選択 2
生徒会室は、初日や二日目ほどではないものの、関係者が忙しそうに行き交っていた。
ほとんどの催し物は午前中で終わるため、今は夜の舞踏会──グランドナイトガラの準備が佳境に入っている。
中でも責任者に抜擢されたノアが、きびきびと周囲に指示を飛ばしていた。
来年、生徒会にはルークとリナしか残らない。リナが見習いを卒業して正式な役員になったとしても、二人とも二年生だ。三年生として、生徒会長を任せられる人材はぜひ欲しい。卒業式までに、なんとかノアを生徒会の一員に引き込みたい──私の密かな野望である。
「来たか」
背後から声がして、私は反射的に足を止める。
そして、平静を装って振り返り、いつも通りに挨拶をした。
「おはようございます、アレクシス様」
「ああ、おはよう」
……昨日はあの後、結局顔を合わせることなく、公爵邸へ戻ってしまった。副会長でありながら、生徒会の仕事を放り出して帰宅してしまったのだ。
「昨日は先に帰ってしまい、申し訳ございませんでした。残りのお仕事は、わたくしのほうで──」
「構わない。私のほうで、あらかた片付けておいた」
さらりと告げられ、私は心の中で固まる。
……あらかた? ただでさえ膨大な仕事量を、ほとんど一人で?
クラス劇は二日目の終盤だったので、終わってから片付けられる時間なんて限られていたはず。……この人、やっぱり優秀すぎる。
それに──
「どうした、クラリス」
私が言葉を探していると、ふっと笑いかけてくる。
……な、なんだろう。王子様度が……上がってる気がする。
整いすぎた顔に余裕の微笑み。今さらだけど、この人は王子様なのだと痛感する。……背景に光の輪が見えるのは私の幻覚だろうか。
昨日ここで顔を合わせたときは、空気が不穏で、互いに探り合うような状態だった。
それが今日はこの笑顔。……ギャップが激しすぎて、逆に怖い。
気圧されて後ずさる私に、なぜかアレクシスも歩みを合わせて近寄ってくる。歩幅の差で、みるみる距離が詰まっていった。
「あの、アレクシス様……」
「なんだ?」
「……なぜ近づいてくるのでしょうか?」
「君が離れるからだ」
アレクシスは、おかしそうに喉を鳴らした。
……いや、それ答えになってないから。鶏が先か卵が先か、論争を始める気?
生徒会室のあちこちから、なんとなく視線を感じる。みんな仕事に集中しているふりをしているけれど、絶対こっちを気にしている。
やっぱり、昨日のクラス劇のせいだろう。リナの誤解は解けたとはいえ、このままでは彼女の恋路の障害になりかねない。
学園中の誤解を解きに回る未来を想像してしまい、思わず遠い目になる。
「──はい、そこまで」
壁際まで追い詰められる寸前、ルークが間に割って入った。
私は心底ほっとして、近くまで来てくれたリナの隣に、できるだけ自然な動きで移動する。不自然ではなかったはず……うん。
そんな私を見て、アレクシスはなぜか満足げな笑みを浮かべていた。……な、何なの、その笑みは。落ち着かない。
「──クラリス」
ルーク越しに名前を呼ばれ、私は小さく「はい」と返事をする。……嫌な予感しかしない。
「今日のグランドナイトガラ──私に君を、エスコートさせてくれないだろうか」
──はい?
アレクシスの言葉を理解するのに一秒。
理解した瞬間、隣のリナの反応が気になって勢いよく振り向くのに一秒。
両手で口を覆い、目を見開いているリナを見て、全身の血が凍るまでに一秒。
計三秒で、私はこれまでの努力が水の泡になるかもしれない恐怖に襲われた。
……な、何を言っているの、この人は!
確かに私はあなたの婚約者だけれど、それは名ばかりで、あなたの未来のパートナーの前で、無駄な責任感を発揮しなくていいのよ!
無表情の裏で激しく動揺していると、ルークが私の手を取り、にっこりと微笑んだ。
「残念。姉さんは、僕がエスコートするんだよ」
「ね?」といたずらっぽく笑うルークに、周囲の女子生徒たちから黄色い歓声が上がる。
同時に、アレクシスの顔がわずかに引きつった。
「ルーク、お前……」
「そういえば、昨日の演技は見事だったね。本当に口づけしていたわけじゃないのに、そう見せる演技力がすごいよ」
その一言で、遠巻きにこちらを見ていた生徒たちがざわめく。「え、そうなの?」という顔が一斉にこちらを向いた。
私はルークに心の中で力強くエールを送る。
ナイス、ルーク! 少なくとも、ここにいる生徒たちの誤解は解けた……はず!
