第9話 ミギャア!(だれかきたよー!)
リモートワークで仕事ができる事が、如何に楽か。
私は身を以って実感していた。
まず、オフィスに合う服装に着替えなくていい。
次に、メイクをする必要がない。
そして、髪の毛も整えなくていい。
少々お行儀悪くしたところで仕事が進めば問題ないから、何なら寝そべって仕事をしてもいい。
働く時間帯も、ある程度は自分で調整が利く。
職場にいれば作業の途中で誰かに話しかけられたりする事もあるけど、一人で仕事をしているとそんな事も一切ない。
そして何より、どこで仕事をやってもいい。
打ち合わせの日時合わせは必要だけど、それ以外は割と自由度が高く、自己管理ができさえすれば――つまり、仕事をサボったりしなければ――リモートワークはいい事づくめである。
仕事だってゆるーくやりたい、ゆるーく生きたい私みたいなのにとって、正に今という時代は「時代が私に追いついた!」という感じであり、「この時代に生まれてよかったー」という感じなのだ。
そんなどこででもできる仕事を、譲り受けて模様替えしたこの古民家カフェ風の自宅でやっていた。
どの席でも好きな場所を選べるのが、このカフェ風の家のいいところだ。
今日は縁側から外を見るように設置したカウンター席の一つに座り、作業をする事にした。
パソコンに向かい、作業をして、たまにコーヒーを飲んで。
コーヒーは、無糖無ミルクのブラックだ。
これはいつも仕事の時にはそうしている。
程よい苦みが、仕事の集中力を邪魔せず、目をシャキッとさせるのにちょうどいい。
少し疲れたら、目の前の景色を見て休憩をする。
この家は小高い丘の上にあって、目の前には田んぼや畑が見える。
初夏に差し掛かり、青々とした草の葉が生い茂っていて爽やかな景色だ。
今日も晴れているけど空は少し白んでいて、それもまた趣深い。
うーんと大きく伸びをする。
仕事もひと段落付いた。
一人分の家事なんて朝のうちに大体済ませてしまったし、いつもなら「何をしようかな」と考えるところだけど、今日はそんな事にはならない。
私はクルリと振り返る。
「ビーノ、お仕事終わったよー!」
今日はビーノ――私がスキルで生んだ子を愛でる日にするんだ!
そう思い、笑みを浮かべたのだけど……。
「あれ? ビーノ?」
いない。
どこに行った?
「ミギャア!」
「ん?」
鳴き声がした。
どこにいるのか。
リビングの方から聞こえてきた。
見える範囲にはいないので、そちらに行ってみる。
どこにいるのかと思ったら、ビーノは納戸の前にポテリと座っていた。
扉は開いていて、彼の目はそちらにくぎ付けだ。
黄色のつぶらな瞳でまっすぐに、何かを見ている雰囲気が伺える。
思い当たる節があって、私もヒョイと納戸を覗いてみた。
そして「あぁやっぱり」と思う。
「あ、来たんだね。こんにちは」
「こ、こんにちは」
騎士服を着た黒髪赤目の吸血鬼、ウェインの姿がそこにはあった。
相変わらずの人外的な美しさを醸し出す麗人だが、何だろう、少し怖がっている……とは違うか。
躊躇している気配がする。
「入って。あ、靴は脱いでね。一応そこに靴置き場をスキルこねくり回して作ったから」
私の断りを待っていたのかな。
そう思い、言いながら彼の分のコーヒーカップを用意しにリビングに戻る。
先程彼に言った通り、納戸を少し改造した。
改造したというか、今日の朝、玄関化してみたのだ。
まず、納戸の床を石畳にしてみた。
近くに置いた下駄箱代わりの棚は、自分でも簡単に組み立てる事ができるお手軽三段ボックスである。
コップを選び終えて、「あれ?」と思った。
選んでいる間に中に入ってくるかと思ったのに、ウェインが全然やってこない。
再び覗きに行ってみると、彼を見上げて「ミッ!」という声を上げている可愛いビーノを前にして、大の大人が若干後ずさっていた。
