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完全無欠の悪役令嬢はポンコツヒロインをほうっておけない  作者: Kei
第九章 完全無欠の悪役令嬢はやっぱりポンコツヒロインをほうっておけない

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目覚め

 ──気づいたとき、私は母を見上げていた。

 夢なのか、記憶なのかもわからないまま。


 ベッドに横たわる母の手を握りしめながら、完璧な淑女になると誓った私に、母は少し寂しそうに微笑んだ。


「素敵よ、クラリス」


 それなら──と、母は穏やかに続けた。


「完璧で……そして、幸せな淑女になってちょうだい」


 私は首を傾げる。完璧で、幸せな淑女。

 一体それは、どんなものなのだろう。


 私の反応に、母はくすりと笑った。


「あなたのことを誰よりも大切に想ってくれる、素敵な殿方と一緒に、幸せになってほしいわ」


 「お父様やお母様のようにね」と、いたずらっぽく微笑む。


 ……ますますわからなかった。

 完璧であることと、誰かと共に生きること。

 その二つが、どう関係するというのだろう。


 母は、私の頬を包み込むように両手を添えた。ひんやりとした手の温度が心地よい。

 母の手はいつも冷たかった。けれど、不思議とその冷たさが、心を落ち着かせてくれた。


「今はわからなくてもいいわ。でも、覚えていて。わたくしは、あなたに幸せになってほしいの」


 灰青の瞳が、優しく細められた。


「あなたはエヴァレット家の子だから、完璧であることを求められるでしょう。でも、それだけでは“完璧”とは言えないのよ」

「そう……なのですか?」

「ええ。本当の意味で完璧な淑女は、幸せでなければならないの」


 ──完璧な淑女は、幸せでなければならない。


 母が言うのだから、きっとそうなのだろう。

 まだ理解は及ばなかったが、私はこくりと頷いた。


 母は私の頭を撫で、静かに笑った。


「とても楽しみだわ。あなたは、どんな殿方と一緒になるのかしら。わたくしも、それを見たいわ……」


 その言葉の奥に潜む悲しみの色に気づかず、私は顔を輝かせた。


 私が“約束”を守れば、母はきっと元気になる。

 ──あのときの“魔法使いさん”の言葉は、本当だったのだ。


 その希望を胸に、私は完璧を目指し続けた。


 ──母が亡くなってからも。

 母との本当の“約束”を、忘れてしまってからも。


 私は、完璧を求め続けた。


 その記憶が、どこか遠い夢のように薄れていく。




「気になる人、です」


 学園祭の前夜。

 リナの問いかけに、私は唐突に母との“約束”を思い出した。


 前世の記憶を取り戻す前までは、私はただ完璧を追い求めていた。

 そして記憶を取り戻してからは、世界を救うために──自らの死を回避するために──ひたすら足掻いてきた。


 どうすれば自分を完璧にできるか。

 どうすればリナを完璧なヒロインに育てられるか。


 そのことだけを考えて生きてきた。


 “誰かと幸せになる”未来など……一度も、考えたことがなかった。


 ──でも。


 リナの言葉を受けて、一瞬だけ脳裏に浮かんだ“ある顔”に。

 私は、気づかないふりをした。


 だって私は、悪役令嬢だから。

 この世界のヒロインではないのだから。


 そんなこと、許されるはずがない。


 だから私は──その感情に、静かに、そして確かに蓋をした。




 ──グランドナイトガラの夜から、一週間。


 長い夢を見ていたようだった。

 目を覚ませば、私は公爵邸のベッドの上にいた。


 治癒魔術のおかげで傷そのものは塞がっている。

 けれど、まるでそこにまだ刃が残っているかのように──痛みだけは消えなかった。

 その残滓のような痛みにうなされながら、私は長い間、夢と現のあわいを彷徨っていた。


 前世の夢。

 子供の頃の夢。

 前世の記憶を取り戻した後の夢。

 そして──ただの悪夢。


 もう、どれが現実で、どれが幻なのかもわからない。

 どんな夢も──今は痛みしか残さなかった。


 ……地獄のような日々だった。


 けれど、一週間が経ち、ようやく痛みが薄れはじめると、ぼんやりしていた意識が次第に現実に戻ってきた。


 部屋には、代わる代わる人が訪れた。

 身の回りの世話をしてくれる専属侍女のエミリア。

 学園医務室の先生、ミレイユ。

 そして、ルークや父エドワードも、時折様子を見に来てくれた。


 ……でも、それ以外の顔は見ていない。


 リナは……大丈夫だろうか。


 ゲームでは、グランドナイトガラの夜──

 ヒロインが絆を結んだ攻略キャラと共に「古代の神」を退けた後、王城へ招かれ、「封印の鍵」の力について教えを受ける。

 その一連のイベントが、物語の転換点になるはずだった。


 それももう、終わったのだろうか。


 ……結局、リナは誰と絆を結んだのだろう。


 今の状況は、私が知るシナリオから大きく外れている。

 つまり──私の知らないイベントが、あちこちで発生しているということ。


 一体どんなイベントが起きたのか。

 詳しく。スチル付きで。できれば回想機能も使わせて。


