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カレンちゃんの村とご家族

 さてと、広がった風景を見せてもらおう。俺は鞄の中に入っていたタオルで汗を拭いながら遠くを眺める。


 基本的に草原と畑だな。馬車からも畑はよく見た。

 大きな川が蛇行しながらその中を進んでいる。で、そうじゃないところは森やら林やらで木が繁っている。とても自然豊かですな。

 村らしきものは道に沿っていくらかあるかな。森に遮られて見えないものも多いだろう。


 シャールの街はアレか、かなり遠くに外壁と家々の屋根が見える。御者のじいさんの言っていた尖塔がある宮殿が目立つな。そのシャールの後背に大きな湖がある。


 川はそこから始まっている感じだな。湖の全体の大きさは森が邪魔でよく分からない。で、湖の背後にもまた大きな森が広がっていて、そのまま一番向こうに薄く見える壁のような山脈まで続いていた。山々はだいぶ霞んでるので、ここからは距離はありそうだ。


 一つ疑問があった。


「ティナさ、世界は平たくて太陽と月はいっぱいあるんだろ。なのに、空には太陽は一つしか見えない。遠くの空に太陽が連なって見えるかと思ったんだけど」


 ティナも遠くを眺めながら、そのまま喋る。風に前髪が揺られているのが妙に様に感じた。


「あー、それね、正確に言うと難しいのよね。一つは遠くに有りすぎて空気を通過する間に散乱しちゃって光が弱くなるのよ。他にも理由があるけどね」


「お日様は他のお日様の光を食べちゃうんだよ。ナベはホントに何も知らないね」


 カレンちゃんのは多分お伽噺系のだな。ティナの言うのは、遠くにある太陽は大気を通過する距離が長くて光が届かないってことか。

 でも、タイミング次第では二つの太陽や月が出ても良い気がするがな。



 俺が考え事をしている間に、ティナは続ける。


「そんなことより、カレンちゃんの村よ。どの辺りか分かる?カレンちゃん」


 優しくカレンちゃんに尋ねる。


「あそこの山の向こうだと思うよ。……だから、……見えない」


 カレンちゃん、最後は顔を伏せて言った。急に村のことを思い出したんだな。泣きそうだ。そう思っても、俺はもちろん口に出さない。

 一度それで泣かせたからな。反省できる男、それが俺、ナベだ。


「大丈夫よ。お姉ちゃんは魔法が得意なんだから」


 そう言うと、またどこからか鏡を出す。その鏡見たことがある。こっちの世界に俺が来たとき、ティナから若返った自分の顔を見るように渡された、あの手鏡と一緒だ、たぶん。


 手鏡の柄を持ったまま、ティナはその手を後にひく。そして、思っきりぶん投げた。俺もカレンちゃんもびっくりだ。それ、魔法なの?


 手鏡は弧を描くことなく、最初の軌道のまま回転しながら飛んでいった。何故か途中で加速して、もう見えない。うん、何のためか分からないが魔法だ。


「今のは?」


 俺はティナに訊く。まるで恋に破れて思い出を捨てる人みたいに投げたな。そんな奴、見たことないけど。


「アレに写ったものがこっちに来るのよ。カメラって考えていいよ。次に、これ」


 でっかい鏡がまた出てきた。これは投げられないだろうって大きさだ。金持ちの友達の豪邸の玄関に飾ってあった有田の飾り皿くらいある。


 ティナがその鏡を軽く撫でると、覗き込んでいた俺の顔が消え、どこかの森の上空からの風景に変わる。この大鏡が手鏡からの受信機ってとこかな。



「あっ、この木、村から見えるヤツ!」


 カレンちゃんの声のトーンが少し上がる。言われた木は他の木よりも高くて、何だろう、赤い果実が所々に見える。周囲の木と比較して明らかに特徴的だから、確かにカレンちゃんの知った物なんだろう。

 手鏡からの映像だとしたら、もう山の向こうに行ってるんだよな。ということは普通に移動したには早過ぎる。魔法で転送させたに違いない。

 じゃあ、最初から投げずに転送しておけよって、少し心で思った。


「美味しいんだよ、この実!木登りしないと取れないの。私が一番上手に取れるの!」


「さすが、カレンちゃん。じゃあ、村に向けてちょっと調整するね」


 ティナが鏡の縁を撫でると、鏡の風景が動く。まるでインターネット地図のようにスクロールする。



 森を抜けると木の柵と浅そうな空堀に囲まれた集落が出てきた。そこで、鏡の中の風景の動きが遅くなる。カレンちゃんにゆっくり見て貰うためにティナが調整したのかな。


「ここ、ここ!」


 カレンちゃん、嬉しそう。跳び跳ねているよ。何も役に立っていない俺も満足だ。


「お母さん、どこかな?」


 ただ、カレンちゃんのそんな言葉を他所に、俺は映像を見ている内に別のことを考え始めていた。

 スゲー家が汚い。家なのか、物置き小屋なのか分からないくらい。上から見てるから屋根が主に見えるんだけど、穴が空きすぎだろ。

 たまに見る人間も、カレンちゃんと最初に出会った時に着ていたような茶色いポンチョ、いや、布袋を服としている。


「いた!アンナも一緒だ!!」


 二人並んで歩いている親子の動きに合わせて、鏡の像もユックリとなる。上からでも仲良く手を繋いでるのが見える。服はさっき見たのとは別でマシだな。昨日やさっきの村の人達と同じような、一般的なこっちの服だ。つまり、俺が今着ているのと同系統の服。アンナっていうのが妹なんだろう。


