馬車が来る
夜明け前、またもや、カレンちゃんのヒップドロップで起こされた。カレンちゃん、体重は軽いんだけど遠慮がないから、胃液が喉元まで上がってきそうだ。でも、俺の事を恐れていないから、こんな事を出来るのだろう。カレンちゃんが俺にかなりの親しみを感じている現れだと信じているぞ。
今日は快適だ。なぜなら、昨晩、アンドーさんに替えのパンツを出して貰えたからだ。ただ、俺のトランクスの要望に対して白ブリーフなのは彼女の趣味なのか。
村人服も三日目となると、さすがに首周りから汚れ出す。こっちに関しても何やら魔法で綺麗にしてくれた。どうした、アンドーさん。そんなに機嫌が良いと、天災でも来るんじゃないのかと思ってしまう。
本当にアンドーさんはとても気まぐれ。今のアンドーさんなら、おっぱい見せてってお願いしても見せてくれるんじゃないか。いや、ちっちゃいから興味ないし、見せてくれるはずないだろ。
窓の外はまだ暗いが、5人で朝御飯を食べる。目玉焼きとパンというとてもシンプルなやつだ。シンプルと言っても両方ともやはり絶妙な味だ。カレンちゃんは一心不乱に食べている。口の端に卵の黄身が付いているのをティナが拭ってやっていた。
「カレンちゃんの村には結局行かないのか?」
「お父さんと獣人化が終わるまでは帰らないって約束したんだって。えらいね、カレンちゃん」
そう言いながら、ティナは手でカレンちゃんの頭を撫でる。カレンちゃんはくすぐったそうに笑顔で応える。あら、カレンちゃん、村への望郷の念は我慢できたんだ。偉いぞ。
「遠くから見るだけにするよ。山からティナお姉ちゃんが見せてくれるの」
寄り道して望遠鏡みたいな物を使うのか。巫女さんに貰った地図には山が書いてないが山に向かう道が云々とか言っていたので、ここらにあるのだろう。
「うむ、では二手に分かれるか。俺とアンジェで祠に向かおうぞ。ナベはどうする?」
正直、どちらに向かっても付いて行くだけの存在だけだからな、俺は。
まぁ、カレンちゃんの話し相手くらいはするか。ティナで不充分ということはないが多いに越したことはないだろう。
「カレンちゃんに付いていくよ」
「えー、ナベは嫌だなあ。役に立つかなあ」
そんなこと言うな、カレンちゃん。もしかしたら役には立つかもしれないじゃないか。少なくとも荷物持ちくらいは。……って、このメンバーだと俺が持つことになるのか。大丈夫か、俺。山登りみたいだぞ。
カレンちゃんの手前、俺の不安を伝えるのはカッコ悪い。黙って笑顔でいよう。
「カレンちゃん、キラムの村までは皆一緒だよ。そこで二手に分かれるからね」
そうなのか。俺にも教えておいてくれよ、ティナ。少し安心。
部屋を出ると、昨日伝えていたのか女将さんが既に階段そばにいたので、鍵を返した。受け取った女将さんは俺たちが泊まっていた二部屋に大きな閂を取り付ける。余りに大きいので俺とダンで持つのを手伝った。女手一人で階段をどうやって上げたのか不思議なくらい重かった。魔法で上げたなら、今も魔法を使えと思う。
この閂、俺たちが留守の時に盗っ人が入らないようにする工夫なんだろうが、逆に今は留守ですと言っているようなものだな。女将さんは閂の上に何かお札みたいなものを貼っていた。なんだろ、魔除けみたいなものか。それとも、開けられなくする魔法的なものであろうか。
廊下にはランプみたいな道具がいくつか付いていて十分に明るい。女将さんに訊くと、魔法は市内使用禁止だけど魔道具はOKとのこと。魔道具が何かは聞かなかったが、字面の通りだろう。さっきのお札みたいな封も魔道具だって。取らないと閂は動かず、取ると封を貼った女将さんに何かの合図が行くらしい。
閂とセットでレンタル業者がいて、俺たちみたいにお金を持っているVIP客向けのサービスだとのことだ。部屋の前までは業者が運んで来るらしい。うーん、扉を閉じる魔法を掛ければいいだけな気もするぞ。でも、ややこしいシステムに思えるけど、何かそれなりの理由があるんだろうな。
女将さんは俺たちを先導し、玄関のところで俺たちを向く。
「それでは留守中はお任せ頂いて、行ってらっしゃいませ。くれぐれもお気を付けて」
簡素な言い振りだが、それが却って丁寧で人の良さを感じさせた。見慣れている東洋風の顔なのも安心感と親近感を抱かせるんだろうな。
「行ってくるね」
扉を出たカレンちゃんが元気に手を振るのを、女将さんは微笑んで見ていた。
宿の外は、夜明け前だけに少し肌寒い。ただ、この冷気が心地よくもあった。朝方の空気って、なんか元気出てくる気がする。
あれ、月がまだ出ている?俺は空を見る。なんで頭上にあるんだ?
