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旅の準備

 受付嬢のローリィが笑顔で言う。


「皆さん、キラムの入村手形はお持ちですか?ここで買いますか?」

 

 手形がいるのか。確か、ここの街に入るときも門兵に持っているか聞かれたな。


「じゃあ、お願いするわ」


 ティナが金貨を何枚か渡す。昨日聞いた感じだとそんなに要らないだろと貧乏暮らしだった俺は思った。


 お金を受け取ったローリィは、さっと外に出て、すぐに戻ってくる。窓から見るに門兵から紙を貰ったようだ。ちゃんと金貨は渡していたが、一枚くらいだろうな。


「では、ここにサインをお願いします」


 戻ってきたローリィが紙をシートの間にあるテーブルに置く。例のふにゃふにゃ文字の文章の下に記載欄っぽく何本か線が引っ張ってあった。


「左側にお願いしますね。右はキラムで書きますからね」


 名前を書くんだろうな。ただ、


「ここの文字は書けないんだが、自分の国の文字で良いのか?」


 俺の問いにローリィは答える。


「もちろんです。ここのサインは筆跡で本人確認するためですから」


 俺はローリィから渡された鉛筆みたいなペンで、名前を片仮名で書こうとする。竜の神殿で買ったみたいな奴だ。

 あれ、俺のフルネームは何だ?まぁ、いいか。ワタ・ナベと記した。ナベ・ワタの方が良かったかな。

 このペン、鉛筆の形だけど芯は黒鉛ではなかった。インクみたいな染料系の字が書けた。

 続けて、ティナ達も書いていく。ダンは走り書きみたいな文字で素早く筆を流して、元の姿勢に戻る。虫への集中を崩さないのは天晴れだな。



「文字書けない」


 最後に筆を渡されたカレンちゃんは困っていた。そうだわな。そんな気がしていた。


 俺はペンをカレンちゃんから借りて、片仮名で見本を書いてやろうとした。なんかメモがないか目で探していたらティナが出してくれた。相変わらず手品みたいにいつの間にか手に持っているんだよなと思いつつ、文字を書いて、メモとペンをカレンちゃんに手渡す。

 あと、ティナさん、それ魔法ですよね?ローリィの眼の前で使わないで下さい。通報されたらどうするんですか。


「こんな風に書いてみな」


「ありがとう、ナベ!」


 満面のカレンちゃんを見て、俺も満足だ。拙いながらも初めての文字書きだけに嬉しそう。

 でも、片仮名だからカレンちゃんの将来には何の役にも立たないな。カレンちゃんには姓がないらしい。なので三文字だけの記入だった。ただ、これで筆蹟鑑定できるのだろうか。まぁ、何かトラブルがあっても神様たちが何とかするだろうから心配無用か。



「では、封をしてもらいに行ってきますね」


 サイン済みの紙を持ってローリィはまた外に行く。馬車の窓からローリィが紙を貰った兵に話してテントに入っていくのが見える。あっ、金貨を渡したな。兵も懐にそれを隠した。何したんだよ。とても賄賂の香りがします。


