれど、リナは「封印の鍵」を手に入れ、「古代の神」に対抗する力を得た。
ゲームのシナリオ通り──このまま彼女はヒロインらしく、世界を救うのだろう。
──私は、やりきったのだ。
怪我はしてしまったけれど、死ななかった。
こうしてここで、重要イベントに立ち会えるというご褒美までいただけた。
……もう、悔いはない。
あとは余生を静かに──
「クラリス」
感動のあまり心の中で咽び泣いていたところに、不意に陛下の声が落ちてきた。
内側の感情を慌てて押し込み、私は冷静を装って顔を上げる。
「はい」
返事をしながらも、なぜここで自分が呼ばれたのか理解できず、頭の中に疑問符が浮かぶ。
本来のシナリオなら、ここで陛下が「封印の鍵」にまつわる伝承を語る場面のはずなのに──
そんな疑問を抱いたまま、陛下の言葉を待つ。
次の瞬間、放たれた一言に、私は固まった。
「そなたが知っていることを、すべて話してほしい」
──え?
謁見の間にいる全員の視線が、私に集まる。
アレクシスは、強い意志を宿した目で。
ライオネルは、心配そうに。
ルークは、困惑を隠せず。
ゼノは──まるで何かを見守るように。
隣のリナの顔には、不安の色がにじんでいた。
背筋を冷たい汗が伝う。視線が痛い。
──え、なにこれ。
全部言わなきゃいけない雰囲気……!?
一瞬で口の中が乾いていく。
何を言えばいいのかわからないまま、思考が真っ白になった。
私は転生者で。
ここは、前世でプレイしていた乙女ゲームの世界で。
あなたたちは、攻略キャラなんです──
……ダメだ。どう考えても異常者だ。
言ったら正気を疑われる。
せっかく回避した死亡フラグを、自ら立てに行くようなものだ。
「クラリス様……?」
リナの声が、遠くで響く。
混乱が極限まで高まり、視界がかすみ始めた。
どうしよう。
どうしよう──
「──クラリス」
その声は、頭上から落ちてきた。
恐る恐る顔を上げる。
ぼやけた焦点の先にいたのは──父だった。
父は、いつも通り無表情だ。
ただ、その瞳の奥に──何かを決意したような色が宿っている。
ゆっくりと、父の口が開かれた。
「お前が──前世の記憶から知ったことを、すべて話しなさい」
──全身の血の気が引く。
なぜ。
なぜ、あなたがそれを……
驚愕で体が震えた。
私は、まだ誰にも言っていない。
自分が前世の記憶を持っていることも、ここが乙女ゲームの世界であることも。
ゼノにだって、話していないのに。
なのに、なぜ。
なぜ──父が、それを知っているの。
「前世? どういうことだ、エドワード」
玉座に座る王が、片眉を上げながら宰相を見上げた。
陛下の反応を見る限り──この話を知っていたのは、父だけらしい。
父は視線を一瞬だけ陛下に向けると、すぐに私へと戻した。
「……エヴァレット家には、時折、前世の記憶──そして、未来を予知する力を持つ者が現れます」
謁見の間に、ざわめきが走る。
ここにいる全員の視線が、私と父の間を往復した。
私も──例外ではなかった。
父が何を言おうとしているのか、理解が追いつかない。
……え? そうなの?
エヴァレット家って、そんな家だったの?
そんな裏設定、聞いてないんだけど!?
周囲が静まり返る中、私だけが別の意味で混乱していた。
父は私の心中などお構いなしに、淡々と続ける。
「それは……我々が、『封印の鍵』を守る──“守護者”だからです」
…………え?
なにそれ。
私は──完全に、思考を停止した。
予想外の方向からの変化球に反応できないクラリス。
まさかの裏設定が出てきました。
今回のX投稿イラストは、困惑するクラリスです。
次回ep.152では、「封印の鍵」の守護者について語られます。
12月2日(火) 19:00更新予定です。お楽しみに!
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