選択 1
最終日。
今日の夜──「古代の神」が、現れる。
……正直、このままでは「古代の神」が現れる前に、私は睡眠不足で倒れるのではないだろうか。
まったく眠れなかったわけではないが、頭の中で思考がぐるぐる回り続け、休まった気がまるでしない。この三日間、私はほとんど気力だけで立っているようなものだ。
朝、私の顔を見たエミリアは、昨日と同じく何も言わずに整えてくれた。おそらく、昨日以上にひどい顔をしていたのだろう。それでも、彼女の手にかかれば──完璧とまではいかないが、公爵令嬢としてなんとか人前に出られる顔に仕上がった。
学園祭の最終日は午前で催し物が終わり、午後からは舞踏会の準備が始まる。会場設営に関わらない者は一度家に戻り、着替えてから再び学園へ。寮生のリナは、侍女たちが着替えを手伝ってくれるはずだ。
グランドナイトガラの主役は三年生で、責任者は二年生が務めるのが通例。今年は生徒会役員ではないが、それに匹敵する働きをしているノアが任されている。
彼はゲーム内でも攻略対象の一人だが、課金キャラのため私は攻略したことがない。ただ、可愛らしい顔立ちに頼れる先輩キャラというギャップに、一部の熱心なお姉さまたちから絶大な支持を受けている。課金さえなければ、私も迷わず攻略に走っていただろう。
とにかく──今日は運命の日だ。
なんとしてでも、リナと攻略対象たちの絆を結ばせなければならない。
大きく息を吐き、勢いよく扉を開けた。
「わっ!」
開けた瞬間、驚いた声が響く。
そこにいたルークが、扉にぶつかるのを避けるように身をのけぞらせていた。
「姉さん、そんなに勢いよく扉を開けたら危ないよ!」
「ご、ごめんなさい──」
また、一昨日のリナのときのように、ルークの顔に扉をぶつけてしまっていないかと焦り、思わず手を伸ばす。
──伸ばしかけた手とともに向けた視線が、ルークの唇を捉えた瞬間、私は動きを止めた。
脳裏に蘇る、頬に触れたあの感触。
空中で止まった私の手に、ルークが目を瞬かせる。
次の瞬間、ふっと笑みを浮かべ、そのまま私の手を取った。
「ほら、準備が終わったなら行こう。今日も忙しいんだから」
「……そうね」
内心で吹き荒れる動揺を押し隠すように、努めて平静な声を返す。
ルークは、何事もなかったかのようにいつも通りだ。
……もしかすると、昨日の出来事は夢だったのかもしれない。
そうだ、きっとグランドナイトガラを控えた緊張で、白昼夢でも見ていたのだ。
転生前、ゲームをヒロインとしてプレイしていた頃の自分と、今の悪役令嬢としての自分──その境界が揺らいでいるだけ。……しっかりしなければ。
気づけば、自然に手を握られていた。
けれど私は、心の中でさえ、その事実に突っ込む余裕を持てなかった。
「違うのよ、リナ」
校舎前でリナの顔を見た瞬間、私はそう切り出した。
両肩を掴まれ、至近距離で詰め寄られたリナは、口をパクパクさせて動揺している。頬も赤い。……まさか風邪でも引いたのではないだろうか。
そんな不安が頭をよぎったが──その前に、まずは弁明をさせてほしい。
「あ、あの、クラリス様……!?」
「あなたたちから見たら、口づけをしているように見えたかもしれないけれど、あれは演出で、実際には頬に触れただけなの」
私の説明に、リナは目を丸くする。
「……えっと……」
「だから──あなたが心配するようなことは、何もないのよ」
リナは視線を宙に漂わせ、私を見て、隣のルークを見て、そしてまた私に戻す。
やがて、小さく息をついて安堵の笑みを浮かべた。
「それは……安心しました」
その表情を見て、私は心の中で確信する。
──間違いない。リナの本命は、アレクシスだ。
ちゃんと説明できてよかった。もしかすると一晩中、彼女を悩ませてしまっていたかもしれない。……やはり、寮に押しかけてでも説明すべきだったか。
ほっと息を吐いた瞬間、背後から肩をつかまれ、リナから引き離される。
「ほら、姉さん。リナが困ってる」
──はっ。
いけない、興奮しすぎた。
頬を染め、照れくさそうに微笑むリナは、どうやら風邪ではなさそうだ。おそらく今日のグランドナイトガラを前に、ヒロイン力が急上昇しているだけだろう。
私は小さく咳払いをして、自分の失態を誤魔化した。
「本当に……安心しました」
──だから、気づけなかった。
リナがルークをちらちらと見やりながら、「もう怖いものは見なくて済むんだ」と言わんばかりの、心から安堵した表情を浮かべていたことに。
色々と勘違いしていますが、リナの心配が晴れたので良しとしましょう(笑)。
次回ep.130は、クラス劇後、初めてアレクシスと顔を合わせます。
クラリスはどんな反応を見せるのか──
9月19日(金) 19:00更新予定です。お楽しみに!
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