【ゼノ】魔法使い 4
あの後──
少女に花畑の情景を見せたまま、私は呪術で新たな影を生み出し、彼女の前から静かに姿を消した。
突然いなくなった私に、彼女はきっと、ますます「魔法使い」の存在を信じたことだろう。
幸い、呪術の制御を誤ることなく学園へ戻ることができたが──
それからというもの、なぜかシリルに目をつけられることが増え、私の学園生活は騒がしさを増すばかりとなった。その顛末は、また別の話である。
あのときシリルが残した魔法陣が図書館に残っており、それにクラリスが触れてしまうなどという事態が起こるまで、私はあのときの出来事を記憶の彼方に追いやっていた。
あの少女がどこの令嬢で、あの後どうなったかを知ろうとも思わなかった。
それなのに──
「……”魔法使い”さん?」
小さくなった──正確には、おそらく三歳頃の状態に戻ったであろうクラリスは、私を見てそう言った。
その言葉と同時に、忘却の彼方にあった記憶が、濁流のように押し寄せてきて、ピースとピースがカチリと当てはまる。
──こんな偶然が……あるのか。
「やっぱり、魔法使いさんは“魔法使い”だったんですね……!」
呆然と立ち尽くす私の思考を、クラリスの声が引き戻す。
見上げてくるその瞳は、魔法使いへの憧れでいっそう輝いていた。
「魔法使いさんは、姿も自由に変えられるんですね!」
……どうやら、学生時代の私と今の私で見た目が違うことを、彼女は「魔法」の力によるものだと受け止めているらしい。
その解釈に、少しだけ肩の力が抜けた。
私は、静かに彼女の前に膝をつく。
「……私のことを、覚えていてくれたんだね」
「もちろんです! わたくし、魔法使いさんにお話したいことが、いっぱいあるのです!」
小さくなったクラリスは、その気持ちを伝えようと、両手をめいっぱい広げてみせる。
その無邪気な仕草は、いつもの彼女からは想像できないほど愛らしくて、私は思わず苦笑を漏らした。
「わたくし、魔法使いさんの言う通り、お母さまと“約束”をしました! そうしたら、お母さま、少し元気になって──」
彼女が思いの丈をぶつけるように話し始めた、そのとき。
「クラリス様、ゼノ先生、いらっしゃいますか〜……?」
階下から聞こえてきたのは、聞き慣れたリナの声だった。途端に、私の意識は現実へと引き戻される。
──そうだ。昔を懐かしんでいる場合ではない。
そもそも、クラリスがこうなった原因が本当にシリルの魔法陣かどうかも、まだ断定はできていない。もちろん、彼の作品であるという確信はある。そうであれば、一日で効果が切れるだろう。だが、確証はない。保証など、どこにもないのだ。
私の焦燥を感じ取ったのか、クラリスが不安そうにこちらを見上げてくる。
私は一度だけ目を閉じ、呼吸を整え、そして静かに目を開けると、微笑みを浮かべて言った。
「……君の話をもっと聞きたいが、残念ながら今は時間がない」
クラリスの顔に、ほんの少し残念そうな影が差す。
私はすぐに言葉を継いだ。
「だが、私たちはまた会える。そのとき……もし君が、私のことを覚えていてくれたら」
──思い出してくれたなら。
「……そのときに、続きを聞かせてくれるかい?」
クラリスは、まるで花が綻ぶように笑って、「……はい!」と元気に答えた。
その笑顔に応えるように、私も微笑みを返し、そっと彼女を抱き上げる。
ここが公爵邸ではないこと。これから会うリナという女性と、迎えが来るまで静かに待っていてほしいということ。私は言葉を選びながら、できるだけ丁寧に伝えた。
クラリスは「わかりました」と素直に頷く。
……あまりにも素直すぎて、どこかに連れ去られてしまいそうで、心配になるほどに。
とはいえ、今はそれを気にしている余裕もない。
──まずは宰相への報告だ。
あの完璧な男の眉間に、新たな皺が刻まれる姿を想像して、私は軽く頭を押さえた。
「……それと、私が魔法使いだということは、内緒だ。これは“約束”だ」
私は人差し指を口元に添え、彼女にそっと視線を送る。その瞬間、クラリスの頬がふわりと紅に染まり、大きな瞳がさらにぱちりと見開かれた。
「は、はい。魔法使いさんのことは、秘密にします」
恥ずかしさに耐えるようにうつむくその様子が、あまりに素直で、私は思わず小さく笑みをこぼす。
──いつもの彼女なら、私が少しでも近づけば、緊張で体をこわばらせ、表情ひとつ動かすまいとする。
その反応が妙に面白くて、私はつい、彼女に触れる口実を探してしまうようになっていた。
最初は、ただ観察の一環だったはずが──
いつの間にか、彼女に触れることそのものが目的になっていた。
……私の目が何も映していなかった、あの頃。
世界とつながる術は、手のひらから感じ取る感覚だけだった。
私はその手で、彼女の輪郭を、ぬくもりを、存在そのものを確かめようとしていたのだ。
滑稽な話だ。
利用するつもりだったはずの相手に、いつの間にか囚われてしまったのだから。
──まさに、ミイラ取りがミイラになる。
母の故郷に伝わるその諺を思い出し、私は小さく息を吐く。
そんな内心を気取らせないよう、穏やかな微笑みを浮かべながら、クラリスの頬に手を添える。くすぐったそうに目を瞑るその仕草が、ひどく愛おしかった。
「さあ、行こうか。“お姫様”。魔法使いが、君を導こう」
私の言葉に、クラリスはぱっと笑顔を咲かせた。
その笑顔があまりにまぶしくて、私は思わず目を細めた。
クラリスの持っていた絵本の表紙──
そこには、眼鏡をかけた魔法使いが、可憐で、どこか疲れた様子の主人公に手を差し伸べる姿が描かれていた。
今思えば、あれはまるで私と、彼女──未来のクラリスを重ねたかのような、寓話の一場面だった。
「君がやろうとしていることに、全面的に力を貸そう」
──本当は。
最終的に救われたのは、魔法使いのほうだったのかもしれない。
孤独の中で出会った少女を助け、その幸せを願いながら力を振るえたことは、魔法使いにとって、何よりの僥倖だったに違いない。
世界を救うために力を貸した魔法使いは、最終的に王子と結ばれた少女を見て、何を思ったのだろう。
何の見返りもなく、愛しい少女の幸せを心から喜べたのだろうか。
それとも──
「私と、世界を救ってください──ゼノ」
私は、彼女に手を差し伸べた。
彼女を利用するつもりで、協力者としての名乗りを上げた。
その結果、私が「影」としての任務を果たし、彼女がその目的を果たせれば──それで終わりのはずだった。
おそらく彼女は、完璧な王妃となり、初代王妃ローゼリアの再来と讃えられることだろう。
私は──そのとき、何を思うのだろうか。
……すでに、その答えは出ていた。
けれど私は、それを見ないふりをして、そっと心の奥に閉じ込めた。
ようやくゼノの心情に変化が。
ゼノ推しの皆さんの心に届けば幸いです!
次回は久しぶりのクラリス視点。
7/1(火) 19:00更新予定です。
とうとう100エピソードに到達しました!
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今回のイラストは、大人ゼノと幼女クラリスのツーショットです!
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