双剣の儀 2
自分の過去の選択を軽く反省しているうちに、剣舞の片付けもすっかり終わり、ホールには私たちしか残っていなかった。
リナはライオネルと、何やら楽しげに話をしている。
「仮面をかぶって踊るなんて、面白いですね!」
どうやら、ライオネルが「双剣の儀」についての解説をしているようだった。
「双剣の儀」は、古くは神事として王族によって奉納されていたとされる。
そのため、舞手は“神聖な存在”として扱われ、本番では正体を秘す意味合いから、上半分を覆う儀式用の仮面を着けて演じる決まりになっている。仮面のせいで、舞っている人物が誰かは、外見からは判別しにくい。
「ただ……実際には、演者に選ばれるのは学園内でも特に剣舞の評価が高い者たちですから。結局、誰が誰だかは皆わかってるんですけどね」
ライオネルは少し気まずそうに笑いながら、そんな現実的な事情も付け加えた。
彼は続けて、儀式の構成について説明を始める。
舞は「一ノ舞」から始まり、順に進行していく。各ペアが象徴する属性やテーマが異なっており、たとえば「水静の舞」や「風刃の舞」などがそれにあたる。そして、儀の最後を締めくくる最重要のパート──それが「双星の舞」だった。
これは全体の“トリ”にあたる舞であり、最も高い完成度と技量が求められる。星の導きにより結ばれた二人が、互いの剣を交わすことで新たな誓いを立て、未来を照らすという物語性を持っており、演者には“象徴”としての美しさと実力が問われる。
現在、この「双星の舞」を担当しているのが、三年生のカイルとディアナだ。彼らの剣舞の実力は学園内でも群を抜いており、選出には誰も異論を挟まなかった。
「じゃあ、あのお二人……カイル様とディアナ様が、この学園で一番、剣舞がお上手なんですね!」
リナの素直な驚きに、ライオネルは私へちらりと視線を送ってきた。彼の沈黙に気づいたリナが、私とライオネルを交互に見比べる。
「あれ? もしかして……」
「……まぁ、アレクシス殿下とクラリス殿は、生徒会役員ですし、クラス劇も担当されていますからね」
ライオネルはリナの疑問にはっきりとは答えず、少し濁した言い方でやり過ごす。
──本来なら。
「双剣の儀」は王族が神に祈りを捧げるための格式高い祭事だ。アレクシスが完璧に舞えるのは当然として、その婚約者である私も、それに相応しい技量を持っている。
順当にいけば、私たち二人が「双剣の儀」のトリを飾るべき存在──「双星の舞」を務めることになるはずだった。
それでも、クラス劇と生徒会の任務を両立している今、これ以上負担を増やすわけにはいかない。私たちはあえてそこから外れ、その結果として選ばれたのが、カイルとディアナだった。
……とはいえ、彼らの実力は本物であり、あのパートを任せるにふさわしいだけの仕上がりを見せていた。あの二人は、バカップルだがバカではない。
ふと、視線を感じて横を見ると、リナがこちらを見上げていた。エメラルドグリーンの瞳を、まっすぐに私へ向けて。
……こら、可愛すぎるから。やめなさい。
「クラリス様の剣舞……きっとすごく素敵なんでしょうね……!」
キラキラと輝く目にたじろいで、私は思わず一歩あとずさる。隣で見ていたライオネルが、苦笑交じりに呟いた。
「……ええ。見る者を惹きつけて離さない、そんな舞手です」
少しだけ照れたような声で、彼は私を褒めた。その言葉に、私は内心、嬉しさと気恥ずかしさの入り混じった動揺を覚える。
するとリナが、何かをひらめいたように目を見開いた。そして、私とライオネルを交互に見比べ始めた。
どうしたのだろうとリナを見ていると、彼女はふいにライオネルのほうへ視線を向け──満面の笑みを浮かべたかと思うと、親指を立てて片目をウインクさせた。
──あまりの破壊力に、息が止まりかける。
えっ、えぇ!? 今の何!? もうそんなアイコンタクトが取れる仲だったの!? しかもウインクって、もう一段階上の距離感じゃない!?
確かに、来週はもう学園祭。本来なら、ゲーム内でも攻略キャラとの関係が深まり、距離が縮まるタイミングではある。そうだとしても──展開が早すぎない?
