23.……先生は、生まれながらの錬金術師なんですね
夕食を食べた後、すぐに眠気がやってきた私たちは、寝室のベッドで二人並んで横になっていた。
そう。同じ寝室で、二人並んで、同じベッドで向かい合って、だ。
「ごめんねアルミアちゃん。部屋、全然掃除してなくって……」
「いえ、突然住み込みで働きたいって言い出したのは私なので……先生は悪くないです」
これから住み込みで働いてもらう以上、アルミアちゃんのための部屋は当然用意するつもりだ。
私の自宅兼お店は弁解のしようがないほどオンボロではあるものの、オンボロってだけで、言うほど小さくて狭いわけではない。空き部屋も、幸いなことにまだ二部屋くらいは余っている。
ただ、その空き部屋というのがちょっと問題で……どうせ使わないからいいだろうと、今までろくに掃除をしていなかったのである。
普段使うところや、お客さんに見せるようなところは、アルミアちゃんが来てくれてからの一週間で頑張って修繕や掃除をしたんだけど……。
さすがに埃だらけの清潔感のない部屋に、いきなりアルミアちゃんを放り込むわけにもいかない。
掃除は明日急いでやることとして、今日だけは私の寝室でアルミアちゃんも一緒に寝ることになったのだった。
ちなみに同じベッドで横になっているのも似たような理由だ。
元々私一人だけがここで暮らしていく予定だったから、寝具がこれ一つしかなかったのである。
床で寝てもらうわけにもいかないしね。アルミアちゃんをそんな寒いところで寝させられない。
私が床に寝るのだってダメだ。私が良くたって、ベッドを譲られたアルミアちゃんの方が気に病んでしまう。それじゃあ私のただの自己満足だ。
そうなると消去法で一緒に寝るしか選択肢はないわけで……アルミアちゃんもそれに了承した結果、今みたいになったのである。
「……なんだかアルミアちゃん、思ったより緊張してないね」
「そうですか?」
一緒にお風呂に入った時はあんなに恥ずかしそうにしてたのに、同じベッドの中にいる今は、ずいぶんと肩の力が抜けているように見える。
私の指摘に、アルミアちゃんは目をパチパチとさせた後、少し思案するように唇に人差し指を当てた。
「……うーん、そうですね。確かに、なんだか思っていたほど緊張はしていないみたいです。やっぱり、一緒にお風呂に入っちゃったからかも? 先生が相手なら、これくらいの距離感は大丈夫って認識になっちゃったのかもしれません」
「えー……仲良くなれるのは嬉しいけど、照れてる可愛いアルミアちゃんももうちょっとくらい見てみたかったなー」
「……もー。これから寝るんですから、からかわないでください」
あ、ちょっと顔赤くなった。
見たかったアルミアちゃんの照れ顔を拝めて思わずによによする私だったが、それに目ざとく気づいたアルミアちゃんは拗ねたように唇を尖らせると、だらしなく緩んだ私の頬をグニーッと引っ張ってくる。
いひゃい、いひゃいよー、とアルミアちゃんに抗議の視線を送ると、アルミアちゃんはおかしそうにクスリと笑みをこぼした。
「なんだか不思議ですね。まだ出会って一週間なのに……ずっと昔から一緒にいるみたい」
明かりを消した部屋の中は、窓から差し込むかすかな月明かりだけが光源だった。
横になった私たちの顔を青白い光がぼんやりと照らしていて、それを反射したアルミアちゃんの透き通った可憐な桜色の瞳には、今は私の姿だけが映り込んでいる。
なんだか世界に二人きりになったような錯覚まで覚えて、心がくすぐったくてたまらなくなった私は、半ば無意識のうちに彼女の手に触れていた。
するとアルミアちゃんもそれに応えるように指を絡ませてくれて、私たちは手を繋いだまま、しばしの間、静寂に身を任せる。
「……そういえば私、機会があれば先生に聞いてみたいことがあったんです」
「んー? どうしたの? アルミアちゃんのお願いなら、なんでも答えちゃうよ?」
「えへへ、ありがとうございます。それじゃあ……先生は、どうして錬金術師になろうと思ったんですか?」
「私が錬金術師になろうと思った理由?」
「はい。ソフィーナ様から錬金術師を目指した理由を聞いた時に、先生はどうだったんだろうって、ふと気になってしまって……」
「うーん……ソフィーナちゃんみたいに立派な理由じゃないんだけど……」
ソフィーナちゃんは、体が弱かった自分やその世話をしてくれた両親を顧みて、同じような人たちの力になりたいと感じて錬金術師を目指したと言っていた。
