廃墟テニス部(3)
「お姉さま! パトリツィアお姉さま! 朝ですよ! 起きてますかー! 元気ですかー! って、ええええええええええええええええええええええ!?」
ルデリットから大量の資料を受け取った翌朝、いつものようにシンディが朝イチであたしの部屋に不法侵入したときには、あたしはとっくの昔に起きて軽いトレーニングをしている真っ最中だった。しっかりと目を覚ましてるあたしを見てシンディはすっげえ驚くんだろうなと思ってたが、ここまで驚くか? そんなに驚くことか?
「半裸のお姉さまがお部屋の真ん中で汗まみれになりながら倒立したまま腕立てしてたら普通は驚くと思います!
それはそうとして、まずはシャワーですね。いろいろ準備しておきますから、手早くお願いします」
忠告に従ってあたしはシャワーボックスに入ると、ざっと汗を流した。蛇口をひねるだけでお湯が出るってのは、頭では「それが普通な場所なんだ」と分かってても、とうぶん慣れられそうにない。隊舎のシャワーは蛇口をひねったら水が出るだけでも奇跡だったからな。ファロファロ!
慣れられないと言えば、自分のこの体にも、どうにも慣れられない。端的に言って、胸と腰に余分な肉がついてるせいで、体が重い。髪の毛もこんだけ長いと結構な重さだ。せめて髪くらいはバッサリやりたいと思うんだが、シンディが泣いて嫌がるので今のところは長いままにしている。もっともシンディも「長い髪は荒事になると危険でしかない」というのはちゃんと理解していて、目下大急ぎでピンとくる髪型を模索中だとか。アザール! バリカンでよくね?
3分フラットでシャワーボックスから出ると、洗面所にはタオルとバスタオルが1本ずつ、きちんと畳まれて用意されていた。シミひとつない、フンワリした大きな布を水で濡らすのがなんとなくもったいなくて、タオルだけを使って全身を拭う。
でも水を吸って重くなった髪は、とてもタオルだけじゃ太刀打ちできない。仕方なくバスタオルを広げて、シンディから習った通りの方法で髪を拭いた。それから手早く下着を身に着ける。下着はえらく上等な布が使われているが、どう見たって防弾効果も防刃効果もなさそうで、少し不安になる。
鏡台の前ではシンディがドライヤーを片手にすっかり準備万端だった。そこから先、あたしにできることなんて、鏡の中の自分が見る間にカワイイへと変貌していくのを見守ることくらいだ。
鼻歌まじりであたしの髪を手際よくセットしていくシンディを鏡ごしに見ながら、あたしは意を決して、どうしても聞くべきことを聞くことにした。
「なあ、シンディ。いまからひどく馬鹿げたことを聞くが、これはとても重要な質問だ。だから真剣に考えて、答えてくれ。
お前は、自分が死んだ記憶があるか?」
シンディはピタッと動きを止めると、眉にシワを寄せ、唇をへの字にきゅっと結んだ。そのまま8秒くらい黙り込んでから、おずおずと口を開く。
「ない……と、思います。
パティ姉さまはあるんですか?」
あたしは小さく頷いた。
「あたしは部下を率いて大規模な作戦に参加していたが、あたしを含めて部隊は全滅した。最初に死んだのはジジだった。あたしは最後に、首を切り落とされて死んだ。
なのに、目が覚めたらこの学園にいた。あたしがサファイア様をぶん殴った日の朝が、いまのあたしにとっての、この学園の初日だ。
お前にも似たような体験はあるか?」
シンディは大きく息を吐くと、「あります」と答えた。ファエバ!
