荒療治
ルークと一曲踊り終えたあと、ふと視線を上げると、彼の空色の瞳と目が合った。
見慣れたはずの綺麗な顔に、嬉しそうな笑顔が浮かんでいる。
──まるで、ずっと欲しかったものをやっと手に入れたかのような……それを無邪気に喜んでいる、そんな表情だった。
ルークと踊るのは、そういえば初めてだったかもしれない。
私には婚約者であるアレクシスがいたし、ルークも踊る相手に事欠かない。
彼のリードは完璧だった。
速いテンポの曲でも、まるで水に身を任せるように自然にステップが踏めてしまう。さすが、エヴァレット家の次期当主と言うべきだろう。
……ただ。
やっぱりルークも、攻略キャラの一人。
我が弟とはいえ、イケメンすぎる……!
姉でも、こんなにドキドキしてしまうのだ。心臓がいくつあっても足りない。
私は、うるさく鳴り響く心臓の音をごまかすように、周囲へ視線を巡らせた。
令嬢たちの熱い視線が突き刺さる。
もし他の令嬢が彼と踊ったら、後で刺されるんじゃないだろうか。姉でよかった。
とはいえ、もしリナがルークをパートナーに選んだ場合、私が体を張って守らなければ。完璧な小姑として、二人を守る壁になってみせよう。
……それにしても、リナはまだだろうか。
ダンス中もずっと気にしていたが、彼女の気配は感じられなかった。
支度に時間がかかっているのかもしれない。何せ今日は、個別ルートに入るための大切な分岐点なのだ。気合いも入るだろう。
それに、グランドナイトガラは夜遅くまで続き、入退場も自由。
ゲームの中でも、ヒロインは舞踏会の途中で現れていた。
だから──大丈夫。
大丈夫……なはず。
必死にそう言い聞かせても、胸の奥で膨らむ不安だけは、どうしても押さえ込めなかった。
「クラリス」
名を呼ばれ、不安に支配されそうになっていた思考が現実へと引き戻される。
声の方へ顔を向けると、そこにはアレクシスが立っていた。
ゲームで見た通りの──いや、画面越しに見るよりも、何倍も破壊力のある立ち姿。
全身から放たれるのは、王太子としての気品と威厳、そして人を惹きつける圧倒的な存在感だった。
あまりの神々しさに目がチカチカしたが、鋼鉄の表情筋で顔に出すのはなんとか持ちこたえる。
本当に……顔面偏差値が飛び抜けている人たちは、自重してほしい。
不意打ちで視界に入られると、息の根を止められそうになる。
アレクシスは、自然と割れていく人垣の中を、ゆっくりとこちらへ歩みを進めてくる。
──まさに、王子様。
きっと、ゲームで彼がヒロインにダンスを申し込むときも、こんな光景だったのだろう。
……そう、ヒロイン。
リナ、ここにあなたの王子様がいるのに、どこで何をしているの?
私はルークと踊ったことで、約束を果たしたのだから。
今度はあなたの番──
リナの姿を探して視線を彷徨わせているうちに、アレクシスが私の前に立ち止まった。
私が彼を見上げた瞬間、その手がゆっくりと差し伸べられる。
「私と──踊ってくれるだろうか」
私はその手を見つめ、固まってしまった。
流れるような王子様ムーブ。
完璧な所作、絵画のような立ち姿。
きっと周りの令嬢たちは、今この瞬間、悲鳴をこらえて卒倒しかけているに違いない。
正直なところ、私だってあまりのキラキラぶりに意識が飛びそうになった。立ちくらみがする。
確かに私は彼の婚約者だ。責任感から、ダンスに誘わなければと思っているのかもしれない。
けれど──その破壊力は、どうかヒロインのためにとっておいていただきたい。
とはいえ……今の私たちは、大勢の視線にさらされている。
ここでアレクシスの手を取らなければ、彼の顔を潰すことになるだろう。
その結果、この後に控えているリナとのダンスにまで支障が出たら──それこそ本末転倒だ。
……仕方ない。ここはアレクシスの肩慣らしとして、お相手することにしよう。
私はルークに視線を向ける。
「……まぁ、仕方ないね」
彼は困ったように微笑み、握っていた私の手を静かに離した。
アレクシスに向き直り、差し伸べられた手にそっと自分の手を添える。
その瞬間、彼の表情が安心したようにほころんだ。
──それは今まで見たことのない、彼の素の部分が垣間見えたような顔。