 しばらく待っていると彼女が戻ってきた。


「これで大丈夫です。馬車もすぐに動けますよ。お金を奮発しましたからね」


 言葉と同時に馬車が動き出す。街壁の下を通って、すんなり外に出る。荷物検査とかないんだな。入るときは行列に並んだのにな。賄賂の力で無いことを祈りたいぞ。



「では、除虫するぞ」


 門を出て早々にダンが真剣な顔で言う。そして、すぐさま指先から紫の光を出して除虫魔法らしきものを使った。


「今ので除虫されたのですか?」


「うむ、一年は虫が付くことはあるまい。ところで、今日の予定の件だが」


「素晴らしいですっ!殺虫・除虫の商店になれば大儲けじゃないですか!?」


 スケールが大きそうで小さなことを興奮して言うな、受付嬢よ。知らずとはいえ、神様相手になんて提案しているのか。


「そうかもしれないな、ガハハハハ。で、今日の予定の件だが」


「すぐ一緒に商店を作りましょう!ギルドの雇われなんていつでも辞めれますからね」


 すげーよ。ダンの質問は聞かずに自分のことだけをしゃっべっている。


「お金は幾らでもある。不要だ。で、今日の」


「結婚して下さいっ!!」


 なんでだよ。その前向きすぎる姿勢が羨ましいくらいだ。


 しかし、ダンもスケジュールの事を訊くのを諦めたらしく、床に置いてあった瓶の封を切って、そのまま水を飲み始めた。



「ローリィ、ダンは既婚者よ」


「えっ!」


 ティナの突然の発言にローリィと俺は同時に驚きの声を出す。


「500人と重婚」


 アンドーさんから更にとんでもない情報が追加された。どれだけのハーレムだよ、テレビじゃ放送しきれないくらい大家族過ぎるだろ。


 俺とローリィの視線を気にせずダンは水を飲み終え、涼しい顔のまま瓶をテーブルに置く。


「……どこぞの大王様か何かですか」


「うむ、神様みたいなものだ、ローリィよ」


 みたいって何だよ。ギリギリ発言だな。カレンちゃんもいるんだから控えろよ。


「ティナとアンジェもダンのお嫁さん?」


 カレンちゃんが真顔で訊く。重婚の意味が分かっていたか。いや、こっちでは普通なのかも。


「違うよ。私たちはお友達」


 ティナが笑いながら答える。


「この方々とはどういったご関係で?」


 ティナの返答に関わらず、ローリィがダンに確認する。


「ティナが言った通りだ。友人である。カレンやナベもな」


「そうだよ、カレンとダンは友達だよ」


「それはアレですか、性的なアレ的なお友達?」


 おい、俺を見ながら言うな!性的なアレ的なってもうアレしかないだろ。想像させるなよ!俺を巻き込むな。


「消し去るぞ」


 アンドーさんも怖いっす。狭い馬車の中でもう止めてください。


「ガハハ、お互い詮索は遠慮しておこうではないか。で、スケジュールの話だが―」


 ダンの言葉はまた最後まで聞こえない。


「クソ、もう本当クソだわ。501人目の嫁って有り得ない。遺産も501人割りじゃない」


 ローリィさん、強いな。本人を目の前にそんなこと言えるなんて。


 ローリィはその後も独り言をぶつぶつ言っていたが、馬車がゆっくりとスピードを落として停車したところで顔を上げる。



「では、護衛と食料を買ってきますね」


 何事もなかったかのように皆に告げる。

 外を見たら、多くの、そして、色んな種類の馬車が並んでいる。その奥にはいくつもテント式の商店が見える。


「護衛も食料も不要」


 アンドーさんがローリィを止める。


「まだ買ってないんです。街の中から積むと馬が疲れますし」


「そうね、では、護衛は要らないから、これで食料をお願い」


 ティナが金貨が入っているであろう皮袋をローリィに渡す。両手で受け取ったローリィは、そのずしりとした感触で満面の笑みだ。


「なるべく良いものを用意してね。駄賃として何枚かは差し上げるから」


「分かりました、マダム金満様。ありがとうございます」


「口は災いの元よ」


 ティナの呆れた言い様を無視して、ローリィはシートに戻って皮袋の中を確認してニマニマしている。



「どうしたんだ?買いに行かないのか?」


 一向に馬車を出ていかないローリィに疑問を思って俺は訊いた。


「そちらの紺色のとても変な服の人が護衛も食料も要らないとのことでしたので、節約しようかと思います」


 マジかよ。その皮袋を返せよ。ティナは何枚かとか言っていたのに、全額自分のものにするつもりだな。


「ちょっと外に来い。ジャージに謝れ」


 アンドーさんが激オコなんですが。そんなにジャージラブなのか。原動力は何なんだ。

 ローリィはアンドーさんに手を引っ張られて馬車の外に連れ出される。皮袋は既にローリィの腰に結んであるのが見えた。素早い。


 二人が出ていったのを追って俺も馬車を出る。アンドーさんがやり過ぎるのを止めるためだ。



 そんなに間を空けずに馬車を出たはずなのに、既に終わっていた。そう、収穫を待つ白菜のように、ローリィは頭だけを地上に出して地面に埋まっていた。間違いなく、アンドーさんの仕業だな。


