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完全無欠の悪役令嬢はポンコツヒロインをほうっておけない  作者: Kei
第八章 運命の時! グランドナイトガラ

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遠ざかる背中

 ──疲れた。ものすごく、疲れた。


 私は重い足取りで、生徒会室へと向かっていた。報告のために戻る道すがら、ようやく今日のすべてが終わったのだと思うと、体中から力が抜けそうになる。


 空はすでに朱に染まり、沈みかけた夕日が石畳を長く照らしている。まったく──決して「無事に終わった」とは言えない一日だった。


 朝から陛下と騎士団長に絡まれ、アレクシスには「身の程知らず」と罵られ、「双剣の儀」ではまさかの代役出演という……

 これ、ガラ本番を迎える前に私、倒れてしまうんじゃない?


 内心の疲労が滲み出さないように、私はいつもの無表情を顔に貼りつける。

 とにかく、生徒会室でアレクシスに報告を済ませたら──あとは、早く帰って、制服のままでもいいからベッドに倒れ込む。それだけを心の支えに歩いていた。


 生徒会室の扉を開けると、夕暮れの光の中、窓際にアレクシスがひとり、佇んでいた。

 部屋の中は、陽が傾いたせいでほの暗い。私は火魔法で灯りをともそうと、指先に力を込める。


「──クラリス」


 けれど、その動作より早く、アレクシスが私の名を呼んだ。


 低く、抑えた声。どこか硬さを含んだその響きに──私は、魔素の流れと共に、その場でぴたりと動きを止めた。


 アレクシスが、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。逆光の中、その表情はよく見えない。

 けれど──声の調子でわかった。彼は怒っている。


 ……やはり、「双剣の儀」の件だろうか。

 仮面とウィッグで姿を隠していたとはいえ、私たちは互いの剣舞を見慣れている。私だって、もしアレクシスが舞っていたのなら、気づかないはずがない。

 きっと彼も、私があの場に立っていたことに気づいていた。


 私が勝手に代役を引き受けたことに、気分を害したのかもしれない。

 一歩間違えれば、儀式を台無しにし、大問題へ発展していたかもしれないのだから──


 あのとき、私にはあれしか選べる道はなかった。

 ……でも、アレクシスが怒るのも無理はない。


 私は観念し、素直に叱責を受けるつもりで、背筋を伸ばした。彼の言葉を、静かに待つ。


 やがてアレクシスが目の前で足を止め、私を見下ろす。

 その瞬間、逆光の中で初めて、彼の表情がはっきりと見えた。


 ──それは、怒りの表情ではなかった。

 声音から想像していたものとはまるで違う。辛そうで、苦しげで……今にも泣き出しそうな、そんな顔だった。


 ……どうして。どうして、そんな顔をするの……?


