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完全無欠の悪役令嬢はポンコツヒロインをほうっておけない  作者: Kei
第八章 運命の時! グランドナイトガラ

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【ゼノ】その目が映すもの 2

 視界の先に、漆黒の炎が立ち上がる。


 あまりの禍々しさに、思わず足が止まりそうになった。

 ──この先は、危険だ。


 「影」としての勘が、鋭い警鐘を鳴らす。

 だがそれは同時に、彼女たちが危機に陥っている証にほかならなかった。


 私は迷わず、噴水へと駆け抜ける。


 小道を抜けたその先に──


 “それ”は、いた。


 噴水の前に立つ姿は、一見すれば子どものよう。

 男か女かも判別できぬ中性的な容貌。

 彫刻のごとく整った美は、目を奪うと同時に、視線を拒ませるほどの忌避感を放っていた。


 一瞬だった。


 “それ”を目にした刹那、全身が縫い付けられたかのように動きを止める。

 同時に、“それ”の手が静かに掲げられた。


 その手の先を認識した瞬間──世界が。


 赤く、染まった。


 血。

 赤い。


 視界は、赤に呑まれていく。


 宙を貫く漆黒の刃。

 その刃に貫かれたものから飛び散る血潮が、世界を赤く塗り替えていった。


 そして、それが彼女の──クラリスの血であると理解したとき。


 私は頭の芯が、氷のように冷えていくのを感じた。


 ──また……間に合わなかった、のか。




「では一曲──踊りましょう、ゼノ」


 あのときの声が脳裏に蘇る。


 冗談めかして彼女へ差し伸べた手に、彼女のそれが重ねられたとき。


 私は気づいた。

 いや、知っていながら、ずっと見ぬふりをしていた。

 自分の厄介な感情を──その瞬間、認めざるを得なかった。


 同時に、私はこの目をくれた母に感謝した。

 世界はやはり、美しい。

 影に生きる私にさえ、そう思わせてくれるほどに。

 彼女を、この目に映せる奇跡を与えてくれたことに。




 けれど──現実は、残酷だ。


 私は、動けなかった。


 またしても、動けなかった。


 あのとき。

 母を永遠に失った、あの瞬間のように。


 私は、また失うのか──


「いやぁぁぁぁぁぁっ!!」


 夜を切り裂く悲鳴に、我に返る。


 地に伏したクラリスの傍らで、リナが蒼白な顔で震えていた。

 崩れ落ちそうになりながらも、必死にその手を彼女へと伸ばしている。


 ──だが、その手が導くように。


 リナの目の前に、巨大な鍵穴が現れた。

 宙に浮かび、低い共鳴音とともに異様にして荘厳な光を放つ穴。


「な……っ」


 思わず声が漏れる。

 錯覚を見ているのではと疑いながらも、視線を逸らすことはできなかった。


「え……!?」


 リナ自身も固まっていた。

 伸ばした手を宙に止めたまま、目の前の光景を理解できずにいる。


 凍りついたような場の中で──ただ一人、“それ”だけが動いていた。


 “それ”から立ち上る漆黒の炎はさらに勢いを増し、鍵穴に近づけまいと凝縮した漆黒が刃と化して突き出される。

 狙いは、リナ。


 ──そうか。先ほどクラリスを貫いたのも、これか。


 ギリ、と奥歯を噛みしめる。

 腹の底から沸き上がる黒い感情を押し殺し、私は即座に呪術を展開させた。


 影を媒介に、クラリスとリナの体をこちら側へと引き寄せる。


「え、え……!? ゼ、ゼノ先生っ!?」


 リナは、自分が一瞬で別の場所へ移されたことに気づき、さらに混乱しているようだった。


 私はそれには応えず、血溜まりに沈むクラリスの体を窺う。


 漆黒の刃に貫かれた肩口からは、とめどなく血が流れ続けている。

 それは彼女の漆黒のドレスを深紅に染め、絹の裾は血に張り付き、重く垂れ下がっていた。

 夜空のように光を弾いていたであろうその布地は、今や鈍く沈み、白い肌との対比だけが痛ましいほど鮮烈に目に映った。


 私は自身の袖を引きちぎり、傷口に押し当てる。

 白かった布は、みるみる赤く染まっていった。


 急所は外しているようだが、このままでは──


 コートで彼女の上半身を覆い、その身をそっと抱き上げる。そして、視線を鋭く前方へと向けた。


 ──敵はまだ、そこにいる。


 “それ”は突然移動した彼女たちに動じることなく、ゆっくりとこちらに向き直っていた。

 虚無の瞳は、リナと──その傍らに浮かび上がる巨大な鍵穴に注がれている。


「クラリス様……」


 抱きかかえられたクラリスの顔からは、すっかり血の気が失せていた。

 それに劣らぬほど青ざめたリナが、震える声で彼女の名を呼ぶ。


 ──ここは一旦、彼女たちを連れて離脱するしかない。

 「影」であることの秘匿よりも、今は彼女たちを守ることが優先だ。


