身の程知らず
学園祭が始まった。
学園長による開会の儀、そして国王陛下の来賓の辞が滞りなく終わると、アレクシスの的確な指示の下、生徒会役員をはじめ、クラス委員や協力者たちは、それぞれの持ち場へと散っていった。
学園内は一気に慌ただしさを増し、まるで舞台裏で駆け回る役者たちのように皆が動き回っていた。
例年、国王夫妻はそろって学園祭に姿を見せていたが、今年は国王陛下一人での来場だった。
おそらく、「古代の神」の存在に対する警戒ゆえだろう。
その代わりに、陛下には騎士団長が随行していた。
毎年のように陛下が出席している行事を突然欠席すれば、余計な憶測を招きかねない。
だからこそ、あえて出席しつつ、万が一に備えて信頼のおける護衛を同行させた──そういう判断なのだと思う。
そのことに違和感は覚えなかったし、基本的に王族の相手は、同じく王族であるアレクシスの担当だ。
だから、あまり陛下の動向に気を留めていなかったのだけれど──
「息災そうだな、クラリス」
開会式が終わり、自分の持ち場へ向かおうとしていたところ──その声が、私の足を止めた。
振り向けば、陛下がこちらに歩み寄ってきていた。
国王陛下──アルフォンス・フォン・エルデンローゼ。
アレクシスとどこか似た面差し。王族らしい端正な顔立ちには、威厳と気品が自然に漂っている。
……アレクシスが王となれば、きっとこんな風になるのだろうなと、そんな未来の姿がふと重なる。
まさか陛下直々に声をかけられるとは思わず、私は一瞬戸惑いながらも、礼を取ろうと姿勢を正す。
確かに私はアレクシスの婚約者ではあるけれど、そのことで王族から特別な扱いを受けたことなど一度もなかった。
父と陛下が、宰相と国王としてだけでなく、長年の友人であることは知っている。だから多少の気遣いはあったのかもしれないが──それでも、今日この場で声をかけられる理由は見当たらない。
心の中に小さな疑問符を浮かべながら、私は陛下に礼を捧げようとした。
──その瞬間。
「よーぅ、嬢ちゃん!」
陛下の背後から、やけに大きな声が飛び込んできた。
その人物は、無遠慮にも陛下の前を横切ると、大きな手で私の頭をわしゃわしゃと撫でまわした。
「よしよし、ちゃんと大きくなってるな!」
……年頃の女性に対して、その言い方はどうかと思うけれど。
ただ──まぁ、この人なら仕方がないかと、なぜか思わせてしまうのが彼だった。
「おい、ヴィンセント。私が先に声をかけたのだが」
陛下も同じ思いだったのか、軽く文句をつけているものの、その声音はどこか楽しげだ。
「堅いこと言うなよ、アル。俺だって嬢ちゃんがちゃんと育ってるか確認したかったんだ」
全く悪びれた様子もなく、騎士団長──ヴィンセントは豪快に笑っている。
この二人は、どう見ても主従関係には見えないが、これが彼らの距離感なのだろう。アレクシスとルークも、将来こういった関係になるのかもしれない。
……それにしても、「育ってる」って一体何。もう、そんな子供ではないのだけれど。
彼はなおも私の頭をぽんぽんと軽く叩きながら、覗き込むように顔を近づけてくる。
「でもまだ小さいんじゃないか? 本当にちゃんと大きくなったのか?」
「……ヴィンセント様が大きすぎるのです」
──あなたと比較したら、どんな大男だって小さく見えるでしょうに。
そう思って口にした反論に、彼は一瞬目を丸くしたかと思うと、すぐに腹を抱えて笑い出した。
「はーっはっはっは! やっぱり嬢ちゃんは嬢ちゃんだな!」
何がそんなに面白かったのか、まるで愉快な珍獣でも見つけたかのように笑い転げている。やっぱりよくわからない人だ……
「……まったく。すまないな、クラリス」
笑い続ける護衛を呆れた様子で見下ろしながら、陛下が私の前に立つ。
私が改めて礼を取ろうとすると、陛下は片手を上げて制した。
「よい。ここは学園内だ。礼は不要だ」
──気づけば、周囲から人の気配が消えていた。
いつの間にか、人払いされていたらしい。
……まさか今回の件、私が情報源だと既に気づかれているのだろうか。
もしそうなら、今から尋問が始まる可能性もある。
わずかに緊張を覚えながら息を呑むと、陛下はアレクシスとよく似た青い瞳で、じっと私を見据えてきた。
身構える私に、陛下は不敵な笑みを浮かべる。
「──綺麗になったな、クラリス」
……はい?
