28.もしも、あの時の約束がなかったら
「それじゃあフラル、僕たちはもう行くよ」
お店の玄関先で、アルミアちゃんと一緒に見送りに出た私を振り返りながら、ブレイブがそう口にする。
その穏やかな表情からは、ステラちゃんと話をするために店を出た前にあった、私への後ろめたさのようなものは感じられない。
私は特になにもした覚えはないんだけど……ステラちゃんと一緒にお店の中に帰ってきたら、いつの間にやらブレイブはいつもの調子に戻っていたのだ。
マグナが励ましてくれたのだろうか?
マグナはパーティの中でも一番の年長者で、気遣いも上手なので、その気になれば自虐的なブレイブを説き伏せることくらいはできるはずだ。
ただ……マグナだったらたぶん、私とブレイブが話をしている最中に茶々を入れて、ブレイブが私に対して覚えているだろう罪悪感へと話の方向を誘導すると言った手法を取るんじゃないかと思う。
当事者の気持ちをぶつけ合わせ、互いにわかり合う機会を設ける方が、私が知るマグナの思想に合っている。
だからもしかしたら、今回はアルミアちゃんがどうにかしてくれたのかもしれないって私は思う。
アルミアちゃんは私の大切な仲間たちと同じで、目の前で誰かが困っていたら放っておけないたちだと思うから。
「うん。元気でね、皆」
「……フラルちゃんっ!」
ステラちゃんが私の方へと一歩踏み出し、もじもじと、なにか言いたそうに指先を弄る。
それから勇気を絞り出すように顔を上げると、まっすぐに私の目を見つめた。
「私も……フラルちゃんみたいに強くなれるように頑張ります! いつか、自分のことが好きになれるように……!」
「そっか。頑張れ、ステラちゃん。私はステラちゃんのこと、いつだって応援してるからね」
「はいっ!」
ステラちゃんは満面の笑みを浮かべると、最後にアルミアちゃんにおずおずと手を差し出した。
「あの……アルミアちゃんも……」
「……え?」
「お、お礼を言いたくて……! あなたが私の背中を押してくれたおかげで……またフラルちゃんと、たくさんお話ができました。だから、その……あ、ありがとうございましたっ!」
「あ……は、はい……どう、いたしまして……」
どこか呆然した様子で差し出された手を見下ろし、アルミアちゃんは一瞬躊躇うような仕草を見せた。
しかしややあってから、遠慮がちにステラちゃんの手を握り返す。
「……ねえ、フラルちゃん」
マグナはそんな二人の様子をじっと眺めた後、私の方に近寄ると、まるで内緒話をするように小声で語りかけてきた。
「マグナ?」
「フラルちゃんなら大丈夫だとは思うけど、少し気になることがあるから……ちゃんとアルミアちゃんのこと、気にかけてあげてね」
どことなく不安を孕んだ瞳で、マグナがアルミアちゃんを一瞥する。
その反応にちょっぴり首を傾げたけど、彼女が語る内容に異論はない。私はコクリと頷いた。
「任せて! それからマグナも、会いたくなったらいつでも私に会いに来てくれていいんだからね!」
「ふふ……そうね。ありがとう、フラルちゃん」
マグナはどこか寂しげに微笑んで、それからくるりと踵を返す。
そうして店の反対側へと並んで向かって歩き出す三人の背中を見送りながら、私は大きく声を張り上げた。
「絶対! また来てよねっ!」
私の声に反応して、三人は足を止めてこちらを振り返る。
そしてブレイブがふと、なにかを思い出したかのように柔らかく微笑むと、私に向かって手を振りながら叫んだ。
「ああ! 絶対にまた来るよ!」
「……うん! 約束だからねー!」
私も満面の笑みを浮かべ、ブンブンと大きく手を振って今度こそブレイブたちを見送った。
そうして三人の姿が完全に見えなくなってから、私はようやく手を下ろす。
「……行っちゃったねぇ、アルミアちゃん」
名残惜しいという気持ちがないかと言われれば嘘になる。
