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完全無欠の悪役令嬢はポンコツヒロインをほうっておけない  作者: Kei
第八章 運命の時! グランドナイトガラ

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【アレクシス】彼女との距離 3

 劇は、驚くほど順調に進んでいた。


 胸の奥を駆け巡っていた感情は、幕が上がった瞬間に凪いでいく。

 気がつけば、私は自分の体ではないかのように自然に動いていた。──まるで、それが最初から決められていたかのように。


 この場にいる誰もが、この舞台のために全力を尽くしてきた。

 今、私はエルヴィンであり──クラリスは、ローゼリアだった。 


 劇中で、私はエルヴィンという男の生き様を、まるで追体験するように歩んでいく。


 愛する国と民が苦境に立たされている中、彼は剣を取り、立ち上がらずにはいられなかった。

 正しさと責任を背負い、前に進むしかなかった男。


 そして、そんな彼の心に灯をともしたのが、ローゼリアだった。


 気づかぬうちに惹かれていた。だが、それに自覚が追いついたのは、彼女が敵の手に落ちた、そのときだった。


 国のために戦うこと。

 一人の女性のために剣を振るうこと。


 それは、決して両立できるものではなかった。

 彼はまだ王ではなかったが──すでに、人々から「王たりうる存在」としての行動を求められていた。


 それでも、エルヴィンは選んだ。


 どちらも、諦めないことを。


 彼はただ一人、敵陣へと乗り込んだ。ローゼリアを救うために。

 無謀と言われても仕方のない行為だった。

 彼女を助け出し、どちらも無事でいられたのは──運が良かった。ただ、それだけのことだった。


 ……私には、選べない。


 この場面で、ローゼリアを救いに行くという選択を──私は、取ることができない。


 舞台の上では、敵に囚われたローゼリアを演じるクラリスが、牢の中から外を見上げていた。

 格子窓から差し込むわずかな光の下で、彼女はただ、静かに空を仰いでいる。


 「氷の公爵令嬢」──

 その圧倒的な美貌と、何者にも染まらない無表情さゆえに、かつて彼女はそう呼ばれていた。


 けれど、いつからだろう。彼女は変わった。


 その瞳に、微かだが、確かな感情が宿るようになった。


 きっかけは……そう、間違いない。リナと出会ってからだ。


 あの日を境に、少しずつ、彼女の中の“氷”は溶け始めた。

 無機質だった表情に、かすかな戸惑い、微笑み、そして温もりが、滲むようになっていった。


 私が、それに気づかないはずがなかった。

 彼女と私は、常に並んで歩いてきたのだから。


 私たちの間に、特別な感情があったわけではない。

 けれど、誰よりも近い存在だった。何よりも、信頼できる相手だった。


 ──そして、いつの間にか。


 彼女は、私にとって何よりも大切な存在になっていた。


 クラリスの演じるローゼリアは、私が思い描いていた理想の姿とは違っていた。

 私の中でのローゼリアは、子どもたちを見守る、どこか母のような存在だった。


 だが、彼女のローゼリアは──どこまでも、不器用な少女だった。


 大切なものを守ろうとして、うまく伝えられず。

 愛しいと想いながらも、それをどう表現していいのか分からない。


 完璧に見えて、どこか欠けた存在。

 けれど、その不器用さは、とても人間らしくて──

 ……私自身とも、よく似ていた。


 気づけば、私の中のローゼリアは──クラリスのローゼリアと、重なっていた。


「……とても、お綺麗でいらっしゃいますね」


 気づけば隣で、レティシアも私と同じように舞台の上を見つめていた。

 囚われのローゼリア──クラリスの姿を、まるで祈るような眼差しで。


 私は小さく呟いた。


「……ああ。私には……遠い存在だ」


 その言葉に、レティシアがゆっくりと顔を上げ、こちらを見た。

 彼女の視線を受け止めるように、私も静かにその目を見返す。


「……諦めになられるのですか?」

「……最初から、届かないと分かっていて、手を伸ばす愚か者がどこにいる」


 皮肉を込めたつもりだった。

 けれどレティシアは、口元に微笑を浮かべながらも、目だけは真剣なまま、クスリと笑った。


「あら。わたくしは──殿下のことを、まさにその“愚か者”だと思っておりましたけれど」


 思わず眉をひそめた。

 だが、彼女の瞳が少しも笑っていないことに気づいて、皮肉の返しは喉の奥に沈んだ。


「……わたくしは、諦めません」


 彼女の声は静かで、それでいて驚くほど揺るぎない。


「わたくしの夢は、王家に誠心誠意、仕えること。そのお相手は──アレクシス様と、クラリス様以外に考えられません」


 その勝手きわまりない宣言に、思わず言葉を失う。


