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 自閉症をともなう知的発達障害児とパパの物語

 あおいちゃんのママ



(一)


「ほのちゃん、キスしてくるねん!」


 小学校の保護者説明会の時、クラスに『ふれあい学級』の子がいますって言ってたな。

そういえば、その子は、あおいと幼稚園も一緒だったはず。

ほのちゃんって、言うんだったっけ。



「『ほのちゃんやめて』って言ったら、おんなじように『ホノチャンヤメテ』やって」


「先生は、なんて言ってはるの?」


「『きっと、あおいちゃんのことが大好きなのね』って。 だってほのちゃん、先生にはキスしに行かへんねん。

『今度キスしにきたら、【ほのちゃん、お手々つなごう!】って、言ってあげたらどう?           手を繋ぐんだったらいいでしょ』って。 そう言ってはった」


「ふぅーん、そうなん。 まあ、仲良くしてあげなさいね」



「そやっ!  そんなことより、晩ごはん、早よ食べてしまいなさい!  


食べ終わったら、昨日から出しっぱなしにしてるおもちゃ、片付けるんやで!

だいたい、いつも遊んだおもちゃ放ったらかしで!

一つ遊んだら、いったんそれ片付けて、そんで次の出すようにしなさい。 今朝だって、掃除機もかけられへん!」


「あーそれ、パパが『後片付けしとくから、早よ寝ぇー』って・・・」


「何で、パパが片付けなあかんの!」



「だって、パパが遊んでって言ってきたんやもん。今日も遊ぶし、出しといたってエエやん!」


「あの、だらしないパパが、なんで片付けられるん!

『出しといたってエエやん』って、そんなとこ、パパに似てしもて、どないすんの! 

あんた、そんなんじゃ、おヨメにも行かれへんで!」


「だって、パパがヨメになんて行かんでええって・・・ 『ずーっと、パパといよな!』って・・・」


「また何を訳分からん事、言うてんにゃろ、あの人・・・ 

 


・・・そやっ! 宿題もまだしてへんにゃろ! さっさと食べてしまい!

部屋片付けて、宿題終わらせるまで、テレビ見せへんで!」


「今日、ヤマピー出るのあんのに・・・」



「早よ、終わらしたら、ええやない! もうっ! 豆だけ、よけてるやない。

ちゃんと食べなアカンよ! お豆食べへんと、ママみたいに、キレイになられへんのやから!」


「ママみたいに、なれへんでもええもん。

だって、パパが『紗理奈みたいになったら、アカンでぇー』って」


「あおい! ええ加減にしぃや! しまいに、放り出すで!」 



 もう、パパが甘やかすから・・・ こんな小憎たらしいこと言うんよ。







(二)



 パパの実家は『さくら坂』より20kmほど西に位置する大阪南部I市内の下町で、            電設関係の会社を営んでいる。

 会社と言っても、ほとんど家族経営と言ってよく、お義父さんが社長で、お義兄さんが専務、         建設会社の下請けが主な仕事で、パパもなんとか大学を卒業させてもらって、一緒に仕事をしている。



 私が妊娠し、パパと結婚することになって、『お義兄さんがヨメをもらうまで』との約束で           同居することになった。


 パパよりも3つ上のお義兄さんは、小柄な堅物だった。

 図体がでかくて軟派なパパとは、体格も性格も正反対だ。



 パパには、短大生の時スキー場でナンパされた。  当時パパは、授業をサボってばかりの大学生。

高校時代は、野球一筋、甲子園を目指していた。


大学に入ってからは、ダイビングやゴルフ、テニスなんかも齧って、そしてスノボだ。

スポーツとして極めるよりは、道具を極めている感じ。


女の子を射止める手段として、不況もなんのその『青春は、今しかない!』と、精力的に遊んでいた。


 付き合っていた当時、そんなに真剣な気持ちではなかった。 少なくてもパパは。


 私というカノジョがいるのに、他の女の子を誘って海へ行ってたり、合コンで知り合った子と浮気してたり。

卒業しても、実家の仕事はまだ『手伝ってる』って感じの中途半端なオトコだった。


 まあ、私の方も正社員の働き口なくて、家事手伝いのバイト生活だったし、人のことは言えないんだけど。


 今のパパと結婚するなんて、実は私も予想していなかった事だ。



 「赤ちゃんが、できたみたい・・・」


 『おろしてくれ』と頼まれると思っていた。 

ダラダラと付き合ってたけど、これで終わりになってしまうのかな・・・


 ところが、だ。


「紗理奈、一緒になろう…結婚しよっ! 俺にはお前しかおらん!

新婚旅行は、もしもの事があるとあかんから、子供が産まれて落ち着いてから、3人でどっか海外旅行しよっ。 

そのかわりって言うたらなんやけど、結婚式は盛大にやろな!

おなかが目立つ前に、さっそく式場を探さなあかんな。 住むとこも決めなな!」


 まるで、別人のよう。 気持ち悪いくらい。

 でも、その時のパパは、とても頼もしく感じたし、真剣に考えてくれていたことにも驚いて、おもわず


『一緒になってもええよ・・・こちらこそ、よろしくお願いします』 

と、返事してしまった。


 後から聞いた話によると、ちょうどその前の晩、小さいながらも一代で使用人を使うところまでの会社を興し、不況も乗り越えた社長のお義父さんから

「おまえは、いつまでそんな風にフラフラしてるつもりなんや。 俺は、もうお前の歳には独立とったんやで! 

お前がそんなやと、他の従業員にも示しがつかん!」


 パパは単純な思考回路だ。小一時間も説教されると、すっかり反省。

 その矢先に妊娠を知ったものだから、


これは天からの授かり物、生まれてくる子が俺に『しっかりせい!』と言いに来たんや。


と、運命的なものが『ビビッと』来たらしい。



 でもそれって、『あおい』さえいれば、ママは私でなくても良かったんとちゃうの? 

その辺がいまだに、納得いかへんのやけど。


* 


 お義母さんは、笑顔のかわいい人だった。


 お義父さんは 『わしは苦労した。一代で会社を興したんや』 と、事あるたびに自慢する。


 家を放ったらかしにして、仕事に明け暮れていたらしいけれど、その間、家をしっかり守っていた      お義母さんの、内助の功なしでは成し得なかっただろう。


「家中男ばかりだったから・・・、紗理奈さんみたいなかわいい娘ができて、おまけに初孫まで・・・ 

嬉しいったら、ありゃしない。

お父ちゃんや、お兄ちゃんのことは、あたしがするから気にせんでええよ。

遠慮せんと、体調悪い時とか、ちゃんと甘えてちょうだいね」


 あおいが生まれても、お義父さんやパパみたいに溺愛じゃない。

ちゃんと母親がすべきことは、私にさせてくれる。 

気まぐれな溺愛グループからの、防波堤にもなってくれていた。

 哺乳瓶を、専用のケースに入れて電子レンジで加熱消毒していたら

「今は、こんな便利なもんがあるんやね」

色が変わって知らせてくれる紙おむつを見ては感激、5秒で計れる体温計を嬉しそうにながめている。

私の育児を楽しそうに見守りながら、育児に専念できるように、家の雑用はテキパキとこなしてくれる。


「紗理奈さん、寝てへんのとちゃう? 次のミルクは私するから、少し休みなさい」

 一方で、私の体調まで十分に気遣ってくれていた。


 こっちで、産んでよかった・・・


 大阪市内にある私の実家は、団地の3階で階段の上り下りはあるし、狭いし。

もし実家でいたら、今も仕事を持つ母さんは『妊婦でもちゃんと動かな、アカン!』とか言って、これ幸いと、以前のように家事全てを押し付けてくるだろう。帰りの遅い弟の世話までさせられそうだ。


 そのくせ、『紙おむつは、赤ちゃんがオシッコして気持ち悪いのがわかりにくいから、取れるのが遅れるんよ!』

とか、やいのやいの口出ししてくるはず。


(三)



 お義兄さんが31歳になった秋、何の前触れもなく『結婚する!』と宣言した。


 相手は、四国に住んでる2歳年上の女性。



「あの堅物のお義兄さんが、どうやって?」


「ネットで知り合ったらしいで」

パパが訳知り顔で、教えてくれた。


 意外だった。


「大丈夫なんかな?  お義兄さん、詐欺とか、騙されてるんちゃうの?」


 お義兄さんは、『自分達が、何処か別の場所で新居を』と考えていたらしい。

我が家も、それならそれで、そのまま同居していても良かったのだ。


 ところが、『やっぱり長男やから、最初に言っていた通り』

と、お義父さんの鶴の一声、お義兄さん夫婦が実家に一緒に住むこととなった。


 お義父さんは、その代わりと、我が家のために、仕事先の紹介で『さくら坂』に家を見つけてきてくれた。

しまり屋のお義父さんが、唯一会員権を持っているゴルフ場のすぐ近くにある住宅地だ。

 「あそこは、ええとこやで」

 

あおいは4歳、春からの幼稚園は『さくら坂』で通う。


 お義父さんは『あおいを追い出したようで、かわいそうや』

と、引っ越しや住宅ローンの頭金、それもかなりの額を面倒見てくれた。

たとえ社長の息子であろうが、パパの給料は安い。


 あおいがいてくれて我が家は本当に助かった。

* 


 お義兄さんより2つ年上のお義姉さんが、初めてパパの実家に挨拶に来た時だった。

パパも、家族の一員として顔合わせをした。


パパの状況報告によると、話が進んでいくうち、みるみるお義姉さんの顔色が変わっていったそうだ。

まさかの同居、お義兄さんに『騙したん?』とまで、罵ったと。


 パパの実家には、私の実家とは比べものにならない大きな浴槽のお風呂場と、古いけれど          広いキッチンがあって、お義母さんと一緒に楽しく献立を考えたりした。


 私は、どれも、とても気に入っていた。


 お義姉さんは、そんなキッチンもお風呂も気に入らない。

もし、2世帯住宅にでも立て替えてもらえないなら、『この結婚、一旦白紙に戻してもらいます!』とまで。



「弟のツヨシさんには、ちゃんと新築を買ってあげてるのに・・・」

 と、こっちまで火花が飛んできそうになって来た時、


「でも、ツヨシにはローンを抱えさせちゃったんですよ・・・」


 じゃあ、お兄ちゃん名義でローン組んで2世帯に立替えましょうかねぇ?・・・ 

シュンとなったお義兄さんを見かねて、お義母さんが応戦開始。


 お義父さんも最初から席にいるのに、黙って一言も口を挟まなかったらしい。


パパによると、

「口を挟まなかったんじゃなくて、何もよう言われへんかっただけや!」


 ようやく折衷案で、2階を一室改造して、若夫婦専用の小さなキッチンと大きな冷蔵庫、トイレと、      シャワールームを造ることで停戦合意に至った。



* 


 お義兄さんの結婚宣言から、我が家が『さくら坂』に移り、パパの実家の改装工事が完了し、盛大に式を挙げ、10日間ヨーロッパ新婚旅行を終えて、ついにお義姉さんは、お嫁にやって来た。


「兄ちゃん、下にでっかい風呂があんのに・・・」

 毎日シャワーだけで、ガマンしているらしい。


「飯も外食ばっかりでさ、ヨメさんに気ぃ使って、わざわざ食べに出てやんの。

一緒に喰えばええのにな・・・ まあ、自業自得やね」


 お義兄さんなんか、どうでもいい。 そんなの、お義母さんがかわいそうじゃない。


 逆に喜んだのは私の両親、今までは孫のあおいの顔を見に来るのに、案外気を使っていたらしい。


「あおいを、甘やかさんとってね!」


 

『さくら坂』に引っ越したとたん、父さんまで溺愛グループに参加してきた。 

 大した理由も無いのに、あおいのリクエストしたおもちゃを抱えて、せっせ、せっせと           大阪市内からやってくる。


 物心ついたあおいは、しっかり甘え上手になっていた。

このままだとこの家、あおいのおもちゃで満杯になってしまう。











      *


「この服、かわいないから、イヤ!」


 あおいは着る服にうるさかった。

どうせ、すぐ大きくなるんだからと、私が安く買ってきた服は、特に嫌がった。


 試しに『今日、パジャマ何着る?』などと本人に選ばしてみると、母さんや、お義母さんが          『かわいいから、つい買っちゃってん!』 なんて、私が買うより一桁値段の違う服を確実に選ぶ。


 普段着でも、下着でも、値段を調べに行ってるのではないか? と疑いたくなるほど正確なのが憎たらしい。


「あおいは、きっと、天性のファッションセンスがあるんやな。すごい!」


 パパのように、前向きには考えられない。

将来、計算高く、男に貢がしたりする嫌な女になるんじゃないかと、とても心配。


(四)



【明日、ちょっとお邪魔してええかしら?】


 あおいちゃんのセーターを編むので、サイズを計りに来たいと、お義母さんから電話が入った。


 お義母さんと会うのは、お盆で実家に顔を出した時以来だ。

お義姉さんが嫁にきてから1年、そんなに遠くない実家なのに、足が遠のいてしまっている。


「T駅まで、車で迎えに行きますから!」


 お義母さんは、免許を持っていない。

電車だと2回も乗り継がないといけない、バスまで乗せては面目ない。


明日のパートは、休む事にした。



 翌日、お義母さんは、はるばる『さくら坂』まで、やって来てくれた。


「帰りは、あおいと一緒にお家まで送りますね。車やったら1時間もかからへんから」


「・・・じゃあ、一緒に買物して帰って、ツヨシも一緒に晩御飯、久しぶりにスキヤキでもしょっか? 

明日、お休みやし!」


「いいんですか?」


 お義姉さんの顔が浮かんだ。


「兄ちゃん達のことは、気にせんでもええの。 あっちは外食が多いみたいやし。

『あたし達の、食事の心配は結構です』って。

こっちも、お父ちゃんと2人だけで食事するようになってもたから、つまんない。

ご飯作るんもさぁ、簡単になっちゃうんよね・・・」



・・・ お義姉さんと、あまりうまくいってないらしい。


 お義母さんは、編み物の先生をしている。

と言っても、自宅に近所の奥さんが集まっておしゃべりをするお茶の会のようなもの、申しわけ程度の     月謝を貰って、ほとんどお菓子や材料費になっていたが、それがお義母さんの唯一の楽しみだった。


私も実家にいた時は、一緒にあおい用の物を教えてもらったり、その輪に入っていた。


 もちろん、お義姉さんは、そんな輪に加わるわけがなかった。


 昼間、事務のパートに出ているお義姉さんが、外では『あの家にいると息が詰まる・・・』なんて        言い回ってる・・・ 


そんな噂を近所の奥さんが教えてくれるらしい。




「紗理奈さん、嫌な愚痴を聞かしちゃったね。ごめんなさいね」


お義母さんは、申し訳なさそうに言った。


「そんな、気ぃ使わないで下さいよ。

ここならお義姉さん、いてへんから、ブワーッとストレス解消しに来て下さい。遠慮なく。

いつでも泊まってもらえるように、1階の和室は開けたぁるんですから。

そのまんま住んでもらっても、ええんですよ。ホンマです。お義母さん限定ですけど・・・」


「ありがとう」

 

 お義母さんは、さびしく笑った。



「縁起でもない話ですけど、もし、お義父さんが先に逝っちゃったら、絶対一緒に住んでくださいね。

ツヨシさんとも、そう言うてるんです!」


「ありがとう、紗理奈さん。気持ちだけでも充分うれしいわ」


 お義母さんは、なだめるようにうなずいた。



「今度、ホントに泊まっちゃおうかしらね。やっぱり、お父ちゃん怒るかな?」


「放っといたらいいんですよ。お義母さんの有り難味が少しはわかるってもんです!」


      *


  お義母さんに少しだけお留守番を頼んで、あおいを幼稚園に迎えに行った。


「ただいまー」

 あおいを連れて帰ってきただけで、家の中が、パッと明るくなったような気がした。


「わぁー、おばあちゃん、来てくれてありがとう!」

 あおいは、こういう時、とびっきりの笑顔を見せる。


「あおいちゃんのセーターを、編もかと思て」

 お義母さんも、あおいにつられて、にこやかになる。

我が子ながら、その笑顔にしたたかさを感じるのは、私の心の方が、ひねくれてしまっているからかしら?