ソフィーナちゃん自身はそれを、貰ったものを返そうとすることに囚われていただけで、本当の意味で苦しんでいる人たちを見ていたわけではなかったと自嘲していたが、その志が高潔であることに疑いようはない。
そんなソフィーナちゃんと比べられちゃうと……と尻込みしてしまう気持ちもあった。
でも、期待に満ちたアルミアちゃんの眼差しを裏切ることはできなくて、気がつくと私は彼女に促されるがまま口を開いていた。
「錬金術師になることが、私にとって当たり前のことだったから、かなぁ」
「当たり前のことだったから……?」
「私ね、お母さんが錬金術師なんだ。でも自分のお店は持ってなくて、いろんなところを旅して困ってる人を助けて回ってる、流浪の錬金術師」
一つ一つ思い返しながら、私が錬金術師を目指した切っ掛けをアルミアちゃんに語っていく。
それは、私がまだ物心ついて間もなかった頃の出来事。
勇者パーティに加入するよりも、ユグドラ王立学校に通うよりも、さらに前。
ただお母さんの娘として、一緒に大陸を旅して回ってた頃の話だ。
『おかあさん、おかあさん! れんきんじゅちゅ! れんきんじゅちゅ、みたい!』
『もー……お母さんがお仕事してる時は、危ないから近づいちゃダメって何度も言ってるでしょ? まったく……フラルは本当に錬金術が好きねぇ』
お母さんいわく、私は物心つく前から錬金術に興味津々だったようで、暇があればいつも錬金釜にかじりついていたらしい。
らしい、というのは……まあ、私自身にその記憶がないからなのだが。
まだ言葉もわからない赤子だった頃からそんな調子だったので、お母さんも私のやんちゃ具合には手を焼いていたようだ。
『フラルももう大きくなってきたし、そろそろ錬金術師としての心得を教え込んでもいい頃かしらね……』
私が五歳になってしばらくした頃、それまでは危ないからと、仕事中は錬金釜に近寄ることを禁じていたお母さんが、ついに私に錬金術の手ほどきをしてくれることになった。
まあ正確には、何度言い聞かせても懲りずに錬金釜に近づこうとする私を見かねたお母さんが、危険なことをしでかす前に正しいやり方を教え込んだ方がいいと判断したみたいだけど。
理由なんてなんでもよかった。とにかく私はお母さんから錬金術について教われることが嬉しくて、大はしゃぎしたことを覚えている。
とは言え、さすがに五歳の私にいきなり錬金術を実践させるわけにもいかない。
まずはお母さんのお手伝いをする形で、錬金術の知識を身につけることから始めようということになった。
『わぁぁ……! おかあさんおかあさんっ! これ、すっごくきれいだね!』
初めて錬金術を見せてもらった時の胸が震える興奮の感覚を、私は死ぬまで忘れることはないだろう。
その人が抱く感情、記憶、願い、意志――心。
それをありのままに映し込んだかのような色鮮やかに波打つ水面が本当に綺麗に感じて、私はその輝きに一瞬で魅せられてしまった。
『すごい! おかあさんすごい! かみさまみたい!』
『ふふん、そうでしょ。お母さんはすごい錬金術師だからね。なんでもできちゃうんだから』
出来上がったポーションを自慢げに掲げながら、お母さんは胸を張ってそう答えた。
当時の私は気づいてなかったけど……たぶんお母さんは、娘に褒められて調子に乗っていたんだと思う。
『もういっかい! もういっかいみせて!』
『もー、しょうがないわねぇフラルは。もう一回だけよ?』
錬金術とは、いわば心の写し絵だ。その時に抱いた思いや願いが結果に反映される。
だから調子に乗ったお母さんが行使した二度目の錬金術が、舞い上がった心のままに暴走して爆発の兆候を見せることもまた、必然のことだったんだろう。
『あっ、やば……ご、ごめんなさいフラル! すぐ離れるわよ!』
『へ? わぁぁぁっ!?』
突然お母さんに抱え込まれて、錬金釜を置いていた小屋から飛び出した直後。
ドカァァァァンッ! と、大きな爆発音が響いて、小屋は木っ端微塵に吹き飛んだ。
パラパラと飛び散った木屑が、私を抱えたまま転がったお母さんの背中に降り積もる。
『だ、大丈夫フラル!? 怪我はないっ!?』
腕の中でポカンと口を開けて唖然とする私に、ガバッと起き上がったお母さんは血相を変えてそう尋ねてきた。
大丈夫だって、平気だって、そう伝えたい気持ちはあった。
だけどそれ以上に目の前で巻き起こった錬金術の神秘に、私はすっかり心を奪われてしまっていたのだった。
『……きれい……』
『え? き、きれい……?』
『うん……すっごくきれいで、きもちよかった! あのなかにいたかったなぁ~っておもった!』
