【ライオネル】繋いだ手
──学園祭の「双剣の儀」の舞台に立つのは、これが二度目だった。
最初は学生時代、三年生のとき。「双星の舞」の演者に抜擢されたのだ。
平民出身の特待生である俺が、格式ある「双剣の儀」、しかもその締めくくりである「双星の舞」を任される──当然、反発の声は少なくなかった。
だが一方で、俺を推す者もいた。純粋に俺の実力を認め、応援してくれる者もいれば、別の思惑から俺を選んだ者もいたのだ。
パートナーとなったのは、名門・オルフェリア伯爵家の令嬢。舞や芸事に秀でた家系で、彼女自身も才色兼備。たしかに、動きの一つひとつは優雅で美しかった。
だが──合わせる気など一切ない、ひどく自己中心的な舞手だった。
貴族の中で彼女に調和できる者はいなかったし、仮に反発でもしようものなら、後が怖い。
技術はあり、彼女と衝突しても切り捨てられて構わない──そんな“都合のいい存在”として、平民の俺に白羽の矢が立ったというわけだ。
最初、平民の俺に、彼女はあからさまに不快感を示した。
だが俺は黙ってフォローに徹した。自分の存在は消し、彼女が最も美しく映えるよう動き続けた。
その甲斐あってか、最終的には、彼女もわずかに態度を和らげた。俺を“使える存在”と認めたのだろう。
──けれど、あのときの俺はただの影だった。
主役は彼女。俺はその背後で、静かに動くだけの存在。
それを悔しいとは思わなかった。ただ、終わった後に残ったのは、妙な空虚さと疲労感だけだった。
平民の俺が、貴族の世界で生きていくというのは、そういうことなのだと──
俺は、そう自分に言い聞かせていた。
……なのに。
今、俺の目の前で舞っている彼女は──まるで女神の化身のようだった。
その舞は、俺の記憶にあるどんな彼女とも、まるで別人のようで。
もちろん、彼女の剣舞は授業で何度も見てきた。
俺がまだ、彼女を特別な存在として意識していなかった頃。
その剣舞は、“完璧な”お手本だとしか思っていなかった。
どれほどの実力者であっても、基本に忠実であり続けることは難しい。だが、彼女はそれを当たり前のようにやってのける。
アレクシス殿下との剣舞も見事だった。息の合った動きに、周りの生徒の目は釘付けだった。
──だが、それだけだったのだ。
いつからだろう。
彼女の舞が、変わり始めたのは。
俺が彼女に心を寄せるようになったから、そう見えたのかもしれない。
だが、それを差し引いても、やはり彼女の舞には、明確な変化があった。
基本を一切崩さず、それでいて、そこにほのかな輝きが宿っていた。
淡く、けれど確かに人を惹きつける光。
見るたびに、視線を奪われる。
気づけば、彼女が舞うたびに、俺は息を呑んでいた。
舞い終わった後も、その余韻は心に残り続けた。まるで、音のない旋律が体に絡みついて離れないような──そんな不思議な感覚に包まれていた。
授業で彼女の舞を見ることは、いつしか俺にとって試練になっていた。
見惚れすぎないように、感情を悟られないように……精神を張り詰める必要があったのだ。
──そして今、その彼女と、こうして剣を交わしている。
舞台の上で、光を纏った彼女とともに。
先日、リナ殿に促されて、クラリス殿と初めて「双星の舞」を舞ったときのことを思い出す。
俺は剣舞の指導者として、「双剣の儀」のすべての演目を把握しているし、技術が衰えないよう日々の鍛錬も欠かさない。生徒たちの練習に付き合って、一緒に舞うこともある。だが、彼女と並んで舞うのは、そのときが初めてだった。
意識しすぎないように。感情に振り回されないように。
冷静に、ただ相手を引き立てることだけを心がけた。
かつて自分が舞台でそうしてきたように、淡々と、無駄な感情を交えずにこなすつもりだった。
──けれど。
彼女との舞は、それまで俺が知っていたどんな舞とも違っていた。
動きの一つひとつが、まるで呼吸するように自然で。俺の動きに、彼女が応える。そして、彼女の動きに、俺が応じる。ただ美しく揃っているだけではない。そこには、お互いを受け入れ、共に高め合うような、不思議な感覚があった。
互いに支え、引き立て合いながら、一つの舞を「共に作り上げていく」という確かな感覚。
──ああ、これが「調和」か。
その瞬間、俺は初めて、「双剣の儀」が本当に目指しているものの片鱗を、理解した気がした。
ホールに響く音楽が、終曲へと静かに収束していく。
俺たちは一歩踏み込み、向かい合ったまま剣を交差させた。刃と刃が触れ合い、わずかにきらめきを放つ。
その刃越しに、彼女の顔を見つめる。
仮面に覆われているはずなのに──不思議と、俺にはその奥にある彼女の素顔が、はっきりと見えた気がした。
会場に鳴り響く、割れんばかりの拍手を背に、俺たちはゆっくりと舞台を降りた。
彼女の手を取り、観客の目が届かない場所まで歩いてから、そっと仮面を外す。
隣を見やると、彼女も同じように仮面を外していた。舞の余韻をその身にまとったまま、肩で静かに呼吸を整えている。