唐突に告げられた言葉に、私は無表情のまま固まった。
だが陛下は、私の反応など気にも留めず、口元を緩めながら続ける。
「なるほど、アレクシスがああなるわけだ。あいつもなかなか──」
「──陛下!」
妙な発言を繰り出す陛下に困惑していると、背後から鋭い声が飛び込んできた。
振り返ると、息を切らせたアレクシスが駆け寄ってくるところだった。
その表情には、明らかに焦りの色が浮かんでいる。
陛下は軽く舌打ちを漏らすと、すぐに柔らかな笑みを作り直し、私の肩にそっと手を置いた。
「──そういうわけだから、うちの愚息を頼む」
「はい……?」
一体私は、何を頼まれたのだろうか。そういうわけって、どういうわけ?
とはいえ──陛下に向かって、私が答えられるのは「はい」か「イエス」の二択しかない。否など口が裂けても言えはしない。
内心で首を傾げる私の前に、アレクシスが割って入るように一歩踏み出してきた。
「何をしておられるのですか、陛下……!」
陛下の学園祭訪問は公式の行事だ。そのためアレクシスも、ここでは父ではなく国王に対しての口調を用いている。
だが、その表情と言葉の端々からは、国王に向けるにはあまりに露骨な警戒心が滲み出ていた。
一方の陛下は、息子が間に入ってくるのを面白そうに眺めながら、私の肩から離した手をひらひらと振る。
「おお、怖い怖い。だが、息子の婚約者に挨拶して、何が悪い?」
「陛下は学園祭の公式視察にお越しのはずです。勝手に行動されては困ります」
確かに、この後はアレクシスが陛下を案内する予定になっていたはずだ。
にもかかわらず、陛下がこんな校舎裏まで勝手に足を延ばしているのだから、周囲の付き人たちはさぞや肝を冷やしたことだろう。
なおも警戒を崩さない息子の肩に、先ほど私にしたのと同じように、陛下は軽く手を置く。
「わかったわかった。ちゃんと戻るから、そんなに余裕のない顔をするな」
「……っ!」
父王の軽口に、アレクシスは唇を噛み、言葉を飲み込んだ。
確かに──彼にしては珍しく、随分と余裕を欠いて見える。
陛下は、まだ笑いの止まらないヴィンセントを伴い、そのまま去っていった。
アレクシスもすぐに後を追うのかと思ったが、動かない。どうしたのだろうとその背中を眺めていると、彼は顔だけをこちらに向け、ぽつりと呟いた。
「……父上が何を言ったか知らないが、忘れてくれ」
苦虫を噛み潰したような表情を眺めながら、私は先ほどの陛下の言葉を思い返す。
──ああ、「綺麗になったな」と言っていた、あれね。
もちろん、王族の整いすぎた造形美を前にしては、完璧な公爵令嬢を自負している私でも、図に乗れるものではない。冗談として受け流しておけばいいだろう。
「もちろんです。わたくしも、身の程はわきまえております」
至極真面目に答えると、アレクシスは一瞬だけ嫌そうな顔を浮かべ、その後、大きくため息を吐いた。
「……君は、身の程を知らなすぎだ」
──な、なんて失礼な。
最近こそ少々思い通りにいかないこともあるが、それでも私は完璧な公爵令嬢の看板を下ろした覚えは一度もない。
……いや、待って。もしかして最近の私は、レベルが下がってきているのではないだろうか。そしてそれは、アレクシスの目から見ても明らかだと……?
もしそうだとすると、私はそんな劣化した状態で、本当にグランドナイトガラを迎えられるのか──
アレクシスから受けた、真正面から自信を揺さぶられるような一言に、さすがの私も少し心配になってきた。
「あ……いや、そうじゃなくて──」
俯きかけた私を前に、アレクシスが慌てて弁解しようとしたが、そこに別の声が割り込む。
「会長! 陛下が戻られました!」
同じく陛下の案内を担当していたノアが、アレクシスを呼んでいた。
アレクシスは言葉を続けるか迷うように、私と声の主とを交互に見る。
私は顔を上げ、はっきりと告げた。
「行ってください。こんなところで時間を浪費している暇はありません」
その言葉に、アレクシスは動きを止め、じっと私を見つめる。
何かを押し殺すように唇を噛み締め、そして静かに頷いた。
「……わかった。後で、話をしよう」
そう短く告げると、彼は踵を返して立ち去っていった。
──そう。私も、こんなところで立ち止まっているわけにはいかない。
本当の嵐は、これからやってくるのだから。
おじさんたちに絡まれたと思ったら、アレクシスから罵られた(と勘違いする)クラリス。
果たして誤解は解けるのか──!?
次回ep113、8/8(金) 19:00更新予定です!
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夏休み特別連続投稿のお知らせです!
8月12日(火)から15日(金)にかけて、
夏休み特別連続投稿企画を実施します!
【投稿スケジュール】
・8月12日(火) 10:00 ep.114
・8月12日(火) 19:00 ep.115
・8月13日(水) 10:00 ep.116
・8月14日(木) 10:00 ep.117
・8月15日(金) 10:00 ep.118
・8月15日(金) 19:00 ep.119
★8月12日(火)、15日(金)は1日2回更新です!
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