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貨幣の価値

 宿の部屋に着き次第、ダンは指先から紫色の光を出して虫を駆除する。俺がいた日本でもここまでの人はいないだろうと思うくらい、虫に対しては入念だ。部屋を見渡す視線が厳しい。しかし、俺も刺されたり、痒くなったりするのはご勘弁だからありがたい。

 毎回する必要があるのか聞いたら、シーツとか取り替えていたら侵入するぞ、と無駄にいい顔で言われた。


 椅子に座り落ち着いたところで、俺はダンに話し掛ける。


「お金の価値がどれだけなのか、よく分からないんだが、教えてくれるか?」


「うむ、俺もよく分かっていないが参考程度で聞いてくれ」


 衝撃を受けた。お前、分からないでバンバン金を使ってたのかよ。どこぞのアラブの石油王みたいだぞ。


「一番価値が低いのがこの銅貨で、これ一枚でパンが一個、正しく言うと一皿の料理が食べられるようだ。日本で言う、一汁一菜なら米も含めて銅貨三枚だな。無論、一皿が銅貨一枚でなく、それよりも高いものもザラだが」


 パンも魚も野菜も、安いものなら全て一枚ということか。しかし、疑問はあるな。


「パンより安いものはどうするんだ?」


「纏めて売っているか、物々交換だろうな。昨日、ナベが食べたあの丸パンが基本の銅貨一枚に相当する」


 あぁ、あの何かモサモサ、パサパサしたヤツな。あんまり美味しくなかったな。口の中の水分がだいぶ持っていかれた。


「俺がアンドーさんに貰った虫はどうなんだ? あれがパン一個と同じとは思えないぞ」


「あれは5本で銅貨一枚だ。それをアンジェが一本を銅貨一枚で買ったんだろう」


 5本も必要ないしな。いや、5本だと皆に1本で行き渡ってしまうからか!! アンドーのヤツ、食べたくないから俺の分だけにしたな。まぁ、いい。次は喰わしてやる。


「分かった。銅貨一枚でパン一個な。日本で考えたらどれくらいの価値になるんだ?」


「なかなか難しいな。ナベは庶民だったんだな?」


 はっきり他人に庶民と言われるといい気分にならないな。それに、自ら庶民とも言いたくない。


「あぁ、一般の小市民だった」


 ちょっとマシに聞こえるだろ。


「ならば、食事に使うのであれば銅貨一枚が100から300円くらいの価値くらいかと思う。ただ、衣服などのものであれば安いものでも銅貨40枚である。ナベにとって安い服のイメージが1000円くらいであれば、銅貨一枚25円となる」


 なるほど、食品と衣料品の相対価値がここと日本では違うわけだな。逆に日本の物を買うとしたら、コンビニお握りだと銅貨一枚で、洗濯の度に色褪せを感じる1000円のTシャツなんかで銅貨が40枚ってとこかな。服とかの価値は日本よりも高いのか。


「但し、これは街に住む市民の場合だ。カレンの様に農村の者であれば、恐らくは銅貨一枚で1000から5000円くらいの感覚だと思って良いはずだ」


「なんで?」


「農村では自給自足、物々交換が基本となる。買うとすると、外から行商人が運んで来るものくらいだ。銅貨を得る方法も自分達で消費しきれない物を売るということくらいだ。そういう状況では価値が羽上がる。収入が30万円の人間の1ドルと、300円の人間の1ドルでは価値が違うように思わないか?」


 だから農村では銅貨一枚が数千円?

 どう考えるんだ。商人が暴利を貪っているのか。自給自足なら貨幣なんか要らないだろ。いや、欲しいものが限られたルートでしか買えないなら高くなるのは普通か。それに伴って、村で貨幣を得るために村から得られる物の値段が高くなってもおかしくないな。貧しいのに物価が高いなんてきついな。

 しかし、それにしても、俺が庶民でなく、金持ちだとか極貧だったりしたら、貨幣の価値が変動するのか。

 頭が混乱するから、これ以上の説明は止めろ。


 細かいことはよく分からないが、銅貨一枚でパン一個な。とりあえず、その感覚で良いか。


「銅貨が何枚あれば、銀貨の価値に等しくなるんだ?」


「どうも銅貨がいくらあっても銀貨へ交換することはないようだ」


「どういうこと?」


「そのままだ。銅貨では、銀貨や金貨に交換できない。ナベに分かりやすく言えば、銅貨が子供銀行券、銀貨や金貨は日本銀行券だ。子供銀行券を金に変換する者はなかなか居まい」


 これも、ちょっと感覚が掴みづらい。庶民は子供銀行券で日々のお支払をこなしているのか。壮大なママゴトみたいで妙に楽しそうに感じる。


「言い換えると、銅貨は金や地位のある者は使っていない。恐らくは銀貨を持てない者が多いが為に必要上発生したか、若しくは作られたのが銅貨なのだろう。商売事の仕入れや土地などの大きな取引には銀貨以上が必要で、銅貨をいくら稼いでも食品や日用品しか買えない」