先ほどまでの王子様然とした雰囲気とのギャップに、私の心臓は悲鳴を上げる。
こ、これがギャップ萌えってやつね──って、いやいや、アレクシスはそんなキャラじゃないはず。落ち着け、私。
いくら鋼鉄の表情筋でも、限界がある。私は彼を視界に入れないように、そっと目を伏せた。
ちょうどそのとき、ゆったりとした旋律が流れ始める。
寄り添うようなリズムに合わせ、私は自然とアレクシスに導かれるままステップを踏み出した。
──近い。さっきのルークとのダンスよりも、はるかに距離が近い。心臓がまた忙しなく暴れ出す。
……お、おかしい。アレクシスとのダンスなんて、これまでに何度も経験してきたはずなのに──
どうして今日に限って、こんなに落ち着かないのか。
「……クラリス」
頭上から、アレクシスの声が落ちてくる。
私は意識を持っていかれないよう、厳重に注意しながら視線を上げた。
視界に映ったのは、アレクシスの穏やかな微笑み。
……今までに、こんな表情を向けられたことがあっただろうか。
まるで何かを悟ったような笑顔──ゲーム中の王子様然とした笑顔とも違う。
なんというか……本当に、素のアレクシスを見ているような気がした。
その呆然とした隙に、うっかり彼の唇を視界に収めてしまう。
昨日、頬に触れた感触が一瞬で甦り、私は慌てて俯いた。
……なのに次の瞬間、アレクシスが耳元で囁く。
「今日のドレスは、よく似合っている」
耳朶にかすかに触れる、低く甘い声。
──腰が砕けるかと思った。
私は頭の中で素数を数えることで、必死に理性を繋ぎとめる。
人生で絶対に役に立たないと思っていた素数が、こんなところで役立つなんて……夢にも思わなかった。
その後も顔を上げることができず、曲が終わるまで私は素数を数え続けた。
曲が終わり、ようやく解放されると、私はほっと息をついた。
結局、最後まで視線を上げられなかった。
ダンス自体は問題なくこなせたと思う。けれど、少しでもアレクシス──攻略キャラの持つ抗いがたい魅力を直視してしまえば、余計なことを考えてしまいそうで……私はひたすら視線をそらし続けた。
よく考えれば、グランドナイトガラはゲームにおける山場だ。
攻略対象が普段よりマシマシでキラキラしているのは、仕様上仕方がない。
……とはいえ。
無遠慮にキラキラ光線を撒き散らすのはやめていただきたい。
心臓の鼓動回数には上限があるのだ。寿命が縮む。せっかく死亡フラグを回避しようとしているのに、その前に寿命が尽きてしまう。
私はアレクシスから体を離そうとした。
けれど、手と腰を掴む彼の手は、まるで根を張ったかのように緩まない。
……え? なんで??
「あの、アレクシス様」
「ああ」
「……曲は、終わりました」
「……ああ、知っている」
知っているなら、なぜ離してくれないのか──
恐る恐る視線を上げると、アレクシスの青い瞳と目が合った。
しかし、それを見つめるのが怖くて、思わず視線を逸らしてしまう。
……私はなぜ、こんなに緊張しているんだろう。
相手はアレクシスだ。もちろん、整いすぎた顔ではあるものの……見慣れているはずの顔なのに。
理解できない自分の反応にそわそわしていると、不意にアレクシスの手が私の頬に触れた。
そこは昨日、彼の唇が触れた場所で──
「荒療治だったが……効果はあったようだ」
その意味がわからず、私は顔を上げた。
彼の顔に浮かぶのは、眩しそうに私を見つめる微笑み──
「……少しは、意識してもらえると助かる」
……なに、を?
完全に思考が停止した私は、その言葉にもまったく反応できなかった。
そんな私を見て、アレクシスは小さく苦笑を漏らす。
そして頬をそっと撫で、ゆっくりと手を離した。
吹っ切れた王子様は、ついに積極的に。
今回のX投稿イラストは、アレクシスとクラリスのダンスシーン。
クラリスはアレクシスを直視できず、必死にそらしています(笑)。
次回ep.135はクラリス視点。リナを心配する彼女のもとに現れたのは──
10月7日(火) 19:00更新予定です。お楽しみに!
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