そんな彼女のウインクを受けたライオネルは、明らかに戸惑った表情を浮かべていた。彼は真面目で不器用なタイプだから、急なアプローチに困惑しているのだろう。
……どうしよう。私、もしかしてここにいたらまずいのでは?
心の中でものすごく取り乱しながらも、顔はいつも通り無表情を保つ。そんな私の前で、リナが今度はくるりと振り向いた。
「クラリス様、学園祭の『双剣の儀』の発表時間って、ちょうど私たちのクラスの飲食店の当番と被ってるんです」
「そ、そうなのね……」
内心のざわつきを悟られないよう、努めて落ち着いた声を返す。だが、思考がまとまらない。
「でも、『双剣の儀』ってすごく気になるんです。どんな風なのか、ちゃんと見てみたくて」
「そ、そうよね……」
まるで壊れかけの機械のように、同じ返答を繰り返してしまう私に、リナがさらに身を乗り出すようにして迫ってくる。
「リ、リナ殿……?」
ライオネルの訝しげな声が耳に届いたが、そちらに気を向ける余裕はなかった。
「だから──クラリス様」
リナの、まさに“ヒロイン・オブ・ザ・ヒロイン”な笑顔が、まばゆい光をまとってこちらへ迫ってくる。
ああ……これは攻略キャラたちが陥落していくのも無理はない。こんな笑顔、真正面から受け止められるわけがない。
それでも、いつものように仕事を放棄してくれる私の表情筋に心の底から感謝する。顔だけは冷静そのものだ。
私は微動だにせず、無表情を貫いたまま、彼女の次の言葉を静かに待った。
──だが。
彼女の口から紡がれたのは、私の予想の斜め上をいく、とんでもない一言だった。
──気がつけば、私は剣舞用の剣を手にし、ライオネルと並んで立っていた。
……どうしてこうなった。
隣にいるライオネルも、目を瞬かせながらこちらを見ている。困惑と動揺がにじむその表情は、まさに「巻き込まれた側」のそれだ。おそらく、私と同じく状況がまだ飲み込めていないのだろう。
視線を正面に向ければ、体操座りでこちらを見つめるリナの姿があった。目を輝かせ、頬を手で支えて、期待に満ちた笑みを浮かべている。まるで何かの出し物を楽しみにしている子どものようだった。
大変可愛らしくてよろしい。
……いや、そうじゃなくて。
ヒロインパワー、恐るべし。知らず知らずのうちに流され、気がつけばここに立っている。もはや魔法と言っても差し支えない。
こうなったのも、リナが「学園祭当日は自分のクラスの当番で『双剣の儀』が見られないから、今ここで見せてほしい」と言い出したことに始まる。
しかも、よりによって彼女が見たいと言ったのは、カイルとディアナが担当している高難度パート「双星の舞」だ。
確かに、私はこのパートを正確に舞える。そして、ライオネルも剣舞の指導役だ。技術的な不安はない。
だが、本来「双剣の儀」とは、互いの息が合ってこそ完成される神聖な舞だ。特に「双星の舞」は、たとえ実力者であっても、即席で組んだペアに軽々と舞えるほど甘いものではない。
そのことを丁寧に説明したのに──
「それでも、お二人の剣舞がどうしても見たいんです!」
そう懇願されてしまっては、断る術など残されていなかった。
どうしてリナは、あんなに真剣な眼差しで剣舞を見たいと願ったのだろう──
そう考えて、私は一つの結論にたどり着く。
──なるほど、リナはライオネルの剣舞が見たいのね……!
