双剣の儀 1
リナとルークのクラスを後にすると、私はリナとともに、学園祭で披露される剣舞の視察に向かった。
そもそも、視察に同行するリナを呼びに、教室を訪れただけだったのに……
ルークの予想外すぎる奇行のせいで、心身ともにぐったりと疲れてしまった。
隣を歩くリナが、そんな私を心配そうにちらちらと見上げてくる。
──もしかすると、二人はイベントを終えた直後で、ルークのあの行動はその延長線上でたまたま……
……いや、たまたまって何。どう考えても理解不能だ。
「ク、クラリス様、大丈夫ですか……?」
私は表面上、いつも通りを装っていたつもりだった。
それなのに、心の疲労をあっさり見抜いてくるとは……リナはエスパーなのだろうか。それとも、私の擬態能力がついに衰え始めたのだろうか。
「大丈夫よ、リナ。なんてことないわ」
──なんてことあるけれど。
そこは、そういうことにしておいてもらえると助かる。
私は軽く深呼吸をしてから、背筋を伸ばし、悪役令嬢としての矜持を守るために前を見据えた。
しかし。
「危ない!」
剣術訓練用ホールの入り口に足を踏み入れた瞬間、鋭い声が響いた。私は反射的に立ち止まり、声のした方へと顔を向ける。
そして、目に飛び込んできたのは──
宙を舞う、一振りの剣。
どうして剣が飛んでいるのかなど、考える余裕もなかった。
ただ一つ確かなのは、その剣が、回転しながら私とリナに向かって迫ってきているという現実だけだった。
考えるよりも早く、身体が動いた。
反射的に、私はリナの腕を引いた。
「リナ、伏せて!」
「え、えっ──」
叫ぶと同時に、彼女を庇うように床へ押し倒す。私自身も身を伏せたが、剣の軌道を完全には避けきれなかった。
剣が、すぐそこに迫ってくる。
──来る。
当たったら痛いだろうな、とか。
できれば傷が目立たないところに当たってほしい、とか。
絶対に、リナだけは傷つけさせない、とか。
一瞬の間に、脳裏をさまざまな思考が駆け抜けていく。
──これは、避けきれない。
覚悟を決めた、その刹那。
風を切り裂く鋭い音とともに、わずかな光が閃き、横合いから飛び込んできた。
キィィンッ!
金属が激しくぶつかり合う音が響く。視界の端で、飛んできた剣が弾かれ、勢いを失って床に転がっていくのが見えた。
私は恐る恐る視線を上げる。
──そこには、ライオネルの背中があった。
私とリナを庇うように立ち、剣を水平に構えたまま、静かに息を整えている。その額には、うっすらと汗が滲んでいた。
私たちの目の前で、彼は飛来する剣を、間一髪で弾き返したのだ。
「……ご無事ですか、クラリス殿、リナ殿」
彼は私とリナの無事を確認すると、安堵の息を吐き、手にしていた剣を静かに鞘へと納めた。
そして空いた両手を差し伸べてくれる。その所作は自然で淀みがなく、微笑みさえも穏やかだった。
──まるで、絵本の中の騎士そのもの。後光が差して見える。
一瞬、あまりの絵になる光景に見惚れかけてしまったが、今はそんな状況ではない。
すぐに我に返ると、私は床に伏せた際に汚れてしまったリナの服を軽く払い、ライオネルに彼女を先に立たせてもらった。
その後、私もライオネルの手を借りて立ち上がる。力強くも優しい手のひらに、少しだけ胸がざわついたのは秘密にしておく。
剣術訓練用ホールでは、学園祭で披露される剣舞の練習が行われている。
学園祭の目玉イベントのひとつ──それが「双剣の儀」だ。
伝統行事の一つであり、男女のペアが舞う、演武仕立ての剣舞である。
観客の前で「美しさ」「調和」「技の冴え」を披露する格式高い演目であり、まさに剣の舞──戦いを“美”へと昇華した儀礼的な舞踏だった。
剣舞は王族や貴族の子弟が、その礼節と技量を示す場でもあり、学園でも一年生の夏休み明けから正式な授業として始まる。
学園祭では、二、三年生が中心となって剣舞を披露する。
そして、それを指導しているのがライオネルだった。
「お二人を危険な目に遭わせてしまい申し訳ありません。お怪我は──」
「ディアナ!」
ライオネルの言葉を遮るように、ホールの中から悲鳴のような声が響いた。私たちは一斉に視線をそちらに向ける。
中央では、女子生徒が足を押さえてうずくまり、顔をしかめていた。声の主である男子生徒は、動揺を隠せない様子で、彼女の名を何度も呼び続けていた。
……ああ、やっぱりこの二人か。
私は納得すると同時に、げんなりした気分になる。「双剣の儀」に彼らが出ていることは知っていたが、あまり関わりたくない二人だ。
取り乱しているのはカイル。クラスは違うが、学年は私と同じ三年生で、剣術競技会でも優勝するほどの実力者だ。
そして、床に座り込んでいるのがディアナ。彼と同じクラスで、舞踏の腕前は学内でも一目置かれている。カイルのパートナーだ。
「ディアナ、大丈夫か!? 僕が君の美しい舞に見とれていたばかりに、こんなことに……!」