 服にうるさいあおいは、お義母さんの編んだ服は好んで着る。

お義母さんの編み物が、それだけ完成度が高いからか。


そのことをお義母さんに教えてあげると


「おばあちゃん、あおいちゃんのお眼鏡にかなったんやね。 嬉しいわ!」


 お義母さん本来の明るい表情を、やっと、垣間見ることができた。


     *


 あおいと一緒にお義母さんを送り届けて、そのままお義父さんとパパが加わり、スキヤキ鍋を囲んでいた。

  


「夫婦揃って鉄道マニアなんや。

 今日も仕事終わってから、旅支度しとったわ。 また、どっかへ電車乗りに行くんやろ!」


お義兄さん夫婦のことを、パパが解説してくれた。


 ネットで知り合って意気投合、何とか言う夜行列車で、初めてのご対面だったそうだ。

それからもう数日で婚約、結婚へ至る。


「女の電車好きってホント、珍しいよな」


 お義姉さんとは何回か言葉を交わしている。

言葉数は少なくて、でも頼りになる『パート先の最古参の先輩』っていう感じ。


 お義父さんが渋い顔をして、


「あの嫁の話題はいらん。せっかく、おいしいスキヤキやのに・・・ 

いつもな、あの顔見てたら、飯がまずぅなるんや・・・」


 お義父さんが『一緒に住む』って言い出した張本人なのに・・・ 

呆れて、お義父さんを睨んだ。



 お義父さんは、

『ちょっと、味薄いんちゃうか?』と、醤油を足そうとしている。


「全然薄ないわ。お父ちゃん血圧高いんやから、あんまり塩分取ったらアカンよ!」


 お義母さんのチェックが入った。



「中学の時、母ちゃんから、『お兄ちゃんの誕生日、あの子、今、何欲しがってるか聞いてみて』って       頼まれたことがあったんや。

『あの子は、あんたと違って何考えてるのか、ようワカラン』って」


 確かにパパは、わかりやすい。



「そしたら、『精度のいい、ボイスレコーダーが欲しい』って。

『そんなので、何すんの?』って聞いたら、『電車の音、録音したいんや』って。 マジな顔で言うんやもんなぁ・・・」


 ついていかれへん世界やヮ・・・

 

そう言いながら、パパは新しい生卵を割ってかき回す。


「兄ちゃん、高校の時のあだ名は、『イキジコク』って言うんや」



「なにそれ?」


「生きている時刻表。

友達が、どっか旅行に行ったっていう話をしてたら、

『じゃあ、それは、何時何分発の、特急何とかに乗ったんやね』って、スラスラと出てくるんや」


 パパは、自分の事のように自慢顔だ。


「でも、『電車でゴー』は、俺の方がうまかったけどな!」

 そんなの、自慢にもなりゃしない。



 一緒に住んでいた時に一度、お義兄さんの部屋も掃除してあげようと覗いた事がある。

 ドアを開けたとたん別世界だった。 電車の模型や写真が、博物館のように飾ってあった。

一方で、単にオーディオ、というより、何に使うのか良く分からない精密機械たちが、             壁一面に組み込まれている。 小さい頃テレビで見た宇宙基地を思い出した。


だらしないパパとは大違いだ。塵ひとつないとはこのことだ。


 精巧な電車の模型のことをパパに話したら、

『ああ、Nゲージや。あれ触ったら、たとえママでも、怒り狂うで!』って注意されてしまった。


 お義姉さんの方は、もっぱら色々なタイプの電車に乗るというのが趣味らしい。


「そいでまあ、いまだに休みのたんびに、新婚旅行ってこっちゃ」

 お義兄さん夫婦は休みが取れると、大抵、電車に乗るために遠くまで出かけているようだ。


「『新婚旅行は子供ができたら3人で、どっか海外旅行へ連れてってやる!』って言ってたんは、        どうなったんかしら?」


 ちょうど肉を口に運んでいたパパが、むせ返った。



(五)


「このイチゴ、あまーい!」

 あおいの、おいしそうな顔にシャッターを切った。


 今日は、できたばかりの子供会初の行事、『皆さんで、ぜひ来てください!』と誘われた、イチゴ狩りだ。


「半袖でも良かったかな?」

 4月下旬なのに、日差しは初夏のようだ。



「あ、ほのちゃん、ウサコ連れてきてる!」

 その女の子は、お気に入りのウサギのぬいぐるみに手を添えてイチゴを取らせようとしていた。


「ウサコ!」

 と、その子は楽しそうにしていたが、それではイチゴは摘めない。



 あの子が、ほのちゃんか・・・


「ほのちゃん、そんなんやったら、食べられへんで!」

 あおいが畝を乗り越え、ほのちゃんの横に行き、近くのイチゴをひとつ取って、ほのちゃんに食べさせた。


「あら、あおいちゃん、ありがとう!」


 近くにいた、ほのちゃんのママは、

「あおいちゃんには、いつもお世話になってます」

 と、こちらにも、にこやかに礼を言った。


 意外だった。


 娘が障害児、もっと重たい感じをいつも漂わせているのが障害児の親というのではと、勝手に想像していた。

そんなこと知らなかったら、全然わからない。気さくで、明るい感じの人だった。


*  


 パパがお土産のイチゴパックを3つ抱えて、車へ向かっている時だった。パパのケータイが、鳴った。


「兄ちゃんからだ・・・」

 車について、すぐパパはかけ直した。



 パパの顔が、険しくなった。


「父ちゃんが! 倒れたらしい・・・」


 そのまま、病院にかけつけた。


 入口で訊ねると、お義父さんは救急外来から集中治療室に回っていた。

治療室近くの廊下、長椅子に力なく座っている、お義母さんを見つけた。

思わず横に座って、肩を抱いてしまった。


「ありがと」

 お義母さんは、小さな声で言った。


 涙が出てきた。 

あおいも反対側に座って、お義母さんの手を握った。


 しばらくして、お義兄さん夫婦が現われた。


 お義父さんは、脳溢血だった。


「まだ、意識はない。今のところ落ち着いてるので、命の方は大丈夫じゃないかって。

でもまだ油断ならんらしいけど。意識はこのまま戻らないかもしれんって。

そのへんもまだ、ようわからんのや・・・」


 お義母さんは、涙を浮かべていた。


「左の脳が出血してる。結構広い範囲がやられてるらしい」


 昼前、『もうじき、あおいの誕生日やな・・・何欲しがっとるんやろ?』

そう言ったかと思うと、崩れるように倒れこんだらしい。


 お義兄さん夫婦は、今日は、たまたま2階にいた。

お義母さんの声を聞いて駆け下りていた。 その時、お義父さんの意識はなかった。 

 お義兄さんはすぐ救急車を呼んだそうだ。


「長期戦になるかもしれん。ツヨシ、今日は一旦帰っとってくれ。

また、交代でお願いすることになると思う。何かあったらすぐ電話する!」



* 


 5月に入ってすぐ、お義父さんの意識が回復した。


 回復したが、まだ朦朧としているらしい。

パパからの知らせを聞いて、小学校から帰って来たばかりのあおいを急かして、病院へ向かった。

 

 これから先、リハビリを進めていくらしいが、どこまで回復できるかは、わからなかった。


 お義母さんが、甲斐甲斐しく世話をしている。お義母さんが元気なのを見て、少しホッとした。


「生きてたんやから儲けもんですよ! 私が泣いてたってしょうがないもん!」


 お義父さんは、あおいが分かるのかもしれない。 あおいの方を見て、何か言っているように見える。

確かに、あおいの方を見ている。


「あおいちゃん、おじいちゃんこんなやけど、また、来てやってね!」

 あおいは、大きくうなずいた。


 お義父さんのリハビリにあおいが顔を出すのが、一番効果があるかもしれない。


(六)


 海の日は、快晴だった。 暑くても、雨になるよりはずっといい。


 今日は、お義父さんの退院の日だ。


 パパによると、もう危機的な症状のないお義父さんのような患者は、3ヶ月以上は入院させてくれないらしい。

今後は、定期的な健診と、リハビリに通うだけだ。



「実家見たら、きっと、ビックリするで!」

 パパは、自慢していた。


 病院へは毎週のように行っていたが、パパの実家の方は久しぶりだった。


 1階は、玄関から全て段差のあるところを無くして、どこも車椅子で移動できるような幅を取り、      和室は仏壇のある部屋を一間残しただけで、あとは全てフローリング加工が施してある。

 廊下やトイレなどには、お義父さんがこれから練習して歩けるように手摺りが付けられた。


 以前お義父さん夫婦は、畳の部屋で布団を上げ下げして寝ていたが、寝室には電動のベッドと        お義母さん用のベッド、簡易のトイレ。

風呂には、お義父さんが座ったまま入れる電動のリフトが取り付けられている。

洗濯機の横には、汚物専用の洗い場もあった。


 その改装の全てを、お義兄さんがテキパキと段取りした。



 家の改装だけではなかった。

会社の方も、お義兄さんが社長として後を引き継いだ。


 パパは『営業の方は、お前が頼りやからな!』と、しっかりお願いされた。


 若い頃さんざん遊んだのが、少しは役に立っていればいいけれど。


 社内でも世代交代を喜ぶむきもあった。 

お義父さんが昔ながらのやり方を頑固に通して、現場や顧客要望とのズレが生じることが往々にして     あったらしい。

お義兄さん自身も電気関係の大学を出て数多くの専門的な資格を有し、小さな会社のわりには       技術者のレベルが高く、高度な技術を突然要求されても臨機応変な対応ができるそうだ。



「うちの会社、人気あんねん・・・」 

パパは自慢していた。









* 


「新しく、引っ越してきたみたい!」


 あおいが、改装されたパパの実家の中、興味深げに見回している。

みんなで、ぞろぞろ病院へ行っても邪魔になるので、我が家3人は、実家の方で到着を待った。


 お義父さんは、右の手と足が機能全廃、それに失語症と診断されている。


「車椅子でちゃんと動けるようになって、あおいちゃんのいる『さくら坂』まで、遊びに行きましょうね!」

 まだ、お義父さんが朦朧といていた頃から、お義母さんはいつも話しかけていた。


話しかけることがリハビリになると聞いて、あおいも見舞いに行く日には、『おじいちゃんへのお話』を、   あおいなりに色々考え、ネタを準備していた。


お義父さんは、見舞いに行く度、みるみる回復していく姿を見せてくれた。



 もう今は、あおいや私達がしゃべることも、ちゃんと理解するようになっている。


リハビリの成果だ。 でも、それはお義母さんなしでは到底考えられない。

最近では車椅子を左足でこぐ練習や、立つ練習までも始めたらしい。



 お義父さんたちが帰ってきた。


「おかえりなさい!」


 お義母さんが車椅子を押して家に入ってきた。

車椅子を電動ベッドの横につけて、


「お父ちゃんも、ちゃんと手伝ってくださいよ!」

と、お義父さんに声をかけた。



 お義母さんはお義父さんを、 『よいしょっ!』と一旦立たせて、クルッと向きを変えて、ベッドに座らせた。


「できた!お父ちゃん!ご協力、ありがと」


 お義母さんは、あおいの方を向いて、


「これをね、あおいちゃんにお披露目したかったん。 すごいでしょ!」

あおいに笑いかけた。


あおいは、『すごーい!』と言って拍手をした。



 お義母さんは、お義父さんの顔をあらためて見て、お義父さんにゆっくり話しかけた。


「お父ちゃん、おかえりなさい。 ちゃんと、帰って来れましたね・・・」



 たまらなく嬉しかった。  涙が止まらなくなった。


「あらあら、紗理奈さん。なんで、紗理奈さんが泣くのよぉ・・・」


「そういうお義母さんかって・・・」

思わず、お義母さんを抱きしめてしまった。



お義父さんも、鼻をすすっている。








      *


「紗理奈さんには、迷惑かけたね」


「そんな、迷惑やなんて思ってませんよ。 水臭い!」


「お詫びに・・・ いや違った。

色々してくれたご褒美に、新婚旅行をプレゼントしてあげる。お父ちゃんの退院の内祝いね!」


 横から、お義兄さんが続けた。

「ツヨシたち、新婚旅行まだやったやろ。今からなら、夏休み終わりのほう、盆明けならまだ間に合うやろ。

3人でハワイでも行って来いや!」


 パパは驚いて、

「でも、休み取れ・・・」


 お義兄さんは、パパに最後まで言わせずに、大きくうなずいて、笑った。



「あおいちゃん、今回のおじいちゃんの事では頑張ってくれたからね!」

 お義母さんが、あおいの方を向いて微笑んだ。



 その日から我が家は、アロハモードに切り替わった。

  


 嬉しいったらありゃしない。 だからもう、お義母さん、大好き!








(七)



 9月最後の日曜は、あおいの小学校の運動会。


 運動会の日、お義兄さん夫婦が、お義母さんお義父さんと車椅子を車に乗せて、『さくら坂』まで       来ることになった。


 お義父さん退院後、初の『さくら坂』来訪だ。


 あおいは、どちらの実家からも、たった一人のかわいい孫、こっちの父さんも、是非行きたいと言い出した。


大変だ。


「一生懸命走ったら、大阪のおじいちゃんが新しいフデバコ買ってくれるって!」

 欲しがってた、TVマンガキャラクターのフデバコだ。 父さん、いつ、そんな約束させられたんやろ?



「今だって、入学の時にパパが買ってくれたやつ、あるやない!」


「だって、もう終わったんやもん!」

そのキャラクターのアニメは終了して、次の番組が始まっていた。


「放送が終わったからって、まだ十分使えるでしょ。もったいない!」


「だって、もう約束したもん! おじいちゃん優しいから買ってくれるねん!」


 なんて、わがままな!


父さんに苦情を言わなければ。



「あおい、ホンマ、抜け目無いわね、まったく。 パパも何かあるんでしょ?」



「パパは、かっこよくビデオ撮ってくれたらええねん!」


 あら、たまには殊勝なこと、言うやない。


「そやね、運動会で走ったくらいで、そんなにぽんぽん買わされとったら、たまらんわ」


「ママが、そう言うと思って、パパはビデオ係にしてあげたん。 パパかわいそうやもん!」


「あおい! ええ加減にしぃや! しまいに、怒るで!」








* 



 お弁当は、お義母さんが作ってくれることになった。


「うちの実家の分まで、ありがとうございます。よろしくお願いします」


【がんばんなきゃ、ね!】

 張り切った声が、受話器の向こうから伝わった。


『早起きせなアカンな・・・』

朝、場所取りが競争になると聞いて、パパがビニールシートを持って開門とともに走る。



 両実家も我が家も、週末近づいてくると天気予報と釘付けになった。

あいにく、どの予報を見ても、日曜日は雨だった。


* 


「やっぱり、雨や・・・」


 全財産でも落としたかのような、パパの残念な声。 天気予報は、ずばり的中した。

昨夜からの雨は、しっかり庭の木々を濡らしており、パパの僅かな希望を踏みにじるには十分すぎた。


 運動会は火曜日に延期になった。


【せっかく作ってくれはったんやから・・・】

 結局、両実家は『さくら坂』に集合、『お義母さんのお弁当をいただく会』になった。


お義兄さんたちは、お義母さんたちを車で送り届けて、すぐ立ち去ってしまった。

兵庫県にあるローカル線が、もうじき廃線になるので、その前に一度乗りに行くという。


「夫婦でお互い共通の趣味があるってええことやない。羨ましいわ」

 母さんが、つぶやく。

 

「父さんとだって、タイガースの応援だけは、ウマが合うやない」

と聞くと、


「あれって・・・趣味って言うんかい?」

母さんが聞き返した。


「ちゃんとした、趣味ですよ」

お義母さんが笑った。


「うちなんか、それこそ何もないですよ。 お父ちゃん、仕事とゴルフくらいしかない人やから。

でも、倒れてみてくれて、わかりました。 私、別の趣味持ってて、良かったわって」

 お義母さんが、微笑みながら続けた。


お義父さんがウーウー文句を言っている。


 お義母さんが前より明るくなった気がする。 いや、確かに明るい。


 あおいが、午前中だけの授業を終えて、まっすぐに帰ってきた。

さっそく、『お義母さんのお弁当をいただく会』が始まった。


「おばあちゃんのお弁当、とってもおいしい!」

あおいの、とびっきりの笑顔だ。


「よかった! あおいちゃんに気に入ってもろて。 作った甲斐があったわ!」

 お義母さんは、嬉しそうだ。


「晩御飯も作って! だって、ママのよりずーっとおいしいんやもん!」


「そうよね、紗理奈の料理と比べたら、月とすっぽんやね!」

母さんが口をはさんできた。


「母さんまで! あおいが調子に乗るからやめてちょーだい。

家にいた頃、さんざん私に作らせたくせに!」


「おばあちゃんね、ずっとガマンして食べてたんよぉ~」


 あおいが、キャッキャ喜んでいる。

あおいが小憎たらしいこと言うのは、母さんに似たんやわ! きっと。



「ねえ、今夜 泊まって行って!」

 あおいが、みんなにも聞こえるように、お義母さんに耳打ちをしている。


「こら、あおい。いい加減にしなさい。無理言うたら、アカン!」


 ねえ、一緒にお風呂入ろうよ・・・あおいはまだ、お義母さんに甘えている。


 お義母さんを喜ばせるための、天性の機転なのか。 才能と言えば才能? 