 カレンちゃん、しばらく黙って見ている。それから、ティナを見上げて言う。


「ありがとう、ティナ姉ちゃん!もう満足だよ。二人とも元気で良かった」


 にっこり笑う。とても良い子だ。


「お父さんはいいのか?」


 俺は遠慮しているのではないかと、カレンちゃんに訊く。


「今はお仕事中だから」


「別にいいんじゃない?」


「ちょっと怖いから、お仕事してるお父さんは」


 カレンちゃんのお父さんは仕事熱心なんだな。子供からしたら大人の真剣な表情をそう感じてもおかしくないか。


 親子を映すように動いていた鏡の動きが変わり、村の外へ移動していく。途中、さっきよりは立派、と言ってもキラムの村にある程度の木製の家が並んでいるのが見えた。村民の間で格差があるのかな。


 畑の上で少し映像の動きが遅くなる。大根の葉っぱみたいなのが規則正しく間を空けて何列も並んでいる。幾人かが作業をしているのが見えた。この人達の服は布袋だ。んー、布袋みたいなヤツは作業着なのか。汚れてもすぐに捨てられるように。



 うわっ、誰かがムチで叩かれてる。布袋の服は耐久性もないのか、何回も叩かれた背中の部分が破れているのが分かる。


「あっ、お父さん…」


 えー、目一杯叩かれてるじゃん。痛みで動けなくなりそう。これ、どうするんだ。カレンちゃんにこんなもの見せるなよ。


「助けられるか、ティナ?」


 俺が出来ることは、何とかできそうなティナを促すことくらいだ。それに対して、ティナじゃない方向から意外な言葉が。


「助けちゃダメだよ、ナベ」


 何故だ、カレンちゃん。まさかお父さんの趣味ではあるまい。いや、仮にそんな趣味があったとしたら、娘に知られているくらいなら昇天した方が幸せかもしれないな。


「お父さんのお仕事の邪魔したらダメだよ」


 お仕事?叩かれるのがか?そうじゃなくて、……まさか叩いている方がお父さんなのか。


「カレンちゃんのパパ、こっち?」


 俺は恐る恐る、鏡に映っている屈強な中年を指差す。スキンヘッド、上半身裸、筋肉モリモリでめちゃくちゃ怖そうな感じですよ。


「そうだよ。働かない奴隷を叩くお仕事」


 嫌な仕事だな。家庭を持ってるんだから仕事を選べよ。そんな仕事をしていながら、自分の娘を奴隷落ちにしようとしたのか。全く気持ちが分からないし、分かりたくないぞ。


「大変な仕事ね」


 ティナが優しくカレンちゃんに言う。


「そうみたい。でも、それが村のためなんだよ」


 そうなのか、果たしてそうなのか。叩かなくても皆で働けば、収穫も何とかなるんじゃないか。


「もういいよ、ティナ姉ちゃん。本当にありがとう」


 カレンちゃんが笑いながら礼を言う。そこで、ティナは魔法を止めた。鏡が普通の鏡として雲の少ない青い空を写す。


「良かったわ。カレンちゃんもこれで安心ね」


「うん。私がいなくなって、皆、寂しくないか心配してたの。元気で良かった」


 カレンちゃんの健気なコメントが出たが、それどころじゃない。俺は衝撃から立ち直るのに時間がかかりそうだ。カレンちゃんにとって奴隷を叩くのは普通の感覚なんだな。どこかで修正してやらないといけない。家畜であってもムチで必要以上に叩かないだろ。奴隷なら尚更だ。

 俺は奴隷制がどんなものか実際を知らない。しかし、あんなに鞭を振るう姿を見せられては嫌悪感しかしない。こっちの人が奴隷を必要としているのであっても、アレは良くないよ。しかし、まぁ、ここで何かを言っても伝わらんよなぁ。機会があれば、少しずつでもカレンちゃんを正していこう。



 思うところは多くあるものの、カレンちゃんが肩掛け鞄から出した昼食のパンとハムを食べて、俺たちは下山した。

 行きと同じ道を辿ったので、もちろん俺が村の入り口に着いた時には全身土まみれだ。ティナに魔法で衣服をきれいきれいして貰う。カレンちゃんもしてもらっていたが俺なんかより全然汚れてなかった。カレンちゃんはど田舎の山育ちで慣れているんだろう。決して俺がどんくさい訳ではないと信じている。


 カレンちゃんが御者のじいさんの所に遊びへ行ったタイミングでティナに訊く。


「あの魔法でカレンちゃんの村を覗くなら、登山の必要なかっただろ?」


「そうよ」


 短い返答する、ありがとう。そうだと思った。手鏡だってわざわざ投げることも、カレンちゃんに村の方向を訊くことも必要なさそうに感じたんだ。

 そんな思いもあったから帰り道は体が重かった。


「村の様子を簡単に分かるって認識されたら、カレンちゃんが吹っ切れないでしょ。だから、登山っていうハードルがないと見れないんだって思ってもらうためなのよ」


 そうか、それを信じるぞ。

 登山には意味はあったんだな。先々前を進む二人の背中を恨めしげに見ながらの苦難の行軍に意味はあったんだな。

 良かったよ。


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