 戸惑いが胸を衝き、私は声を失う。


「アレクシス様……?」


 呼びかけに応えるように、彼はそっと顔を上げた。伏せた瞳の奥で、何かを押し殺しているのがわかる。

 黄金の髪がその表情に静かに影を落とし、絞り出すような言葉が、ぽつりと落ちた。


「……なんで、ライオネルだったんだ」


 ──そちらも気づかれていたか……


 彼はすでに、私がディアナの代役を務めたことを理解している。そして、カイルの代役がライオネルだったことにも。

 その上で、なぜライオネルとともに舞ったのか、それが知りたかったのだ。


 他に誰もいなかったから──それが答え。けれど、それだけではきっと彼の問いに届かない。

 そんな気がした。


「……勝手をして、申し訳ございません。ディアナ様がケガをされ、儀に出られる状態ではなかったため、私が代役を──」

「それなら──なぜ、私を呼ばなかった?」


 その言葉が、鋭く私の胸に突き刺さった。


 彼の問いは正しい。もっともな疑問だ。

 学園祭の「双剣の儀」は、学生たちが未来を担う者としての実力を示す場。そこに、学生ではない特別講師──ライオネルを立たせることは、最初から間違いだったのだ。


 私の策は、あくまで「カイルとディアナが演じていると観客に思わせる」ことを前提にしていた。

 けれど、もしライオネルだと露見していたら……策を講じた私だけでなく、生徒会長であるアレクシスにも、必ず責めが及んでいただろう。


 ……結果がうまくいっただけだ。私は危うい綱の上を、ただ運良く渡り切ったに過ぎない。


「……アレクシス様をお呼びするだけの、時間がなかったのです」

「──なのに、ライオネルとあれだけの剣舞を合わせる時間は、あったというのか」


 苛立ちに滲む声。

 普段の彼なら、こんな風に感情をあらわにすることはない。それなのに、今日の彼は──朝の陛下との一件のときから、ずっと様子が違っていた。

 ……けれど、その理由が、私にはわからない。


「……申し訳ございません」


 私はただ、頭を下げることしかできなかった。

 謝ることでしか、この場を収める術が見つからなかった。


 「双剣の儀」の前──

 私は、不安でいっぱいだった。

 完璧な公爵令嬢として、これまで何事も正確に、間違いなくこなしてきた。

 けれど、アレクシスに指摘された通り、最近の私は……うまくいかないことの方が多い。


 ……前世の記憶を取り戻してから。

 私は、「完璧さ」を保てなくなってしまった。


 だって──一緒に思い出してしまったから。


 楽しかったこと。嬉しかったこと。

 そして、悲しかったこと。苦しかったこと。


 かつての私が心の奥底に封じ込め、蓋をしていたはずの感情たち。

 その全てが、前世の記憶と共にあふれ出し、私の心を、静かに、けれど確実に蝕んでいった。


 ……私は、かつて感情を殺すことで、完璧であろうとした。

 そして今、感情によってその「完璧さ」を失おうとしている。


 私は──また、弱くなってしまったのだ。


 そんな自分のままで、「双剣の儀」という大舞台に立つ。

 十分な練習もできぬまま、挑む。


 ……それが、どれほど恐ろしかったか。


 けれど、これまで私が積み重ねてきたものが、私の体を動かしてくれた。

 そして、ライオネルの導きによって──

 私は、舞いの中で初めて、体が軽くなるのを感じた。自由に舞う喜びを知った。


 そう、私は──「楽しい」、と思ってしまったのだ。


 その感情が胸の中に溢れた瞬間、私は戸惑いに飲まれた。

 だから、余計に不安になった。

 本当に私は舞えていたのだろうか。

 この感情のせいで、儀式を台無しにしてしまったのではないか。


 そんな不安を、ディアナの言葉が救ってくれた。


「お二人に代わりをしていただけて、本当に良かった」


 その声に、偽りは一切なかった。

 純粋な感謝の言葉が、確かに私の心に届いた。

 あのとき、私はその言葉に救われたのだ。


 ──このままでも、いいのかもしれないと。


 ……ほんの少し前の私なら、決してそんなことは思わなかっただろう。


 「誰も傷つかない方法」など考えもしなかったはずだ。感情を排し、ただ冷静に、合理的な選択だけをしていた。

 おそらく、「双星の舞」を演目ごと取り下げていただろう。「双剣の儀」としては不完全に終わるものの、演者がケガで辞退するなど、過去に前例がなかったわけではない。


 ──けれど、そのとき。

 カイルとディアナは、きっと深く傷つく。そして、監督責任を負うライオネルもまた、無傷ではいられない。


 ……私は、それを見たくなかった。

 理性で封じていたはずの感情が、胸の奥から滲み出し、私にそう思わせた。


 だから私は、たったひとつの自分勝手な理由で──一歩間違えれば大惨事となりかねない選択をしたのだ。


 ……謝るしかない。それ以外に、私にできることはない。


「本当に……申し訳ございませんでした」


 もう一度、深く頭を垂れ、謝罪の言葉を絞り出す。


 アレクシスは、何も言わなかった。

 私は俯いたまま、彼の顔を見ることができなかった。


 視界の端で、彼の握りしめた拳が、ゆっくりと開かれ、私の方へと伸ばされてくるのが見えた。


 その手が私に届くより早く──

 何かが、それを押し留めた。


「──何やってるの、アレクシス」


 聞き慣れた声に、私は驚いて顔を上げた。

 そこにはルークがいた。冷静で、しかしどこか鋭い眼差しでアレクシスを見据えていた。


 そして同時に、右手に伝わる温かな感触に気づく。振り返ると、リナが私の手をそっと握っていた。

 彼女は私に向かって、安心させるように、静かに微笑んでいた。


「何があったのか知らないけど、そんな顔で姉さんに触ろうとしないでよ」


 ルークの声は低く、静かだった。それが余計に、張り詰めた空気を震わせた。

 彼の手がアレクシスの腕をしっかりと掴み、その指先に力がこもる。


 アレクシスは、その手元をじっと見つめ、ほんの一瞬だけ動きを止めた。

 だが次の瞬間、感情を抑えきれなかったように、その手を力任せに振りほどいた。


「……お前に、何がわかる」


 かすれた声で吐き出されたその言葉に、ルークは眉をひそめた。


「わかるわけないだろ。余裕なさすぎだよ、アレクシス」


 その一言は、今朝、陛下が口にした言葉の響きと重なるようだった。

 アレクシスは唇を強く噛みしめ、顔をそむける。

 その表情には、王太子としてではなく、一人の若者としての、年相応の脆さがにじんでいた。


「……私は帰る。お前たちも、もう帰れ」


 低く絞るように告げると、アレクシスは生徒会室の開け放たれた扉をそのまま抜け、夕闇に消えていった。


 私は──ただ、その後ろ姿を見送ることしかできなかった。

 右手に伝わる、リナの温かな手のひらのぬくもりを支えに、去っていった彼の背中を、黙って見つめていた。


 ──何か声をかけなければ。

 その気持ちは、喉の奥で小さく震えただけで、ついに口から出ることはなかった。


アレクシスとの距離を広げてしまった今回。

二人の間にできてしまった溝は、簡単には埋まりそうにありません。


今のクラリスは、前世と今世、そして今世でも過去と現在の自分の間で、非常に不安定な状態です。

自己を確立しようと必死にあがく中で今回のトラブルに直面し、さらに揺れが増している状況。

果たして二人は仲直りできるのか──


次回、ep.118は明日8月15日(金) 10:00更新予定です。


──

【夏休み特別連続投稿】

8月12日(火)~15日(金)は、いつもより少し早いペースでお届けします。


・8月12日(火) 10:00 ep.114(済)/ 19:00 ep.115(済)

・8月13日(水) 10:00 ep.116(済)

・8月14日(木) 10:00 ep.117(済)

・8月15日(金) 10:00 ep.118 / 19:00 ep.119


8月12日と15日は1日2回更新です。

夏の特別編成をお楽しみください!


──

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 『わたくしの推しは筆頭公爵令嬢──あなたを王妃の座にお連れします』
(クラリスとレティシアの“はじまり”を描いた物語です)

◆オリジナル短編公開中!◆
 『毎日プロポーズしてくる魔導師様から逃げたいのに、転移先がまた彼の隣です』
(社畜OLと美形魔導師様の、逃げられない溺愛ラブコメです)

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