さらに、ルークは畳みかける。
「今日は王太子殿下の最後のグランドナイトガラだよ? お相手しなきゃいけない人は無数にいるはずでしょ。婚約者だからって、姉さんを優遇しなくても大丈夫。姉さんのことは、僕に任せて」
有無を言わせないルークの笑顔に、アレクシスは言葉を失った。
ルークの言うことは正論だ。王太子である以上、舞踏会では将来の地盤固めのため、社交を最優先にしなければならない。
しばらく、アレクシスは悔しそうに眉間にシワを寄せていたが、やがてふっと息を吐くと、静かにこちらへ顔を向けた。
「……わかった。では、会場で会おう」
その顔には、さっきまでの不満を包み隠すような、妙に余裕をたたえた笑みが浮かんでいた。
私は内心ほっとしながらも──胸の奥に、説明のつかないソワソワが残ったままだった。
最終日の催しもすべて終了し、残すは舞踏会──グランドナイトガラのみ。
ガラの準備はすでに整っており、あとは責任者のノアと協力者たちに任せ、私たちは一旦帰宅して支度を整えるだけだ。
「後はお任せください」
ノアは私たちを見回し、静かに告げた。
声にはわずかな緊張が混じっていたが、それ以上に、確かな自信が滲んでいる。
「ああ、君になら任せられる。頼んだぞ」
アレクシスの言葉に、彼は少しはにかむように笑った。
──ノアには、兄がいる。
アレクシスの前の生徒会長だ。しかし、その兄はある事件をきっかけに、不名誉な退任を強いられた。もちろん、ノアには何の関係もない。
彼自身も優秀で、生徒会役員として十分やっていける実力を持っている。それでも、兄の影に縛られるのを嫌い、誘いを受けても距離を置き続けた。
「生徒会ではなく、別の立場から学園を支えたい」──そう考えた彼は、今では会場設営チームのリーダーとして腕を振るっている。
ちなみにノアのルートは、通常のグランドナイトガラで踊る展開ではなく、特別ルートが用意されているらしい。……もう遅いけれど、課金してでも見ておくべきだった。
そんな前世の未練を、神妙な面持ちで頷くノアを前に、必死に胸の奥へ押し込めた。
校舎を出ると、ちらほらと舞踏会の準備のために帰宅する生徒たちの姿が見えた。
おそらく、今日の午前中の催しの主催者たちだろう。それ以外の生徒は、すでに帰宅して支度に入っているはずだ。
「じゃ、アレクシス。僕たちはこっちだから」
王族専用の馬車待機所は、他の貴族とは別の場所にある。
校舎を出た途端、ルークは私とリナの肩を取って、アレクシスとは反対方向へと向きを変えた。リナの寮も私たちの馬車の待機所と同じ方向にあるため、ここからはアレクシスだけ別行動になる。
「クラリス、あとで──」
「はいはい、またあとでね」
背後でアレクシスとルークが何やら言い争いを始めたが、私の関心はリナの舞踏会準備のほうにあった。
私は何度か、公爵邸での支度を勧めていたが、彼女は頑なに首を振った。
寮の侍女に頼んであるから大丈夫だと言い張る彼女に、無理強いはできない。
それでも、念のためにもう一度だけ提案してみる。
「リナ。本当に、公爵邸に来なくていいの?」
「──は、はいっ。だ、大丈夫です……!」
ルークに肩を掴まれているせいで、私とリナは自然と密着した姿勢になっていた。すぐ隣のリナの耳元に、小声で問いかける。
……が、なぜか彼女の頬が赤い。
……うーん? リナの本命はアレクシスだと思っていたけれど、やっぱりルークも“アリ”なのだろうか。肩を掴まれただけで赤くなるなんて……
もしそうなら、公爵邸で着替えさせれば、会場ではなく邸内でルークが最初にドレス姿を見ることになる。
それでは感動が薄れるかもしれない。……もっとも、ルークの場合はドレス選びにも立ち会っているので、今さら感もあるけれど。
「わかったわ。じゃあ……会場で会いましょう」
私の言葉に、リナは「はい!」と嬉しそうに微笑んだ。まさに“ヒロインスマイル”と呼ぶべき笑顔だった。
だから──私は安心してしまった。
……いや、油断してしまった。
もっと警戒しておくべきだった。
このときの選択を、私は後になって、死ぬほど後悔することになる。
アレクシスの攻撃力が上がり、ルークの防御力が上がったかと思えば、不穏な幕引き──
果たして、この選択がどんな結果につながるのか。
今回のX投稿イラストは、アレクシスに壁際に追い詰められるクラリスです!
次回ep.130は、エヴァレット家での準備。
父と顔を合わせます。
9月23日(火) 19:00更新予定です。お楽しみに!
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