第三話
足を一歩前に出すたびに地面の氷たちが悲鳴をあげる。何度もその悲鳴を聞き前に進む。
サクラがすんすんと鼻を鳴らす。
「だいぶ歩いたと思うけど、まだかなぁ」
ここは氷の世界で生物も植物も存在していない。匂いは皆無だ。だったら何に頼るべきか。
「もう少しだ」
それは記憶だ。
あの時、必死で逃げた。
あの場に行きたいと願って行ったのにもかかわらずに、助け出すことが出来ずに逃げ出したあの場所。そしてこの街で生きた。忘れるはずもない。
今となっては氷と雪に埋もれているが、記憶は鮮明に色づいている。
「あの角を曲がれば……広場になっている。そこに、いるはずだ」
心臓が高鳴る。自分たちの最終目的地。何年もかかってたどり着くであろうその場所。握る拳に力が入るのは当然だった。
「……シェル司教殿、痛いのだが」
「あ? あぁ、すまん」
二人は手を繋いでいるのでそれが相手に伝わる。シェルも例外ではなく無意識で力が入っていた。
「君は手を繋いだことがないのか。そんな握り方はご法度だぞ」
「この状況だ。いつもとは違う」
「どうだか」
そんなやりとりを見てサクラはニヤつく。こんな面白いものが見れるとは思っていなかったので楽しくて仕方がない。自然と尻尾が左右に揺れているが、本人は気が付いていないだろう。
「……あの時。私は逃げた。仲間をおいて必死にな」
「……そうか」
「だが、私は再び帰って来た。今度は必ず救ってみせる」
「お姉さんなら大丈夫だよ」
柔らかく微笑んでサクラが返し、続ける。
「私はこの手紙を届ける。お父さんとお母さんの想いを伝える」
「きっと伝わりますよ」
疑う余地すらない。シェルは当たり前だとばかりに返し、続ける。
「私は二人のように関係性はまったくありません。私の目的は黒死病を止めること」
「止まるさ」
短い一言だがロゼは迷わずに言葉を返し、続ける。
「……行くぞ!」
三人は広場へと足を踏み入れた。
予想は出来ていたが、思った以上に悲惨な状態だった。逃げ遅れた人々があちらこちらで氷漬けになっている。氷が溶けたところで生きてはいないだろう。そんな時間が止まった群衆をロゼを先頭に真っすぐに更に前に進む。
少し高くなっている場所。
過去の処刑台。
そして、友がいる。
「……アルビノ」
そこには二人、いた。
後ろから覆いかぶさるように重なっていた。
間違いない。
アルビノとペストだ。
ペストは後ろからアルビノの胸のあたりに手をあてていた。よく見ると一本の矢が突き刺さっている。それを止めようとしている様に見えた。これ以上深く刺さらないように。
見間違えるはずがない。容姿はあの時のままだった。
「あ、あれが?」
「そうだ」
三人は二人に近づく。
白く、凍り付いている。
「だれ?」
突然聞きなれない声がサクラとシェルの耳に届いた。ロゼだけがその声を知っていた。
「い、生きているのか……」
凍り付いた瞳が静かに開く。雪の結晶達が重力に従い下に落ちていく様は、涙が流れているようにも見えた。
「私を、覚えてませんか?」
瞳だけがロゼをとらえる。
「……久しぶりね」
「あれから二十三年の時が過ぎました。長く、長く待たせてしまいましたが助けに来ました」
「そっ」
ペストの瞳からは希望は感じられなかった。その瞳に映る景色は、周りの広場と同じで凍り付いていた。
「無理よ。ほっておいてちょうだい。時間が動き出したらこの子は――」
この場所が氷と雪に覆われている原因は一つだ。それは魔女であるペストの再覚醒した力が原因だが、あの時に強く願ってしまったのだ。
今にも死にそうな息子。あと数秒で死んでしまう命。
時よ、凍り付け。
時間よ、止まれ。
その想いの結果がこれだ。
この力が解除されれば、時は再び動き出してしまうだろう。そうなったらアルビノの死が確定してしまう。だから、この力を解除することなど出来ないのだ。
「お手紙があるんだけど」
「あなた――」
「お母さんじゃないよ。私の名前はリリーじゃなくてサクラ」
知り合いと、いや友人とよく似た顔だった。驚かせる為に嘘をついていると説明された方が納得できるほどに。だが、姿かたちは似ていてもペストにはわかる。リリーの魔女としての波動が感じられないので別人だ。
「……そう。生き延びたのね」
その言葉にサクラは首を横に振る。
「ううん。きっと、もういない」
「……そう」
「だからお母さんとお父さんから手紙を預かって来てるの。読んでいい?」
「ええ。もちろん」
初めて封を開ける。これを届けるために長い時間を旅してきた。今、ようやくサクラの目的が終えようとしていた。