 彼女がクラリスに強い敬意を抱いていることは知っていた。

 けれど、今の言葉に宿っていたものは、それだけではない。

 何か、もっと深く、熱く、執着に近いものさえ感じさせた。


「どんな手段を使っても──わたくしは、クラリス様を王妃の座にお連れします」


 断言するように言い放ち、レティシアはゆっくりと私を見上げた。

 その瞳は、挑戦的で、烈火のように強かった。


「……アレクシス様は、どうなさいますか?」




 エルヴィンは、ただ一人、ローゼリアのもとへと駆けた。

 なりふり構わず、周囲の制止も意に介さず。

 愛する者を救うために、すべてを振り切って──ただ、まっすぐに。


 彼は、国を見捨てたわけではなかった。

 どちらか一方など選べない。どちらも守り抜けると、本気で信じていた。


 だからこそ、彼は迷わず走った。

 たとえどんなに傷つこうとも、泥にまみれようとも構わない。

 信じるもののために、己を捧げて駆け抜けた。


 ──では、私はどうだ?


 クラリスに特別な想いを抱きながらも、彼女の視線が自分を向いていないと感じただけで、勝手に距離を測り、勝手に絶望し、そして──諦めようとしていた。


 私は。


 牢屋への道に立ちはだかる敵を斬り伏せ、ようやくローゼリアのもとへ──クラリスのもとへとたどり着いた。


 格子窓から差し込む月明かりが、彼女の姿を淡く照らし出している。

 その光の中で、彼女はほんのわずかに不安を滲ませた表情を浮かべていた。


 私は、微笑んだ。


「──待たせてすまない。もう、大丈夫だ」


 ……私は、いったい、何をしていたのだろう。


 彼女の手を取って牢を後にし、敵城を抜け、ようやく追手の届かない場所へとたどり着いたとき──空は白み始め、東の空に朝焼けが差していた。


 その光の中で、私は彼女と向き合う。


 どこか安心したような、その柔らかな表情に──私は、ふっと苦笑をこぼした。


「私はお前を守る。これからも、ずっと──」


 ……諦めたくなど、ない。


 泥を被ってもいい。

 誰に笑われようとも、構わない。


 私は、王太子としてではなく──

 ただの一人の男、アレクシスとして。


 彼女のもとへ駆けていき、必ずたどり着いてみせる。

 そして、彼女と共に、未来を歩むのだ。


「だから……お前の隣に在ることを、許してほしい」


 私は強く、強く彼女を抱きしめた。


 彼女はいつも、この場面で私が抱きしめると、ぴたりと体を強張らせる。

 それがたまらなく愛おしく、だからこそ──つい力を込めてしまいそうになるのを、毎回必死に堪えてきた。


 だが、今回は違った。


 彼女の体から、すっと力が抜けたのだ。


 この後に続く「誓いの口づけ」の場面では、いつも彼女は硬くなったまま、視線を落とし、私と目を合わせようともしなかった。


 だが、今、彼女は──

 その身を預けるように、そっと目を閉じていた。


 ……まるで、すべてを委ねるように。


 不意に、先ほどのレティシアの挑むような視線が脳裏をよぎる。


 ──どんな手段を使っても──


 ……なるほど。レティシアの入れ知恵か。

 おそらく、クラリスが緊張を和らげる方法でも尋ねたのだろう。


 その結果が、これだ。


 舞台上で、無防備なまでに身を委ねる彼女に、思わずため息が漏れる。


 あの小悪魔め……やってくれる。


 私はそっと腕の力を緩め、片手で彼女の頬に触れた。

 演出のために少し汚れた衣装さえ、朝焼けの光の中では、彼女の横顔をいっそう際立たせていた。


 ゆっくりと顔を近づけていく。

 頬に添えた手のひらで、観客の視線を遮るようにしながら、いつもよりほんの少し、距離を縮めた。


 ──こんなに無防備な姿を見せた君が、悪い。


 口の端をかすかに上げて、私はさらに近づく。

 そして──


 唇が、彼女に届いた。


ようやく吹っ切れた王太子殿下、調子に乗ってしまったようです。

果たしてこの一幕が、二人の関係にどんな波紋を広げるのか──


次回ep.123は今回のトラブルをリナ視点で振り返ります。

8月29日(金) 19:00更新予定です。


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◆スピンオフ短編公開中!◆
 『わたくしの推しは筆頭公爵令嬢──あなたを王妃の座にお連れします』
(クラリスとレティシアの“はじまり”を描いた物語です)

◆オリジナル短編公開中!◆
 『毎日プロポーズしてくる魔導師様から逃げたいのに、転移先がまた彼の隣です』
(社畜OLと美形魔導師様の、逃げられない溺愛ラブコメです)

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 完全無欠の悪役令嬢はポンコツヒロインをほうっておけない
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