 言い換えられてもよく分からん。というか、そんな情報をどこから仕入れていたんだ。さすが神様だと思っておけば良いのか。


「じゃあ、庶民が銀貨を手にいれるのは大変なのか?ギルドの仕事もあるだろう。そこで稼げばいいだろ」


「ギルドが銅貨の発行元だ。基本報酬は銅貨で支払われるのがほとんどだ。銀貨以上で貰えるのは、あの受付の言う銀以上のランクからだ」


「なっ!それ先に言えよ。いつ知ったんだよ?俺たちは最低ランクの依頼を受けたばかりだぞ。この先も子供銀行券をひたすら稼ぐのはつらいだろ」


「今知ったばかりだ。ここにいる精霊が教えてくれた。ガハハハ」


 ダンが笑いながら横に目をやって言う。見えねーよ。その豪快な笑い声とともに不愉快千万だ。

 精霊さん、本当にいるのかよ。気配が全くしないしさ。

 俺は少しの間、目を凝らして何もない宙を見詰めたが、諦めて話題を続ける。


「んじゃ、銅貨は非正規通貨で、銀貨から国家管理か?」


「うむぅ、何をもって非正規とするかだな。十分通用している上に、公にも使えるからな」


 ダメだ。日本と感覚が違いすぎて理解が追い付かない。何にしろうまくこの世界はその仕組みで回っているみたいだから慣れるしかないだろう。次の質問だ。


「銀貨一枚だと何が買える?」


 俺が知りたいのは相場だ。とりあえず、分からないことは後回しにしよう。


「パンが一個だな」


 おい! さっきもパン一個だったろ!! こっちの人間はどれだけパン好きなんだよ。


「銅貨でも銀貨でもパン一個って何だよ。価値が同じじゃん」


「そうだ。勿論、銀貨で買えるパンと銅貨で買えるパンの質は異なるが、銀貨一枚でパン一個なのは変わらない」


「めちゃくちゃデカいパンが買えるとか?」


「大きさは一緒だ。ただ、銀貨や金貨に馴染んだ者は銅貨のパンは食わんだろう。悪く言えば貧者の通貨である銅貨やそれでの買い物を避けたいという意識があるそうだ」


 なんだろ、『俺は一万円札しか財布に入れないぜ』的な成金主義なのか。それとも、『薄汚い者達ね、私たちは違くてよ』的な選民意識の為せる業か。


「じゃあ、日本円にするとどれくらい?」


「ナベの様な庶民にとっては二万円くらいか。庶民であれば食事関係は銅貨で済まし、衣料や旅行、冠婚葬祭で銀貨を使う」


 あぁ、俺はどうせ庶民ですよ。

 しかし、あの一枚が二万円か。ちょっと驚いた。アンドーさんが出した袋にはぎっしり詰まっていたぞ。何十万円、下手したら何百万円を指先一つで都合できるのか。一生付いていきます、アンドー様。


「旅先で銀貨を銅貨に両替することも可能だそうだ」


「ん?銅貨と銀貨では交換できないんだろ?」


「子供銀行券から金には出来ないが、逆は当然買えるだろうに。金で玩具を買うのだよ」


 本当に銅貨は子供銀行券の認識でいいんだな。隣にいるとかいう精霊がそんな単語を知るはずがないから、ダンが俺のために言い換えてくれているんだろうと思う。が、大丈夫か。玩具だから偽造しまくってもいいんじゃないとか考えちゃうぞ。


「何だったら、ナベの意識にこっちの金銭感覚を刻み付けてもよいが?」


 俺の不安を感じとったのか、ダンが恐ろしいことをさらりと提案してくる。そういう、精神魔法的な事は勘弁してほしい。理由はよく分からんが、小生意気な乙女が言う、生理的にあり得ないってやつだ。ダンは好意みたいに言ってくるのが厄介だな。


「いや、よく分かったから何もしなくて良い。金貨はどれくらいだ?」


「金貨は銀貨20枚分だ」


 おい、一枚40万かよ!!あのギルドの受付にチップで400万円くらい渡したのかよ!そりゃ、サービスが良くなるわ!年収を一瞬で稼いだようなものだろ!あの受付も遠慮なく懐に入れるって、クズすぎるだろ。


「……まさかの額だよ、ダン君。衝撃的だよ」


「まぁな、ガハハ。アンジェが出してくれるものだからな」


 悪びれることなく、ダンは大笑いする。俺は心臓の鼓動が収まるまでに少し時間が掛かった。自分の金ではないのに、余りの金額に動揺が激しかったのだろう。

 しかし、これは本格的にダメ人間になってしまうな。もうギルドの仕事などせずに遊んで暮らせばいいんじゃないかと思う俺がいた。カレンちゃんをダメ人間にしないために働くんだという目的を思い出すのに手間取ったぜ。



「入壁料も一人頭で金貨10枚とは高過ぎるな。人の移動を制限する政策なのか?」


「あれは紙に書いてあったんだが、銀貨でも銅貨でも良かった。ただ、金貨であれば細かい尋問がないような旨が暗に記載してあったからな」


 銅貨10枚というと数千円くらいか。まぁ、妥当なところか。しかし、四人分で1600万を支払った俺たちをあの番兵達はどう思ったのかが気掛かりだ。逆に怪しさ爆発だろ。俺なら、要注意人物としてノミネート推薦するよ。


