23「湖水」
夏である。姉が生贄として、村の裏の山にある湖へ捧げられる夏だった。
湖に住まう主様は、人の純真、まごころが大好きらしい。それはそれとして食いでがある大きな体をした人間の方が嬉しいから、大人と子どものはざま、成人前の子どもを生贄にするのだ。
篝火が灯され、水辺への道が一直線に示された湖畔で、わたしは姉の手を掴んだ。
「お姉ちゃん、わたしが行くよ」
主に捧げられる前の禊の間、家族に別れを告げるための天幕の中でのことである。
姉は呆然としたような顔でわたしを見て、一筋涙をこぼした。姉を安心させるために言う。
「わたしなら泳ぐのも上手だし、こっそり対岸まで泳いで、山を下りるよ。どっちにしろ、いつか都に出たいって思ってたの。いい機会だよ」
そんな、と呟く姉の手を離して、わたしは姉が着るはずだった白い衣を身にまとった。姉はただ声を殺して泣くばかりで、返事をしなかった。
暗い夜だ、誰にも生贄の顔など見えまい。わたしと姉の背丈はよく似ている。
湖の真ん中まで小舟で漕ぎ出す。祭司に言われたとおり、そっと船べりを跨ぐ。黒くて冷たい水が、とぷんと揺れる。
わたしは立ち泳ぎをしながら、まっくらな対岸の方を向いた。大丈夫。きっと泳ぎつけるわ。大丈夫⋯⋯。
思いつつ、腕を差し伸ばして水をかき始めたとき、足元の水が大きく渦巻いた。断続的に水が揺れて、波打っている。
――わたしの下で、何かが笑っている。
『要望通りの素晴らしい生贄だ、しかと受け取った』