この世の終わりのような口調で彼女に縋りつくカイルに、周囲の空気が一気に冷え込んでいくのがわかる。
隣でその様子を見ていたライオネルも、眉間にしっかりと皺を刻んでいた。彼がこうして表情を険しくするのは、かなり珍しい。
ライオネルは無言のまま一歩前に出ると、ディアナの足元を慎重に確認した。
どうやら足首をひねってしまったようで、動かすたびにわずかに顔をしかめている。今は歩けるだろうが、無理をすれば腫れが出るかもしれない。
彼は短く息を吐き、カイルの方に向き直る。
「……軽い捻挫かと思いますが、本番に影響が出るといけないので、今日はもう休んでください。カイル殿、彼女を医務室へ運んでくれますか?」
「はいっ、もちろんです!」
カイルは待ってましたと言わんばかりにディアナを抱き上げた。彼女も頬を染めて「カイル……」と甘えるように彼の胸に顔を寄せる。
──その瞬間、場の温度が三度ほど下がった気がした。そして、彼らを除く全員の思いがぴったりと重なる。
……このバカップルめ、と。
そう。彼らは剣舞の達人として名を馳せていたが、それと同じくらい、「人前でも容赦のないバカップル」としても知られていたのだ。
「……申し訳ありません、クラリス殿、リナ殿。俺の監督不行き届きです」
心底申し訳なさそうに頭を下げるライオネルに、私は小さく首を振った。あのバカップルを監督しろというのは、そもそも無理な話だ。
話を聞けば、剣舞の練習中、鋭い一閃を繰り出す場面でディアナが体勢を崩し、その反動で手から抜けた剣がホールの入口へと飛んでいった──そして、よりにもよって、そのタイミングで私たちが通りかかったらしい。何という不運。ゲーム本編でも、こんなハプニングはなかったはずだ。
「いいえ、ライオネル様。あなたのせいではございません。それより──お礼が遅れました。先程は、助けていただきありがとうございました」
あれほどの状況に即座に反応し、私とリナを守ってくれたこと。それだけでも彼の実力は賞賛に値する。彼がいなければ、あの二人は今ごろ何らかの処分を受けていた可能性もある。
……いや、むしろ処分された方が、周囲の平穏のためには良かったかもしれない。そのために、こちらが痛い思いをするのは、御免被りたいけれど。
私が深く頭を下げると、ライオネルは少し照れたように苦笑した。その表情がまた、やたらと絵になっていた。尊い。
ちょうど剣舞の練習が終わりに差しかかっていたのか、他の生徒たちは道具の片付けに取りかかっていた。リナはというと、広げられた装飾用の剣や煌びやかな衣装、そして祭礼用の仮面に目を輝かせ、興味津々といった様子で眺めている。
あまりにもリナらしい姿に、心が和む。けれど、その裏で、私はそっとため息をついていた。
「双剣の儀」は、このゲーム──「Destiny Key ~約束の絆~」において、ヒロインが最も“映える”イベントのひとつであり、いわば栄光のボーナスステージだ。
ステータスの総合値が一定以上に達していれば、ヒロインは王太子アレクシスのパートナーとして、舞手に抜擢される。
学園祭本番、王族や貴族が見守る中で華麗な剣舞を披露し、満場の喝采と称賛を浴びるのだ。
このイベントを成功させれば、一緒に舞ったアレクシスだけでなく、他の攻略キャラの好感度も一気に上昇し、たとえ個別イベントに多少の取りこぼしがあっても、最終盤──グランドナイトガラの成功率が跳ね上がるという、実においしいイベントである。
──ただ、問題は。
どれだけ努力していても、リナの現時点でのステータスは決して高くない。私はそれをわかっていながら、夏の個別指導に“さりげなく”剣舞の稽古を組み込んでみたのだけれど……やはり、イベントは発生しなかった。
彼女の天性の“力”──そう、文字通りのパワー──が奇跡を起こしてくれないかと期待したのだが。
この夏の間に、私の知らないところで、リナはヴィンセント騎士団長と接点を持っていた。おそらくライオネルとのイベントを通じて、騎士団を訪れたのだろう。
似た者同士で意気投合したらしく、団長直伝の“力”の使い方を教わったことで、彼女の剣の腕前は目に見えて伸びていた。
今やリナは、立派に「パワー系剣士」の道を突き進んでいる。
……おかしい。これは乙女ゲームのはずで、ヒロインは本来、魔術師寄りだったんじゃ……?
遠い目で自らの采配を振り返ってみるものの、やはり、納得のいく答えは返ってこなかった。
どうやらリナの育成計画をミスってしまった模様。
次回、7/18(金) 19:00更新予定です。
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今回のイラストは、剣を構えるライオネルです!
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