 ……だめだ。気になる。

 攻略対象たちの反応とか、もう全部気になる。


 そんなことを考える余裕が出てきた私は、ようやく身体を起こせるようになった。


 エミリアに支えてもらいながら、ベッドの背にもたれるように上体を起こしていると、扉がノックされる。

 入ってきたのは──父だった。


 改めてその顔を見ると、血色の悪さが目についた。

 いつも冷静沈着な人だからこそ、余計にやつれて見える。

 ……きっと、心配をかけてしまったのだろう。


「……調子はどうだ」


 ほとんど感情を見せない父の声。

 それでも、そのわずかな揺らぎの中に、確かな心配の色を感じ取る。

 親子でなければ気づけない、ほんの小さな変化だった。


「はい。こうして体を起こせるようになりました。ご心配をおかけして、申し訳ございません」


 治癒魔術は、本人の体力と魔素を代償に強制的に傷を塞ぐ。

 けれど、本当に癒えるには──自分自身の回復力に頼るしかない。

 しかも今回は、失血が多すぎた。回復に時間がかかるのも当然だ。


 ……まぁ、ラスボス相手にこの程度で済んだのだから、運が良かったほうだろう。


 肩の傷は治癒魔術で塞がっていたが、薄く跡が残っている。

 ミレイユ曰く、時間が経てば元通りになるらしい。

 とはいえ、しばらくオフショルダーのドレスはお預けだ。


「……王城から、呼び出しがかかっている」


 父の低い声に、私は無意識に背筋を伸ばしていた。


 ……来たか。


 私はゆっくりと俯く。

 父の視線を感じながらも、その顔を見ることができなかった。


 父からは──あの夜に起こったことについて、何も問われてはいない。

 けれど、彼はすべてを知っているはずだ。

 国の中枢を担う人間であり、ゼノから報告を受け、今回の件の指揮を執っていたはずなのだから。


 ……半信半疑だったのかもしれない。

 間接的にとはいえ、まさか娘からもたらされた情報が、ここまでの事態を招くとは、夢にも思っていなかったのだろう。


 だが、事は起こってしまった。


 そして、そのすべてを知っていた私は──おそらく、“危険人物”と見なされている。

 城への召喚とは、すなわちそういうことだ。


「……承知いたしました」


 私は小さく承諾を口にした。

 そのとき、視界の端で父の拳が、わずかに力を込めるのが見えた。


「……お前が歩けるようになったら、登城することになる。それまで、しっかり体を休めなさい」


 淡々とそう言い残すと、父は踵を返して部屋を出ていった。


 静まり返った室内で、私は天井を見上げる。


 ……あの夜の記憶が、静かに蘇る。


 ──「古代の神」は顕現した。


 私が漆黒の刃に倒れた後、リナは「封印の鍵」の力を使って、「古代の神」を退けたのだろう。

 けれど、私はその瞬間を見ていない。


 ……それでも、わかる。

 “あれ”はまだ、生きている。


 これからヒロイン──リナは、攻略対象とともにラストバトルの地──つまり、“本体”のいる場所へ赴き、本当の意味で「古代の神」を封印しなければならない。


 リナはすでに、「封印の鍵」を手に入れている。

 きっと、彼女ならやり遂げるだろう。


 ──私の役目は、終わったのだ。


 自身の破滅を防ぐために。

 そして、世界の破滅を防ぐために。

 私は、全力で走り続けてきた。


 ……そして今、すべてが終わった。


 これから、どうすればいいのだろう。

 胸の奥にぽっかりと空いた虚しさだけが残っている。


 私は甲子園を制した高校球児のように、燃え尽きた気持ちでベッドに身を沈めた。


最終章になります。

ようやく、クラリスの心の変化を描くことができました。


今回のX投稿イラストは、そんな葛藤するクラリスです。


次回ep.149は、王城に参ります。

11月21日(金) 19:00更新予定です。お楽しみに!


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どうぞよろしくお願いいたします!!

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 https://youtube.com/shorts/IHpcXT5m8eA
(※音が出ます。音量にご注意ください)
(本作10万PV記念のショート動画です)

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 『わたくしの推しは筆頭公爵令嬢──あなたを王妃の座にお連れします』
(クラリスとレティシアの“はじまり”を描いた物語です)

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 『毎日プロポーズしてくる魔導師様から逃げたいのに、転移先がまた彼の隣です』
(社畜OLと美形魔導師様の、逃げられない溺愛ラブコメです)

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 完全無欠の悪役令嬢はポンコツヒロインをほうっておけない
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