村の様子と出立
夜が明ける前にキャビンの中に転移した俺たちは朝食を取っていた。
カレンちゃんは今日もモリモリ食べている。成長期なんかな。
虫の獣人にもそういうのがあるのか、よく分からないけど。いや、蛹になる準備だとしたら十分可能性はあるのか。そうじゃないことを天に祈ろう。
俺の視線にカレンちゃんが気付いて不思議な顔をしたので、にっこり笑う。笑い返してくれた後に、彼女はまた食べることに戻った。
ガラスの窓から外がぼんやり明るくなるのが分かる。外に出てひんやりとした空気の中で空を見上げた。相変わらず朝なのに太陽は地平近くでなく、上にある。昨日の夕暮れに見たときよりは移動しているかな。明るさ的には半分は月の状態か。
あっ、昨日、盗賊の話で頭がいっぱいで月になるとこを見忘れた。
じいさんはまだ起きてないようだ。まさか、盗賊達に殺されてないだろうな。
惨たらしい死体を見ることがありませんようにと祈りながら、俺はおそるおそる近付いたが、御者台に行くまでにイビキが聞こえて無事を確認できた。良かった。
俺は枕元にパンと木製コップに入ったオレンジジュースを置いてやる。
荷受けの連中の馬車は既に無かった。行商人親子は村人相手に商売を開始している。雑貨が多い商品群で、おばさん、お姉さんが客層に多いな。というか、成人男性は一人二人だ。男陣は仕事に行ってるのか。
店になっている馬車の近くで地べたに座って息子の方は子供相手にお菓子を広げていた。俺もこっちのお菓子を食べてみたく買おうかと思ったが、昨日の林檎のように無駄に恐縮されるのも嫌で、眺めるだけにしていた。
村人たちの服は余り綺麗じゃない。黒ずんだり、破けたり、割けたり。毎日同じ服なのかな。
たまに新しめの服を着た人たちはいるか。そういう人たちはどちらかと言うとシャールの街の格好に似ている。街が近いから買いに行く人間もいるんだろうな。
ただ、身分で服装が分かれている訳ではなさそうで、皆で商品の良し悪しをかしましく言い合っていた。服が着れなくなったら、新しいのを調達するとか、そんな感じなんかな。
誰かが商品を買うと、その人の子供が行商人の息子からお菓子を貰っていた。
観察していると、壺に入った水飴か蜂蜜らしきものが一番人気だな。なるほど、ああやれば、子にせがまれて親は必要がなくとも何かを買いたくなるもんな。
行商人の息子と目が合う。手招きされた。そのジェスチャーは、どうなんだ。『来い』ってことでいいんだな。
「昨日の林檎、もう一個の礼をしていないからな」
と言いながら、木の棒の先に絡み付けた蜂蜜らしきものを俺にくれる。褐色に近いそれは、スーパーで買う物よりも粘度が高くて、棒から垂れることはなかった。
「ありがとな」
躊躇なくそれを貰い、口にする。うまっ。こっちに来て初めて、現地の食料を美味しいと感じたかも。神様が出すヤツは別な。あれは俺の世界のよりも旨い。
ネットリと舌に絡んでから唾液に溶けて甘味が口に広がる。思った通り、蜂蜜だ。
「これは売らないのか?」
「うちは雑貨屋だからな。食料は扱わない」
「パンドー草は?」
「ん?糊だろ」
マジかよ。
「……食べ物ではないんだ?」
「あぁ、アレを食べるのは相当だぞ。昨晩はビビった。仲間に乗せられたな」
そっか、カレンちゃん、食べ物が無いときは糊を食べてたのか。どれだけ貧しかったんだよ。お兄さんは胸が張り裂けそうだよ。
「子供達に菓子を振る舞いたいんだが、良いかな?」
「ん?うちのものを人数分買ってくれたらな」
「分かった。金が貰えるか聞いてくる」
親が買ってくれなかった子とか、すっごい寂しそうな目をしてるんだもん。
俺はアンドーさんの元に行き、お小遣いを貰う。とは言え、金貨10枚、日本時代の俺にとっては換算して400万円か。ヤバイな、簡単に貰えるから俺も金銭感覚がずれてしまう。
行商人の方に戻ると既に息子が親父と話していた。俺がたくさんの買い物をする意思があることを伝えたんだろうな、親父さん、満面の笑みだ。
でも、俺が金貨10枚を見せると、その笑みがひきつった。むしろ、汗が滲んできている。
