19「愛の実存」
二人きりで同居していた祖父が亡くなり、遺品整理のために立ち入った屋敷の奥で、僕は驚くほどに綺麗な女の人を見つけた。
蓄音機や飾り棚なんかと一緒に並べられていた彼女は、この屋敷でかつて使われていたメイド服を身につけ、軽く顔を伏せて目を閉じている。
幼い頃、僕が「気味が悪い」と拒絶した機械人形だった。大きくなった今見れば、精巧な作りの美しいひとだ。
どういう訳か、その姿を見つけた瞬間、「裏切られた」と思った。誰に対する恨み言かは分からない。
恐る恐る声をかけると、彼女はぱちりと目を開け、球体関節を軋ませながら僕を見据えた。慈愛に満ちた微笑みに僕は目を奪われる。――そして、彼女は僕の祖父の名を呼んだのだ。
写真で見た若い頃の祖父は、今の僕によく似ていた。だから、この美しいひとが僕と祖父を間違うのも仕方ないことだろう。
良心の呵責から目を背け、僕はその呼び名を訂正しなかった。亡き祖父としての扱いを甘んじて受け入れる。彼女は僕を心から愛しているようだった。
……賢者の方が愚者より尊いなんて嘘っぱちだ。何でも知れば良いってもんじゃない。真実は何も救ってくれない。真実を知れば、彼女はさぞ悲しむことだろう。
ある朝、彼女は裏庭にある祖父の墓前で立ち尽くしていた。僕は転げるように駆け寄り、祖父の墓との間に割り込む。墓に背を向けて正対した僕を、彼女は黙って見つめていた。
ややあって、彼女はその目に深い哀しみを浮かべて僕を抱き寄せた。途端、現実味が一気に押し寄せてくる。
祖父が死んで半月、僕は初めて声を上げて泣いた。彼女はずっと僕の背を撫でてくれ、僕が泣き止むと囁いた。
「愛しています」
それが、彼女の最後の言葉だった。けれど、僕はその言葉を素直に受け入れられるほど子どもでも、大人でもなかった。
祖父と彼女の関係は調べなかった。
少なくとも、祖父は満足に動かぬ古びた機械を大切に保管する程度には彼女を愛していたし、彼女も、僕とともに残るより祖父と去ることを選ぶ程度には祖父を愛していたのだろう。それが真実だ。
僕がいなければ、祖父はもっと長い時間を彼女と過ごせたのかもしれない。祖父が一番愛していたのは僕ではなかったのかもしれない。明らかにする必要のない真実もあるのだ。
愛してくれる人も、愛する人も、これからは自分で探さなければいけない。果てしなさに目眩がする。
これが大人になる痛みなら、知らないままでいたかった。




