【リナ】不器用な王子様 3
舞台の上のクラリス様は──
私の言葉じゃ言い表せないくらい、綺麗だった。
「エルデンローゼの誓い」は、王国の黎明期を描いた物語。
初代国王エルヴィン様と、彼を支えたローゼリア様の絆を描いた、壮大で美しいお話だ。
けれど──
今そこにいるお二人は、役を演じているなんて思えないほど自然だった。
まるで本当に、エルヴィン様とローゼリア様がこの時代に現れたみたいで。
……私は、泣きそうになってしまった。
ローゼリア様の真っ直ぐさ、ひたむきさ。
誰よりも民のことを想い、そのために自ら戦場へと赴く勇気と気高さ。
そのすべてが、クラリス様と重なって見えて──胸がぎゅっと締めつけられた。
きっと、今この舞台を見ている人たちは、皆気づいたはずだ。
クラリス様は、「氷の伯爵令嬢」なんかじゃない。
誰よりも素敵で、優しくて、まっすぐで──
本当の意味で、完璧な公爵令嬢なんだって。
「……姉さん、大丈夫そうだね」
隣に座るルークくんが、小さく呟いた。
私は涙がこぼれそうになるのを堪えつつ、力強く頷く。
うん。大丈夫。
だって、クラリス様は……本当に、本当に素敵なんだから!
胸の奥からせり上がってくる感情を押し込めながら、私は一瞬たりとも目を逸らさないよう、舞台を凝視した。
劇は、終盤へと差しかかっていた。
敵に囚われたローゼリア様──クラリス様が、牢の中で格子窓から空を見上げている。
月明かりに照らされたその横顔は、どこか儚げで、今にも消えてしまいそうに見えた。
──早く、早く……
誰か、クラリス様を助けてあげて──!
もう私の中では、ローゼリア様とクラリス様の姿が完全に重なっていて、今すぐ舞台に駆け込んで、クラリス様を助け出したくなってしまう。
そわそわし出した私を、ルークくんが肘で小突いてきた。
わ、わかってるよ……! 行かないってば!
これは劇。
もちろん、ローゼリア様はちゃんと助け出される。
彼女を救うため、たったひとりで敵地に乗り込んできた──
「──待たせてすまない。もう、大丈夫だ」
……あれ?
ローゼリア様を助けに現れたエルヴィン様──アレクシス殿下の様子に、私はふと違和感を覚えた。
けれどその正体がつかめず、思わず首を傾げてしまう。
そのとき。
ローゼリア様──クラリス様の表情に、ふっと微かな安堵の色が浮かんだ。
……ああ、そういうことか。
殿下から、あの嫌な感じが消えている。
今そこにいるのは、いつものアレクシス殿下だった。
凛々しくて、威厳があって、人の上に立つにふさわしい存在。
なのに、クラリス様のことになると、まるで不器用な少年みたいに右往左往してしまう。
好きなくせに、なかなかうまく伝えられなくて、空回りばかりして──
でも殿下は、力で押しつけることなんてしない。
自分の立場や権力じゃなく、自分という人間で、クラリス様に向き合おうとしている。
……よかった。
どうしてあんなことになっていたのかはわからないけれど、ちゃんと戻ってきてくれた。
もうクラリス様が、あんなふうに悲しむことはないんだ。そう思った瞬間、胸がいっぱいになって、こらえていた涙が一気にあふれてきた。
「私はお前を守る。これからも、ずっと──」
ハンカチで涙を拭っても、次から次へとこぼれてくる。
もうすぐ最後のシーンなのに、視界がぼやけて仕方ない。
「だから……お前の隣に在ることを、許してほしい」
……これは。
エルヴィン様の台詞に見せかけた、アレクシス殿下自身の想いだ。
気合いを入れて顔を上げたとき、ちょうど殿下がクラリス様を抱きしめるところだった。
──私が犠牲になった、あのシーン。
殿下は、しっかりここで使ってきたわけで。
……もう、ちゃっかりしてるんだから。
私は内心で苦笑しながら、二人の姿をじっと見つめていた。
……ん?
なんとなく──殿下の動きが、あのときとは違う気がした。
もちろん、相手がクラリス様だから、演技にも気持ちが入ってるんだろうけど……
殿下の手が、そっとクラリス様の頬に添えられた。
目を閉じたクラリス様の表情は、もうこちらからは見えない。
そして、殿下の顔が、ゆっくりと近づいていって──
……え、ちょ、ちょっと待って!? さすがに近すぎない!?
私は思わず息を呑んだ。
客席のあちこちから、小さな悲鳴やどよめきが上がる。
アレクシス殿下の手で隠れていて、その瞬間ははっきりとは見えなかった。
だけど、あれはどう見ても──
クライマックスを盛り上げる壮麗な音楽が鳴り響く中、舞台の幕が静かに降りていく。
そのタイミングに合わせるように、国花である《ミスティルローズ》の花びらが、はらはらと宙に舞った。
「ふたりの誓いが永遠に続く」と伝えられる、伝説の花。
その花びらに包まれながら──
お二人は、みんなの前で……「誓いの口づけ」を、交わした。
幕が完全に降りると、観客席からは割れんばかりの拍手が沸き起こった。
陛下も師匠も立ち上がり、惜しみない拍手を送っている。
陛下は口の端をわずかに上げて笑っていた。
まるで「やるじゃないか」と言いたげな、満足そうな表情だ。
私は──その場から動けなかった。
もちろん、立ち上がって拍手なんて、とてもできなかった。
隣では、ルークくんも同じように座ったまま、ピクリとも動かない。
そこからじんわりと伝わってくる、静かだけど明らかにピリついた空気……
怖くて、とてもじゃないけど顔を向けられない。
……いや、たしかに、仲直りできてよかったとは思ってるよ?
でも、殿下……ちょっと、調子に乗りすぎじゃない?
もちろん、クラリス様も殿下のことを好きで、もし本当に両想いだったなら──
私だって、全力で拍手していただろう。手がちぎれたって構わない。
だけど、今のクラリス様は……きっと、まだ殿下の気持ちをちゃんと認識できていない。
それなのに、い、いきなりあれは……さすがに飛ばしすぎでしょ!?
「……あの、ルークくん?」
恐る恐る、私はルークくんに視線を向けた。
そして──すぐに後悔した。
ルークくんの顔から……表情が消えていた。
まるで仮面を被ったみたいに、感情の一切が読み取れない。
いつものルークくんは、表情豊かで、よく笑っている。
他の貴族の人たちと違って、気持ちをちゃんと顔に出してくれるから、私は安心して話せていた。
でも──
もしかしたら、それは、私が勝手にそう思い込んでいただけなのかもしれない。
ルークくんが見せていた笑顔は、彼のほんの一部で。
その奥には、もっといろんな感情が──複雑で、深くて、私には触れられない何かが──渦巻いているんじゃないか。
そんな気がして、息が詰まった。
……まさか、ね。
背中をつたう冷たい汗に身震いしているうちに、ルークくんの顔に、いつもの笑顔が戻っていた。
そしてゆっくりと、私のほうへ振り返る。
「じゃあ、生徒会の仕事に戻ろうか」
──その笑顔は。
今までに見たどんな“怖いもの”よりも、私を凍りつかせた。
ルークの闇を垣間見てしまい、内心ビビり散らかしているリナです。
今回のX投稿イラストは、無表情で舞台を見つめるルーク。怖い!(笑)
次回ep.126は、久しぶりにクラリス視点へ。
9月9日(火) 19:00更新予定です。お楽しみに!
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