ディアナ殿に似せるために被っていた淡色のウィッグを外すと、艶やかな黒曜石のような髪がさらりとこぼれ落ちた。
光を受けて柔らかく揺れるその髪に、思わず目を奪われる。
──綺麗だ。
その姿に、ただ言葉もなく見とれていた。
ふと、手がまだ繋がれたままだったことに気づいた彼女が、そっと手を引こうとする。
──この手を離したら、せっかく繋がった糸がほどけてしまう気がして。
気づけば、彼女の手を握る自分の手に、知らず知らずのうちに力がこもっていた。
驚いたように彼女がわずかに目を見開き、握られたままの手を見つめる。
そして、ゆっくりとその視線を上げ、俺を見た。
紫紺の瞳が、戸惑いの色を湛えて揺れている。
──このまま。
このまま、胸の奥で渦巻く想いを、言葉にすることができたなら。
……彼女は、どんな顔を見せるのだろうか。
「──クラリス様、ライオネル先生!」
名を呼ぶ声がして、思わず開きかけた口を閉じた。
胸にこみ上げていたものが、ふっと掻き消える。
……俺は、今、何を考えていたんだ。
途切れていた全身の感覚が、じわじわと戻ってくる。
繋がれた手の冷たさが、現実へと俺を引き戻した。
俺は深く息を吐き、名残惜しさを押し隠すようにして、ゆっくりと彼女の手を解放する。
その冷たさが遠ざかるのと同時に、胸の奥にくすぶっていた熱も、すっと消えていった。
その直後──
カイル殿に抱えられてきたディアナ殿が、その腕から降り、クラリス殿のもとへと歩み寄る。そして、迷いなくその手を取った。
俺が、さっきまで握っていた、その手を。
「クラリス様……ありがとうございました」
涙を湛えたディアナ殿の瞳が、まっすぐクラリス殿を見つめていた。
自分の負傷によって儀式を台無しにしかけたという不安と後悔。
それを救ってくれた彼女への感謝が、その言葉に、そして表情に、にじんでいる。
だがクラリス殿は、わずかに目を伏せ、小さく首を振った。
「……わたくし、本当にディアナ様の代役を務められたのでしょうか……」
その声音は、彼女にしては珍しく、自信のないものだった。
どういうわけか、今の彼女は──まるで、自分の価値を見失っているかのようだった。
「ライオネル様が導いてくださったおかげで、どうにか形にはできましたが……それでも、わたくしのせいで足を引っ張ってしまったかもしれません……」
その言葉に、周囲の空気が一瞬止まる。誰もが目を見開いて彼女を見つめた。
──あの喝采が、彼女には届いていなかったのだろうか。
間違いなく、あの舞は成功だった。観客の拍手は、確かな称賛だった。
それほどまでに、彼女の舞──いや、俺たちの舞は、見る者の心を打っていたのに。
ディアナ殿は、クラリス殿の手をそっと包み込みながら、小さく微笑んだ。
「……わたくし、技術ではクラリス様には到底及びません。けれど、カイルと一緒に舞うことで、誰にも負けない“調和”を見せられると、そう信じていました」
「でも」と彼女は柔らかな声で続けた。
「さきほどの舞を見て、思ったのです。クラリス様とライオネル先生の舞には、わたくしが目指していた“調和”が、たしかに宿っていたと」
その声には、悔しさも嫉妬もなかった。ただ、まっすぐな敬意と感謝が込められていた。
「……ありがとうございます、クラリス様。あの場を、あの形で支えてくださって。わたくしは……お二人に代わりをしていただけて、本当に良かった」
ディアナ殿の目には再び涙が浮かんでいたが、もうそれは不安や後悔の色ではなかった。
クラリス殿は、しばらく黙ったまま、その手を見つめていた。
そしてようやく、微かに唇をほころばせる。
「……ディアナ様に、そう言っていただけるのなら。わたくし……少しだけ、自分を誇れそうです」
その笑みは、ほんの少し寂しさを含みながらも──どこまでも、優しかった。
そんな彼女の横顔を見つめながら、俺は胸の奥にこみ上げる想いを、黙って飲み込んだ。
この手を離したのは、正しかったのだと、自分に言い聞かせながら。
舞を終えた後、ライオネルが手を離したその先で──
ディアナの言葉によって、クラリスの心が少しだけ動きました。
次回、クラリス視点のep.117は明日8月14日(木) 10:00更新予定です。
──
【夏休み特別連続投稿】
8月12日(火)~15日(金)は、いつもより少し早いペースでお届けします。
・8月12日(火) 10:00 ep.114(済)/ 19:00 ep.115(済)
・8月13日(水) 10:00 ep.116(済)
・8月14日(木) 10:00 ep.117
・8月15日(金) 10:00 ep.118 / 19:00 ep.119
8月12日と15日は1日2回更新です。
夏の特別編成をお楽しみください!
──
感想・ブックマークは更新の大きな励みになります。
Xでは更新情報やAIイラストも投稿中!(今回は無意識に微笑むクラリス)
https://x.com/kan_poko_novel