「ちょっとこれ、抜け出せないんですけど。親切なギルド職員になんて仕打ちなんですか!」


「反省の兆しがない」


 アンドーさんがニタッと唇を歪める。その薄い笑いは素なのか、時たま見せるんだけど、怖いよ。


「次から調子に乗るな。今度は逆さまに埋める」


 そう言って、アンドーさんは指を鳴らしてローリィを地上に転送する。


「……無詠唱」


 服に付いた土を払いながらローリィは呟く。


「除虫みたいなショボい効果の魔法でなく、転送系で無詠唱なんて素晴らしいです!素晴らし過ぎます!」


 求婚した相手の魔法をいとも容易くショボいと言い放てるとは、さすがローリィ。


「色んなものが盗み放題じゃないですか!?」


 なるほど、お前はクズだ。今のセリフだけなら批難しているように聞こえるが、その前に素晴らしいとか言ってしまってるからな。


「逆さ生き埋めの刑。慈悲を込めて頭部だけ転送してやる」


「待って!アンドーさん、それ、慈悲じゃないから!生き埋めどころか、首切りのスプラッタだから!」


 いつもは心の中でやっているツッコミが口から出た。ローリィ危機一髪だからな。アンドーさんなら本当にやってしまいかねない。こんな賑やかな場所で首なし殺人事件発生、犯人は目の前の奴とか洒落にならない。



「ふん。この服はいいものだ。分かったか?」


 ローリィは少し戸惑った様子だったが、合点がいったのか拳を打つ。


「その服が魔具なんですね!?無詠唱の転送系魔具なんて凄すぎます!」


 魔具?言い方が違うだけで、宿屋のランプみたいな魔道具と同じなんだろうな。

 アンドーさんはローリィの言葉に微塵も揺るがずに堂々と答える。


「その通り。聖なる衣ジャージ」


 適当に答えたな。アンドーさん、普段は妙に厳しくて怖い癖に、たまに遊び心を出してくるから、どう受け取るべきか困ってしまう時がある。


「聖服ジャー・ジ……。私も転送魔法で大怪盗になって刺激的なカネ持ち生活したいですっ!!」


 頭の中で聖なる服と書いての聖服という、聞いたこともない単語が出てきたが何だよ。翻訳指輪の力か。わざわざダジャレぽく訳したのか。

 聖服に気を取られて、ローリィの欲望モリモリな願望をスルーするところだった。人間の小ささが溢れまくりだよ、ローリィさん。ジャー・ジは、この際、無視でいいだろう。


 アンドーさんは聖服の言いっぷりに気を良くしたんだろうな。少し表情が柔らかくなっている。喜んでいる雰囲気なのが伝わる。


「邁進あるのみ。願わぬ想いなど無い」


 うん、場所と状況ではいい言葉だが今ではないな。刺激的で金持ちな生活に向けて邁進って、バブル期のイケイケギャルかよ。



 そして、アンドーさんは俺を見る。


「ナベ、何をしに?」


 アンドーさんが俺に尋ねる。何って、アンドーさんを止めに来たんだけどな。とはいえ、そのまま、アンドーさんが危険そうだったので慌てて付いてきたと答えるのは、アンドーさんが気を悪くするかもしれない。俺が逆さ生き埋めの刑にならんだろうが、されそうでもある。


「いや、馬車の振動が強くて酔いそうだったから休憩で出てきたんだ。馬も見たいしな」


「うむ、馬を見るのは良い心懸け」


 そう言ってから、アンドーさんが指を鳴らす。木で出来ただけのはずだった車輪の外側が黒くなった。手で確かめたらゴムだ。車酔い、じゃない、馬車酔いって言うのか、実際には気持ち悪くなかったが、お尻に優しそうで嬉しい。


「何ですか!?それ!!」


 ローリィが再度驚く。


「今の転送魔法だけじゃないですよね!収納魔法っ?!見たことない素材ですよ、これ!?錬金魔法!?なんか魔法みたいですよ!!」


「いや、魔法だろ」


 思わず声に出たわ。


「見たことないですよ!おとぎ話の魔法みたいです!!凄い、凄いの来た!!うぅ、うちのへっぽこギルドに凄いの来た!!」


 大声出しながら泣いてるよ。

 ほら、周りの人達からもすんごい訝しげに観察されているだろ。恥ずかしいから、今すぐ馬車に戻ってくれないか。


 全く興奮が収まる気配のないローリィを触れちゃいけない奴だと確信して、俺は馬車の前に向かう。馬を見たいのは本当だからな。日本でも競馬が好きだったんだ。当たらなくて、おっさん達とJRAの養分だったがな。