せっかく仲直りできたんだから、もっと話したい、一緒に過ごしたいと思う気持ちは確かにあった。
でも、今はアルミアちゃんにとっても大事な時期だ。
進級試験まで一か月を切った今、たった一日だって無駄にするわけにはいかない。
今はまだ、皆と仲直りできたという事実だけでじゅうぶんだ。
それに……寂しいという感情は悪いことばかりじゃない。
また会いたいと再会を楽しみにする思いは、寂しさが持つ大切な一側面だ。
そんなことを思いながら、さあ店の中へ戻ろうと後ろを振り返る。
しかしそこで私はふと、アルミアちゃんが複雑そうな表情で立ち尽くしていることに気がついた。
「……アルミアちゃん? おーい、アルミアちゃーん?」
「……あ」
呼びかけても反応がなく、彼女の目の前で手を振ってみると、そこでようやく我に返ったようにハッとして、アルミアちゃんは私へと顔を向ける。
しかし視線が合った瞬間、どこかぎこちない様子でパッと顔を背けられてしまった。
「……アルミアちゃん? どうかしたの?」
「い、いえ……なんでもないです……」
「そう……? なら、いいんだけど……」
なんだか妙に歯切れの悪いアルミアちゃんの反応を不思議に思うが、アルミアちゃんはどうしてかそんな私からの追及を避けるように、そそくさと店の中へと引っ込んでいってしまった。
「……アルミアちゃん、どうしちゃったんだろ……」
一人取り残された私は、腑に落ちない気持ちを抱えながらも、アルミアちゃんの後を追って店の中へと戻っていく。
……そしてそれからというもの、アルミアちゃんの錬金術は失敗続きに逆戻りしてしまうのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ブレイブさんたちがフラル先生のお店を訪れてから、およそ一週間。
仕事が終わった後の夜の店内でいつもと同様に錬金術の鍛錬に励んでいた私――アルミア・ケミストールは、くすんだ煙を上げる錬金釜の前で小さく項垂れました。
「……また失敗……」
今回作ろうとした物は、小さな木製のスプーン。木材の形をほんの少し変化させるだけの、本当に簡単な錬金術です。
なのに、失敗した。こんなもの、錬金術をちょっとかじっただけの子どもだって作れるくらいのもののはずなのに……。
フラル先生の助言で、初歩的な錬金術を繰り返すことで徐々に調子を取り戻してきていた私でしたが……ここ最近、また以前のように錬金術が使えなくなってしまっていました。
素材を加工して、錬金釜に入れて、釜の中身をかき回して……そこまでは問題ないのに、いざ心を込める段階になると、途端に錬成の状態が不安定になる。
――アルミアちゃん自身が自分を信じ切れてない。ましてや失敗のイメージなんて抱いてたら錬金術はそれを実現しようとしちゃうから、なおさらね。
「……わかってます。わかってるんです。私自身の問題だってことくらい……」
いつかのフラル先生の言葉を思い返して、私は胸の前でギュッと手を握り締めます。
錬金釜の中を満たしている錬成液は、錬金術師の心を写す鏡のようなものだそうです。
素材に不足がなく、理論に破綻がなく、想像と現実の狭間に矛盾がないのに錬金術が失敗するというのなら、それは錬金術師の心に陰りがある証明に他ならない。
焦燥、緊張、不安、恐怖、不信、諦観。人が人である以上、必ず生まれる負の感情。
心を込める瞬間、ほんのわずかにそれらが湧き上がってしまうだけで、完成品の質は大きく低下し、時にいとも簡単に失敗してしまう。
些細な出来事から生じた心の乱れで錬金術に失敗し、その瞬間の感覚と感情が印象づいてしまい、どんどん失敗が嵩んで……。
負の連鎖を抜け出すことができず、挫折の経験が色濃く残ったことで錬金術の一切が使えなくなり、失意のままに錬金術師を諦める――。
そういった人は少なくないそうです。
……私も……私もこのまま、いつか錬金術が使えなくなってしまうのでしょうか?