「それでも1600万円はやりすぎだろ。目茶苦茶いい車が買えるぞ!」


「そんなことはない。跳ね馬のエンブレム付きは新車で買えまい。そうそう、あのエンジン音はなかなかに痺れるよな。また乗りたいぜ」


 そういうことじゃない。そういうことじゃないけど、お前、俺の世界を相当エンジョイしてたのか。

 クソが。その顔であの赤い車など、モテ放題、入れ食い状態ではないか。『また乗りたいぜ』って、完全に口調変わってんじゃん。


「ナベよ、その金額は庶民にとってはという前提だ。貴族ともなると、もっと手軽な値段であるぞ」


「んだよ、どれくらいだよ?」


 俺は不貞腐れながら訊いた。いかん、どうしてもダンが羨ましい。リア充っていう言葉を使うのは嫉妬や自分自身に軽薄な感じが入って嫌いだが、こいつはリア充の王だな。いや、リア充の神か。一気に神の格が落ちた感じで、ざまぁだ。もっと格差社会の不幸側の気持ちになってみやがれ。


「立場によるが、ナベにとっての100円や1000円の感覚で使う者もおる。王族ともなれば、更に価値を感じないようだ」


 ダンは横にいるという、俺には見えない精霊に目をやりながら喋った。

 王族、ヤベー。俺の400万円が1000円感覚か。日本で言うと、百貨店で三億円福袋を買ってしまう系の人達だな。


 ん? あの神殿で買った鉛筆、ダンは金貨をいくらか出して買ってたぞ。


「巫女さんお薦めの鉛筆はどうした?」


「あぁ、ここにあるぞ。今考えると、これはなかなかの価格だったな」


 ダンは笑いながら内ポケットから2本の鉛筆を出す。ぬっ、似てる感じなのに俺の服には内側にポケットは付いてないぞ。ダンの方が上等なヤツなのか。お小遣いを入れるのに丁度良さそうなのに。お小遣い貰ってないけど。

 俺の少しばかりの悔しさはダンには伝わらずで、話を続ける。


「ティナの身なりが良かったために、向こうからしたら寄進料込みで提示したのだろう。遠くから訪問したのを見透かされていたんだろうな」


 気にするそぶりもなくダンは俺にその鉛筆を渡す。金貨三枚は出していたからセットで120万以上かよ。小市民の俺は価格の高さに思わず受け取る手が震える。女将さんに上げるかと思っていたが、とんでもないな。金額を知ったら恐縮どころか恐怖を感じる値段だろ。


「ナベがそれを持っていても仕方あるまい。女将にやってはどうか」


 さすが、リア充神。あっさりとその選択肢を選ぶのな。でも、こいつの金銭感覚を信じて大丈夫か。 

 が、確かに俺が持っていても役には立ちにくい。それに、女将さんもまさかそんな高額なものとは思わないか。



 俺は一階のロビーに座って客待ちをしている女将さんに「お土産に買いました」とか言いながら、2本とも手渡した。突然、一見客から筆記用具を渡されて意表を突かれた様子の女将さんであったが、軽く礼を言いつつ受け取ってくれた。横にまだ幼い娘さんがいたので、「これで文字の練習をするんだよ」と声を掛けてみた。本当に文字の勉強が必要なのは俺なんだけどな。


 魔法で読めるようにしてもらおうかと思ったが、よくよく考えたら、また脳ミソに関与する何かの魔法を掛けられそうで嫌だ。さっきも考えたが理由ははっきりないが嫌だ。思考を誰かに支配されているような気がして避けたいのかな。このティナに貰った翻訳指輪も似たような感じがするが、これがなかったらカレンちゃんや他の人とコミュニケーションが取れなくなるのはな。必要悪と考えておこう。



 女将さんの娘と話そうと膝を折って目線を合わせたところで、ティナとアンドーさん達が戻ってきた。もちろん、カレンちゃんもいる。良かった、明るい表情だ。


「ナベ、あなた、カレンちゃんだけでなく、他の小さい子にも興味があるの?」


 黙れ、ティナ。冗談で言ったのは分かるが、その幼女の親の前で言うな。ほら、女将さんが娘さんをさりげなく片手で押して後ろに隠しただろ。


「まさか。俺が興味を持っているのはティナとアンドーさんだけだよ」


 クソ、女将さんの手前、言いたくもない嘘を付くしかない。


「どっちかに絞りなさいな。二兎も追うなんて贅沢よ」


 追ってない。



 俺に軽口を叩いた後、ティナは女将さんに向かう。


「ごめんなさい。明日から少し宿を出るんだけど、部屋はそのまま取らせて貰える?お代は先払いでこれくらいでどうかしら」


 言い終えてティナはカウンターに金貨をいくらか置く。……10枚、400万円か。十分すぎるだろ。


 無論、女将さんもほくほく顔で了承していた。宿屋の相場はダンから聞いてないが日本の感覚だと銀貨一枚、二万円で行けそうだからな。


 何はともあれ、皆が揃った。さぁ、夕飯とお風呂にしよう。


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