私は持ち合わせてへんけど… 誰に似たんやろ。

演技でしているのだとしたら、我が子ながら末恐ろしい感じ。


「おじいちゃんと入ろか?」

 横っちょから、父さんがニヤッと嬉しそうに、あおいに誘いをかけている。


「あおい、オンナやで! お風呂にはもう、結婚する男性としか一緒に入らへんの!」


 父さん見事に、ふられちゃった。



「この近くに温泉があるから、女3人、あおいも連れて、行って来れば。

 母ちゃんも、父ちゃんの世話ばっかりじゃ大変だろ。男だけで留守番しとくで・・・」


 パパが、気の利いた提案をしてくれた。


「あおいも、オンナ!」

 あおいが、口をとがらせている。


「ごめんごめん、女4人やな・・・

紗理奈の父さんと俺じゃ、父ちゃんも、わがままも言われへんやろう・・・」


 お義父さんは、しばらくウーウー文句言っていたが、

父さんが、『まあ、たまには奥さん孝行されてはどうです?』と促したら、シュンと大人しくなって、うなずいた。



* 


 いい湯だった。


 お義母さんも母さんも、久しぶりの温泉を、すっかり堪能したらしい。

4人並んで休憩所で座る。 備え付けの冷たいお茶でノドを潤した。


 温泉で上気しているせいか、お義母さんは、以前より若返った気がする。

母さんも、同じ事を思っていたらしい。



「ご主人大変なのに、奥さん、前より元気になられたみたい」


 お義母さんは、笑ってうなずいた。


「こんなこと言ったら、お父ちゃんに怒られちゃうけど」

 そう言って、一度少し首をすくめてから、お義母さんが話し出した。


「今のほうが、夫婦してるっていうか、張り合いが出来た感じがするんですよ。

 この前も、海遊館へボランティアの人に、連れて行ってもろたんです。

水族館なんてツヨシが小学校の時に行った以来やと思います。

 お父ちゃんに、どっか連れてって貰ったっていうのは、ホントに、子供が小ちゃい間だけでしたから・・・」


 海遊館、とってもきれいやったわ・・・


お義母さんは、楽しそうに思い出していた。



「おじいちゃんとデートしたんや!」


 そう、デートね・・・ 

お義母さんは、あおいにうなずく。


「旦那さんと一緒になって、ずーっと働きづめでいらしたんですもの。 もう夫婦して楽しんだって、     誰が文句いうもんですか!」


「そういう母さんだって、父さん、あと2年で定年でしょ。そしたら、遊ぶん?」

もう、父さんもそんな年だ。


「私はまだまだ。 父さんが定年するからって、別に、私まで一緒に仕事辞めんでもええやろ」


 母さんは、勤めている会社の総務の古株。

数年前リストラ騒ぎがあったときも、母さんだけ残せばなんとかなると慰留されたくらい頼りになる存在らしい。



 「リハビリって、どんなことしてはるんですか?」

 母さんが話を戻した。


「この前はね、左手で箸を使って大豆を1個1個、皿に移す練習してたんです。

ほら、お父ちゃん右手動かへんから。

それがね、なかなかうまくできなくって。

それを『お父ちゃん、がんばって!』って、一緒になって応援してるんですよ」


 お義母さんは、握りこぶしを軽く2回振った。


「今度、あおいも、一緒に応援してあげる!」


「お父ちゃん糖尿もあるから、塩分とカロリーとを計算して、バランス良うせなアカンって食事作るでしょ。

一緒に食べてる私も食生活が改善されたみたいで、ここんとこ体の調子がええの」


 お義母さんは、2回ほど、両ひじを軽く振った。


「毎日結構いそがしいんですよ。

毎朝血圧測ったげて、もちろん食べさせたげたり、おむつ替えたり・・・」


「おじいちゃん、赤ちゃんになっちゃったんやね!」


 そう、わがままで大きな赤ちゃん・・・ 

お義母さんは、あおいを見て微笑んだ。



「それがね、あの映子さんがね、『私もお世話代わりますから、お義母さん、編み物再開したらどうですか?』

って言ってくれたん」


「えーっ、あの、お義姉さんがですか?」 


 意外だった。

お義父さんが倒れてから、お義母さんの編み物教室はずっとお休みになっていた。

生徒さんたちも聞き分けよく了承してくれたらしい。

教室といっても事情を知っているご近所の人の集まりだから、当たり前といえば当たり前だが。


「映子さんのおばあちゃんも、亡くなるまで脳梗塞で長いこと自宅療養してたんやって。

で、お母さんが一人で面倒見てはったらしいの。

小さい頃から、それ見てたから、結構要領はわかってますって」


『お義母さんが楽しみにしていた編み物、続けて欲しいんです。お義父さんも天敵のあたしには、       わがまま言えないでしょう!』

と、豪快に笑って言っていたそうだ。


 さすがお義姉さん、頼もしぃーい。


「編み物教室、再開ですね。私、また、久しぶりにお邪魔していいですぅ?」


「あおいも、行きたーい!」


 お義母さんは、やさしく首を横に振った。


「それがね、しばらくは、オ・ア・ズ・ケ、になっちゃったん」


 言葉とは裏腹に、お義母さんはとても楽しそうだ。


「映子さんね、どうも、オメデタらしいんよ」


「赤ちゃんができるの?・・・ イ・ト・コ? かわいいかな? 

あおいにも、抱っこさせてくれる?」

 あおいが、お義母さんに尋ねた。


「赤ちゃん小ちゃいから、きっと、あおいちゃんでも抱っこできると思うよ。かわいがってあげてね!」


 あおいはニッコリ微笑んで、頷いた。

「大きい赤ちゃんの方も、ちゃんと車椅子押したげるわね!」


(八)



 運動会の延期、なんで次の日曜日にしないんだろ。


 火曜日、パパは仕事の都合がつかなかった。 

父さん母さんは仕事だし、お義母さんも、お義父さんのリハビリがある日だ。


「紗理奈さん、運動会のビデオ、見せに来てね。

楽しみにしてるわ!」


 温泉の帰り、お義母さんに頼まれてしまった。


 結局、私一人でビデオ撮影という大役だ。

開門と同時というわけにはいかないが、朝、弁当を作ってあおいを送り出すやいなや、            あおいの小学校へ向かった。

 


 雲一つない良い天気だった。 まさしく、運動会日和。


 平日の開催になったとはいえ、思ったより人が多い。

夫婦で来ている保護者も、よく見られた。


 早めに来ておいて良かった。

グラウンドが見渡せる、いい場所が確保できた。



 開会式。 あおいも整列している。


 校長先生の挨拶とかも撮っとこう。

メモリーの替えは充分持ってきた。


 パンフレットを見ながら、あおいの出番をチェックする。

一年生は、出番が早い。


 もう、すぐやわ。


 1年生の徒競走を告げるアナウンスが流れた。

ちゃんと、ビデオに撮って帰らないと。


 1年生が駆け足で入場してきた。

あおいはビデオを構えた私を見つけて、しっかりカメラ目線でほほえむ。


 そう、その調子。おばあちゃんに見せるんやから。


 スタート前に、整列した。

確か、あおいのグループのスタートは2番目だ。


 いちについて ヨォーイ・・・ 


最初のグループがゴールする。


 次だ、あおい! ええとこ見せてや!


 いちについて ヨォーイ・・・


 あおいのグループがスタートした。

みんないっせいにスタートしたが、一人だけ途中から歩いている子もいる。


 ビデオのファインダー越し、あおいがゴールした、2着だった。

がんばって走ったね、あおい。


 あらっ?


 あおいが、画面から外れそうになった。


 ゴールしたあおいは、ゴールリボンを持っている先生の後ろをクルッと回って、コースを          まだプラプラ歩いている子のところへかけていく。


 他の子達も同じようにコースに戻って、その子のまわりを囲むように応援しながら、一緒に歩いている。


 上級生の子達、保護者観客席から、その子への声援が飛ぶ。


 ほのちゃんだ。


ほのちゃんは嬉しそうな顔をして、ゆっくりだけれど、走り出した。


 グラウンドが一つになって、大きな『ガンバレ!』の手拍子になった。

あおい達もその手拍子にのって、飛び跳ねながら並走している。


 大歓声の中、ほのちゃんはゴールした。


 今度こそ、走り終わった子が整列するところへ、あおいは、ほのちゃんの手を引いて座らせて、        自分も体育すわりした。



 荒い息づかい、人の気配を感じた。


ビデオを下ろすのを待ち構えていたように、声をかけられた。


「岸本あおいちゃんの、お母さんでらっしゃいますよね?」

声をかけた女性は、首から掛けていた保護者カードを確認しながら聞いてきた。


 確か、『ふれあい学級』の先生、最初の保護者説明会の時お話していた先生だ。

名札には『さわだ』と書いてあった。


「今の、ご覧になられました?」


 興奮冷めやらぬ、といった感じだ。顔には、泣いた跡が残っている。


えっ、あぁ、はい・・・

戸惑いながら、返事をした。


「あおいちゃんが、最初に言い出したんですよ! 『ほのちゃんと一緒にゴールしてもいい?』って」

 さわだ先生は、思いっきり、にっこりと笑った。


「でも、担任の酒井先生は、『ちゃんと走らなきゃ、ダメです』とおっしゃった。

あおいちゃん、それでも諦めずに『あおいがゴールした後だったら、いい?』って。

担任の酒井先生も、『それなら、仕方ないわね』と。


そしたら、私も、僕も、ってなってしまって・・・ 

結局、一緒に走るグループの人だけ、ゴールした後に、ほのちゃんを応援しに行っていいってなったんです」


 そういえば、ほのちゃんと一緒のグループになったとか言ってたっけ。

あおい、やってくれるやないの。


「あおいちゃん、とってもやさしいですね」


「えっ、あおいがですか?」


「しっかり、ご家庭でご指導していただいているようで。ありがとうございます。

あおいちゃん、『ママに【お友達とは仲良くしなさい!】って言われてるん!』って、いつも言ってますよ!」


 褒められてしもた・・・ 

私、そんなこと言ったっけ?


「では失礼します・・・ あおいちゃん、ダンスの方でも頑張ってくれてますよ!」

と、こぶしをグッと握りしめたポーズを決めてから、先生は立ち去っていった。




 午前の最終種目、1年生の団体演技が始まった。 また、あおいをビデオで追っかけた。


 曲に合わせて走って動いたり、場所が変わるごとに、あおいは要所要所、ほのちゃんをサポートしている。

 自分の演技はちゃんとしながら、ほのちゃんの事もちゃんと気にかけている。



 自然に、まるで当たり前の事のように。


 あおい、すごいやない・・・・・・かっこええよ、あんた。


  私が小学生の時、今のあおいみたいに他人の事を手伝う余裕なんて、なかったはず。 

自分の事を懸命にするだけで、精一杯だった。


あおい、まだ1年生やのに。


 パパが帰ったら、早速ビデオを見せてやろう。

先生に褒められたって、教えてやろう。


きっと、いつものように


「あおいは、嫁になんて行かんでええからな、ずーっとココにおれヨ!」

 なんて、涙ながらに言い出すんやないかしら・・・

 ほのパパの4



 涙もろくなった。



 最近では、商家の妾腹に生まれた、今で言う知的障害の女の子が、四国の小藩の政変に巻き込まれていく   流行作家の時代小説を読んでいて、主人公の女の子がホノカとダブってしまい、通勤電車の中で涙が      止まらなくなってしまった。


 前に座ってた女子高生に、何やこのオッサン、って顔で見られてしまった。



 今日も、ママが撮ってきた運動会のビデオ、ホノカが友達に囲まれ、応援されながら、            大歓声の中ゴールしている姿を見たら、たまらなくなった。



「パパ、なんで泣いてんの? へんなオッサン!」

ミノリが、パパの顔を覗き込む。


「涙もろくなったのは、ホノカのせいだな・・・」



「年のせいでしょ!」


間髪入れずに、ママに突っ込まれた。








* * 




 なんばにある『めまい専門』の医院にママが通い出した頃、まだ『めまいがきそう』は度々、         『めまい』は10日に1回ぐらい訪れていた。

 頸のマッサージ、通常の薬に、漢方、鍼灸などを根気よく続けて、『めまい』は月1回位になったし、      『めまいがきそう』の回数は確実に減ってきている。


 パパの登校同伴は、まだまだ続きそうだが、無理をして逆戻りしてはいけない。


 朝、T駅前に借りた駐車場に車を止める、大阪市内で会社へ向かう地下鉄に乗り換えの時には、       ダッシュしないと間に合わない。

 車が渋滞にかかったり、走ったのに電車を逃したりして、遅刻も度々あった。


 でも、ママに文句を言うのは筋違いだ。

ママだって、好きで『めまい』を起こしてるのではないのだから。

* *  

 

 約10年前に、今の会社に拾われた。


 学生時代のバイトの流れで就職していた旅行会社は、社長が会社の金を横領して、             お局様と噂のあった事務の女性と逃避行。


 あっけなく倒産してしまった。


 30歳半ばを過ぎ、蓄えもなかったが借金もない。

遠く北海道にある実家は、もうすっかり弟の代になっていて、大阪でちゃんと暮らしているとだけ       連絡しているが、何年も顔を出していないし、今さら帰れない。 


 職は失ったけれど、独り身の気軽さで、何とかなるかと気楽に構えていた。


 今の会社は、もともとは社員旅行を手配していた前の会社のお客さんだった。


 その縁で、ある時、ツアー先でのお土産として、ちょとした雑貨をお願いしたら、それが好評になって、    その会社から土産物の仕入をするようになった。

 大阪の問屋から旅先でのお土産を仕入れるのもおかしな話だが、どの方面でも難なく取り寄せてくれて、   数の調整も楽なので重宝していた。


 ちょうど、卵の形をした育成電子ゲームが大ヒットしていた頃で、景気はいいらしい。


「品物が面白そうやからって、結構若いもんは入ってくるんですが、実の仕事は地道な営業が多くて、     すぐやめおるんですわ」


『あまり、高い給料出せませんけど』と、声をかけてくれたのだ。



 その会社の営業先、泉北の雑貨店で働いていたのが今のママだ。


 ママが、初めて営業にやってきた、30半ばを過ぎたウダツの上がらない営業マンを見た時、        『この人と結婚する』と『直感』がきたらしい。    

ママによると、それまでの人生の中で、この『直感』がきて素直に従った時は、大なり小なり、         何がしかの幸運が訪れていたそうだ。


「私、たぶん、あなたと結婚すると思います・・・」

 出合ってまだ間もない頃に、そう言われた。


 『もう一生独身かな、それもまあいいか』と、結婚は半ば諦めていた。

15歳も年下の女の子と、お付き合いできるなんて思ってもみなかった。それも、こんな男には        もったいない、快活で明るい女性だ。 不満などあるはずもない。 そんなママに、グングン惹かれていった。


 まさしく、幸せを運ぶ『直感』だ。


 結婚してから、ママを競馬場へ連れて行ったが、その時もこの『直感』がたまたまやってきた。

おかげで万馬券が取れて、ズタズタのパパの予想が救われたことがあった。

 その『直感』は、ママが望んだ時に必ず来るわけではなく、何時やって来るとかは、全くわからないらしい。


パパとの結婚だけ、その『直感』は幸運を招かなかった、なんて言われない様にしなければ。

* * 


 会社には、ホノカのこと、ママの『めまい』は知らせてある。


 小さい会社なので、ある程度の融通は利くが、一人だけ、あと20分遅く出勤させて欲しい、とは言いにくい。

今の会社に入社してから後、景気も悪くなって新規採用はなく、未だに一番新人でもある。


 でも、『自分で、自分を褒めてあげたい!』などと言葉を使って、大変な状態だけれど頑張っているのを、    常に、やや大げさに主張している。

それくらい予防線を張っておけば、朝の遅刻の1回や2回、急な休みの1日や2日、何とかなるか、       と気楽に構えていた。


 でも、そんなことは、ママにはとっくに見抜かれてしまっていて、


「どうしても、休まないといけない事だってこれからもあるんやから、ホノカや私の『めまい』をダシにして、仕事さぼっりしたらアカンよ!」



「パパがそんな事するような人間に、見えるか?」



「うん、見える」



「・・・・・・・・・」










* * 



「ファイ、シッ、チェブン、エイッ」


 ホノカ、それチェブンじゃなくて、セブンだろ。



 仕事から帰ってくると、ホノカは、暗くなった外のおかげで、大きな鏡と化した窓ガラスに自分の姿を    確認しながら、膝を少し折り、腕を湾曲させて、脇を広げたり閉じたりしている。


 パパの姿を見つけると、さっそくビリーの箱を抱えて持ってきた。


「ビリーシマス! チョーダイ! クダサイ!」

 

「パパ、おなか空いたから、先に食べさせてよ。 お願い!」



「ビリーはパパが帰ってきたら、って言っといたから!」

ママが、ご飯をよそいながら解説してくれた。



 取引のある輸入業者が、以前に大ヒットしたダイエットDVDの並行輸入版に手を出したが、        入荷した時には既にブームも下降線、日本語字幕もないやつなので、『安くしときますから、買いはりませんか?』

 倉庫にまだタンとあって、ひとつでもいいから現金にしたいらしい。


正規日本語字幕版の、約10分の1の値段で譲ってもらった。



 最近、腹回りも気になるようになって、手にした当初は

「ちょっと、まじめにやってみよう!」


 最初は20分もすれば、ヘトヘト。

でも、少しずつ時間を増やしていけばとガンバッてはみたが、5日目で敗北宣言。


 一方、いつも横で見ていたホノカは、ビリーをはじめるとゴキゲン、すっかりハマッてしまっていた。


 購入して6日目、もう今日はやめと、食後、ソファでテレビを見ていたら


「ビリー! チョウダイ!」

とまた、要求してきた。


 はいはい、DVDはかけてやるから・・・ 


ビリーのDVDだけかけて、またソファに転がろうとすると、手を引っ張って、


「チョーダイ! クダサイ!」


わかりましたよ。やればいいんでしょ。 やれば・・・


「ホノカは、パパ思いね。 ホノカのおかげでパパのそのおなか、引っ込むかもね」


















 内村君のお父さん


(一)



 「未遂に終わって良かったわよ!」


 恵美子の友達は、吐き棄てるようにそう言った。

「あんたみたいなマザコン男に嫁いだら、恵美子、一生苦労するとこだったわ・・・」



 知世と結婚する以前に、結婚寸前まで話が進んだ相手がいた。

相手は短大卒の同期入社、名を恵美子といった。同期入社同士、社内恋愛だった。


神戸の、よく雑誌などに載ったりする、小さいけれど人気のレストランの娘だった。



 恵美子には、もうプロポーズも受けてもらっていて、新居や結婚式の相談など、式の日が近づくにつれ、   度々実家へ連れてくるようになっていた。



 破談のきっかけは、母さんだった。

 

『内村の家の長男』と言ったって、サラリーマンの息子、代々続いた暖簾がどうこうというわけでもなく、    そんなことが結婚の障害になるとは、予想だにしていなかった。

 

 それは、実家での雑談中、恵美子の家族の話題になった時から、始まった。


 恵美子のお母さんは、恵美子が中学の時、亡くなっていた。


お父さんは再婚もせず、料理の腕一本で子供二人を大学まで進ませた苦労人だ。

お父さんは、一代限りで店を終えるつもりでいた。


恵美子にはお兄さんがいるが、実家のレストランを継ごうとはせず、畑違いの金融関係、          大手の銀行に勤めていたし、恵美子に調理人の婿をとることも望んでいなかった。

