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完全無欠の悪役令嬢はポンコツヒロインをほうっておけない  作者: Kei
第七章 嵐の前の嵐

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仏頂面のヒロイン

「完璧です、アレクシス様、クラリス様……!!」


 レティシアの恍惚とした声が舞台に響く。それを合図にしたかのように、クラスの面々が一斉に拍手を送った。


 私はこっそりと肩の力を抜き、大きくため息を吐く。


 学園祭本番まで残り一週間。これはクラス劇の最後の通し稽古だった。

 アレクシスの統率力と、レティシアの鬼気迫る情熱によって、劇の完成度は驚くほどに高まっていた。完璧と言って差し支えないだろう。


 ──少なくとも、私を除けば。


 もちろん私は完璧な公爵令嬢だ。その看板に恥じぬよう、完璧な演技を目指して努力もしたつもりだった。

 だが、私の表情筋は、私の意志では動かない。おそらく皆が思い描く“ローゼリア”とは程遠い仕上がりになっているに違いない。


 仏頂面のヒロイン。──だめだ、残念すぎる。


 もう一度、ため息がこぼれる。


「納得いかない顔をしているな」


 すぐ隣、頭上からかけられた声に顔を上げると、アレクシスがどこか満足げな表情でこちらを見下ろしていた。


 ──そのとき、ようやく気づいた。彼の腕が、私の腰に回されたままだということに。


 ラストシーンの「誓いの口づけ」で密着した状態のまま、彼は私のすぐ隣に立っていた。互いの体温を感じる距離に、私は動揺を覚える。


 体を離そうと身を引きかけたが、アレクシスの腕は微動だにせず、私の体をしっかりとホールドしたままだった。


「……アレクシス様、お離しいただけませんか?」

「君が劇の仕上がりに納得していないのなら、もう一度やってもいいが?」

「結構です」


 私は即座に却下した。

 ただでさえ心臓に悪いキスシーンを、そう何度もやっていられるはずがない。


 生徒会室でのリナとアレクシスの劇イベントを、多少強引に成立させたのは良かった。だが、その影響で「誓いの口づけ」の演出が変わってしまった。


 本来であれば、二人が向かい合い、顔を徐々に近づけていくだけのシーンだったはず。

 それがなぜか、全身を密着させて演じるという、妙に濃厚な演出に変貌していた。


 ──とはいえ、目の前で繰り広げられたリナとアレクシスのイベントは、非常に尊かった。

 尊すぎて、思わず拝みたくなるほどだったので、後悔はしていない。


 ……後悔はしていないが、心臓には悪すぎる。

 すべては、アレクシスの整いすぎた顔が悪い。

 あんな顔を、息のかかる距離で見せられて、冷静でいられるはずがない。もう少し自重してほしい。


「クラリス様、お疲れ様でした!」


 タイミングを見計らってアレクシスの腕から抜け出すと、レティシアが駆け寄ってきた。クラスメイトたちと互いの健闘を称え合った後らしく、多少冷静さを取り戻しているようだった。


 演劇のことになると周囲が見えなくなる彼女は、稽古中は見事な鬼監督だったが、こうして話すと、やはり熱意の塊のような人物だ。

 そんな彼女が全身全霊をかけたこの作品に、私の演技が水を差しているのだとしたら──申し訳なさすら覚える。


 私は、アレクシスが大道具係に指示を出している隙に、レティシアへそっと声をかけた。


「……レティシア様。わたくしの演技について、何か問題があれば……ご指摘いただけないでしょうか?」


 表情筋がうまく動かないことは、嫌というほど自覚している。

 それでも、何か一つでも改善の糸口がないかと、わらにもすがる思いで彼女を見つめた。


 私の真剣な眼差しに、レティシアは目を丸くした。


「問題……? 何をおっしゃっているのですか、クラリス様。クラリス様の演技に、何ひとつ問題はありませんでしたよ」

「ですが……わたくしでは、ローゼリア様のエルヴィン様への想いを……表現しきれていない気がいたしまして……」


 ──主に、表情が。


 「エルデンローゼの誓い」に登場するローゼリアは、常に凛とした姿を見せる一方で、時折、エルヴィンにだけ柔らかな表情を見せる。その繊細な差が、私にはうまく表現できていない気がするのだ。


 私の懸念を汲んだのか、レティシアは困ったように微笑んだ。


「そうですね。昔のクラリス様であれば……難しかったかもしれませんね」


 今度は、私が目を丸くする番だった。


「どういう意味ですか?」

「ご自身の変化に気づくのは、案外難しいものですよ」


 彼女はくすくすとおかしそうに笑っている。意味がわからない。

 私が戸惑っていると、レティシアがいたずらっぽい笑みを浮かべた。


「では、わたくしからアドバイスを差し上げましょう」

「ぜひお願いいたします!」


 私は思わず身を乗り出す。演劇に関しては鬼と称される彼女の助言は、喉から手が出るほど欲しいものだ。


 レティシアは表情を引き締め、手にしていた脚本を開いた。


「ラストの『誓いの口づけ』のシーンですが──クラリス様、あそこでは少しだけ、肩に力が入りすぎていらっしゃいます」


 ……それは自覚している。

 密着した状態でアレクシスに見つめられ、顔が近づいてくれば、私の視線は本能的にそらされる。心臓を守るためとはいえ、演技に支障をきたしている自覚はあった。


「確かに、アレクシス様のような方とのラブシーンは、クラリス様でも緊張なさるものとは思いますが……」


 “ラブシーン”という単語に、私は顔が引きつるのを必死で堪える。聞いていて居たたまれない。


「ですが、こういう場面では、殿方に身を委ねてしまえばいいのです」


 ……なんだか、初夜の指南でも受けているような気分になってきた。落ち着かない。


 そんな私の内心をよそに、彼女はさらりと続ける。


「ですから、クラリス様。このシーンでは、肩の力を抜いて、ただ──目を閉じていてください」

「……え?」

「演技をなさらなくて構いません。任せてしまえばいいのです」


 意外すぎる助言に、私は言葉を失った。


 けれど、冷静になって思い返せば、たしかに私はこの場面で常に体を強張らせていた。

 ならば、すべてアレクシスに任せて、私はただ目を閉じ、幕が降りるのを待つ──それだけで、もしかしたら最善の“演技”になるのかもしれない。


 私は小さく頷いた。


「ありがとうございます、レティシア様。おっしゃる通りかもしれません。……わたくし、そのアドバイスに従います」


 私の素直な反応に、彼女は満足げに、柔らかく微笑んだ。


 そのときは気づかなかった。

 けれど──後から考えれば、あの微笑にはほんのりと小悪魔的な色が滲んでいたのだ。


レティシアが何か良からぬことを考えています。

次回、7/11(金) 19:00更新予定です。


Xでは更新連絡やAIイラストの投稿をしています。

今回のイラストは、「誓いの口づけ」のシーンにうろたえるクラリスです!

https://x.com/kan_poko_novel

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 完全無欠の悪役令嬢はポンコツヒロインをほうっておけない
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