ベアトリスの純愛
「残念令嬢」コミックス2巻発売記念
本来は第七章の番外編に入れればいいのですが、お話を挿入して順番が前後するとわかりにくいので、この位置のままでお届けします。
「――ルシオ殿下!」
ベアトリスがヘンリーの声につられて視線を向けると、そこには赤茶色の髪に緑の瞳の美青年の姿があった。
ルシオ・ナリス。
国王フィデル・ナリスの実弟だ。
異母弟であるシーロの結婚披露パーティに顔を出しているのは、何も不思議なことではない。
だがこちらを見たルシオは明らかに動揺し、絵にかいたような挙動不審な動きのまま逃げるように立ち去ってしまった。
国でも一二を争う名門公爵家令嬢であるベアトリスは、その立場上ルシオに会う機会もそれなりにある。
だが記憶の中の彼は見事な傲慢王子という感じで、自信と過信と無駄なプライドの塊だったのだが。
一体どうしたというのだろう。
「ヘンリー、あんまり兄をいじめてくれるなよ」
シーロはそう言いながらカロリーナと共にやって来て、ルシオの立ち去った方角を見る。
「ヘンリー怖い病は完治していないから。おまえが声を掛けたら、怖がるに決まっているだろう?」
「それはそれは失礼を。王弟殿下にお詫びに伺った方がよろしいですか?」
何ひとつ悪いと思っていないのがまるわかりのヘンリーに、シーロは苦笑している。
「面白いけれど、今はやめておこう。あれでも兄で王弟だ。公の場であまりみっともない様子を見せられても困る」
二人のやり取りから察するに、ヘンリーがルシオに何かしたせいでトラウマになっているようだ。
いくらモレノとはいえ、ヘンリーが何の理由もなく王弟に無礼を働くはずもない。
シーロも認めているらしいことを考慮すれば、ルシオ側に何らかの問題があったのだろう。
……その結果が、あの挙動不審な美青年。
ヘンリーがシーロに大袈裟に礼を返す傍らで、ベアトリスは深いため息をついた。
「今までうっとうしい俺様王子だったから、どうでも良かったのですが。――なんて立派な軟弱野郎なのでしょう」
血筋正しく、麗しく、何の欠点もないのだと自信満々だった男が、年下の少年に名前を呼ばれただけであの怯え方。
どう贔屓目に見ても情けないその姿が、ベアトリスの心の琴線にガンガンに触れまくる。
「ベアトリスは、軟弱な男性を教育して叩き直すのが好みなの。アベル殿下は微妙にヘタレきれていない部分があったけれど、我慢していたのよ」
「ヘタレ……?」
カロリーナの説明にイリスとダニエラ、ヘンリーまでもが目を丸くしているが、ただの事実なのでどうでもいい。
――こんなチャンス、人生で二度とないかもしれない。
ベアトリスは決意と共にシーロに向き直り、この上なく優雅に礼をした。
「理想の軟弱野郎と巡り合いました。シーロ様、お兄様を調教しても、いえ教育して、いえ。――お慕いしても、よろしいですか」
ちょっと言葉選びを間違った気もするが、逸る心を抑えられず頬が熱くなっていく。
友人達の目の前でこんなことを言うのも恥ずかしいが、絶好の軟弱野郎チャンスを逃すわけにはいかない。
まずは親族から押さえて、逃げられないようにしなければ。
シーロはきょとんとベアトリスを見つめると、次いで笑い出した。
「君のようなしっかりした人にそばにいてもらった方が、安心だ。兄は今婚約者もいないし、ちょうどいい。バルレート公爵令嬢ならば、非の打ちどころもないしな。陛下に進言しておくよ」
もちろん、そのあたりはわかっている。
正式な婚約者も恋人もいない以上、名門バルレート公爵家の令嬢に太刀打ちできる存在などほとんどいないだろう。
だがベアトリスが一人名乗りを上げるよりも、王弟の後押しがあった方が逃げ場を断てる……いや、心強い。
「ありがとうございます。それでは、早速、教育……いえ、ご挨拶をしてきます」
優雅な礼と共に、ベアトリスはその場から立ち去った。