お兄さんが調理の道に進まなかったのは、決して親子の中が悪かったのではなく、本当は店を継ぎたかったが、早々に諦めたらしい。


「うちの兄は、緑色と赤色が区別しにくいらしいんで、プロになるには難しいそうです・・・」


 恵美子の口から何気なく出た言葉、それに母さんが敏感に反応した。


「もし内村の血が、おかしくなったら大変ね!」


 その時は父さんもいて、

「りっぱに銀行員してらっしゃるのに、そんな失礼な事を言うもんじゃない!」


 母さんは父さんにたしなめられて、素直に謝っていた。

以来、母さんは、恵美子のお兄さんの色弱の件に関して、特にこだわった様子もなかったのだ。



 だが、気づけなかった。


 母さんは、恵美子に直接、頻繁に連絡をとっていた。

お兄さんの事はもとより、『一流の調理人かもしれないけど』と、恵美子のお父さんが高卒のことを残念がったり、恵美子本人とほとんど関係のない『ご親戚のお家柄』の詮索までも止まらなくなっていた。


 恵美子の家族でさえ年賀状くらいしか交わしていない親戚の、卒業した大学や会社での役職などを訊かれるだけでも煩わしいのに、口撃できるネタをみつけると、あからさまに蔑んで、

『まさか、その方を式にお呼びになるなんてこと、なさらないでしょうね! 今後は、そこのお家とは     深くお付き合いなさらないでくださいね!』 

恵美子は我慢して、母さんとやりとりを、一人で抱え込んでいた。


 母さんは、恵美子だけではもの足らず、恵美子の父親にまでも直接失礼な電話を入れた。


怒った恵美子の父親に呼び出され、初めて、そんな話を知ることになった。

それを機に恵美子からも、それまでの事、溢れ出すように打ち明けられた。


 ひたすら謝罪をしても、時すでに遅し、だった。


 父さんは、直ぐに詫びの電話を入れてはくれたのだが、当の母さんは、

『克典の事を案じてしたこと、あんな家の子との結婚は認めませんよ!私は!』と、謝ろうともしない。


 恵美子の父親も黙ってはいなかった。 厄介な姑と、ましてや小姑が2人もいては、恵美子が一生苦労する。

『そんな奴に、恵美子はやれない!』


 両家がこじれる中、親を捨ててでも、恵美子を守ってやることができなかった。

『マザコン男』と罵られてもしかたがない、情けない男だ。


【今さらだけど、調理の専門学校へ行くことにしたの。頑張ってみる・・・】

最後の電話で、恵美子は言った。


結婚に向けて会社を辞める予定だった恵美子は、そのままの予定通り、会社を辞めた。 



 破談から1ヶ月ほどして、突然、恵美子のお兄さんから、『一度、会えないか?』と、メールが入った。


仲のよい兄妹だった。

お兄さんには責められても仕方ない、今更精一杯謝っても、許してもらえるはずもない。


 でも、会わなければ・・・


 いっそのこと、情けない今の自分を、叩きのめしてほしかったのだ。

ところがお兄さんは、顔を合わせた途端、涙を堪えようともせず、『俺のせいで・・・ すまん・・・』

本当は店を継ぎたかったなんて話を、妹に聞かせなければ良かった、と。


 お兄さんは何も悪くない。何で謝るんだ。


 どうすればいい?  お兄さんの前から、逃げ出したい。直ぐにでも、走り出したかった。




 地元の高校、関西の大学を出て、勤務先も大阪市内、今まで実家から出たことがなかった。


 母さんのいるこの家から、恵美子のいる神戸からも、離れたい、遠くへ。

今の暮らしを脱ぎ捨てられたら、どんなに楽だろう。


 すでに『マザコン男』との評判が独り歩きして、社内に広まっている。

会社にも居場所なんてない、すぐに転勤の希望を出した。

そんな噂があっては、上司も使いにくかったのだろう、希望通りスムーズに、東京へ転勤命令が出た。


 20代後半、なじみのない街で一人暮らし。 でも、大阪にいるよりは、心は休まった。

女性との浮いた話も無く、仕事をこなす日々。

休日は、洗濯と、部屋に籠ってパソコンに向かうか、DVDを観て過ごしていた。


 独り者は動かし易いのか、7年で転勤が3回、たとえ住む街は変わっても代わり映えしない生活が続く。


年齢だけが確実に積み重なっていった。

* 

 

 知世とは、仙台で働いている時、知り合った。


 昼休み、駅前で一人で牛タン定食を食べていた時、懐かしい大阪弁が聞こえてきた。


「塩とたれと、どっちがええんやろ? せっかく食べにきたんやから、おいしい方食べたいやんかなぁ!」


 メニューを見ている3人組が隣のテーブルにいた。

知世は、女友達3人で旅をしていた。


「塩、頼んだ方が、ええと思いますよ。大阪の人には、ここのタレ、辛いかもしれませんね・・・」


 関西の方? ご旅行ですか? わかっているけど聞いてみた。


一番、喋りそうな女の子が、やっぱり返答した。

「わかりますぅ? 大阪から来たんですぅ!」


「大阪弁は、目立ちますからね。ぼくは、こっち住んで、働いてます」


「関西の方ですか? 単身赴任?」


「いえ、一人もんです、転勤であっちゃこっちゃに飛ばされて。で、今は、仙台です」


 一番喋る女の子が口を開く。

「仙台七夕って、なんか、飾ったぁるだけで、あんまり面白ないですわ!」

青森の、ねぶたを見てきた帰りに仙台に寄ったらしい。


「もう、大阪へ?」

 大阪へ直接帰るなら、仙台空港から飛行機だろう。


「いえ、今日は、作並温泉ってとこ泊まって、明日も、仙台らへん見てから帰ろうかって思ってます。 

でも、仙台って前にも一回、この3人で来たことあるし、中途半端な都会見てもシャーないしなって。 

何処行ってええか、ようワカランのですわ!」


 その子は、ニヤッと笑ってから、こう切り出した。 


「図々しいようですけど、明日お休みとかちゃいますか?」


 翌日は土曜日、休みだった。 

特に予定なんてない、今日の帰りに、二日間観る分のDVDを借りに行こうかと思ってたくらいだ。


「まるで知ってはったみたいですね・・・ じゃあ、何処か案内しましょうか?」


 やったーぃ! 


その子は陽気に歓声を上げた。


 知世たちも笑っていた。

大阪の人間が、別人種扱いされるのが、少し分かった気がした。


* 


 朝、レンタカーを借りて作並温泉まで迎えに行った。


 おおよその名所は、行ったことがあるらしい。

以前、会社の事務の子がデートで『ひまわりの丘』という所へ行って『とってもよかった!』と聞いていたので、提案してみた。


 みんな、賛成した。



 そこには、ひまわり以外には何もなかった。

だが、一面のひまわりは、彼女達には好評だった。気持ちのいい所だった。



 久しぶりに、深呼吸をした。



 仙台に赴任して間もない頃、母さんと上の姉貴が遊びに来た。

その時に、青葉城や松島や秋保の滝などの観光名所を案内したが、その時以来、仙台では、           部屋と会社とコンビニを行き来するだけの生活しかなかった。


 彼女達の案内を引き受けて良かった。一面のひまわりを見て、そう思った。


「ええガイドさん、見つけたやろ! 私って見る目あるわぁ!」

 よくしゃべる子は、他の二人に自慢した。


その子は、純粋に観光案内者を都合つけただけだったらしい。


意外なことに付き合っている男性がいないのは、3人の中で一番かわいいと思った、知世だけだった。



 ひまわりに囲まれた知世は、麦わら帽子がよく似合っていた。



 知世に、『盆には大阪へ帰省する』と言うと、大阪で再会する約束をしてくれた。


 遠距離恋愛から、始まった。


 今度の恋は、大切にしたい。 もう、母さんに振り回されるのはごめんだ。

知世の実家へは何回か足を運んでいたが、自分の実家へは気になる人がいるとだけ伝えて、          結婚式や新居まで全て決めてしまってから、初めて知世を実家に紹介した。


 6月から、埼玉で2人の新しい生活が始まった。


 仙台に来た3人組のうち、知世の結婚が一番早かった。


2人の友達は、結婚披露宴のスピーチで、『私達が愛のキューピット』と、鼻高々に自慢してくれていた。




      *


 姉貴は2人いる。

上の姉貴は独身で、今も大阪の実家で両親と同居している。


 下の姉貴は、結婚して東京にいる。

お義兄さんは、昔ミュージシャンだった。 いや、今も音楽関係の会社に、ちゃんと勤めている。


 下の姉貴は、いわゆる『オッカケ』をしていて、家出同然、東京まで追っかけていって戻ってこなかったのだ。

恵美子との破談でゴタゴタしていた実家に、姉貴も嫌気がさしたのかもしれない。


 母さんが、そんな娘を許すはずもなかった。


 だが、お義兄さんが意外と名の知れた大学を出ているのを知り、今のお義兄さんの勤めている会社が、    大阪でも社名をよく耳にする会社なのを知り、初孫のマサタカ君が生まれ、ようやく母さんの方が折れた形だ。


 その頃のわだかまりは、今も残っているのかも知れない。


 母さんが膝が痛いと愚痴っぽくなりはじめて、春には転倒骨折して入院、認知症が進んでいても       一度も大阪には帰っていない。


「お姉さんでも、忘れちゃってるんでしょ。 私だって、わざわざ大阪まで帰って、              忘れられてたらショックだわ!」

 まるで、他人事のように言ってくれる。


「もちろん心配よ! でも、嫁に出てしまった身は、なかなか動きがとれないのよ・・・」


 一応、去年は姪のジュンちゃんが高校受験、今年はマサタカ君が大学受験と、子供達の受験を免罪符に掲げていた。


 上の姉貴はいまだに仕事を休んでいるし、こっちだって大阪に帰れていても『さくら坂』で、         ゆっくりできてないというのに。

 遠くから何もしないでいて、もし母さんが亡くなったら、一番ハデに泣きじゃくるのは、          きっと下の姉貴だろう。そんな風にも、毒気付きたくもなる。


 下の姉貴は、いつも姉弟の内で一番要領が良かった。



『克典のネーちゃん、タイプなんや!』と、親友に告白されたことがある。


 下の姉貴とは年も近く、陽気で世話好きな姉は人気者で、そんな姉がいることが、まだ青い学生の頃は、    大きな自慢のひとつだった。


 この夏、娘の美優達を快く迎え入れてくれて、ジュンちゃんと共に、わざわざディズニーランドまで     2日間とも付き合ってくれた。

美優達にとっても、東京のオバサンは大好きなおばさんなのだ。


「大阪帰ったら私の分まで、ちゃんと母さんの面倒見てよ!」


 昔から、下の姉貴には、かなわなかった。


(二)


 仕事がピークを迎えていた。

この年内になんとか形にして、後はその計画通り事が動けば、ちょうど2年でこの仕事は落ち着く。

大阪にも戻れるだろう。


 父さんからの電話は、あまりにもタイミングが悪かった。


 ケータイが鳴った。10時44分、公衆電話からの着信。 


出ると父さんの声だ。


【克典か?】


 まさしく、手が離せない状態。

「急ぎ? 夜にかけなおすよ」


【ネーさんが倒れて、救急車で運んだ。詳しくは夜にやな!】

父さんは、それだけ言って、無愛想に切ってしまった。



 その日一日、イライラが募る。


 姉貴は、大丈夫なんか?  何が原因で運ばれたんだ? あんな電話やったら、何にもわからへんやないか!


 父さんは、携帯電話を持っていなかった。実家にかけても、誰も出なかった。


 病院に行ってるのか? 30分おきに、実家に発信した。


 19時ジャスト、やっと取ってくれた。


意外なことに、姉貴が出た。

たまたま電話機の近くにいて、番号で克典とわかって受話器を取ったらしい。



【『めまい』がきたの。立てへんかった。父さんに救急車呼んでもらって。

運ばれた病院で2時間ほど点滴してもらって、それでマシになったんやけど・・・】


 病院から家に連絡してもらって、そのあと父さんは、母さんと車椅子を乗せて病院まで来たらしい。


【今日、耳鼻科で見てもらって、明日、土曜だけど検査だけしてもらえることになったの・・・】


 別段、歩けるほどには回復しているようだ。

ただ、また『めまい』が襲ってきたら怖いので、今はできるだけ横になっているという。


【この週末は? 帰る予定なかったの? 明日だけでも来てくれると助かるんやけど?】


 仕方がなかった。 


また、姉貴にめまいがきたら、おやじ独りで、二人の世話はできないだろう。



 ある程度の段取りを済ませた後、相葉君という後輩に事情を話してお願いした。


「僕ができる所は、内村さんの分も全部やっつけときますよ!

僕はまだ若いですから徹夜したって大丈夫!

そのかわり、今度焼肉でも連れてってくださいよ。先輩のおごりで!」


 仕事の上でも、彼の天性の明るさには何度も救われている。


「すまんな、相葉君ありがとう。 

焼肉、必ず連れて行くよ! 牛一頭でも食ってくれ」



 一人暮らしの部屋には戻らずに、会社からそのまま東京駅へ急いだ。




(三) 



「ヒノヨージン!」


 会長さんの拍子木を合図に、掛声をかける。ぞろぞろと、2丁目を歩く。


クリスマスのイルミネーションを施した家が多く、みんなで、その品評会をしているようになった。



「帰ってらしたんですか。 確か、単身赴任で東京に居らしてるんですよね。

お兄ちゃんやミユちゃんには、ホノカがいつもお世話になってます」


 ほのかちゃんのパパが、声をかけてくれた。




 *


 ほのかちゃんのおじいちゃんとは、発足した時の自治会の役員同志で親交があった。

自治会が発足した次の年に、ほのパパさんが役員になって、ほのパパさんは、確か夏祭りの委員だった。 

役員引継ぎの宴会で、一緒に缶ビールを飲んだ。 


ほのパパさんと言葉を交わすのはそれ以来だ。


 『さくら坂』に移って一年ほどたった時、知世の知り合いから、パピヨン犬種の赤ちゃんを譲り受けた。

かねてからペットを望んでいた美優は大喜びして、大好きなアイドルの名前を取って、名前をニノと命名した。

 

 ところが、ニノが来てから体中が痒くてしかたない、くしゃみも止まらない。

耐えられるレベルではなかった。 

母さんが犬が嫌いで、小さい時から犬と触れ合う機会が少なかったので、気が付かなかった。

ニノによって、かなり自分が過敏な犬アレルギーが判明した。


 当時、ほのかちゃんのおじいちゃんがその話を聞いてくれて、ニノを快く引き取ってくれた。 


名前も、ニノのままだ。


美優も、ニノが、同じ『さくら坂』にいるので、ようやく納得してくれた。


 ほのかちゃんのおじいちゃんは、いつも話題豊富な方で、その引継ぎ宴会の時も、おじいちゃんばかり喋って、ほのパパさんは、ちょっと浅ましい感じで、ひたすらビールを飲んでいた。


 ほのパパさんは、10歳ぐらい年下かと思っていたが、意外なことに2つも年上で、


「ホントは、髪の毛真っ白なんですよ、染めてるから若く見られますけど・・・」


 それじゃない。

若く見せているのは、常に漂わせている、その、なんとも頼りない感じのオーラのせいだ。




 *


 ほのパパさんと一緒に、掛声もほどほどに、最後尾を歩く。



「この時期、忙しいんですけどね、実家の方で急に帰って来ないといけなくなってしまって。

昨夜から実家で。

夕方やっと『さくら坂』に戻ったら、今夜から『火の用心』があるって言うんで、出てきたんです…」


 年末恒例の夜回り、12月の毎土日、防犯委員以外は自由参加で

『各家、最低でも一度は参加してください!』

と案内されている。

回り終わったら、毎夜、お茶以外にもカップ酒や缶ビールとか、簡単なおつまみが用意されていて、中にはそれに釣られて来る人もいる。


 自治会でのなじみの顔がいるかもしれない、気分転換になるかと出てきたのだ。



「なんかあったんですか? 大変そうですね?」


 この人に言っても仕方ないんだろうけれど、誰かに聞いて欲しい気分だった。


「オフクロが、認知症なんです・・・」


 ほのパパさんが、少し驚いた顔をして小さく頷いた。


「オヤジと1人もんの姉貴で、頑張ってるんですけど・・・ 

この春、転倒して、足骨折して入院してから、姉貴が言うには、俺が大阪を離れてから、急にひどくなったと。

前から膝が悪かったんですけど、そこへ、ひっくり返ったもんですから、もう今は、すっかり車椅子ですわ。

動けんようになってから、急に、物忘れとかが、ひどくなってしまって・・・」


 ほのパパさんは、しんみり聞いてくれている。


「昨日ですわ。泣きっ面に蜂っていうか、そんな状態の時に、姉貴が『めまい』で救急車で運ばれまして・・・ 

今は、治まってるんですけど、結局原因がようわからんらしいです。そいで、様子見に、帰ってきたんですわ」


 『めまい』と聞いて、ほのパパさんは、えっ、と反応した。


「うちもヨメさんも、『めまい』持ちなんです。『めまい』って大変ですからね」


「姉貴は、『今度、いつ起こるかわからんのが怖い』って言うてますわ」

 普段は頼もしい上の姉貴の、不安そうな顔が浮かんだ。


「『めまい』専門のいい医者知ってますよ。うちのヨメさんが行ってるんですけど。

大学病院で原因不明だったんですけど、そこは徹底的に調べてくれて、ヨメさんの場合は          『頸からきてる』ってちゃんと言ってくれたみたいで。

対処法がわかるだけでも気分が違いますからね。 おかげさんで、徐々にですけど良くなってきてるんですよ!」


 ほのパパさんは、自ら勝手にウンウンうなずいて、

「お姉さん、ダメもとで、そこ行って見られたらどうですか?後で、場所とか連絡先とか、           お宅へ伝えに行きますね!」

* 


【ええとこ、紹介してもろたわ。行ってみて、良かった・・・】

一週間後、上の姉貴から、東京の部屋に電話がかかってきた。


 姉貴は、あれから『めまい』は来てなかったが、やはり不安が大きいので教えてもらった           その医院の門を叩いた。

徹底的な検査の後、医者は、どうしてあなたの『めまい』が起きたのか、ということを            解り易く説明してくれたらしい。

『またくるかもしれない』という『めまい』への恐怖は、大きく軽減されたようだ。 


 姉貴の声の明るさが、それを証明していた。


【でも、父さんにはね、私がこんなんやからって、ヘルパーさんの介護や、デイサービスへ           連れて行ってもらうのを増やすん、渋々、OKさせたん。 そろそろ私も、仕事、再開したいし・・・】