「3回目の強化手術を受けるために、麻酔が導入されたところまでは覚えています。
目が覚めると、この学園の生徒でした。それからだいたい6年くらい、この学園で生活しています。
じゃあ、やっぱり私は手術に耐えられなかったんですね……?」
ファロファロ! あたしは一瞬だけ息を止めて、それからシンディと同じように長々と息を吐き出してから、「そうだ」と答えた。
シンディは、しばらく自分自身の手を見ていた。何度も手を握ったり開いたりを繰り返し、手のひらを眺め、手の甲を眺め、また手を握ったり開いたりを繰り返した。あたしはシンディが泣き出すんじゃないかと思ったけれど、彼女はドライヤーを構え直すと、あたしの髪のセットを再開した。
「そうなんじゃないかなって、内心では思ってました。
だっていくらなんでも、こんなのおかしいですもん。
でも、ってことはフォージ城塞学園って、レクレーション・タイム定番のおはなしじゃなくて、強化決戦兵士が死んだ後に行く天国だったってことでしょうか?」
ファエバ! あたしは思わず苦笑してしまう。
「『いくらなんでも、こんなのおかしい』のには、あたしも完全に同意だな。
ただここが天国かどうかは、判断できん。地獄かもしれん。
それにあたしは『お前は死んだ』と言ったが、よくよく考えてみると、あたしはお前の死体を見ていない。指導教官から、お前が強化手術中に死んだという話を聞いただけだ。
あたしにしても、あたしは自分が死んだという記憶こそあるが、あたしの外部環境モニタにも、メディカルモニタにも、ログにはそんなデータは残っていない。
要するに、確かなことは、何ひとつ分からん」
シンディがファンデーションと化粧水を準備し始めたので、あたしは口を閉じる。シンディの小さな手が、あたしの顔にペタペタと液体を塗り込み始めた。
「記憶には残っていても、記録には残っていないってやつですね。
なんだか、お腹のあたりがモゾモゾする話ですね」
まったくだ。シンディに顔面を揉まれながら、思わず眉間に力が入ってしまう。「楽にしてくださいねぇ」とシンディ。やれやれ。そうやってされるがままになっていると、シンディはとんでもないことを言い出した。
「わかんないなら、ここは天国だってことにしておいても、良くないですか?
だってご飯は美味しいし、お部屋は綺麗だし、服も靴もピカピカですし、よくわかんないインネンつけて殴りかかってくる先輩も教官もいません。
そりゃあサファイアさんみたいなのに嫌がらせされてはいましたし、だんだんとあの程度でも自分がひどいことをされているって感じるようになりましたけど、強化決戦兵士の訓練所に比べれば……」
強化決戦兵士の福利厚生予算は最小限だ。食事は質量ともにしっかり与えられたが、味に対する配慮はゼロだった。強化手術を受ける前は、この学園であたしが使ってる個室ひとつぶんくらいの空間に、30人くらいがひしめいてた。当然、プライバシーだのプライベートだのいう概念は存在しないし、人権なんてものは文字通り人間のためだけのものだ。ストレスを発散させたかったら最も手っ取り早いのは「自分より弱いヤツを囲んで殴る」ってことになるのも、当然の環境ってわけ。
確かに、それに比べりゃここは天国だ。ファエバ! アザール! ファロファロ!
だがジジの実験を踏まえれば、この腹がモゾモゾする謎の世界であっても、どうやらあたしらは死ねる。それに、ルデリットが過去50年くらいの間に起きた人造狼憑きによる被害者のデータを用意してくれたので、全件を精査した結果、この世界の人間は頭が潰れれば死ぬし、内臓を食い散らかされても死ぬってことも分かった。
あたしをカワイイの権化に作り変え、最後の一手とばかりに「本日のネクタイ」を選び始めたシンディの背中に、あたしは声をかける。
「仮にここが天国だとして、だ。
天国で死んだら、次はどうなるんだろうな?」
薄緑色のネクタイを手にとったシンディは、にっこりと笑うと、こう答えた。
「もしパティ姉さまが私より先に死んでしまったら、今度は私がパティ姉さまを追いかけて行きますから!」
ファエバ! そういうのを人間社会じゃ後追い自殺って言うんだよ! 天国まで来てそんな重てえことやってんじゃねえぞ!