庭の噴水の縁に腰かけるルシオを見つけたベアトリスは、一度立ち止まって深呼吸をする。
何度も会ったし挨拶もしている。
だがそれは王子であり王弟としてのルシオと、公爵令嬢のただの社交辞令でしかない。
軟弱野郎は熱いうちに打てという言葉もあるし、最初が肝心だ。
「こんばんは、ルシオ殿下」
本来ならば身分が上であるルシオが声をかけてくるか、促されるまで黙っているべきだろう。
だがベアトリスは気にすることもなく、ルシオの目の前に立つとゆっくりと礼をした。
「ああ、バルレート公爵令嬢か」
今までのルシオならば「無礼だ」と怒ったことだろう。
それすらもできないのかと思うと、その軟弱ぶりに心がときめいて仕方がない。
ベアトリスは高鳴る鼓動のままに、とびきりの笑顔を浮かべた。
「はい。あなたの主、ベアトリス・バルレートです」
「……は?」
たっぷりと間を開け、ぽかんと口を開ける様も実に情けなくてキュンとくる。
あんなにどうでもよかった人間が、ここまで性癖をピンポイントで攻めてくる男性に変貌しようとは。
これはもう、神に感謝しかない。
軟弱野郎、万歳。
「さきほどシーロ殿下の許可をいただきました。これからはルシオ殿下をお慕いしますね」
「……何でそれにシーロの許可が必要なんだ? そもそも慕うって……君は俺を嫌っていただろう」
胡散臭いものを見る眼差しも素敵だが、あまり強い視線は軟弱野郎に相応しくない。
「互いに同じような印象だったと思います。ですが一皮かぶってすっかり軟弱になったルシオ殿下はとても素敵です」
「普通、そこは一皮むけた、じゃないのか」
「何を仰います。ヘンリー君の一声に怯える様はかつての傲慢さが見る影もなく、本当に素晴らしかったですよ」
にこりと微笑むベアトリスを見るルシオの目は、細めすぎてもはや目をつぶっている状態だ。
「君は俺を馬鹿にしに来た、ということか?」
「とんでもありません!」
ベアトリスは声を荒げると、ルシオの隣に腰を下ろす。
ドレスがルシオの足を覆うほどの至近距離でじっと見つめると、美しい緑の瞳は困惑の色に染められている。
「……ああ。何て素敵なのでしょう」
ベアトリスはうっとりとそう呟くと、その手を伸ばしてルシオの頬に添える。
びくりと震える様が愛しくて微笑むと少しずつルシオの頬が熱くなってきて、ごくりと唾をのむ音が聞こえた。
「バルレート公爵令嬢、君は……」
その言葉を封じるように、ベアトリスは指でルシオの唇を押さえる。
「ベアトリス、とお呼びください。殿下」
そっと指を離すと、今度は目に見えてルシオの顔が真っ赤に染まっていく。
「ベ、ベアトリ……」
「あるいは――我が主、と」
にこりと微笑むベアトリスに、ルシオはぽかんと口を開けたまま固まる。
「……え? 主?」
「はい。見事な軟弱野郎である殿下を、私がまっとうな人間に叩き直して差し上げます。敬意と愛情を込めて、私のことは主と慕ってくださいませ」
「え? いや。……え?」
「瞬時に理解できずにただ困惑するこの判断の遅さも、本当にたまりません」
ほう、と息をつくベアトリスを、ルシオは瞬き過多でただ見ている。
その情けない様に、心の底から温かい気持ちが溢れてくるのがわかった。
ああ、これが恋。
久しく満たされなかったその想いに、心の奥が歓喜と共に鞭を振るっている。
「愛しい方。私の大切な軟弱野郎。……これからしっかりとしつけて差し上げますからね」
愛と調教の告白に、ベアトリスの金の瞳が星のように輝いた。
\\「残念令嬢」コミックス2巻・本日発売!//
磨きがかかった残念ドレス。
不憫だけじゃない黒ヘンリー。
書籍1巻とリンクした夜桜プロポーズ。
おまけマンガには、あの人も登場。
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