姉貴は、今も仕事を再開できていなかった。



 頑固なオヤジだ。


 母さんが入院して、要介護の申請をした時でも、かなり不満げな父さんだった。

母さんを赤の他人に面倒見てもらうというのが、気に入らないらしかった。


『めまい』で不安の状態を理由に、説得するのも致し方ない事だろう。


【年末年始は、帰ってこれるの?】


 今のプロジェクトが、なんとか軌道に乗りそうなんや・・・ 


 年内にギリギリまで頑張って、今の企画で上層部の承認を取ってしまえば一段落する。

年明けは最初の日曜まで休めそうだった。


【正月くらい『さくら坂』の方にも、ちゃんと、居てあげなアカンね。迷惑かけたね。色々ごめんね】


       *


 今年最後の日曜日、大阪に戻ってきた。


 夜、自治会の『火の用心』に行った。

ほのパパさんにもし会ったら、真っ先に礼を言わないといけないと思っていた。

ほのパパさんの事だから、たぶん今夜も、お酒目当てに出てきているのでは、と予想していた。

 

 やっぱり、ほのパパさんを見つけた。


「この前は、ありがとうございました。姉貴が、教えていただいたお医者さん、行って良かったですと」


「それは良かったです・・・ それで実家の方は、落ち着かれましたか?」


 それがねえ・・・

ため息が、ひとつ出た。


「オヤジがねぇ・・・もう悲愴な感じなんですよ。 『俺が、きっちり面倒見る!』ってね。

でも、もうオヤジだって、結構年だし。

自分のせいで、車椅子になってしまったって。 動けんようにしてしもたから、ますますひどくなったって。

オフクロは、オヤジの事が、もう判らなくて、俺のことを、オヤジと間違えてるんです。

何事もきっちりしてて、厳しい性格だったんですが、それも、めっきりだらしなくなってしまって、       別人のようになってしもたんですよ・・・なんか、情けないというか、ホントに困ったもんです」


「介護の申請とかは、しておられるんでしょ?」


「はい。 でもねぇ、デイサービスに預けたり、ヘルパーに世話してもらったりを、オヤジが嫌がるんですよ・・・

母さんが、かわいそやって」


ほのパパさんは、ふうんという顔をして、


「無責任なことを言うようですけれど・・・ 失礼なことを言ってしまったら、すみません。」

と、前置きしてから、喋りだした。



「内村さんは、認知症のお母さんが厄介な存在になってるんじゃないですか?」


 意味が、よく分からなかった。首をかしげてしまった。


「認知症について、よく知らないので、許してくださいね・・・」

 そう言ってから、ゆっくりとした口調で、ほのパパさんは、続けた。


「お母さんが認知症になられたのって、お母さんのせいじゃない、もちろん、お父さんが悪い事した      わけじゃない、誰かに申し訳ないっていう性質のもんではないはずです。

お姉さんの『めまい』だってそうです。

お母さんが、ひっくり返ったのだって、お父さんが無理矢理『エイッ!』とやったわけじゃないでしょ・・・」

 

 ほのパパさんは、背負い投げのポーズをしてから、同意を求めた。


「お母さんが、体が苦しいとかでなくて、機嫌良くしてらっしゃるなら、それでいいって、            そう考えるわけにはいきませんかね。 『認知症でもいいじゃないか!』って。

もちろん症状が悪化しないように進行を止めたりとかの措置は必要だと思います。

周りの家族の受け止め方の話です。うまく言えなくって、すみません・・・」


 ほのパパさんは、ペコリと頭を下げてから、話を続けた。

「うちは娘が自閉症ですけど、やっぱり、こっちが思いもよらないこと仕出かしおるんですよ」


 ほのパパさんは、3回ほど瞬きをして、大きくうなずいた。

    

「その時は、こっちも大変。必死です。 でも結構あとから、笑い話になってたりする。

もし将来の不安とかが全くなくて、娘のやらかすこと、自閉症を楽しめたらどんなにいいのにな、       って思うことがあります。

でも、『認知症を楽しめ!』なんて言ったら、きっと、お父さんに怒られてしまいますね・・・」


 ほのパパさんは、頭を掻いて、また、『すみません』と一言付け加えた。


 この人からは『家族に障害者を抱えた苦悩』というような雰囲気は、少しも伝わってこない。

いたって、ノンキそうな人に見える。 うらやましいと思った。

 自閉症というのを良く知らないが、それなりに大変なはずだ。

支援がいるといっても、認知症と自閉症とは別物だからか? 本来の性格によるものか?

この人の言うように、受け止め方の違いなんだろうか?


「お父さんの方が心配ですよね、早急に、何とかしないといけないですね・・・」


 一呼吸おいたあと、質問された。

「お父さんの趣味って、何かあります?」


「競馬ぐらいですねえ・・・」

 それしか思い浮かばなかった。

「でも、オフクロが入院してから、すっかり絶っています」


「競馬止めたところで、認知症が治るもんでもないのに・・・ 

家族に認知症が出たからって、好きな事やめたりするのは、ちょっと違うんじゃないかと思うんです。

趣味を通り越して、借金がひどかったとか言うなら、話は別ですけど」

 そう言って、改めて向き直った。


「長年連れ添った奥さんが別人のようになって、一生懸命世話しても『あなた、どなた?』なんて言われたら、さぞかし辛いでしょうね。

ましてそれを、それを俺が悪かったからって、背負い込んでたら・・・

このままだと、お父さん、先にダウンしちゃいますよ!」

 ほのパパさんが、こんなに、よく喋る人だとは思わなかった。


 ほのパパさんは、一息ついてから、

「内村さんが、お父さんを演じて、お母さんを競馬場に連れて行く、ってのはどうですか?

変な提案ですかね、参考までにしといてください・・・ 」


 ほのパパさんは、いたずらっぽく微笑んでから、話を続けた。


「お姉さんやお父さんには、気の毒ですけど、ボランティアの人ということで。 

今まで、お父さんが、お母さんを競馬場に連れて行かれたことありますかね?

なにか、昔のことも思い出すかもしれませんよ。  お母さんが楽しんだら、それだけで大成功。


次の日のお母さんが、全然憶えてなくてもいいじゃないですか。


代わりに内村さんが、お母さんが楽しんだってことを憶えてたら。  

お母さん楽しい顔してたら、周りにいる人も、きっと、楽しくなると思うんです。

その笑顔を、内村さんやお父さんが楽しんだら、もう、それだけでいいんじゃないですか?」


 ほのパパさんは、最後に優しく付け加えた。

「そんなんじゃ、だめですか?」


 母さんが楽しんだら、それだけでいい・・・


そんな風には、考えたことはなかった。そして今、一番心配しないといけないのは、父さんの方か。


「ほのパパさん、ありがとうございます。 少し、気が楽になったような気がします。

 競馬場、本気で考えてみたいと思います」



(四)



「おじいちゃん、塗り絵してるの?」

 幼稚園に入ったばかりの美優に尋ねられて、


「ちがうよ、おじいちゃん、お勉強してるんや・・・」

と、照れながら答えていた。


 定年を迎えてから十余年、父さんの趣味は競馬くらいだった。

働いている頃は大きく賭けたりしていたようだ。

でも、定年を迎えてからは、お金をどうこうより、データを分析して予想する時間が一番の楽しみのようだ。


 金曜、土曜の夜は、いつもお決まりの競馬新聞をピンクや黄色やブルーのマーカーで            きれいにチェックしていく。

幼い美優からすれば塗り絵のように見えただろう。



 勝負のレースでも最高いくらとか、自分なりにルールを決めていて、遊ぶお金が生活に影響することはなく、収支は、『まあ、トントンかな・・・』


2割以上をJRAが持って行くわけだから、トントンなら戦績としては上々だろう。

父さんの場合は、そんなに金のかかる贅沢な趣味ではなかった。



 父さんが定年して間もない頃、一度だけ競馬場に連れて行ってもらった事があると、            母さんから聞いた。


朝のレースで大きいの取ったから、『終わったら、寿司でも食べさせてやる!』って電話をかけてきた。

正確に言うと、『連れて行った』でなく、呼び出したらしかった。


2人で競馬場に行ったのは、後にも先にも、その時だけだ。

でも、母さんはその時のことを、楽しげに話していたように覚えている。


       *


【『お父さんが、悪い事したわけじゃない』かぁ・・・ 

確かに、今の父さん見てると、島流しにあって、働かされてる囚人みたいやもんね・・・)


 受話器の向こう、姉貴はため息まじりに言った。


【競馬場連れて行くの、トライしてみてもええかもね。母さんを外に連れ出す機会も、最近減ってきてるし・・・

でも、父さんをどうやって競馬場連れて行くかやわね 】


 問題は、それだった。 日程は、ネットで調べた。


京都競馬場、金杯の翌日の日曜日。 東京へは、その夜戻ればいい。





       *


「今度の日曜日。 僕と姉さんで母さんを連れて出るから! たまには親孝行してくるよ。

父さんも、骨休めできるやろ?」


 年が明けて3日。 一人で実家に顔を出した。


 姉貴が言うように、母さんが忘れていたら傷つくかもしれないと、知世や子供たちは連れてこなかった。

 子ども達の方も、昨年の知世の嫌な思いを承知のようで、『お年玉は持って帰るから』と告げると       不満の声もなく、今日は知世の実家の方へ行っていた。



 父さんが、怪訝そうな顔をして、

「母さんを、どこ、連れていくねん?」


 そんな父さんを無視して、父さんになったつもりの演技で、母さんに声をかけた。


「なあ、母さん。今度の日曜日、競馬場へ連れてったろか?」


 母さんは車椅子に腰掛けて、大人しくテレビを見ていたが、びっくりした顔で振り向いた。


「まあ、父さんがそんな事言うなんて、珍しい。 雪でも降らなきゃいいけど?

ぜひ、お願いします・・・」

 母さんは笑いながら頭を下げた。


「何やそれ! そんなんアカンで!」


 父さんは怒っている・・・ 『淀まで行くんか?』と、不機嫌そうだ。


「別に、父さんは留守番しててもいいよ。気になるなら、一緒に連れて行ってあげてもいいけど?」


「アホっ、何でやねん! 

お前らだけでそんな遠出、出来るわけないやないか!」


(五)


「ハイ、これで塗り絵でもして!」


 土曜の夜、そのまま東京へ戻る準備をして実家へ向かった。

道すがらのコンビ二で、父さんがいつも買っていた競馬新聞と、マーカーのセットを、購入した。


「俺は、競馬なんかせーへんで!」

 不機嫌そうな顔をしている。


「まあ、そういわずに、今夜は僕が母さん見とくから。勉強したら?」


「アホか。そんなヒマあるか!」

 そう言って、新聞を机に放り投げると、トイレに入っていってしまった。


 頑固なオヤジだ。


      *


 翌日の朝、母さんは、やはり忘れていた。


「なあ母さん。今日、競馬場へ連れてったろか?」


 父さんに扮してまた、母さんに声をかけた。


「まあ珍しい、父さんがそんな事言うなんて。 嵐にでもならなきゃいいけど」



 車の後部座席に母さんを座らせ、車椅子をたたんで載せた。

母さんの横に姉貴、父さんは助手席に乗り込んだ。

父さんは、昨夜渡した競馬新聞を持って来てはいたが、色はついていなかった。


 行く途中で弁当屋に寄った。



 京都競馬場の大きな駐車場、入口で身障者用の駐車スペースを教えてもらい、車を止めた。

入場すると、すぐに車椅子を見つけた係員さんがやってきて、親切に4階のシルバー席、           車椅子専用のエリアまで案内してくれた。


「同伴者3人とも、一緒に入れるんですか?」

姉貴が尋ねた。


『身障者一人につき同伴者一人まで』等と定められた施設が多いからだ。


「ご家族で、いらしてるんですから、どうぞ、ご一緒にお楽しみください。

万一、うちの職員が失礼なことを申し上げるようなことがございましたら、私を呼ぶように           おっしゃっていただければ、結構です」


 その人は、自分の胸のプレートを指差して、

「私、松本といいます。 シルバー席出入口の方にも、再度伝えておきますので、ご安心してお楽しみください!」

と笑顔で立ち去った。


 実際にその日一日、何も、咎められたりすることなんて、起こらなかった。


 さわやかな青年だった。さわやかな気持ちにさせてくれた。


「JRAの職員なんて、役人風吹かしてるだけかと思っとった」

父さんが、驚いていた。


同感だった。

 

 ちゃんと認識を改めないと、心地よい対応をしてくれた、今の青年に失礼だと思った。

当たり前のように、身障者を受け入れる。

先ほどの松本という青年にとっては当たり前の事なのだろうけれど、改めて礼を言いたい気分だった。


 4階のシルバー席から、京都競馬場の広い馬場が見渡せる。 馬場に、冬の日ざしが柔らかく降り注いでいた。

ちょうど、馬達がゴールして歓声があがっていた。



 早めの食事を済ませた。 

 皆が食べ終わった頃、お茶を飲んで少しこぼしたのを姉貴に拭いてもらっていた母さんが


「もっと、近くで見てみたいわ」

とつぶやいた。



       *


 母さんを、パドックに連れてきた。


 周回していた馬が止まって、ちょうど、騎手が跨るところだった。


「あの馬、目がとっても、きれい」

 母さんは、6番の馬を目で追っていた。


「ほら母さん、騎手も克典やって!」

 自分の名前と一緒だ。


「あら、ほんと? 頑張ってもらわな!」


 息子の名前は憶えている。ちょっぴり嬉しい。


「じゃあ、次のレース、あの馬を応援しようか」



 姉貴が、母さんをお手洗いに連れて行った。


車椅子を押す姉貴の、後姿を見ながら、


「あんな馬、来るかぃな・・・」

 父さんが呆れ顔で、ボソッと言い捨てた。



「でも、100円くらい、買っとけばええやないか! 記念に!」


 第6レース、6番の馬、ルアシェイアは10番人気だ。



       *


 6番をつけた馬が、本番場に入場してきた。


「あの6番、黄色い帽子かぶってるのが克典やからね!」


「克典、気持ち良さそうやね。 とってもきれい・・・」


 確かに、その馬が走る姿は美しかった。 しばらくの間、見とれていた。

ギャンブルの対象でなく、そんな風に馬を見る自分がまだ残っているのに驚いてしまった。



 ファンファーレがなって、ゲート入りが始まる。

スクリーンに大写しになった馬達の背や尻が、太陽の光を照り返して艶やかに輝いている。


 ゲートが開いた。


黄色い帽子、案の定、6番の馬は後ろから数えた方がよさそうだ。


「がんばってー かつのりー」

 母さんが、はしゃいで応援している。 こんなに無邪気にはしゃぐ母さんを見たのは、初めてだ。

母さんにだって子供の頃には、こんなに無邪気な時代もあったんだろう。


 はしゃいでいる母さんを、かわいいと思った。



 4コーナーを廻って、後ろからの数頭が一段になって競りあがってくる。

その中に黄色い帽子の6番がいた。


 まさか!


 先頭でゴールしたように、見えた。


「勝ったのはルアシェイアかぁーっ」

 場内のアナウンスが叫んでいる。



「やったぁ、母さん!」

 きっと母さんの応援が、届いたんだよ。


「克典、がんばったわね」

 母さんは、にこやかに何度も頷きながら、6番の馬を、まだ目で追っていた。


 払戻金の案内が表示された。単勝3780円。


「勝ってしまいおった・・・」

 後ろから、父さんの声が漏れた。


「えーっ!」

続いて驚いた姉貴の声が響いた。


 父さん、一万円も買ってたん?・・・ 

オヤジの手元にある馬券を見て、姉貴は呆れた顔をしていた。


「この馬券を最後にしてな、もう未練残さず競馬やめようと思っとった。

母さんの馬券や、記念に取っとこうと思てな」


「でも当ったやない!37万8千円もよ。 記念やなんてアホみたい。換金しないともったいないわよ・・・」

 姉貴は、『そんなの当然じゃない!』という顔をしている。


「じゃあ、こっちの100円の馬券だけ、記念に取っとくか? こっちは4千円もないし」

持っていた馬券を、二人に見せた。


 突然、母さんが振り向いた。


「そんなん、コピーでもしといたら済む事やないんですか!

たかが4千円かもしれへんけど、大切なお金、いくらあったって、イランなんて事ありません。 もったいない! 」


 しっかり者の母さんが突然甦った。 そして、その母さんに叱られてしまった。



「きっと、その37万で、また、競馬始めなさいってことよ・・・」

姉貴が、父さんにささやいた。


「母さんだって、父さんのこと忘れてるんやもん、父さんが週末ぐらい、母さんを忘れて           競馬に没頭したってオアイコやない。 今は、PATで家からでも投票できるんやから・・・

勉強する時はヘルパーさんに来てもろてさ。前みたいにやったら? 父さんの認知症防止にもなるし」

と続けた。



「そんな・・・ ええのんか? 