『……!?!?!? フ、フラルが壊れたっ!? や、やっぱり頭を打って……!?』
『おかあさん! もういっかい! いまの、もういっかいみせて!』
『ダメに決まってるでしょっ!!』
なぜかお母さんに叱られてしまった私は、お母さんが庇ってくれたから平気だって言ったのに、すぐに近くの町医者のところまで連れていかれた。
もちろん異常なんてあるはずもなかったのだが、あの時の爆発の衝撃が体中を駆け巡る感覚を忘れられずにたびたび恍惚とする私を、お母さんは何度もお医者さんに診せたものだ。
「えぇ……」
私の話を聞き終えたアルミアちゃんは、まるで当時のお母さんみたいな引きつった顔でドン引きしていた。
むぅ。アルミアちゃんにならわかってもらえるかもって思ったけど、ダメだったか……。
「えぇと……ということは、つまり……もう一度その時の爆発の感覚を味わいたくて、錬金術師を目指したということですか?」
「んー、それもある!」
「それもあるんですか……」
どこか呆れたようでありながら、先生らしいとでも言いたげな表情でアルミアちゃんは苦笑する。
そんな彼女に、私も軽く微笑んで続きを話した。
「正直さ、どれが明確な理由かって聞かれると私もよくわかんないんだよね。錬金術が好きだからっていうのもそうだし、お母さんに憧れてたのもそうだし、あの爆発の感覚をもっと味わいたいのもそう。でもたぶん、このうちのどれか一つがなくたって……ううん。全部がなくたって、私は錬金術師を目指してたんじゃないかなって思う」
「それは……どうしてですか?」
「最初に言ったみたいに、それが私にとって当たり前のことだったからだよ。産まれた時から、私のそばには錬金術があった。この世界に生を受けたその時から、私って存在を形作ってきたものの一部。それが私にとっての錬金術なの。だから錬金術がない人生なんて、私には初めから考えられなかったんだ」
人に手足があり、目があり、鼻があり、耳があるように。
私にとっての錬金術は、私のそばにあって当たり前のものだった。
「……先生は、生まれながらの錬金術師なんですね」
少しだけ羨ましそうにポツリと呟いたアルミアちゃんは、まるで見えない何かを摑もうとするかのように、暗い天井へ手を伸ばす。
「私には、そこまで強い思い入れのあるなにかは……まだないのかもしれません」
「……錬金術師になりたいんじゃなかったの?」
以前一度だけ聞いた、アルミアちゃんが錬金術師を目指す動機を思い出す。
雑貨屋の一人娘として生まれたアルミアちゃんは、本来なら家業を継ぐはずだった。
だけど錬金術師が主人公の絵本を読んでからは錬金術師に憧れてしまって、どうしようもなく膨らんだ思いを誤魔化すことはできず、迷いながらも両親にその本音を打ち明けた。
そうしたら、二人とも快く応援してくれて……だからこそ、私は絶対に錬金術師にならなきゃいけないんだって。アルミアちゃんはそう言っていた。
「最近、よくわからなくなるんです。あの絵本を読んだ時に感じた感動や情熱が、今も私の中にあるのかどうか……」
「アルミアちゃん……」
「初めは、楽しかった。嬉しかった。錬金術のいろんなことを学んで、実践して、どんどん絵本の中の子に近づいていけることが。でも、段々と……周りの子たちが挫折して夢破れた姿を見ているうちに、怖くなってきたんです。私は本当に、錬金術師になれるのかなって」
アルミアちゃんは、自分の胸元をギュッと握りしめながら続ける。
「……それからでした。私の錬金術が失敗続きになったのは。どんなに新しいことを学んでも、何度練習しても、失敗が嵩んでいった。たまに成功したって、次はうまくいかないかもしれないって不安と焦りばかりが積み重なって……」
「……今のアルミアちゃんは、錬金術が楽しくないの?」
私の質問に、アルミアちゃんはビクッと肩を震わせた後、目を瞑り、小さく首を縦に振った。
「……はい。最初は確かに、楽しかったはずなのに……今は、もう……」
「……」
「先生。私は本当に、錬金術師になれるんでしょうか……?」
アルミアちゃんは、私と目を合わせようとしない。顔を伏せたまま、その胸中を吐露する。
アルミアちゃんなら、きっと錬金術師になれる――そう答えるだけなら簡単だ。
私は信じてる。確信してる。一途で不器用なアルミアちゃんが、いつか必ずスランプを克服して一人前の錬金術師になることを。
諦めなければ夢は叶うなんて、無責任なことを言うつもりはない。
叶うかどうかわからなくても諦めない人こそが、可能性を掴む権利を持っている。
