16「陽光」
花の種をもらったことがある。昔の女に押し付けられた代物だった。
――たくさんたくさん愛情を注いであげてね。風通しのいいところに植えて、水をやって、いっぱいお日様の光を当ててあげてね。
まるで幼い子どもに説明するみたいに言われたことを覚えている。陽光が数少ない天敵である吸血鬼に授けるにしては、随分と嫌味な贈り物ではないか。あの女にそんな小賢しい冗談が言えるとは知らなかった。
あなたには人を愛するのはまだ早すぎたのよ。あの女はそんなことを吐かして消え失せた。もう女の顔は思い出せないし、血の味も忘れた。どこで何をしていようと知ったことか。
花を育てろと言われても、陽の光を浴びたこともない。あれは忌々しい熱である。本当に忌々しい。呼んでもいないのに毎日毎日律儀に現れ、勝手に光を振りまいた挙句にいつしか去ってゆくのである。決して触れられず、そのくせ……。本当に考えたくもない。
種を植えた。夜のうちに水をやった。そんなことを毎日繰り返し、ある朝、眠りにつく前に窓の外を見ると、小さな芽が出ている。久しぶりに――本当に久しぶりに、自分が微笑んでいることに気がついた。朝を心待ちにするようになった。……本当に。
いつしか芽はすらりと茎を伸ばし、しなやかな葉をいくつも広げるようになる。蕾がついた。次第に色づき膨らむ。その柔らかな花弁が麗らかな陽射しの中で淡く透ける様を夢想した。その瞬間のために夜半、椅子を持ってきて、花の傍らに腰掛けるほどに。
ついに花冠が解け綻ぶそのとき、射し込んだ朝日に頬と手の甲を焼かれて息を飲む。彼は逃げるように暗がりの隅へ身を潜めてうずくまり、惨めに背を丸めて項垂れると、ただひとり両目を覆い嗚咽した。
何も悲しいことなんてない。何も。本当に。本当だ。
そう繰り返す胸の内が、いかに大きな空洞を抱えていることか。気づきたくもなかった虚ろを俯瞰しながら、彼は唇を噛んだ。舌の上に血の味が滲む。