そんなんに、ヘルパーさん使ってもええのか?」


 そうやで!・・・

 

二人の会話に割り込んだ。


「そのかわり父さん、その37万、増やしてや、ちゃんと。

それで、俺達に寿司でも喰わしてくれるとかさ。一発勝負でアッサリ無くなってしもた!なんて事のないように!」



「なに、アホなこと言ってるんや。 俺が、そない簡単に負けるかいな」





*  


「さあ、混む前に帰ろか」

父さんが、声を上げた。 まだ、メインレース前だった。 父さんはあの後、馬券は買っていない様子だった。


「父さん、やっぱり、馬券は買わへんのかい?」


 頑固なオヤジだ。


 母さんのこと放ったらかしにして競馬しろなんて、やっぱり無理な話だったのか。


 父さんは、何も書き込まれてない競馬新聞を振った。


「だって今日は、何にも勉強してきてへんからな! 

母さんみたいに勘だけでは勝てんわ。 次は、ちゃーぁんと予習してくるわぃ」 

と、ゆっくりうなずいて見せた。


 *


 父さんが車椅子を押し、その脇に姉貴と従って駐車場への出口へと向かった。

屋外の気温は低いが、背中に受ける柔らかな日差しのおかげで、苦痛な寒さには感じられなかった。


「母さん、また来よな」


「そうね、今度は子供たちも連れてきてあげましょう」

 と言って、母さんは、子供達が冬空の中遊んでいる、滑り台などの遊具施設のある方を指差した。


「あんな楽しそうな公園があるんですもの。あの子達、きっと喜ぶと思うわ。」



「おい、随分、若返らせてもろたな」

 父さんが、姉貴を冷やかした。


「今まで競馬場なんて、連れてきてもろたこと、なかったやん!」


「ほな、今度また、連れてきてやるな。ええ子で、あの公園で遊んどくんやで!」


 そのとき、母さんが振り返った。


「何、お話ししてはるの? 楽しそやね・・・」


 楽しそやね・・・ 

母さんのその言葉で、笑顔になっている自分達に気がついた。


 自然に、ごく自然に笑えていた。


 長い間封印されていた、父さんの笑顔が戻ってきている。

姉貴も、満足げに微笑んでいた。


 今度は、知世も子供たちも連れてこよう。

子供たちには、ちゃんと、おばあちゃんの認知症も伝えよう。

説明すればきっと理解してくれるはずだ。

たとえ名前を忘れられていても、あの子達なら大丈夫だ、きっと。


 母さんの中で、今自分は、いくつなんだろう?・・・ ちょっと気になって、母さんに尋ねてみた。


「なあ母さん、克典って、今、いくつやったっけ?」


「父さん、何言ってるの。七五三のお祝い、したばっかりでしょ!」


 それを聞いた父さんは、ゆっくりと公園の方を眺めた。


 父さんの穏やかな、笑顔。

きっと今、遠い40年前の記憶を甦らせているにちがいない。





 ほのパパの5



 「内村さんの奥さんがね、お父さんが『ほのパパさんに世話になった』って。

『オヤジの笑顔が見れました』それだけ伝えてもらえばわかるって言ってはったらしい・・・

いったい、なにお世話したの?」


「ああ、競馬をちょっと勧めてみたんだけど」


「なにそれ? ケイバ? 内村さんの旦那さん、真面目そうな人なんだから変なこと教えんといてよ!」


「男のロマンってやつかな・・・」


「パパ、いつも『惜しかったぁ!』って、負けてばっかりやない! 何言うてるの。

内村さんとこには、子供会とか、登校の班とか、色々お世話になってるんやから、               パパが余計な迷惑かけたらアカンのよ!」


「はいはい、わかってますよ・・・」



* * 



♪ハッピバースデートゥユ~ ハッピバースデートゥユ~

ハピバースデー ディア ママ マァ~


 ホノカ、マがひとつ多いよ・・・


 2月4日は、ママの誕生日だ。

毎年恒例の、ママの実家に招かれての誕生日パーティー、ミノリにつられながらも、             ホノカもちゃんと歌っている。


 徳心園の頃には、毎月誕生日会もあったので、この曲はしっかり歌える。

 

用意されたローソクは、早くケーキを食べたいホノカが、歌い終わって直ぐ、フッと、吹き消してしまった。

 

 お義母さんが笑いながら、

「ほのちゃんがフッってするのは、ほのちゃんのお誕生日の日!」


 ホノカはお義母さんのナイフを持つ手元をじっと見つめながら、ケーキが自分の皿の上にくるのを待っている。



 ミノリは、ケーキの上にあった、メッセージが描かれたチョコレートのプレートが食べたくて、       一生懸命おねだりをしていた。


「ほのちゃんと、半分こね!」

と、お義母さんに言われて、お義母さんが2つに割ったチョコ、


「どっちが大きいかなぁ?」

と迷いながら、懸命に見比べている。


 ミノリは、食べている時と寝ている時以外は、ずっとしゃべっている。

いつも、ずーっと、しゃべっている。



 姉妹で、こうも違うものか・・・



 前夜も、にぎやかな夜だった。


ミノリは、幼稚園で自分で作ってきた赤鬼の面、喜んで自分で着けて、ママに見せた。

そしたら自分がオニ役になってしまって、


『あぁっ!アカオニ発見!オニはぁー外』


ママから、殻つきの落花生を一つ、ヒョイと投げられ、大泣きをして怒っていた。


 

 まだミノリが生まれる前、ホノカだけの節分の時は静かだった。


ホノカが小吹台保育園で初めて作ってきた赤鬼の面は、愛嬌のある目をしていた。

ママが、大事そうに、大きくなったお腹の上にそれを乗せて


「この、お面、ママにチョーダイね!」


 ホノカは、キョトンとママを見上げている。

その赤鬼のお面は、ホノカからママへの、初めての誕生日プレゼントになった。



もう、4年経つのか・・・



 我ながら、成長したもんだ。

4年前の事、今では、懐かしく想い出せるようになっている。


















また、ほのパパ



『さくら坂』に来てすぐ、ホノカが2歳の時、公立の保育園に3ヶ月ほど通っていたことがある。


 その保育園は車でT駅へ行く途中にあるので、朝、出勤時間が遅い日や、ママの体調が悪かったり、      ママが病院の日は、パパが保育園へ送り迎えをした。



「何かあった時、困るんですよねー」


 何度見ただろう、この先生の、明らかに迷惑そうな顔。 心の中で舌打ちをする。


 『公立は、公務員だから、きっと居心地がいいのよ』

と、お義母さんが教えてくれた。


 「子供産んでも、ちゃんと産休とって戻ってきてるんちゃう?

仕事できない年寄りが、文句ばっかり言ってて全然動かなくって、そういう人に限ってなかなか辞めへんのよ。

だから、動ける若い子が少ないんでしょ・・・ 知らんけど」


 確かにフットワークは悪そうな気がする。


 嫌味の一言でも言ってやりたい。 でもママは、パパより頻繁にこいつらに会ってるんだ。


ガマンしなきゃ。


 ホノカは、4月1日生まれ、それでなくても学年で一番若い早生まれ、この年頃の1年の差は大きいだろうに。


 ずっと、泣いてばかりだそうだ。

最近、保育園に車が近づいただけで、泣き出すようになった。


 ホノカは、おむつもまだ取れていない。



 もう、1年下のクラスには、できないんですか?・・・ 


規則でダメらしい。

融通が利かないのは、公立だからなのか・・・


「完全に、抱っこで一人、手が塞がっちゃうんですよ・・・」



「ご迷惑をおかけします。よろしくお願いします・・・」


 泣き続けているホノカを置き去りにして、保育園を後にするのが心苦しい。



 ごめんな、ホノカ。



* * 


 以前住んでいたH市の1歳半検診で、言葉の遅れを指摘された。


 『テレビ・ビデオの見せ過ぎかもしれませんね』と。


 ママは、いつもホノカに話しかけているし、優しく歌っているし、テレビ・ビデオに任せっきり、       放ったらかし、なんてことは決してなかった。


 ホノカが、視線を合わしてしてくれない。 目の前に顔を持っていっても、避けて、視線を外してくる。


 ティッシュボックス、テレビのリモコン、スリッパ、ママのケータイ、積み木・・・

部屋の中にあるそれらを繋げて並べるのが好きな時期があった。きれいに輪を描いていた。         順番を入れ替えると一々戻しに来る。

 

ホノカが寝てしまってから片付けた。


 いろんな本を読んだ。 


単に、言葉が遅れているだけ? 

もしかしたら、自閉症かもしれない。病気ではない、治るというものではない。


これから先、ずっと・・・?


 不妊治療の子だから? パパが年喰っているから?


 音楽療法に効果があると。ヒーリングミュージックのCDを購入してみた。


イルカの声を聞かせるといいらしい。 水族館まで、イルカショーを見に行った。


 ホノカが、2歳になって間もない頃、H市の保育相談で紹介状を書いてもらい、大阪府の          母子センターへ検診に行った。


「かわいそう・・・」


ママは、涙声だった。

まだ小さいホノカを、検査のためとはいえ、睡眠薬を飲ませたりしなければならなかった。


「聴覚検査、耳は聞こえています。脳のCT、外傷によるものは特に無いようです」


 自閉症、発達障害の判定は、まだ2歳では難しいらしく『様子を見ましょう』と、              おおよそ予想した回答しか得られなかった。



 ネットを検索した。

やはり、自閉症なのかもしれない。


 右脳を鍛えるトレーニングをしましょう! 牛乳は飲ませないように。寝かせた後『大好きだよ』と     何回も話かける、それを毎晩続けましょう。

そんな育児教室のセミナーに参加した。


 やっぱりアニマルセラピー。

馬と直接触れ合える、乗馬が効果があると。親子で乗れる、幼児向け乗馬教室を体験してみた。


 脳の中で、神経伝達を阻んでいる有害物質を除くサプリを飲んだ方がいいと・・・

そのナントカ研究所の検査キットで、髪の毛の水銀量を測った。

 そんな怪しいサプリを小さい子に? 逆に健康を崩すかもしれない、こんなのに手を出してはダメだ。

言葉の遅れで悩む親を狙って、効果なんて全くあてにならない療法を謳う、悪質な業者も多そうだ。

『自閉症が治った!』というキャッチコピーが一番怪しい、焦りや不安は募るばかりだけど、         騙されないようにしなくては。



「大丈夫、そんなの放っといたら、突然喋りだすわよ!」

 知り合いの、根拠の無い励ましに苛立ちを覚える。



 ホノカ、なんとか、喋り出さないだろうか・・・


* * 



 その当時ママは、O市にあるママの実家近くの病院で、また、不妊治療を始めていた。


 結婚する前から、子供は二人以上たくさん、と決めていた。

結婚して3年間、子供ができなかった。何が原因かはわからない、二人とも検査をした。

ママは排卵が起こるようにと促進剤を摂取した。


 ホノカの時は、排卵促進を1回しただけですぐ妊娠した。


 ところが今回、2人目はなかなか着床までいたらず、ママの実家が新しい家を探し始めた頃、        ママは促進剤の副作用で体調を崩してしまった。 子宮が過敏に反応するらしい。


 しかし、不妊治療はやめなかった。




 ホノカがやっぱり発達障害で、2人目もその可能性があるのかもしれないけれど、ホノカを         ひとりっ子にはしたくなかった。


 ママの不妊治療の時、ホノカは、実家近くの無認可の託児所に預けていた。

託児所での数時間、大抵アンパンマンのビデオを見て、過ごしているらしい。



 『さくら坂』へ移って間もない頃、治療の間だけでも保育園に入れないものかと、不妊治療に通っていた    病院が出した『過敏症』の診断書を持って、K町の役場へ相談しに行った。

ホノカの言葉の遅れも話した。


 役場の担当者の男性は40前位だろうか、似合ってないけれど良さそうな服を着ていた。


「K町の保育園は、園児数に対して定められた以上の保育士がいますし、ほのかちゃんくらいの歳の子は、   個人差があって当然です!」


 話を親身に聞いてくれ、以外にあっさりホノカの公立保育園への入園を認められた。


 いい町にきたな・・・ 

その時は素直にそう思ったのだった。



* * 


 K町の役場から、子供家庭センターを通じてホノカの発達検診の依頼があったのは、            ホノカが保育園に入って2ヶ月を過ぎ、ママのおなかの中にミノリが確認できたころだった。 


 ホノカを持て余した公立保育園が、役場へ直訴したようだ。


 役場の横の公民館の一室で検査をした。 パパママ同伴だ。


 ホノカは、半年前の母子センターでの同じような検査を覚えていたのか、意外にスムーズに答えていった。



 検査を終えて、診断士の先生とパパだけ廊下に出た。


廊下には、役場の担当者と、保育園の主任も、結果を聞きに来ていた。


 役場の担当者は、大き目のセカンドバッグを脇に抱え、かなり昔に流行った、その頃から念入りに      使い続けているらしき大きいサイズの高価そうな革張りの6穴手帳を広げ、                結果を漏らさずメモしようと、既にペンを握って待ち構えている。



 診断士の先生が口を開いた。


「言葉は、確かに、かなり遅れてますね。 でも、現時点では障害児として認定するレベルではないと思います」

 

 役場の担当者が、診断士の先生の言葉に落胆するのがわかった。

その横顔がムカつく。


 診断士の先生は、


「でも、今のほのかちゃんには、同世代の子供たちと過ごす時間が、とても重要だと思います。

言葉の遅れには、特に」

とも、付け加えた。



 検診は、彼らの期待通りには行かなかったようだ。


 ホノカを邪魔者扱いしやがって。 ざまあみろ。

2ヶ月ほど前『K町は大丈夫です!』って言ったのは、その口だろ!



「これからもご迷惑をかけますが、よろしくお願いいたします」

 ムカつく顔に向かって、丁寧に言ってみた。




 その後の事だった。


ママが妊娠したことを告げた。 『ますます、お世話になります』と。


 すると、役場の担当者の表情が一変。急仕上げの笑顔になっている。

「それは、おめでとうございます・・・ 

・・・ということは、保育園は年内いっぱいでということでも、よろしいですか?

不妊治療の期間だけでも、ということでしたよね」


 今K町では待機児童も多く、妊娠だけでは保育の優先要件を満たさせないらしい。


『妊娠したらママの【過敏症】は、もう大丈夫』って診断書に書いていたのか? 

お前は医者か? ホノカを、そんなに追い出したいか!


ムカつく笑顔に、爆発しそうになった。


 

ちょうどその時だ。


ホノカを抱っこしたママが、皆がいる廊下へ出てきた。

保育園の主任の顔を見つけたとたん、ホノカが大きく泣き始めた。


 ママも、悲しそうな顔をしてホノカを抱いている。



・・・ 大切なのは、こっちだ。



あんな所に無理やり通わしても、またホノカが辛いだけだ。


「それで結構です! ご迷惑をおかけしました!」

 吐き棄てるように、言葉が出た。


* * 

 


「ホノカは、何にも悪くないのに・・・」



家に帰って、ママはさめざめと泣いていた。 


 ママに相談もせずに、勢いで年内退園を了承してしまった。

ママのつわりは段々きつくなるだろうし、これから出産へ向けて、どうすればいいんだろう。


無力な自分が歯がゆい。


 以前使っていた無認可の託児所は、ただ預かるだけだ。 訪れる度、ペットショップを思い浮かべてしまう。

たまの2~3時間なら、アンパンマンのビデオでも見ていれば、すぐだろう。

でも、何日も預け続けるのは、さすがにかわいそうな気がする。



 でも使うしかないか。 費用が高い。 これも仕方がない。

出産まで、かなり切り詰めなくては。


 診断士の先生は、ホノカには『同世代の子供たちと過ごす時間が重要』とも、言っていた。



 何とかなるんだろうか・・・?



「しゃべれへんでも・・・ホノカはホノカやもん」

 ママがつぶやいた。



 そうだったな・・・ ごめん。




『女の子を出産されました、母子ともに無事です』


連絡を受けて駆けつけた病院は、満開の桜に包まれていた。


 ガラス越しに、ママの名前が書かれた札の下、眠っているホノカを見つけた時、柄にもなく         神様にお願いをした。


「この子が、元気で育ちますように! 絶対、俺より先に死んだりしませんように!」


 産まれてきてくれただけで、それだけで、胸がいっぱいだった。その時の記憶が鮮明に甦った。



 ホノカはソファの上、ママの腕の中で小さな寝息を立てている。


 ホノカごめんな、邪魔者扱いして。 パパが、ちゃんと守ってやる。


 電話のベルが鳴った。ホノカを起こさないように、急いで受話器を取った。

相手は、今日の検査結果を聞いた子供家庭センターからだ。


【今も待機している児童がいるらしいので、入れるかどうかは、3月ギリギリにならないと          分からないらしいのですが・・・】

と、保育はもとより、発達遅滞児童の言語訓練なども行なってくれる施設、『徳心園』への照会と、        4月からの入園申請も、出しておいてくれるという。


【また、C村の『小吹保育園』さんも、たぶん今いっぱいなんですが、事情を話せば、              一時保育なら、聞いてくれるかもしれません。ダメもとで、どちらも、見学に行かれてみてはいかがですか? 

