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いつかは沈む標に舫う【短編集】  作者: 冬至 春化


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11「城跡」


 この城で働く上で、肝に銘じねばならぬことは三つあった。

 一、殿下は夢の中に生きている。

 二、殿下は甘いお菓子のお城で、騎士のロア、庭師のユオ、メイドのエナと一緒に住んでいる。

 三、殿下の夢を壊してはならない。


 殿下は永遠の子供である。彼が大人になり、目が覚めてしまえば夢は終焉を迎える。何百年もの昔からこの地に巣食う夢の王国は――彼とともに崩壊するだろう。


 しかし、そう易々と覚める夢ではない。殿下は自身の夢と異なる事象を認めないのである。


 殿下はメイド服を着た私をエナと呼ぶ。当然だが私の名前はエナではない。そして、メイド服を着ていない私のことは、どんなに声をかけたり肩を叩いても、決して認識しようとはしない。

 何故なら『私』は彼の夢の登場人物ではないからだ。


 幼い彼は恋を知らず、愛を解さない。王子様は駄々をこね、メイドのエナは彼を大切に慰めて差し上げる。

 彼に私は見えていない。それでも私は深い愛情をもって彼をお育てする。ままごと、人形遊びや泥団子作りはもうお手の物だ。

 私は粉骨砕身して殿下に尽くした。ここまで愛情深く殿下に仕えたのは、後にも先にも私くらいしかいないんじゃないかと思うほど。


 殿下に成長はないまま私は任期を終えた。新たなエナが殿下のお傍に侍る。しかし彼は不意に私を引き止めた。メイド服を脱いだ私を見据えて、ただ一言告げる。


「エナ」


 彼は私の手を取り、そっと指先に唇を落とした。私は息を飲んだ。その眼差しに迸る熱に気づいた瞬間、どこか遠くで何かが軋む。

 ふんわり柔らかく軽くて甘い綿菓子でできているはずのお城から、まるで鉄錆のような臭いが漂った。



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