「っ、そんなの嫌です……!」
暗雲が立ちこめる未来の想像を拒絶するように、私はまた釜に素材を投入します。
ですが、その結果はわかりきっていました。
いつだって錬金術は、錬金術師の心のありのままを曝け出す。
ボンッ! と錬金釜から煤けたような黒い煙が噴き出し、私に錬金術の失敗を突きつけます。
作ろうとしている物が物なのでこの程度で済みましたが、ポーションのようなまともな物を作ろうとしていれば、まず間違いなく爆発していたことでしょう。
悔しさに唇を噛みしめながら、私はまた、錬金釜に素材を放り込んでかき混ぜます。
失敗したら、もう一度。また失敗したら、さらにもう一度。
だけどやっぱり、何度やっても結果は同じで……。
心がすり減っていくような感覚。焦燥が失敗を生み、失敗が焦燥を生む。
悪循環だと自分でもわかっているのに、一人ではどうにもできなくて――。
「アルミアちゃん、大丈夫……?」
「あ……先生……」
不意に背後から聞こえてきた声に、私は作業の手を止めます。
振り返ると、そこには不安そうな面持ちを浮かべるフラル先生が立っていました。
「お風呂、もう沸いてるよ? 休憩がてらにアルミアちゃん、先に入っちゃう?」
先生らしくない遠慮がちな提案に、私はふるふると首を横に振ります。
「いえ……先生がお先にどうぞ。私はもう少し、錬金術を練習しておきたいので……」
「進級試験まであと半月もないもんね。時間がないから焦る気持ちはわかるけど……あんまり根を詰めすぎても良くないよ? ……言われなくてもわかってるって思うかもしれないけど」
心配そうな声色で語りながら、フラル先生は私に歩み寄ります。
「アルミアちゃんが一途で一所懸命な子だってことはよく知ってる。でも、自分で自分を追い詰めて心を壊しちゃうようなやり方は、先生としてどうしても見過ごせないから」
「先生……」
「私にできることだったら、どんなことだって手伝うからさ。遠慮なくなんでも言っていいんだよ? 抱きしめてほしいとか、頭を撫でてほしいとか。なんだったら一緒にお風呂に入りたいとかでも大歓迎だよ!」
「……ふふっ。それ、私じゃなくて先生がしたいことじゃないですか?」
「うぐっ。そ、そんなことないよ? 私はただ純粋にアルミアちゃんのことが心配で……」
「わかってますよ、冗談です。えへへ……心配してくれてありがとうございます、先生」
ブレイブさんたちがこのお店に来た、あの日以来、先生とはどこかギクシャクとした空気が続いてしまっていました。
……先生は、悪くありません。
先生は普段通りに接しようとしてくれてたのに、私が勝手に距離を置いてしまって……それで先生も戸惑って、私との距離感を測りかねていた印象でした。
――悩みがあるならどうにかしてあげたい。でもアルミアちゃんにとっては進級試験が近い大事な時期だから、変なことを言ってしまったら余計に調子を落としてしまうかもしれない。もしそうなったら……。
日々の遠慮がちな接し方から、そんな先生の葛藤が伝わってくるようで……ここ一週間はお互いに、腫れ物を扱うような接し方になってしまっていました。
だけど、なんだか久しぶりにこうして先生と他愛もない会話ができた気がします。
不思議と肩の荷が下りたような感覚に、私は思わず頬を緩めました。
先生も、私のそんな雰囲気の変化を感じ取ったのでしょうか。
顔を綻ばせると、なにか良いことを思いついたと言わんばかりにポンと手を叩きました。
「そうだ! 実は試験に向けて毎日頑張ってるアルミアちゃんのために、プレゼントを用意してみたんだ!」
「プレゼント、ですか?」
「うん! ちょっと待っててね、すぐに取ってくるから!」
そう言って先生はパタパタと店の奥の方へと駆けていくと、プレゼント用に包装された平たい箱を胸に抱えながら戻ってきました。
「じゃーん!」
嬉しそうに笑いながら、先生はそれを私に掲げて見せます。
まあ、じゃーんと言われても中身が見えないのでまだなにも反応できないのですが……。
苦笑する私に、先生は爛々と目を輝かせながら箱を差し出します。
「さ、開けてみて開けてみて! アルミアちゃんきっと驚くよ~?」
「あはは。では、失礼して……」
促されるがままに、私は先生の手の中にある箱の包装を解いて、木箱の蓋を外します。
そうして箱の中に収まっていたのが一冊の本だと理解した私は、つい目を見開いて言葉を失ってしまいました。
「こ、これは……どうして先生が、これを……?」
「アルミアちゃんがそういう反応するってことは、やっぱりこれで合ってたんだね」
露わになった本のタイトルは、『幸せを作る錬金術師』。
表紙では、ポップな絵柄の可愛らしい女の子が一人、錬金釜を背に佇んでいます。
錬金術大全のように金貨が何十枚と必要なほど高い本ではなく、庶民でもじゅうぶん手が出せるような子ども向けの絵本の一冊に過ぎませんでしたが……これは私にとって、とても重要な意味を持つ絵本でした。
私は、この絵本の内容を知っています。この物語の結末を覚えています。
だってこの絵本は、幼少期の私が何度も読み返した絵本とまったく同じ――私が錬金術師に憧れた原点そのものだったのですから。