こちらからも、連絡入れてみます 】


 最後に 【あまりお力になれなくて、申し訳ないです】と付け加えてくれた。


「こちらこそ、ご迷惑をおかけして、すみません。

少しでも、可能性が見えただけでもありがたい話です。よろしくお願いします!」


* * 


 さっそく、会社に休みを取って、紹介してもらったK市にある『徳心園』と、C村にある           『小吹保育園』に連絡を取り、見学に巡る算段をした。


 本格的に西高東低の気圧配置が強まり、日本列島も少し縮まったかと思うほどグーッと冷え込んだ日の朝、  まだ2歳のホノカと、つわりが辛そうなママを車に乗せ、『徳心園』へ向かった。


 『徳心園』は、K市から奈良へ抜ける山道の途中にポツンとあった。

建物の端に塔があり、その尖った屋根の上に、風見鶏がいる。

仏教系の施設と聞いていたので、お寺の本堂とかもある古い建物を想像していたが、             瀟洒な洋風の近代的な建物だった。


 『徳心園』で施設を案内してもらった。

各教室、マジックミラー越しに保護者が観覧できるようになっている。

1クラス10人ほどの児童に保育士が3人。 週1回のペースで言語の個人指導が行なわれていた。



 ホノカは、興味深げにあたりをキョロキョロ見回している。



「今日は、合同の12月の誕生日会をやっています。見学していかれますか?」


 肢体障害のクラスもあって、ヘッドプロテクターをした男の子が、エグザイルを歌っていた。楽しそうだ。


 12月の会だから、クリスマスツリーが飾られていた。 仏教系だが、クリスマスはあった。少し安心する。



 入れたらいいね・・・ きっとホノカは機嫌よく過ごせるだろう。



 ホノカの表情が明るく見える。

ここなら、突然ペラペラ喋り出すかもしれない。 通園バスも、自宅付近までの送り迎えをしてもらえる。

入園できれば言うこと無しだ。


 ダメだった時と雲泥の差。 待機してでも、ホノカをここへ通わせたい。 


 ママの出産予定は6月だ。できれば、それまでに何とかなって欲しいと痛切に願う。



* * 


 3人で外環沿いのファミレスで昼食を終え、約束の時間に『小吹保育園』に向かった。


 『小吹台』は、『徳心園』への道からC村側に山道を車で10分ほど登った、閑静な住宅地だ。

『小吹保育園』はその端に位置していた。


 建物から、子供たちの元気な歌声が聞こえてきている。


 「こんにちは!」


 玄関から、事務室のほうへ声をかけた。

名前を告げると、『どうぞ』と、事務室のソファへ案内された。


 園長先生は、想像していたより若い。睫毛が長くて、目に愛嬌がある男性だ。同い年位だろうか。

もしかしたら、自分より2~3歳若いかもしれない。


 挨拶もそこそこに、早速事情を説明する。 何とかしたいという気持ちが苛立つ。


 ママは、話している途中から静かに泣いていた。

ホノカは、ママの頬を伝う雫をつぶらな瞳で見つけると、ママの握っていたハンカチを取って、拭きだした。


「ほのかちゃんは、やさしいんやね・・・」

近くの事務机から話を聞いてくれていた女性が、ホノカにやさしく声をかけてくれた。


「おかあさんとほのかちゃんは、教室の様子を見学なさいませんか?」

と2人を誘い出してくれた。



 事務室に、園長先生と2人になった。


「家庭センターの方からも、大体の事情は伺っています・・・

ほのかちゃんが保育園で泣くのは、きっとお母さんの気持ちを、そのまま感じて、              表現してるんじゃないでしょうか。

まず、お母さんのケアから始めないといけませんね・・・ 」


 淡々と語ってくれる。


 おっしゃるとおりだ。 ママが、一番辛いはずだ。


「うちも今いっぱいで、一時保育という形でしかできませんが、それで良ければお引き受けしたいと思います。

『徳心園』さんへの申し込みは、そのままにしておいていただいて、もしダメだったら、それ以降も、       一時保育の形ですけれど、お受けしようと思います。

 お母さんが出産で入院されている期間は、ちゃんと、お預かりさせていただきますよ」



 安堵が、体中に広がっていった。 泣きそうになってきた。



「ご迷惑をかけますが、よろしくお願いいたします」



 園長先生が、あれっ? という顔をした。


「お父さん!・・・ 迷惑やなんて、思ってませんよ!」

 園長先生は語気を強めて、怒ったように言った。


「成長がそれぞれ違うのは当たり前です。 お父さんが、迷惑をかけるやなんて、思わんほうがエエと思います」


 そうだ、ホノカは『迷惑』じゃないんだ。親がそんな風に思ってどうするんだ。



 先生は、それから穏やかな口調で続けてくれた。

「お父さん、ほのかちゃんのことで、謝ってばっかりおるのと違いますか?

 本当は『ありがとう』って、言わなあかん場面、今まででも、いっぱいあったんと違いますか?

 確かに、ほのかちゃんが、人に迷惑をかけることもあると思います。 

でも、ほのかちゃんが、この世に生まれてきたことは、決してアカンことやありません。

お父さんが『ごめんなさい』ばかり言ってては、ほのかちゃんが、かわいそうですよ・・・」


『ごめんなさい』じゃなくて『ありがとう』か・・・



 思いっきり殴られたような気がした。 目が覚めるような、心地良いパンチ。



 園長先生が、とてもまぶしかった。


 ありがとうございます・・・ 本当に、心から言葉が溢れてきた。


* * 


「お父さんも、教室へ行きましょうか」



 もうダウンが恋しい季節なのに、子供たちは、半袖、半ズボン、裸足だ。園の方針らしい。


 教室に入ると、子供たちは先生のピアノに合わせて大きな声で歌っている。

ホノカは、しゃがみこんでジーッとそれを眺めている。


 ママに声をかけた。


「とりあえず、月、水、金の一時保育で預かってくれるって」


 ママの顔が、パッと明るくなる。

「今さっき、この教室入った瞬間、ここで機嫌良く遊んでるホノカが見えたん! そんな気がしたんよ」


 

例の、幸運の『直感』だ。

「『徳心園』も、たぶん、行けそうな気がする・・・」


 もう少し早く来てくれたら、こんなに胃の痛くなるような思いをせずに済んだのに・・・

まあ、文句を言う筋合いのものではないか。



「ほら見て。ホノカあんなに楽しそう・・・」



 普通の人が見たら、ホノカはただ、しゃがんで眺めているだけにしか見えないだろう。

でも、その時のママとパパは、楽しんでいるホノカを、しっかりと感じることができた。





* * 


 公立の保育園は、すぐに退園した。 週3日ではあるけれど、『小吹保育園』に通った。


 年が明けたころには、ママのつわりもようやく落ち着き、明るいママが戻ってきた。

『さくら坂』から『小吹台』まで車で20分、ほとんどママが送り迎えをした。


「大丈夫、生まれそうになったらそのまま、産婦人科に運転して行くわ!」


 もし、ママの『直感』が外れて『徳心園』に入れなくても、何とかなるだろう。

お腹が大きくなってきて運転できなくなっても、赤ちゃんが産まれた後も、パパとお義父さんで        交代で『小吹台』まで送り迎えすれば大丈夫だ、何とかなる。



「きょう、ホノカね、お昼寝の布団置いてある部屋に、1人で入って行ったんやて!」

 ママの、笑顔がこぼれる。



「眠いのかな、何してるんやろうって、先生が、他の子達を連れてみんなで覗いたそうなの、そしたらね、    ホノカ素っ裸になって、ほら、今『おかあさんといっしょ』でやってる、お相撲さんの踊りしてたんやて!」



 ホノカが元気にしているのが、一番。 


『自閉症を治す』のではなくて、出来る事を増やしてやればいい。 病気なんかじゃないんだ。

過去の天才と呼ばれる人には、自閉症だったのではと思われる人がいるらしい。

もしかしたら、何かとてつもない才能を発揮して、大儲けしてくれるかもしれないぞ。


 まずは、『自分で生活できる』ことを目指すんだ。


 ホノカは春には3歳だ。

春までにおむつ取れるよう、トイレトレーニングがんばろうな。



* * 


【やったー!】

それがママからの、メールのタイトルだった。


 ママの『直感』は、的中した。

3月も、お彼岸を過ぎていたが、子供家庭センターから『徳心園』への入園決定の知らせがきた。       もう4月は目の前だ。

その日からママは、あわただしく、それでも嬉しそうに入園の準備をした。



 『徳心園』でのホノカのクラスは、男児8人女児2人、自閉症傾向のある児童が多い。

自閉症児は、一目見ただけでは健常児と区別がつかず、その障害も一般の人にはなかなか理解されにくい。

最近、アイドルがTVドラマで自閉症障害者を演じたりして、かなり理解が広まってはいるが、        それでもまだ、心因性の病気の1つと思っている人は少なくない。


 自分たちだって、ホノカが生まれるまで、何も知らなかったのだ。


 保護者の家庭は様々だったが、近い悩みを持つ家庭が多く、障害児のママ達にとって、           心強いネットワークが出来上がっていった。



「ほのちゃん、『療育手帳』まだ、取ってへんの?」


 ママがミノリを無事出産、ホノカもすっかり『徳心園』生活にも慣れた頃。

ママは同じクラス、自閉症児イッセイ君のママに怒られたそうだ。


 「我が子に障害児の烙印を押すのが、嫌ってタイプなん?・・・」

 

ママは、首を横に振った。


「そんなわけないやん。そんなんで意地張っても、しゃーないもん!

去年の秋に一回検査してんねんけど、認定までいかんかってん」


「1年近くも経ってるんやったら、もういけるで、そん時の年齢で比べるらしいから。

面倒臭がらんと、さっさと申請し! 『療育手帳』は持っといた方が、絶対ええよ。 

特別児童ってことで、手当てもあるのよ。ガイドヘルパーも使えるし。色んなとこ、割引があったりするし。

住んでる町ごとで違う事もあるから、ちゃんと役場行って調べなアカン。

重度によるらしいねんけど、車かって減税があるんよ・・・ 

ここには通園バスはあるけど、親も懇談や見学で結構来なアカン、療育で、別にT市の支援学校主催の     療育のやつ、通わしたりしてるんやろ、車は必需品やで。

ほのちゃんとこも、ウチと同じで旦那の安い給料で細々とやろ、ワタシら働きに出たくても         到底無理なんやから、せっかく支援してくれるっちゅうもんは、ちゃぁんと貰わんと!

貧乏人は、しっかり情報を集めて、知恵働かせなアカンよ、ホンマ・・・」


 懇切丁寧に、アドバイスしてくれたらしい。


 貧乏人にされてしまった・・・ 確かに、パパの給料は安い。

何にしても、ありがたいアドバイスだ。



* * 


 『徳心園』での恵まれた環境、恵まれた時間はあっという間に過ぎた。

できることなら、このままずっと卒園させずに、いさせて欲しい。 そう願いたいほど、ありがたい施設だった。


 年長組になると、そろそろ進路を考えなくてはいけない。そんな時期がやってきていた。


 T市郊外にある支援学校か、地域の小学校か?


わが子を『徳心園』に通わせる保護者共通の悩み、難しい選択だ。


 ホノカを連れて、支援学校も、小学校も見学に行った。

安全面と療育と、親として楽なのは、やはり支援学校だ。 通学の専用バスもある。

小学校なら介助員の先生をつけてもらわないと、今のホノカには無理だろう。

教育委員会にも足を運んで、安全面など、あらかじめ事情を聞いてもらう必要がある。

通学も付き添わなくてはならない。


 だが、ホノカの進路は、地域の小学校を選択した。


「『さくら坂』の小学校にしようと思ってるの」 


 パパも賛成だ。


「今、とりあえず、トイレを1人で行けるようになってるし…」

確かに、それは大きい。


「ホノカは、これから『さくら坂』で生活して行くんやから、『さくら坂』の人たちに              ホノカの事を理解してもらうには、その方がええと思うの。

途中でついて行けへんで、支援学校へ編入させないとアカンようになるかも知れない。 

でも、しばらくは頑張ってみようと思うの」


 授業には、すぐ、ついて行けなくなるだろう、到底、中学校は無理だ・・・と、早々に決め付けなくても、     とりあえず小学校に行かせてみよう。

ホノカにとって、国語や算数より、もっと大事なものがあるはずだ。


 自分のことをうまく喋れないホノカだから、それをみんなに理解してもらうようにしなければ。  


小学校入学という環境の変化はホノカには大きなプレッシャーになるだろう。 小学校に入る時、      ホノカの事を知っている友達がいる方が心強いと話し合った。

 

 『さくら坂小学校』の向かいにある公立の『さくら坂幼稚園』に、年長組の1年間『徳心園』を週2回休んで、その週2日に通わせてもらえる様に、お願いをしに行った。

『さくら坂幼稚園』は、介助員の先生を付けてもらえる様、教育委員会にも話を通し、快く引き受けてくれた。

ホノカ専属で楠田先生という介助員の先生がついてくれることになった。


 そして嬉しいことに、ホノカ入学の際、小学校の介助員の先生が増員となり、楠田先生がそのまま加わった。 K町教育委員会の温かい心配りだ。


 『徳心園』と違って、『さくら坂幼稚園』の中でのホノカを最初は心配したが、その心配は無用だった。

『さくら坂幼稚園』には、ホノカと仲良く遊ぼうとしてくれる子供達がいた。


* * 


「保育園を追い出した役場の奴、『療育手帳』を申請させたかったんだろうな。

ホノカ用に介助員を増やすとかできるし。

でも、もし申請できて、たとえ人数が増えたからって、あの保育園では、ホノカは無理だ」


 公立保育園の退園以降、役場との話はママに任せっきりになっていた。


「だって、パパ、何でも断わってきちゃいそうやもん」


 確かに『お役所の力を借りなくても、何とかなる』と、何でも突っぱねて来てしまいそうだ。 

あれ以来、役場と話するのは御免こうむりたかった。



「今の櫻井さんっていう担当の人は、ちゃんと話を聞いてくれるんよ」


 ホノカが『徳心園』に入園して2年後の春、役場の担当者が代わっていたらしい。


ママによると、その櫻井という新しい担当者は、できる限りの対応をしてくれる『ええ人なんよ!』。


「でもそれは、担当者が代わったからじゃなくて、『療育手帳』という手形が、ちゃんとあるからじゃないのかな?」


 今、ホノカにとって『療育手帳』は、役場や公共施設を使う時には、必要不可欠になっている。

役場に仕事してもらうには、その手形が必要だ。


「この前、徳心園の園長さんと話す機会があったん。ホノカの入園の時の話が出て、パパが嫌ってる      役場の前の担当の人、『なんとか、ほのかちゃんを入園させることができませんか?』って、徳心園まで     お願いしに来たことがあったんやって。

『立場上、行政サービスを公正にせなあかんのは、わかっとるんですけど、町に困っとる人がおるのに     黙っておれんかって・・・やっぱり来てしまいました』って・・・」


「ふーん。もしかしたら、あいつ、そんなに悪い奴じゃなかったのかもな・・・」




 ママが『めまい』を起こしてからは、役場の担当もパパになった。 しかたがない。


 ママの症状が落ち着くまでと、ガイドヘルパーの時間を増やしてもらうようにお願いに行った事があった。

ホノカも連れていた。 


 櫻井という、初めて会う担当者に、ママの『めまい』の事情を話すと、


「とりあえず2ヶ月間だけ、30時間に延ばしましょう。

2ヶ月してもお母さんの調子が悪いようでしたら、お手数ですけど、またいらしてください。

また、申請書類を出してもらわないとアカンので・・・」

 しっかり聞いて、快く引き受けてくれた。


 それまで、月20時間を使っていたので、月々、10時間ずつ増やしてくれている。


「・・・ 助かります」



「使ってはるのは、『ぼんご』さんですよね。こちらからも時間増えた事、連絡入れておきますね!」


 申請の書類を記入していると、ホノカが役場の2階へ上がって行ってしまった。


「僕、ほのかちゃん見てますから、お父さん、書類書いといて下さい!」

そう言って、2階へホノカを追いかけていった。


 なんと、気の利く人だ。日本の役場人は、こうでなくっちゃ!

櫻井さん、『日本優秀役場人大賞』ってのがあったら、必ず推薦するよ!



「イッセイも、ほのちゃんと同じ障害レベルやのに、S市は泣いたって喚いたってガイヘルは10時間が限度。

個人の事情なんて全く聞いてくれへん! それかって、こっちから言い出さんと絶対くれへんのやから!」


 K町近くの、K町人口の何十倍もある大きなS市、そこに住んでいる自閉症児イッセイ君ママの、      役所に対する不満は今でもママを通じて耳に入ってくる。


 『さくら坂』は、何所へ行くにもバスで一度T駅まで出なくてはならず、丸1日どこかに出るとなると、    5時間はゆうにかかってしまう。

 月4日は外出支援をお願いしたいと、ママはK町役場に事情を話し、ガイヘルの時間を           月20時間にしてもらっていた。 K町は、ちゃんと、個人の事情まで考慮してくれているのだった。


「S市は、一人一人聞いていたらきりがないって感じ。

どんな支援制度があるか、どんくらい出来るとか、向こうから教えてくれることなんか絶対ありえへんわ!

『ぼんご』さんにだって、市役所の方から連絡したりしてくれるなんて、ありえへん。

支給時間の証明書持ってったり、手続きみんな申請者があくせく調べて、せなあかんねん!」


 今のK町担当者は話を聞いてくれるし、支援制度について調べてくれるし、アドバイスもしてくれる。

 住んでみないとわからない、障害児を持って初めて知る『地域格差』が存在する。

もしかすると『役所で働く人の個人差』かもしれない。


『K町に住んでラッキー、そして今度の担当者がラッキー』なのではない。

K町が、今の担当者が、当たり前なのだと思いたい。


「私らが幸せにならなアカンねん!