寝る前もあの辺りにあったはずだから、もう西の方に移動しているかと思ったんだが、まだそんなに時間が経ってないのか。
不思議に見上げる俺にダンが後ろから喋ってきた。
「ナベよ、ここでは月と太陽が同じなのだよ」
「どういうこと?」
「昼間の太陽が月に変わることで夜になる」
ん?全く理解できないぞ。俺はダンの続きを待つ。
「ナベの世界とは違うのだ。恒星だとか衛星だとかじゃない。あれは光を出す精霊だと思っていれば良い」
「それがぐるぐる回っているのか?天動説みたいな感じか?」
「ナベの想像と合っているか疑問はあるが、そうだ。あの月は昨日見た太陽で、また太陽に戻って月になる。それがゆっくり空を動いている」
えっ、そうなの。昨日は気付かなかったけど、確かに太陽の位置はそんなに移動してなかったと思う。影がずっと同じ感じだったから。
「太陽が沈んだらどうなるんだ?かなり遅い移動速度だから、しばらく太陽も月もない夜になってしまうのか?」
「また、東から太陽が昇る」
「何個か太陽があるってことか。それがグルグルこの星を回っているのか?」
「世界は平面だぞ。ずっと地面が続いているのだ」
まじか!それって重力どうなるんだ。地下はどこまで続くんだよ。それに、ずっと地面が続いているなら、太陽も無限にないとダメだぞ。いや、星については俺の世界にも数えきれない程あるか。
しかし、大きな問題というか疑問が出て来たぞ。
「それじゃ、重力が凄すぎて地底にブラックホールが発生するだろ。どうすんだよ?」
「そこは魔力の働きだよ、ナベ。あなたの世界には無かった力も含めて、この世界は出来ているのよ」
ティナが割り込んできた。魔力すごい。納得というか、訳が分からないな。
「また、ゆっくり聞かせてもらう。今はカレンちゃんもいるしな。俺たちの秘密を聞かれるのはダメなんだろ」
「大丈夫よ、今は日本語だから」
そうなのか、日本語、便利だな。この世界じゃ、パーフェクトな暗号だわ。
「だから、ナベがバカだって思われないわよ」
そっちの大丈夫かよ。まぁ、こっちの人間からしたらそう思うわな。とりあえず納得しておこう、この地面は丸くないとな。しかし、世界の端っこがどうなっているのか、ダン達に聞いたら教えてもらえるのだろうか。少し興味があるな。北極とか南極とかもないんだろうな。そうか、だから、地図の上側が北じゃなかったのか。宗教的な理由もあるのかなしれない。
俺のいた世界でも極点とか知らない時代は地図の向きはマチマチだったはずだな。いや、でも、北極星に気付いていたら、北を上に作る方が合理的なのかな。
さてと、馬車待ちだな。口が滑りすぎるギルドの受付が手配してくれているはずだ。
少し肌寒い中、しばらく待っていると馬の足音とともに車輪が転がる音が近づいてきた。陽も徐々に明るくなりつつ、俺は空を見ると、確かに月が明かりを増しつつ太陽に変わっていくのが確認できた。
馬車は宿屋の入り口から少し離れたところに止まった。屋根が幌でなく平らになった箱型の荷車を引っ張っている馬車だ。その人が載る箱の部分に扉が後ろに付いていて、それが開く。
「おはようございます!やって来ました!皆さんの冒険の始まりですよ!!」
