【アレクシス】すれ違う想い 1
──失敗した。
「身の程を知らなすぎだ」と言ってしまったあの瞬間の、クラリスの表情が脳裏から離れない。
込み上げる後悔を必死に押さえ込みながら、私はただ前を睨みつけていた。
父が、クラリスに何か余計なことを吹き込んでいたのは、想像に難くない。
あの人のことだ。きっと、面白半分で、私の彼女に対する感情を匂わせるようなことを言ったのだろう。
だから私は、あの場で彼女に「忘れてくれ」と告げた。
父のからかいに巻き込みたくなかった。ただ、それだけだった。
けれど──クラリスの返答は、私の想定よりずっとあっさりしていた。
「身の程はわきまえております」──と。
その一言は、まるで私の好意が成り立つはずのないものだと、彼女自身が線を引いているかのようだった。
──そのとき、気づいた。
私はどこかで、彼女が私の想いに気づいていてほしいと、密かに期待していたのだ。
愚かな考えだ。だが、それを否定されるような彼女の言葉に、私は確かに落胆していた。
──君は、自分の魅力をわかっていなさすぎる。
その八つ当たりにも似た思いが、あの不用意な一言へと繋がったのだ。
結果として、私は彼女を──きっと、傷つけた。
完璧を求め、常に理想であろうとする彼女にとって、「身の程知らず」などという言葉は、侮蔑としか受け取れなかったはずだ。
もちろん、私の真意は真逆にあった。けれど、あの流れの中では、それが伝わるはずもない。
あのときの彼女の表情が忘れられない。
──かつての、氷のように冷たい、無感情な公爵令嬢ではない。
そこにあったのは、驚きと、自らへの失望が入り混じった、ひどく不安定な──それでいて、ひどく人間らしい顔だった。
──私は……何をやっているんだ。
あんな顔を、させたかったわけじゃないのに。
彼女を前にすると、どうしても空回りしてしまう。
そして後になって、こうして後悔するのだ。
「余裕がない」と言われても仕方がない。今の私は、王太子である以前に、ただの──不器用で、無力な一人の男だ。
「なぜお前は出なかったんだ?」
思考の海に沈んでいた意識が、父の低い声に引き戻される。
私は動揺を悟られぬよう、ゆっくりと視線を父へ向けた。
このホールでは、まもなく「双剣の儀」が披露される。
父は舞台を見据えたまま、静かに言葉を続けた。
「お前とクラリスが『双星の舞』を担当するものだと、私は思っていたのだがな」
視線だけこちらに寄こし、にやりと笑う。
──どうやら、私とクラリスが儀に出ないことが、少なからず不満らしい。
「双剣の儀」は、かつて王族が神へと捧げていた神聖な舞。
私自身、全ての演目を完璧にこなすことができるし、婚約者であるクラリスもまた、同様だ。
「……私も彼女も、生徒会役員としての責務に加え、クラス劇の準備もありますので」
事実、それだけでも手が足りないほどの忙しさだ。
その上、剣舞の練習にまで時間を割ける余裕など、なかった──はず、だった。
……けれど。
もし彼女が、クラス劇のときのように、参加に前向きでいたのなら。
私はきっと、迷わず舞台に立つことを選んでいた。
剣舞の授業では、私たちは婚約者同士ということもあり、常にペアを組んできた。
けれど、最近は──私が彼女へのこの複雑な感情を持て余すようになってからは、不思議と一緒に舞う機会が巡ってこなくなった。
「双剣の儀」は、呼吸を合わせ、心を通わせて初めて成り立つ舞。
今の私たちが共に舞ったなら──もっと彼女に、彼女の心に、近づけるのだろうか。
そんな淡い希望が、ふと脳裏をかすめる。
だが、私はきつく目を閉じて、その想いを振り払った。
今は、それを望む資格すら、自分にはない気がした。
私の返答に、父はしばしの沈黙を挟んだ後、呆れたようにため息をついた。
「お前も不器用な男だな、アレクシス」
「お前の学生時代そっくりじゃねぇか、アル」
父の隣、私の反対側に立っていた騎士団長ヴィンセントが、からかうように笑いながら口を挟む。
父はむっとした顔で、短く返した。
「うるさいぞ、ヴィンセント」
……確かに、母の話ぶりから察するに、父もなかなかに手のかかる男だったようだ。
それなのに、こと私とクラリスのことになると、まるで自分は何もかも手際よくこなしてきたとでも言いたげな態度を取るのだから、納得がいかない。
──せめて、私はああならないようにしよう。
ふと気づけば、私はクラリスと共に子を育み、この国の未来を歩んでいる姿を、あまりに自然に思い描いてしまっていた。
脳裏に浮かんだその光景に、思わず顔が熱くなる。慌てて感情を押し殺し、無表情を装った。
しかし──その努力は、次の瞬間に無意味となる。
「アレクも、しっかりしないと嬢ちゃんを取られちまうぞ」
ヴィンセントの豪快な一言が、場の空気を軽々とひっくり返した。
──クラリスを、取られる……?