私らが生活苦しんどったら、少子化なんて防げへんのよ! S市はなんも分かってへん。

『もし、障害児が産まれてしもたら、安心して暮らされへん!』ってなったら、                おちおち子供なんて作ってられへんやんか! そう思わへん?」


 ちょっと飛躍しすぎているかもしれないけれど、イッセイ君ママの意見も確かに一理ある。


いっちょ前に、福祉行政の事を真剣に考えている自分がいた。

ちょっと、かっこよく思えた。


 これも、ホノカのおかげなんだろうな・・・























 またまた、ほのパパ



しまった、マスク忘れた・・・


  ホノカと玄関を出て気がついた。 もう花粉が全盛期だ。

一応、花粉症の薬は飲んでいるけれど、このまま歩いたら後で大変なことになる。


「ホノカ、ちょっと待ってて!」

急いで取りに戻った。



 玄関を出てきた時には、ホノカの姿はなかった。

 ミユちゃんに促されて班の集合場所まで辿り着いている。


「よし、今行くからな!」


 あれっ、出発してしまった。 内村君冷たいね。 確かにおじさんはメンバー外だけど。


 小走りに、内村班を追いかけた。



「僕たちだけで、ほのちゃん連れて行けるよ。 みんなで囲えば大丈夫、美優だっておるし!」

 正門の前、内村君は頼もしい事を言ってくれる。


 ありがとう。




「今日、置いていかれそうになった」


 家に戻ったら、ママは庭の雑草を抜いていた。  もう、春だね。


* * 


「来週の月曜日に、トライしてみるって!」



 今日、ママが迎えに行ったとき、酒井先生がいたそうだ。


パパが置いていかれそうになった話をしたら、


「一度、子供たちだけで登校させてみましょうか?」

となったらしい。


 話はとんとん拍子に内村君の担任の先生、校長先生にまで進み、パパが遅くいける今度の月曜日、      内村班にホノカを任せて、

「『その日は、一応車で先回りして、校門前に来ておいてもらって下さい』やって!」


 自治会の防犯の方にも、声かけておいてくれるらしい。



「ちょっと、面白そうだね」



 まあ、何とかなるだろう。 パパを置いていった位だから。












* * 


 月曜日は、お天気だった。 春何番かが吹いているらしく、風が強い。


 花粉は、かなり舞っているだろう。 

今日は車だし薬はちゃんと飲んでるから、今朝ぐらいはマスクなしでがんばってみる。



 ホノカを、班の集合場所まで少し早めに連れて行く。


 内村君、ミユちゃんはもう家の前に出ていた。 

内村君の家の玄関、内村君のママが心配そうな顔を覗かせていた。


 内村君は、ちょっと緊張気味だ。



「ホノカ、今日はここで、いってらっしゃい!」


「イッテラッシャイ!」


「ホノカは、『いってらっしゃい』じゃなくて、『いってきます』って言うの!」


「イッテキマスッ!」


 パパがここで家のほうに向かっても、ホノカは手を振っていた。

第一段階成功だ。



 一旦、家に入る。 ママは、2階の窓から見ている。


「出発したわよぉ!」


「オッケー! じゃあ、小学校行ってくるね」



 車で小学校に着くと、門の前にはすでに、酒井先生、『ふれあい学級』の澤田先生、              介助員の楠田先生、校長先生もいた。


「ご苦労様です。ありがとうございます!」


 違う丁目の子らが、登校し始めた。 そろそろだ、もうすぐやってくる。




 来た・・・ ホノカの班が、来た。



 人数が、多い? あおいちゃんの班が、横に引っ付いているんだ。


 内村班が、校門に辿り着いた。



澤田先生は、内村君を抱きしめそうな勢いで、

「班長!かっこいいー!お疲れ様!!」


内村君は、少し後ずさりしながら、照れて笑っている。



「ほのちゃんがね、カイジン、見つけたんやで!」

藤本君が、得意げに報告してきた。 


 カイジン? 何じゃそりゃ?・・・

その問いに、みんな口々に、一生懸命話し始めた。






 ホノカの班が中央公園に差し掛かると、あおいちゃんの班が合流した。

あおいちゃんは、班長さんに、今日だけは内村班に並んで付いていってもらうよう、お願いしたらしい。


「だって、ほのちゃん、私の言うことなら聞いてくれるの!

どっかへ行きそうになったら、私が助けてあげるんやから・・・」


 頼もしいね。 あおいちゃん、ありがとう。



 藤本君によると、機嫌良く、

『♪ウーミーアーヒロイーナ、オオヒイナー』と、歌いながら順調に進んでいたホノカだったらしい。


「学校山の中やし、こっち側から海なんて見えへんし。 なんで、そんな歌やねん・・・ 」


 藤本君、ありがとう。 

ホノカ、曲選びのセンス、無いからね。



 中央公園の前を過ぎようとした時、公園の向こうの集会所の横を、胸の前で小さく指差して        『ヒアンセ』とつぶやいて、その方へ行こうとしたらしい。


 藤本君も、あおいちゃんも

「『ヒアンセ』って言うとったよなぁ」 


ヒアンセ? 何じゃそりゃ?・・・ 



 みんながホノカの行こうとした方を見ると、集会所の建物の脇に潜んでいた、黒セーター、         変なメガネでマスクをした怪人が、みんなの視線に驚いて、慌ててヘルメットをかぶって、          バイクに乗って逃げていったというのだ。


 まだ、そっちの方へ行こうとするホノカを、みんなで止めて、みんなで囲んで、               ミユちゃんが手を引いて、ようやく学校まで辿り着いた・・・


 

ミユちゃん、いつもありがとう。


 内村班や、あおいちゃんの班の子たちは、黒セーターの怪人が、大逆襲してくるかもしれへんと、       周囲をピリピリと警戒しながら来たそうだ・・・ 


 カイジンのダイギャクシュウ? そりゃ恐ろしい・・・ 

みんな、ありがとう。



「さあ、みんな、一度校門前に整列!」


 酒井先生の号令で、生徒達はそそくさと校門前に整列。 班ごとに校長先生の人数チェックを受けて、登校だ。


 ホノカも、ミユちゃんに手を引かれて整列している。


「いってらっしゃい!」


 ホノカは、内村班、楠田先生、澤田先生、酒井先生たちと一緒に校門を入っていった。



 出島さんがやってきた。


 今朝はホノカが保護者無しで登校すると聞いて、非番の防犯委員の方も、1丁目から4丁目の        自治会長さん達まで、様子を見に出てくれていたらしい。


「当番じゃない人は、『今日は特別、ほのかちゃん担当や!』って、、『いつも、この辺で座り込んでるねんな!』

とか相談しもって、立っててくれてはりました。

4人の自治会長さん達は、『ほのかちゃんは車を眺めてよく止まっとるし、万一飛び出したりしたら     アカンから!』と、車のよう通る外周道路沿いの歩道を固めてはりました・・・ 」



 みんな、ホノカをよく見ていてくれてるんだ。


 自治会長さん達は、生徒の登校が無事終わったのを確認してから、黒セーターの不審人物が         まだその辺をウロウロしているかもしれない、手分けして『さくら坂』を見て回ってくれていた。

 子供らに見つかって逃げていくんじゃ大した奴じゃないだろうけど『さくら坂』はちゃんと         守られているというのを知らしめておく事も必要らしい。


「今日は特別、大人がいっぱいやったし、みんな無事登校できて、ホント良かったです!

ほのかちゃん良かったですね・・・ 」

 出島さんは、上品な笑顔で、そう言ってくれた。 



 生徒は、みんな登校チェックを終えて校舎へ向かい、出島さん、校長先生とパパだけが残った。


「なんか、オオゴトになってしまいましたね・・・」


 校長先生はうなずいて

「今回は、保護者ナシで行けるかの実験にはならなかったみたいですね」



「でも、たくさんの人がホノカのことを気にかけてくれていることが、改めてわかりました。

嬉しかったです」


 ありがとうございました・・・ 

みんなに、いっぱい『ありがとう』を言いたかった。



「それでは、失礼します」

と、校長先生は、小走りに学校に入っていった。



 出島さんに、丁寧に頭を下げて、車に乗った。


 ホノカ、けっこう人気者だな・・・ 


目がウルウルしてきた。 きっと、花粉のせいだ。

* * 


 家の前に車をつけると、原付が2台、止まっていた・・・ お客さん?



「あぁ、いらっしゃい! いつぞやはどうも」


ガイヘルのさっちゃんと、そのカレが来ていた。


 タバタヒロシ君とは、去年、ママが大学病院で検査をした日の夕方、ジャスコへホノカを迎えに行った時、   会ったことがある。

 やけに礼儀正しい青年だった。自己紹介が、衝撃的だったので記憶に新しい。


「はじめまして! いつも、西村早智がお世話になっています。 早智のフィアンセです。          田端比呂志と申します!」 


「あのー、フィアンセって、その、婚約者のこと?」


 ヒロシ君はそのとき真っ赤な顔をしていて、

「はい、先ほど、ほのちゃんを立会いに、婚約いたしました!」


「ホノカが立会い?」


「はい!ありがとうございました!」


 なんか話が、よく見えないんだけど・・・ とりあえず、良かった事みたいだね。


 フィアンセ・・・


あぁーっ『ヒアンセ』だ! 黒いハイネックのセーターを着ている。


 「怪人の正体はキミだったのか!」


 何やら心当たりのありそうな、ヒロシ君の顔が真っ赤になった。

* * 


「自治会長さんと小学校に、連絡しといたよ」



 自治会長さんは、【私らも、気になって出てたくらいですから、知り合いだったら余計に心配ですよね】

逆に、不審人物扱いしたのを詫びてくれていた。


 校長先生は、【ほのかちゃんは、ファンがいっぱいですね】 電話の向こうで、笑っていた。



 先週の土曜に、さっちゃんがガイヘルで来た時、ホノカの保護者同伴無し登校の話を聞いて、        それは、『愛のキューピット』の一大事と、2人揃って様子を見に来たのだった。


「どうも、申しわけございませんでした」


 ヒロシ君は、平謝りだ。

ゴーグルのようなメガネを手にして、

「このメガネが、いけなかったかな?」


 今は、普通のメガネに付け替えている。


「怪人の変装じゃなくて、花粉症用のメガネだったんだ。 そんな、昭和初期のパイロットみたいなやつ、    売ってるんだね。 お互い、この季節は大変だよな・・・」


「怪しいメガネよね。おまけにマスクまでしてたら、怪しすぎるわ。

『見つからないようにするから、大丈夫だよ』って、全然ダメやったやない! 見に行かすんやなかった!

ご迷惑をおかけしました・・・」 


 さっちゃんも申しわけなさそうにお辞儀をした。


「まあ、そんなに責めてあげなさんな。ホノカのこと心配で、見に行ってくれたんだから・・・

・・・ ヒロシ君、ありがとう」


* *


「さっちゃん、4月からは『徳心園』だね!」

ママが、嬉しそうな顔をして聞いた。


「おめでとう! 夏祭りには遊びに行くからね!」



 今日お邪魔したのはそれとは別に、ご報告することがありまして・・・ 


ヒロシ君が急に改まった顔に、なった。


「秋に入籍、結婚式を挙げることにしました。

 2人で話して一番に報告するのは、ほのちゃんのとこじゃなきゃいけないと思いまして・・・」


それはおめでとう・・・ 

一番に報告してもらって光栄です。ハイ。


「式や披露宴の日どりが、ちゃんと決まったら招待状出します、ほのちゃんやママには、必ず来て欲しいんです」


パパは? いらない? か・・・


「もちろん、パパさんも、ミノリちゃんも、是非、いらして下さい!」



「住むとこは、もう決めてんの?」

ちょっと、恥ずかしそうにしていたさっちゃんに、ママが声をかけた。


「ヒロシの勤務地が、希望通り大阪に決まったんです」


 続きを、ヒロシ君が引き継いだ。


「先日、先輩とのミーティングがあったんです」


『会社は今、経費節減に躍起になってるから、持ち家のある人間を動かすと、単身赴任させないと       いけないんで経費がかかる、結婚して大阪にいたいなら、大阪で家買ってしまった方がいいかもよ。

最近は住宅ローン組んでも、賃貸とあんまり変わらないし・・・』


と、そんなアドバイスを受けたらしい。


「だったら、『さくら坂』がいいって、さっちゃんが。

今日、これから牧場の上の新しく売り出してるところへ、家を見に行こうかと思ってます」


 観光牧場が経営不振で、『さくら坂』住宅地に隣接する空き地を不動産会社に売ったらしく、         その宅地造成が最近終わり、大々的に販売広告を打ち始めていた。


「ここ、大阪市内まで通うの、けっこう大変だよ」


「パパさんだって、通っておられるやないですか!」


それもそうだ。

  


「夏に、免許取ったんです。そのうち、会社の車で営業するようになると思うんです。

そうしたら、その車で通勤できるみたいなんです」


「『持家の方が、転勤がない』って言って家買って、単身赴任になった人、知ってるよ」


「パパ、そんな意地悪ばっかり言うたらアカンの!」

ママが釘をさす。



「もし、万一、ヒロシが単身赴任することになったとしても、大丈夫です。ココなら・・・」

さっちゃんが割って入った。

  


「ココなら、ほのちゃんや、ほのちゃんママがおるから寂しくないし。一人でだってやっていけると思うんです」



 続きを、またヒロシ君が引き継いだ。

「だって、ほのちゃんは、僕らの『愛のキューピット』ですから・・・ 

これからも、僕達の間を、ずっと見守ってくれるはずです、絶対大丈夫です!」


 ホノカに、そんな大役が出来るかな?



「さっちゃんが近くに住んでくれたら、ホノカ喜ぶと思うな。さっちゃんありがとう」


 そうだ、嬉しいニュースに水を差すことはない・・・ 


ヒロシ君ごめん。おめでとう。



「さっちゃん、仕事の方は?」

 ママが尋ねた。


「たとえ子供ができたとしても、仕事は続けたいんです。 だから、これからもよろしくお願いします」


・・・・・・安心したわ。 だって、さっちゃんを必要としている人は、世の中にいっぱいいるはずよ。

ホノカも、そのうちの1人だわ。



* * 


「ねぇママ、ホノカ、2年生からは、登校、付いて行かなくても大丈夫かな?」


 朝の通勤、楽になるかもしれん。



「まだ、そんなわけには、いかんでしょ。

今日は、みんな張り切って出てきてくれはったみたいやけど、毎日となったら負担大きいもん・・・ 

甘えるわけにはいかんわ。 幸い今日の怪人は、正体が分かったからええけど、何かあった時に大変やもん」


「そうか・・・ そうだな。もう少し、時間が必要かな。ホノカ1人でも、学校まで行ける位にならないと無理だわな」



「怪人は、ないよなぁ」

 ヒロシ君は、照れ臭そうにしている。


「ほのちゃんに見つかるんだもの、ドン臭いんだから!」

 さっちゃんが突っ込む。


「ヒロシ君も、尻に引かれるね。きっと」


「その『も』って何よ!」

ママが、口を尖らせる。




「そんなことよりパパ、仕事行かんでええの?」


 時計の方を目線で促す。



 あぁーっ! すっかり忘れてた! のんびりしてる場合じゃないや!


「お2人は、ごゆっくり・・・ いってきまぁーす!」


 急いで玄関を出ると、車に飛び乗って『さくら坂』を下り、T駅へ急いだ。



 しまった。マスク忘れた・・・ 


 まあ、何とかなるだろう。 マスクぐらい、どこででも売っている。



































 5年後、3月18日 ほのパパのFACEBOOKより



  (添付されているのは、女の子の片目だけ大きく映した画像が一枚)


* *



 小6の長女は「つけまつ毛」をしていた頃がありました。

ちょうど、きゃりーぱみゅぱみゅが「つけまつける」をリリースした頃です。

小学校にも、付けて行っていました。


 自分の事がうまく表現できない等、障害を持つウチの娘は、当時ストレスからか、まつ毛や眉毛を、      自分で引っこ抜くようになってしまっておりました。


 眉毛などが無いと、とても人相が悪くなってしまいます。


 眉毛の方は、眉墨で描けば等と、色々策を施し、本人もマジックで塗ったりしてイモトさんのように     なったりしていました。

 眉毛を抜く方はさすがに痛いのか、すぐに治まりましたが、まつ毛を抜くのが一向に治まりませんでした。


 そこで妻が提案したのが「つけまつ毛」


 さっそく先生から同級生の子達に説明してもらい、学校ぐるみで娘の「つけまつ毛」を           受け入れてくれることになりました。


 娘は「つけまつ毛」が気に入ったようで、「つけまつ毛」を気にしてよく触りはしますが本来のまつ毛は    抜かなくなりました。


 娘の「つけまつ毛」をやっかんだり、からかって馬鹿にしたりする子は誰もいません。

みんなが協力してくれました。

自分の事のように楽しんでいる友達も、たくさんいました。



 やがて、「つけまつ毛」作戦が功を奏して、本来のまつ毛が生え揃ってきました。


 さて、今度はどうして「つけまつ毛」を止めさせようかと思案していた昨年の夏、突然娘は         「つけまつ毛」をしなくなりました。

きっと、同級生の誰かがプールではずす時かに、しなくてもかわいい!とか、褒めてくれたのではないかと   想像しています。


 同級生の皆にとって、娘がクラスにいるのは当たり前の事、とても自然に接してくれています。


 そんな彼らの姿に、何度も何度も、勇気と元気をもらいました。


 同級生の皆にも、娘もいた6年間が、将来きっとプラスになると信じています。


 彼らが成長して子供を育てる立場になった頃、娘の「つけまつ毛」のような事は、日本中どこでも       耳にする珍しくもない当たり前の話、となっていて欲しいと思います。


 秋の運動会の組体操、足手まといにはなっていますが、娘もちゃんと演技の一員になっていました。

 涙が止まりませんでした。


 修学旅行も、皆と楽しそうにしている娘の写真がいっぱいあります。


 娘にとって幸せな6年間でした。 

感謝の気持ちでいっぱいです。



 明日、娘の卒業式です。


 ハンカチだけでは心もとないので、吸水性抜群の「エアーかおるタオル」を持って参列しようと思っています。





(おしまい)








このお話はフィクションで、登場する人物、団体は、          

実在のものとは、一切関係がございません。


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