 馬は普通だった。サラブレッドとは違って、ずんぐりした形だけど普通の馬だ。牧場型テーマパークで乗れるような茶色い馬が三頭繋がれていた。うち一頭は予備なのか馬車の横側に繋がれていて、馬車を引っ張るのは二頭だけかな。


 アンドーさんが後ろからやって来て馬に近付く。そして、そのまま手を翳すと馬が頭を下げる。スッゲー嬉しそうな顔をしてるよ。馬じゃなくてアンドーさんがな。動物好きなんだな。そう言えば、出会ったときも蛙がプリントされたシャツだったな。


 目を移すと御者さんが見えた。つばの広い麦わら帽子を被っている、じいさんだ。日焼けと顔の皺が凄いな。ずっと御者をしていると、こんな感じになるのかな。


 御者さんは俺と目が合うと、軽く会釈をしてくれた。俺も日本人らしく会釈で返す。じいさんが腰を浮かせて座っている位置をずらし、空いたスペースの板を手で叩く。俺に『隣に来い』と言っているのだろう。


 横に付いている踏み板に足を掛けて、じいさんの座っている御者台に登る。それから、じいさんの隣に腰掛ける。後ろの箱馬車と同じ幅だから、余裕で座れるな。


「今日はいい天気やな」


「そうっすね」


 じいさん、関西弁か。『じゃな』の語尾だと信じてたよ。


「キラムまでは2日やから、ちゃんと寝袋も用意してや。夜は寒いで。飯は、まぁ、昼は食わんでも我慢できるやろ」


 寝袋か。毛布でもいいんだろうけど、あったかな。あと、飯抜きはきついだろ。


「じいさんの分はあんの?」


「この下に入っとる」


 じいさんは、俺たちが座っている板を指す。あぁ、この御者台の下が物入れになっているのか。


「今日はちっちゃい村で一泊やから、宿はないで」


 俺たちはアンドーさんが何か出すから大丈夫かな。


「護衛はどうするん?こんな立派な馬車だとびびって盗賊も寄ってこーへんけどな」


「さあな。俺は仲間に付いていくだけなんだ」


「そっか。じゃあ、あんたのご主人に聞こか。ローリィじゃ段取り悪いやろ」


 俺のご主人?誰になるんだ。俺の戸惑いには気付いた様子もなく、じいさんは前を向く。


「聖服の嬢ちゃん、寝袋は買わんでえーか?」


 馬の頭を撫で回しているアンドーさんが振り向く。アンドーさんが俺のご主人なのか。


「不要」


「そうか。なら、行くで。準備出来てるんやろ?」


「了解」


 アンドーさんは馬車の裏に向かう。


「俺はここに座っていても良いか?」


 じいさんの話し方が面白そうで、もう少し会話をしたかった。


「えぇで。日差しが強うなったら中に入りや。肌が痛ぁなるで」


 じいさんは振り向いて、箱馬車の木窓を叩くと、しばらくして上にスライドした。ティナの顔が見える。彼女が開けてくれたようだ。


「忘れもんないか?行くで」


「いいわよ、よろしくね」


「ほな。あと、この子に帽子ないか?」


「これで良いかしら」


 ティナが麦わら帽子を木窓越しにじいさんに渡す。相変わらず、どこから出すんだろう。

 じいさんは狭い木窓を通って一回ひしゃげた帽子を整えてから俺に被せてくれた。


「おい、ローリィ。もう行くで」


 いつの間にか、馬車の中で座ってワインっぽい色の飲み物をグラスで飲んでいたローリィにじいさんは声をかける。


「えー、もっと飲みたいんだけど。じいさんに私の至福の時間を邪魔する権利はないですよ」


 このダメ人間め。とはいえ、ローリィは案外素直に馬車を降りて、俺たちが座っている御者台に回る。


「じいさん、チップです。中の巨乳の人が渡せって」


 ティナのことだろうが、ダンなのかもしれないな、巨乳の人。


 黙ってじいさんはローリィからお金を受け取る。それから、手綱を握って馬に出発の合図をする。


 馬車が動き出す。おぉ、振動がほとんどない。お尻痛くない。それに石畳から響いていた音も弱くなった。結構五月蝿くて振動よりも嫌だったんだよな。素晴らしい仕事だ、アンドーさん!


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