私がその言葉に反応するより先に、父が眉をひそめて問い返す。
「何だそれは。クラリスはこいつの婚約者だぞ」
「“ただの”婚約者、だろ? そんなの、本人の気持ち次第でどうとでもなるじゃねえか。破棄だって可能だ」
「……お前と一緒にするな」
父は呆れたようにヴィンセントを睨む。
聞いたところによれば、彼の妻には結婚前に別の婚約者がいたらしい。それを覆して彼女を射止めた──というと強引に奪ったように聞こえるが、先日、五人目の子どもを連れて父に挨拶に来た際の様子を見る限り、とても幸せそうな家族だった。
「にしても、クラリスがそんな器用な真似をするような子には見えんがな」
父がふと漏らしたその一言に、私は頷く。
当然だ。クラリスは、婚約者がいる身で他の男に気を持たせるようなことをする人間ではない。
だが、私と父のそんな表情を見て、ヴィンセントは小さく息をつき、眉間に皺を寄せる。
「お前らは揃いも揃って……嬢ちゃんがその気じゃなくても、周りがほうっておかないって言ってるんだよ」
ヴィンセントの一言に、背筋を氷の刃でなぞられたような感覚が走る。
同時に、ルークの顔が脳裏をよぎった。
最近の彼のクラリスに対する態度は、明らかに“姉”に向けるものではない。
その視線には、隙あらば彼女を奪おうという確かな意志が宿っていた。それに、私は気づかないふりをしてきたのだ。
だが今、ヴィンセントの言葉が──その甘い認識を、冷たく打ち砕く。
──クラリスが、“別の男”のものになる可能性。
そんな未来を、私は一度も現実として想像したことがなかった。
クラリスは私の婚約者であり、当然のように将来を共にするものだと信じて疑わなかった。
……根拠のない、無意識の安堵にすぎなかったのかもしれない。
「それでもし、嬢ちゃんもそいつに本気で惚れて、『婚約を解消したい』って言い出したら──おそらく、エドも止めはしねぇだろうよ」
ヴィンセントの声に、私は無言のまま目を伏せる。
──エドワード・エヴァレット。冷静沈着な宰相であり、クラリスの父だ。
あの男は常に無表情で、内心を他人に読ませる隙を与えない。だが、感情がないわけではない。
亡き妻への想いを貫き、再婚もせず、筆頭公爵家という立場にありながら、その愛を誓い続けた男だ。
もしそのエドワードが、クラリスが誰かに心を許し、愛していると知ったとしたら──
そして、その相手が私ではなかったとしたら。
……彼は、反対など、しないだろう。
「……私は反対するぞ」
父がぽつりとつぶやいた。その声音は、国王としてではなく、一人の父親としての気遣いからくるものだと、すぐにわかった。
……まったく、どちらが不器用なんだ。
そのとき、舞台に気配が走った。
私たちは自然と口を閉ざし、視線を正面に向ける。
──そうだ。今は、それどころではない。
学園祭はまだ始まったばかりだ。どれだけ準備を重ねても、思わぬトラブルは起こる。私情に足を取られている余裕はない。生徒会長である以上、果たすべき責任がある。
私は胸の内を整え、「双剣の儀」の幕開けを静かに待った。
不器用なアレクシスの胸中が明かされた今回。
この後、彼は自分が目の当たりにする光景に、どんな反応を示すのか──
次回、ep.115は本日8月12日(火) 19:00更新です。本日は2回更新の日です!
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【夏休み特別連続投稿】
8月12日(火)~15日(金)は、いつもより少し早いペースでお届けします。
・8月12日(火) 10:00 ep.114(済)/ 19:00 ep.115
・8月13日(水) 10:00 ep.116
・8月14日(木) 10:00 ep.117
・8月15日(金) 10:00 ep.118 / 19:00 ep.119
8月12日と15日は1日2回更新です。
夏の特別編成をお楽しみください!
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