「先生、どうして……いえ、どうやってこれを……?」
錬金術師の女の子が主人公の絵本を読んで、私も錬金術師になりたいと思うようになった。
そのような話は確かに先生にしたことはありますが、一方で、実のところ絵本のタイトルについては先生に教えた記憶がありません。
なのにどうして先生がこの絵本の存在を知っていたのか……。
不思議がる私に、先生はホッとしたように息をついて答えました。
「私もちょっと話を聞いただけだったから、この本で合ってるかはちょっと自信がなかったんだけどね」
「つまり……この絵本かどうかは当てずっぽうだったってことですか?」
「あはは、まあぶっちゃけるとその通りなんだけど……でもね、完全に当てずっぽうってわけでもなくてね。アルミアちゃんの気持ちになって考えた結果でもあるんだ」
「私の気持ち……?」
「うん。アルミアちゃんならどんなものが良いと思うのかな、アルミアちゃんがなりたいと願うような錬金術師ってどんな子なんだろう、って考えながら探してさ。そうしたら、これしかない! って思う本があったんだ」
「……それが、この絵本だった」
「うん。だから今は、当たってよかったって安心してる気持ちと……アルミアちゃんと同じものを好きになれたんだって嬉しい気持ちでいっぱいかな。にへへ」
木箱の中から絵本を取り出して、それを見下ろしながら伝える先生の言葉を聞いて……私は胸の中になんとも言い難い熱いものが広がっていくのを感じました。
だってそんな……私のことを考えて探してくれてたなんて、思ってもみなかったから。
――錬金術の原点に立ち返ってみようよ。
いつか先生が、私が再び錬金術を使えるようになるためにくれたアドバイス。
先生はきっとそれを覚えていて……そのために自分にいったいなにができるのか、ずっと考え続けてくれていた。
「……どうして……」
「ん?」
「どうして先生は……私にここまでしてくれるんですか?」
事ここに至っても、先生は私に、今日まで先生を避けていた理由を聞こうとはしませんでした。
それはきっと私が無意識のうちに、聞いてほしくない、踏み込んでほしくないと態度で示してしまっていたからなのでしょう。
でも先生の立場なら、その気になれば無理に問いただすことだってできるはずなのに……。
「どうしてって言われると困っちゃうけど……だってほら、約束したでしょ?」
「約束……」
「うん。先生として、私がアルミアちゃんを一人にしない。力になるって」
――一人じゃどうしようもないなら、私がアルミアちゃんを一人にしないよ。私がアルミアちゃんのこと、ちゃんと見てる。力になる。
――ドーンと頼ってくれていいんだよ? なんたって私は、アルミアちゃんの先生なんだからね!
いつか先生と交わした約束が、私の頭の中を駆け巡ります。
少し前までなら、ポカポカと胸が温かくなるような、先生の優しさがいっぱいに詰まったあの言葉が。
今は――。
「……なら、もし……」
それはフラル先生とステラさんの会話を盗み聞きしてしまったあの時から、ずっと思っていたこと。
言ってはいけない。その先を口にしてはいけない。ただ先生を傷つけるだけの結果になると、わかっていたのに。
改めて先生の心に触れて……胸の中で燻っていた気持ちが、再び湧き上がってくるのを感じて。
私の口は、もう止まってくれませんでした。
「もしも、あの時の約束がなかったら――先生は、今も私とこうして一緒にいてくれましたか?」
「え……?」
――……ありがとう、ステラちゃん。私もね、また皆と一緒に旅ができたらどんなに楽しいだろうって、心からそう思うよ。
「本当は……本当は私なんかよりも、ステラさんたちと一緒にいたかったんじゃないですか? 私と出会わない未来の方が幸せだったかもしれないって……そう、思っていませんか?」
「ア、ルミアちゃん? なに言って……」
「もし今も私と一緒にいてくれる理由が、あの約束のせいだったとしたら……一人で苦しんでた私を憐れんでいるだけの、ただの同情に過ぎないんだとしたら……私、そんなの……!」
……そこまで口にしたところで、私はハッと我に返りました。
「ぁ……わ、私……」
ふと先生の顔を窺ってみると、先生はひどくショックを受けたように私を見つめていました。
先生がそんな顔をするのを見るのは初めてのことで……私は、自分のしでかしてしまったことの重さを痛感しました。
憐れみ? 同情? 本当は、出会ったことを後悔してるんじゃないかって?
先生はなにも悪くないのに、ただ私のことを思ってくれているだけなのに……。
……私は先生に対して、なんて酷いことを言ってしまったんだろう。
「……ごめん、なさい。少し、頭を冷やしてきます」
「あ……! ア、アルミアちゃ――」
呼び止める声に応えることもなく、私は逃げるようにお店を飛び出しました。
……咄嗟のことで、思わず手放してしまったのでしょう。
先生の手から、パサリと絵本が地面に落下する音が、やけに私の耳に残ったのでした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