そして、アルミアちゃんにはその素質がある。アルミアちゃんはたった一人でも、茨の道を進むことができる強い子だ。
……それでも私は思うんだ。やっぱり一人より二人の方がいいって。
好きな人が悲しんでいたら、寄り添ってあげたい。苦しんでいたら、和らげてあげたい。
泣いていたら、涙を拭って笑わせてあげたい。笑っていたら、一緒に笑っていたい。
自分の気持ちに素直になることが、錬金術を使ううえで一番重要なことなんだって。私はお母さんに教わった。
茨の道を進む彼女の隣を、私は一緒に歩いてあげたいんだ。
だから。
「アルミアちゃん。私の答えは変わらないよ」
アルミアちゃんの頬を両手で包み、俯いていた顔を上げさせる。
不安げに瞳を揺らす彼女の顔を正面から見つめて、にっこりと笑いかけたら、私はアルミアちゃんを抱き寄せた。
「私がアルミアちゃんを立派な錬金術師にする。私がアルミアちゃんのこと、一人にしない。ちゃんと見てる。力になる」
「あ……それって……」
「あ、覚えててくれた? アルミアちゃんが初めてこのお店に来てくれた日に、私がアルミアちゃんと交わした約束」
アルミアちゃんを安心させるように、そっと髪を撫でる。
「アルミアちゃんなら、きっと錬金術師になれる。私はそう信じてるよ。でも……やっぱり一人で頑張るのは辛いよね。だからさ、私がそばにいるよ。不安で眠れない夜は、不安じゃなくなるまで、こうして抱きしめて頭を撫でてあげる」
「先生……」
「ドーンと頼っていいんだからね? なんたって私はアルミアちゃんの先生だもん。頑張ってる助手を甘やかすのも、私の仕事」
「……えへへ。先生はもうちょっと、人に厳しくすることを覚えてもいいと思いますけどね」
しばらくそうして甘えるように私の胸に頭を擦りつけていたが、次第に眠気がやってきたらしく、うとうとと船を漕ぎ始めた。
今日は大変だったからね。朝早くから露店の準備をして、日中は露店を回して……疲れが溜まってて当然だ。
「おやすみ、アルミアちゃん」
「おやす……なさ……」
すぅすぅと穏やかな寝息を立てて、アルミアちゃんは眠りにつく。
もう少しアルミアちゃんの可愛らしい寝顔を眺めていたい気持ちもあったが、私もそろそろ眠くなってきたので、名残惜しくも重くなってきた瞼を閉じる。
十日前に採用面接で志望動機を聞いた際、アルミアちゃんは言っていた。
私のお店に来たのは、ユグドラ王立学校の試験が近いから、それに備えてのものだと。
正式な錬金術師のもとで仕事を体験してみれば、自身の絶不調を改善する糸口が見つかるかもしれない……。
そんな藁にも縋る気持ちで、アルミアちゃんは進級試験の突破口を探ろうとしていた。
ユグドラ王立学校の進級試験では、学科ごとに筆記と実技の両方で試験を行って、いずれか片方の低い方の点数を基準に合否が判断される。
不合格だった場合、その生徒は問答無用で退学になる規則だ。
この十日間彼女を見ていた限り、おそらく筆記は問題ない。彼女の知識はすでに一年生の合格基準には達している。
問題は、実技だ。
進級試験の開催まで、あと一か月。
それまでにどうにかしてスランプを克服し、実技で合格点を取れるくらいにまで調子を取り戻さなければ、アルミアちゃんは学校を去らなければいけなくなってしまう。
……ユグドラ王立学校は錬金術師になるための近道に過ぎず、通わずとも錬金術師になる方法は存在する。
試験で不合格になることは、錬金術師への道が閉ざされることを意味しない。
だけど失敗続きのまま退学になってしまったら、アルミアちゃんの心は大きく傷ついてしまうだろう。
錬金術は、心を込めることで形を成す。失敗がトラウマになった心では、もしかしたら二度と錬金術が使えなくなってしまうかもしれない。
そんな悲しい結末をアルミアちゃんに迎えさせるわけにはいかない。
考え続けるんだ。先生として、アルミアちゃんのために私にいったいなにができるのか。
Commentary:学校に通わず錬金術師になる方法
錬金術師の免許取得試験は年に一度だけ行われる。この免許取得試験は、ユグドラ王立学校の所属の有無にかかわらず申請ができる。
ただし学校に所属していない者は、事前試験を受けて突破した上で、さらに本試験に臨む必要がある(学校の所属者は事前試験が免除される)。
学校では免許取得試験に向けた効率的な教育を受けられるほか、さまざまな施設を利用することもできるため、基本的には学校に通った方が有利である。無論、きちんとした知識と実力が備わっていれば学校に通わずとも免許は取得できる。