「貰いすぎで御座います。この馬車全てのものを売っても足り過ぎてしまいます」
土下座する勢いで親父さんは遠慮してくるが、そのまま強引に買い付ける。ただ、雑貨自体は不要なので、どうするか。俺は可哀想な子供たちが奴隷として売られていた時のカレンちゃんに重なって、どうしてもお菓子を配りたいだけなのだ。
馬車を囲んでいたおばさん&お姉さん達の中で一番太っている黒人のおばさんに目が行く。馬車の商品をぴーちくぱーちくしている時に、一番中心になって話していた人だから身分もそれなりの人なんだろうと言う見立てだ。見たところ、服も他の人よりも上等そう。
訊いたら予想通り、村長の奥方さんらしい。『今回限りだが、一晩世話になった礼』とか適当な理由を付けて、行商人の品を押し付けた。
びっくりしていたが、貰えるものは貰っておこうの精神だな。回数の少ない押し問答の末、受け取ってもらえた。
皆で平等に分けてねという願いは、ここにいるのが村の女性と子供達全員だということで安心した。皆がいるなら、その言質を破ることは難しいだろう。
それに『聖なる竜に誓って』ということなので、確かなんだと思う。果たして、その誓いにどれくらいの重みがあるのかは分からないが。
俺は一本だけ、カレンちゃん用にハチミツを貰って、その場を去る。
行商人の息子が子供達に大声で言うのが聞こえた。
「今回だけの特別だぜ、お前達。何でもここにある菓子を持っていきな。いいな、今回だけ―」
その声も子供達の歓声で途中から聞こえなくなった。
ちらっと見たら、騒ぐ子供たちを行商人の息子が一列に並ばせているのが見えた。うん、皆に平等に分け与える気だな。
今日もダンと木の棒で勝負していたカレンちゃんに蜂蜜を上げると幸せそうな顔で棒をくわえていた。蜂蜜がなくなってからも惜しそうに棒をなめていたくらいだ。
スズメバチは蜜を食べないから習性じゃないよね。いや、でも樹液に寄って来てたのを見たことがあるな。それを思い出して、カレンちゃんの様子が少し不安になったのは秘密だ。
カレンちゃんがまだ棒をしゃぶっている間、俺は行商人の品を運んでいる奥様方を見る。色んな人種がいる。村長の奥方含めて何人かは黒人で、彫りの深い白人や、一重瞼の日本人に近い者もいる。
不思議なのは、子供達に肌の色が遺伝してなさそうなことだ。
傍にいたカレンちゃんに訊く。
「肌の色ってお母さんとかと一緒にならないの?」
「何で?肌の色は生まれた時に決まるよ。ナベと私も違うよ」
お前と俺は親子じゃないからな。違って当たり前だ。
カレンちゃんでは埒があかなかったので、後からダンにも訊いたら、「親と子で肌の色くらい違ってもいいではないか」で片付けられた。納得いかないが、この世界ではそういうことなんだと思っておこう。
でも、人種差別はなさそうで良いな。代わりに獣人差別があるか。
「さて、行きましょう」
ティナが俺やダンに声を掛ける。
いよいよか、あの荷運びと対決になるのか。
御者のじいさんと目が合う。じいさんはしわの深い顔で俺に対してニヒルに笑う。どんな意味合いがあるのか計り取れなかったが、覚悟はしているということか。
昨日、じいさん、『最初に狙われるのは御者と馬』って言ってたもんな。うむぅ、俺も横に座ってやるか。何も出来ないが、キャビンの中にいるのも薄情過ぎる。
俺が御者台に登ろうと手すりに手を掛けたところで、アンドーさんに止められた。
「ナベは中。馬は任せろ」
無表情でアンドーさんが言う。馬だけでじいさんはどうなんだと思ったが、アンドーさんなら大丈夫だろう。
俺が大人しくアンドーさんに席を譲ったら、近くで何やら馬に結ぶ紐を確認したりしていたじいさんが驚愕していた。何せ女の子に危険な場所を任せた訳だからな。自分の不甲斐なさが申し訳ない。しかし、アンドーさん、本当に凄いんだぞ。
じいさん、何も言わずにまた出発の準備に入って、アンドーさんの逆側から御者台に乗る。
俺もキャビンに乗り込む。予備の馬はキャビンの後ろに繋がれていたので、少し横を通るのが怖かった。