「何故こんなところにドラゴンが」
「あぁその子、昨日私が生んだの」
「出産?!」
「違うわよ、スキルをなんかちょっとモニョモニョやったら生まれたの」
「あぁそういう。……いや、それでも十分おかしくはあるんだが。だって、ドラゴンといえば幻想種だぞ。それとも、もしかしてこのドラゴンは似て非なるニホンの生き物なのか?」
「こんな子が日本に生息していたら、きっと皆大騒ぎでしょうね。『ついにフィクションじゃなく現代にダンジョンでもできたのか』って、連日ニュースになると思う」
言いながら、思わず笑う。
今はもう、SNSで何でもかんでもすぐに拡散される時代だ。
誰か一人に見つかれば、すぐにネットの海に事実が放流される。
一人二人が投稿したくらいじゃあCGやAIで作った合成写真か何かだと思われるかもしれないが、それが一つの町、一つの県と広がっていったらどうだろうか。
すぐに「ドラゴンが存在する」という事実は広まってしまうだろう。
連日ニュースは大盛り上がり。
きっと何かの専門家やコメンテーターたちが考察を語り、更にお茶の間を盛り上げるに違いない。
ドラゴンがいてしばらく経っているならいるで、こんなに可愛らしかったら色んな人がペットとして飼っているだろうけど、散歩させた時にたまにある犬同士の威嚇のし合いみたいなのが、この子たちでもし起きたなら。
勝手なイメージだけど、ちょっとしたじゃれ合いが周りをドンガラガッシャァーンとしちゃわないか、心配だ。
……いやまぁ実際にドラゴンは日本に生息していないから、これらは全部ただの意味のない懸念に過ぎないんだけど。
否定した私に、彼は苦笑こそすれ、まだ入ってくる様子はない。
位置関係的に、ビーノに通せんぼされている感じなのだろうか。
こんなに可愛いのに?
怖いの?
と、首を傾げる。
いやでも、ちょっと待って。
これはこれで、尻尾ガン振りでウェルカムな小型犬を前に「犬怖い……」とガクブルしている成人男性みたいでちょっと可愛いんじゃなかろうか。
ウェインは、実際にガクブルまではしていないけど。
「ビーノ、おいで」
「ミッ!」
短く返事をしたビーノが、小さな羽をパタパタとさせて、ふわりと宙に浮きこちらにやってきた。
ウェインの表情が、ホッ緩む。
少し距離を開けて入ってきたところを見ると、やはりあそこにビーノがいたせいで入って来あぐねていたのだろう。
――可愛いからちょっと心配だったけど、立派に来訪者の牽制の役割は果たせそうか。
そんなふうに考える。
私は私のスキルしか知らないので、粘土みたいに何でも作れて便利だなぁとは思うけど、それ以外の事はよく分からない。
ビーノがどうやらドラゴンの子どもらしく、ドラゴンが食物連鎖の上位にいるのだろう事くらいは何となく想像もつくけれど、この子がどれだけの希少性や危険性を孕んでいるのかもよく分かっていない。
それでも、自分で生み出したからなのだろうか。
絶対的な安心感がある。
少なくとも私の言う事は聞く。
私や私が許容している者に対しては害はない、という確信がある。
しかしこれは私の感覚で、他の人――特にプラナールの人には通じない。
それは心強くはあるけれど……。
「ウェインがちょっと可哀想だし、可愛くしてあげた方がいいかな」
パッと思いついたのは、ペット用の洋服たち。
でもあれってペットの子の性格によっては着る事自体がストレスになるっていう話も聞くし……。
「無難なところで首輪とか、その辺かなぁ」
「ゆかり、今日もそれ、やってもいいか?」
「え、あ、コーヒーメーカーね。いいよ、やりな。ついでに今日は、どれを淹れるか選んでみる?」
言いながら、コーヒーメーカーに入れるカプセルの入った箱を出す。