 私は“それ”が動き出す前に、即座に決断した。


 ──しかし。


「クラリス様を……よくも、クラリス様を……」


 リナのつぶやきとともに、宙に浮かぶ鍵穴がゴゴ、と音を立てる。

 傷ついたクラリスを前にして、リナの感情が昂ぶっていた。

 それに呼応するかのように、鍵穴と──彼女の手に握られた鍵のようなものが、白銀の光を放ち始める。


 ──まさか、これが……


 考えをまとめる間もなく、“それ”が再び漆黒の刃を突き出した。

 鍵穴の異変に意識を奪われていたせいで、撤退の機を逃してしまったのだ。


 私はクラリスの体を抱きかかえたまま、刃の軌道に影を出現させる。

 通常の刃なら、影で別の場所に飛ばすことが可能だった。


 だが──漆黒の刃は影を無視するかのように素通りし、真っ直ぐこちらへ迫ってくる。


 ──このままでは。


 判断を誤った。

 刃を防ぐため影を使ったせいで、自分たちを退避させるための術式を構築する時間がない。


 自分一人ならまだしも──彼女たちを置いていくことは、もはや私の選択肢にはなかった。


 少しでも彼女たちを刃から庇うため身を翻した、そのとき。


 白銀の光が壁となり、漆黒の刃は塵となって消えた。


「……!?」


 先ほど、巨大な鍵穴が出現したときと同じような衝撃に、私は息を呑む。


「……だから」


 静かに──しかし確かに、怒りを孕んだ声が隣から響いた。


「クラリス様を……こんな目に合わせて──」


 白銀の光は、もはや鍵や鍵穴だけでなく、リナをも包みこんでいる。

 滴り落ちる頬の涙でさえ、淡く光り輝いていた。


 これが──「封印の鍵」の力……


 彼女は血が滲むほど唇を噛み、“それ”を睨みつける。


 “それ”の表情に──初めて、焦りの色が浮かんだ。


「許さないんだから──……っ!!」


 リナの怒りに呼応するように、白銀の光が一面を照らす。

 彼女の手にしていた鍵が宙に浮かび、ゆっくりと回転しながら巨大な鍵穴へと吸い寄せられていく。

 荘厳な光が大地を照らし、まるで天上から下ろされた神の審判のごとく、鍵は確かな軌跡を描いて鍵穴に突き立った。


 カチリ──と、世界を揺るがすような音が響く。


 その瞬間。


 学園全体を覆っていた魔素の奔流が、まるで逆流するかのように一気に収束していく。

 淀んだ瘴気のように重く垂れ込めていた空気が澄み、肌を焼くような圧迫感がふっと和らいだ。


 ──これが、“封印”……?


 リナの持っていた鍵は、確かに“何か”を閉じた。

 空気が変わる。

 説明のつかない感覚が、それをはっきりと告げていた。


 私は光の収束を見届けながら、“それ”に目を向ける。


 ──いない。


 つい先ほどまで、噴水の前に立っていた“それ”の姿は跡形もなく掻き消えていた。

 音もなく、影すら残さず。


 ただ、不自然な沈黙だけが広場を支配している。

 白銀の光に照らされた噴水の周囲には、異様なまでに静謐な世界が訪れた。


 ……終わった、のか……?


 静けさの裏に残されたのは、胸をざわつかせる余韻だけ。

 冷たい風が吹き抜け、クラリスの血に濡れた黒衣を揺らした。


「クラリス様、クラリス様……っ!!」


 自分がどれほどのことを引き起こしたのかなど、まったく意に介さず──

 ただ私の腕の中にいるクラリスの安否だけを案じて、リナは子どものように泣きじゃくっていた。


 私はその姿を横目に、改めてクラリスの傷へと目を落とす。


 応急処置だけでは、とても止血しきれない。

 急所は外しているとはいえ、このままでは命が危うい。


 ──時間がない。


 私はリナに声をかけることもせず、クラリスの体を抱き直した。

 そして、周囲の気配に警戒を払いながらも、医務室へ向かって走り出した。


なんとか「古代の神」を退けたものの、クラリスは瀕死の重傷。

果たして、彼女は助かるのか──


今回のX投稿イラストは、そんなクラリスを抱きかかえるゼノです。


次回ep.144はルーク視点。

姉さんのことが心配でたまりません。

11月4日(火) 19:00更新予定です。お楽しみに!


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(※音が出ます。音量にご注意ください)
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◆スピンオフ短編公開中!◆
 『わたくしの推しは筆頭公爵令嬢──あなたを王妃の座にお連れします』
(クラリスとレティシアの“はじまり”を描いた物語です)

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(社畜OLと美形魔導師様の、逃げられない溺愛ラブコメです)

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