さっきのウインクやこの様子を見るに、きっと彼女とライオネルの好感度はすでに高い。となれば、彼の凛々しい姿を見たいと思うのは当然の流れ……うん、激しく同意する。
リナ──あなたの望み、しかと受け取ったわ。
この悪役令嬢クラリス・エヴァレット、完璧の名に恥じぬ舞で、あなたのライオネルをこれでもかというほど魅せて差し上げましょう。
決意を固めた私はくるりとライオネルを振り返り、真剣な眼差しを向ける。突然のやる気スイッチに驚いたらしく、彼の目がほんの少し見開かれる。
「ライオネル様──よろしくお願いいたします」
「は、はい……」
私が静かに手を差し出すと、ライオネルは少し緊張した面持ちでそれを取った。わずかに指先が震えた気がしたが、彼の手はしっかりと私の手を包み込んでくれた。その大きく温かな手に包まれた瞬間、心臓が一拍、強く跳ねる。
……いけない。集中、集中。
手を取り合ったまま、私たちはリナに向かって丁寧に一礼する。
──これが、「双星の舞」の始まり。
張り詰めた静寂の中、私たちは一歩を踏み出した。
この舞は、剣の煌きよりも先に、心を通わせる所作から始まる。呼吸を合わせ、歩幅を揃え、祈りを込めて舞台に立つ──それが、この舞の序章だ。
ライオネルの動きは驚くほど自然で、導かれるように私は舞っていた。彼の一歩に私の一歩が重なり、彼の剣の軌跡に、私の剣が優雅に応える。
そのリードは実に見事で、まるで長年のペアのような息の合いようだった。彼の指先からは、実戦に裏打ちされた確かな技術と、舞に対する敬意が感じられた。
──まさか、ここまで踊りやすいなんて思わなかった。
アレクシスと舞っているときとも違う感覚。彼とは、呼吸も歩幅も、互いの動きが完璧に噛み合っていた。誰から見ても非の打ちどころのない、完成された美しい舞だったと思う。
アレクシスとの舞が「正解」なら、ライオネルとの舞は──まさに、「調和」。
「双剣の儀」のテーマを、ものの見事に再現していた。
アレクシスの婚約者ということもあって、彼以外と舞うことがほとんどなかった私は、パートナーによってこんなに違うものなのかと、改めて気付かされた。
本来は私がライオネルのかっこよさを引き出すつもりだったのに──これはもう、完全に私がリードされている。
けれど、それは決して不快なものではなかった。むしろ、その優れた導きこそが、彼という人物の魅力を最大限に伝えてくれるのだと理解できた。
終わりの合図とともに、私たちはぴたりと息を合わせて、最後の一礼を締めくくった。
舞い終えた余韻がゆっくりと空気に溶ける中、私は静かに息を整え、隣のライオネルを見上げた。彼もまた、真っ直ぐにこちらを見下ろしている。
──気のせいだろうか。いつもより、彼の視線が強く感じられる。
「双星の舞」は、その性質上、舞手同士が細かな呼吸まで合わせなければならない。それゆえか、彼の存在がいつもより近く、濃密に感じられた。その視線の熱も、舞の余韻のせいかもしれない。
「す、すごいです! お二人とも、本当に素敵でした……!!」
リナの歓声と、惜しみない拍手が、張り詰めていた空気を打ち破るように響き渡る。その声に、私たちはふっと現実へ引き戻された。
その瞬間、ライオネルの手の温もりが、じんわりと指先に戻ってくる。私より先に反応したのは、彼の方だった。
「──っ、も、申し訳ありません……!」
慌てて手を離し、顔を覆うようにして背を向ける。その耳まで赤く染まっている様子に、私は内心苦笑した。まったく、純情キャラにもほどがある。
……私自身の動悸の速さは、棚に上げておこう。
とはいえ、これで彼の魅力はリナにも十分に伝わったはずだ。私は胸の奥に、ささやかな達成感を覚えていた。
リナの方を見やると、彼女はいつの間にか目の前に来ていて、感極まったように両手を胸元で組み、潤んだ瞳で私を見上げていた。
「クラリス様、とっても素敵でした……!」
──不意打ちのヒロイン上目遣い。破壊力がすごすぎる。
一瞬、意識が飛びかけた私は、慌てて視線を逸らす。
いや、違う。これは私が受けるべき視線じゃない。ライオネルの役目のはず……
そっと彼の方を振り返ると、ライオネルは未だに背を向けたまま、動けずに固まっていた。
……どうしてこうなった。
予想外の展開に思わずため息が漏れる。
作戦がうまくいかないことに、私は改めて自分の調整力不足を痛感するのだった。
色んな意味で、リナがクラリスの予期しない方向に成長しています。
次回はゼノ回、7/22(火) 19:00更新予定です!
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今回のイラストは、手を取り合うクラリスとライオネルです!
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