例の受付嬢の能天気な声が早朝の静かな街並に響く。似たようなセリフをあの白い場所から移動する時にティナも言っていたな。しかし、冒険らしい冒険はしていない気がする。
「うむ、ご苦労」
ダンが彼女に声を掛ける。
「では、皆さん、キラムにちゃっちゃっと参ってしまいますよ」
受付嬢は手で箱の中に入るように俺たちを促す。『HEY、カモン!』って感じ。その動作に貴族への配慮なんてものはまるでない。俺たちが本当に貴族だったら不敬罪で逮捕されるんじゃないか。
馬車の箱の中はそんなに広くない。受付嬢を入れて6人がいるわけだが、席に座るときつそうだ。荷物を置くスペースが奥にあり、そのスペースを除いて電車みたいに左右にシートが付いていた。シートの間の真ん中に小さな丸テーブルが置かれている。
「うむ、除虫したいな」
虫には煩いダンが乗り込んで早速そんなことを言い出した。受付嬢の顔が笑顔のままひきつる。
そらそうだろ、粗相のないように用意した立派そうな馬車に対してそんなことを言われるとは思ってないだろうからな。綺麗に掃除した自分の部屋に男友達を入れたら、いきなり『虫がいそうだな』と言われた哀れな女の子みたいなもんか。
「いないだろ。除虫するなら街を出てからだぞ。街中は魔法禁止だからな」
ダンはしぶしぶ座る。長身だから立ったままだと屋根に頭がぶつかってしまうしな。背負い鞄からシーツみたいなものを出して敷いていたのがせめての抵抗か。
馬車が動きだし、街を走る。カレンちゃんは電車の外を眺める幼児のように馬車の窓を見ていた。動くものに乗ることが珍しいんだろう。
「皆でキラムに行くなら、皆でカレンちゃんの村を眺めればいいんじゃないのか?」
俺はティナとアンドーさんに訊く。ダンは虫がいないかに集中しているようなので遠慮して訊かずにいてやった。
「まぁね。ただ、カレンちゃんの面倒は私が見るのよ」
ティナの言葉にアンドーさんが反応する。
「私も世話する。ただ、山には多くの虫がいるだろ」
アンドーさんはそう言ってダンに目をやる。
「皆で行くと、ダンの面倒を私が見ることになる」
冗談なのだろうがアンドーさんが言うとそう思えない。
ダンは答えない。研ぎすまれた真剣のように凛とした顔付きで周囲の気配を探っている。ただでさえ整った顔の癖に、俺でも惚れ惚れするくらいの雰囲気を醸し出している。虫にびびっているだけなのにな。
その後も、俺はティナやアンドーさんとたわいもない話をしていた。そうそう、受付嬢の名前はローリィというらしい。自己紹介コーナーが彼女発案で始まったが特に盛り上がらなかった。ごめんだが、俺も神様たちも自己紹介できるだけのものがこの土地にないからな。出身を適当に誤魔化すだけの土地勘もない。
それに、
「俺が好きな食べ物は、ティナのリンゴとアンドーさんのパンです」
って言ったら
「性的な話ですか」
ってツッコミが来て、場が静まりかえっただろ。
一瞬、何がそうなのか考え込んでしまったわ。結局、意味が分からなかった。
1時間くらい揺られて、外壁に付いたのか馬車が止まる。外はだいぶ明るくなっていた。




