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完全無欠の悪役令嬢はポンコツヒロインをほうっておけない  作者: Kei
第八章 運命の時! グランドナイトガラ

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【ゼノ】その目が映すもの 1

「いつか、君に本当の世界を見せてあげよう」


 ──彼女はそう言った。


 いつものように、私の何も映さぬ網膜に、彼女の愛する花畑を映し出した後で。


 私は、世界を知っているつもりでいた。

 彼女の影が見せてくれる景色こそが、私にとってのすべてだったからだ。

 彼女が映してくれるからこそ、私は世界を知った気になっていたのだ。


 世界は、美しい。


 彼女の言葉の通り、もしこの目で世界を見られる日が来たなら──

 それはきっと、さらに素晴らしいに違いない、と。


 幼く、愚かだった私は、疑いもせずそう信じていた。


 時は流れ──


 彼女は約束を果たしてくれた。


 だが、世界が最初に私へ突きつけたのは──赤。


 彼女の血で塗り潰された、惨たらしい赤だった。




 ──そして、今。


 宙を裂き、突き立つ漆黒の刃。

 そこから飛び散る鮮烈な赤は、あの日と同じ色だった。


 私が最初に見た、世界の色。

 彼女の──母の血に染まった、あの赤と。




 リナがルーセントホールを通り過ぎ、噴水の方角へ歩みを進めたそのとき──

 私の「影」としての直感が、最大の警鐘を鳴らし始めた。


 一見すれば自然な足取りで、何の違和感もない。

 だが、クラリスから聞かされていた流れとは、明らかに食い違っていた。

 背筋を這うような悪寒が、私を即座に突き動かす。


 それをクラリスに伝えると、彼女も迷わずリナの後を追った。

 その決然とした声を聞いた瞬間、私は確信する。──これは、想定外の事態だ。


「……すまない。私の落ち度だ」


 気づけば、そんな言葉がこぼれていた。

 なぜ彼女に謝るのか、自分でもわからない。

 だが、もっと早く察していれば防げたのではないか──その悔恨が喉を焼いた。


「……リナは、きっと大丈夫です」


 クラリスは苦笑を滲ませながら、そう口にした。

 きっと彼女自身も、何かに悔いを抱いているのだろう。


 私は小さく唇を歪める。

 そうだ、後悔している暇などない。

 まだ、何かが起こったわけではないのだから。


 立ち上がり、研究室を後にした。




 「王家の影」の一族にだけ伝わる呪術は、影を媒介にしてあらゆることを可能にする。

 自由に移動し、遠景を映し出し、声を届け、音を拾う。

 さらには、影を介して対象を入れ替える──人にさえ、干渉し得る力だった。


 本来なら、影を使えば一瞬で移動できる。

 だが──私が「王家の影」であることは、決して知られてはならない。


 ゆえに学園内では、自らの足で移動するしかなかった。

 研究室のある校舎からルーセントホールまでは距離がある。

 私は表情を崩さぬまま、足取りだけは焦るように、速く、速く進んだ。


 ──早く。彼女たちのもとへ……


 周囲では、ガラに向かう生徒たちが楽しげに歩いている。

 彼らからの挨拶に軽く応じながらも、胸の内は焦燥に支配されていた。


 ──らしくない……


 内心で自嘲する。

 私は「王家の影」。影の末裔として、国と王家に忠誠を誓い、その身を捧げてきた。


 表舞台に立つ人間ではない。

 影の中で生き、影の中で死ぬ。


 これまで葬ってきた数を思えば、それは当然の生き方だった。

 疑問を抱いたことなど、一度もない。


 ただ──母も、そう生きていたように。


 目尻を軽く押さえる。

 母から受け継いだ“忘れ形見”が熱を帯び、今の思考を真っ向から否定するように疼いていた。


 この国を、王家を守れ──それが、母の教え。

 そして彼女は、私にこの“目”を残した。


 それは次代への餞別だったのか。

 それとも、母としての最後の愛だったのか。


 ……今となっては、わからない。


 私は前を見据えた。

 この“目”は、確かに世界を映し出している。


 この目を手に入れるまで、私は暗闇の中で生きてきた。世界との接点は、この手に触れる感触だけだった。


 そこから救い出してくれたのは、母の“目”だった。

 だからこそ、私は決めた。──彼女との約束を果たすと。


 この国と、王家を守る。


 そしてそれは、今この瞬間においては、彼女たちを守ることと同義だった。


 ……そうだ、と自分に言い聞かせる。


 私はさらに歩を速め、目的の地へ向かった。




 状況は、刻一刻と悪化していた。


 学園全体を、異様なほどの魔素が覆い尽くしていく。

 リナが噴水へ到達したあたりから高まり続けていた魔素濃度は、ついにこれまで感じたことのない域に達した。


 ──その瞬間。


 黒い霧が地を這い、空気を濁らせ──そこから次々と魔物が姿を現した。

 私は目を疑う。あの禍々しい出現の仕方は、まるで呪術のようだった。


 ──これが、「古代の神」の力……?

 これではまるで──


 脳裏をかすめた考えを振り払う。

 今はただ、この魔物たちを退け、彼女たちのもとへ向かわねばならない。


 途中、ライオネルと遭遇し、騎士団への救援を任せた。

 宰相の采配で、副団長率いる精鋭部隊が近隣にいるはずだ。軍馬を使えば、一の時もあれば到着できる。


 幸い、出現した魔物は教師陣でも対処可能なレベルだった。実戦経験の浅い生徒たちでは危険だが、救援が来るまでなら持ちこたえられるだろう。

 ただ──


 ……それでは遅すぎる。

 このままでは、噴水に辿り着けない。


 焦燥に歯噛みしたそのとき、不意に朗々とした声が響いた。


「──まったく。学園に無断で入り込むとは、作法を知らぬ魔物たちですな」


 現れたのは学園長──カスパー・リュミエール。

 飄々とした笑みを浮かべ、厄介な生徒でもあしらうかのように魔物たちを見渡している。


 その笑みは、やがてゆっくりとこちらに向けられた。

 まるで思いがけないものを見つけたかのように、彼は片眉をわずかに上げる。


「おや、ゼノ先生。こんなところにいてよろしいのですか?」


 ──学園長の笑顔は、決してその心を映さない。


 私が学生だった頃。彼がまだ一介の魔術教師にすぎなかった頃から、ずっとそうだった。

 だが今はさらに色濃く、まるで全てを見通すかのような眼差しで、私を射抜いてくる。


 私は、苦笑するしかなかった。


「……そうですね。私は、行かなければなりません」

「ならば行きなさい。後は私たちで片付けましょう。何、騎士団の救援が来るまでくらい、この老体でも持ちこたえられます」


 疲労に彩られていた教師陣の顔に、安堵が広がる。

 ──老いてなお、この古狸の魔術の腕は健在だ。


 その微笑の裏に潜む容赦のなさは、相手をする魔物にすら同情を禁じ得ない。


 だが今の状況においては、それこそが何よりも頼もしい。


 私は学園長に一礼し、噴水へと駆け出した。


ゼノの中には、今もなお母の影が息づいています。


今回のX投稿イラストは、母の死を目にしてしまった少年時代のゼノです。


次回ep.143は後編。

ようやくクラリスたちのもとにたどり着きます。

10月31日(金) 19:00更新予定です。お楽しみに!


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 完全無欠の悪役令嬢はポンコツヒロインをほうっておけない
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