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Shoot:1  Dog and Realize Girl (3)

警察組織の描写はまったくのフィクションです……。



 藤城(ふじしろ)グループ。

 日本で最初に銃の輸入・特許使用許可を取っての銃製造を始め、一気に日本有数の規模となった企業体である。もともと重工業からIT産業にまで手を出し、幅広く活動していたが、銃の規制が緩和されるや、いち早く銃器分野に乗り出したことで知られていた。機を見るに敏というか、銃規制緩和の動きを早くから掴んでおり、水面下で海外メーカーとの商談を進めていた結果、銃器の分野では圧倒的なスタートダッシュで差をつけ、一躍経済界のトップクラスに躍り出たのだ。

 その藤城グループの中枢ともいうべき存在、会長の藤城隆造(りゅうぞう)が脳溢血で他界したのは一年半ほど前のことだった。藤城グループの全権は、長男であり十年来の補佐役でもあった藤城雅孝(まさたか)に受け継がれ、彼は父に劣ることなくその任を全うしていた。

 だがそれは同時に、多数の敵を作ることも意味する。会長である彼の周囲には常に護衛チームが付き従い、大臣並みの警備体制が敷かれていた。

 一圓千秋は、その護衛チームの一員として、現在ホテルの屋上にいた。

 調整から戻ったばかりのシグザウエルSSG3000を抱え、ビル前のロータリーを見下ろしていた。グループ系列のホテルのオープニングセレモニー。本来なら会長自ら出張るような仕事ではないのだが、ここの支配人になる人物は血縁に当たるという。そこそこできる男ではあるのだが、やはり箔をつけるために直々の出席を、と頼み込まれたのだそうだ。同族会社はこういうところが不便である。

 屋外で貴賓席など、狙ってくれと言っているようなものだが、それで本当に襲撃されるようでは護衛チームの立場がない。ちゃんと仕事はしている。会場にはそれとなくチームの人間が紛れ込み、周辺にも数十人体制の警備網が敷かれていた。そして、最も怖い狙撃に対しては、考え得るポイントに人員を配置、狙撃自体を阻止すべく布陣している。しかしそれでも突破され、襲撃された場合――そこで、千秋のような狙撃手の出番となるのだ。このホテルは近隣の建物の中で一番高い。言い換えれば、周囲を見やすく周囲からは見られにくい。陣取るには絶好。

 数十メートルの下方から、来賓の長広舌が切れ切れに聞こえるのを聞き流しながら、千秋はふと目をすがめた。

 右斜め向かい、距離約六百メートル。このホテルよりも若干低いビルの屋上で、黒い影が動いた。千秋はインカムで、そのポイントの警備に当たっていたはずの同僚を呼び出す。

「おい、ポイント18! 屋上に人上がってんぞ! 警備はどうした!?」

 応答はなかった。

 舌打ちして、千秋は素早く伏射(プローン)姿勢を取り、SSG3000を構える。銃口にはすでに、サイレンサーを取り付けてあった。そのままコッキング、薬室(チャンバー)に弾を込める。スコープの倍率調整。スコープ越しに、向かいのビルの人影も伏射姿勢でライフルを構えているのが見えた。

「ちぃッ――!」

 風は微風。ほとんど勘で照準を合わせ、引鉄を引く!

 バスン、とくぐもった銃声と共に、硝煙が広がった。強烈な反動が身体を突く。ライフルを上手くホールドしていないと、この時点で肩か鎖骨を持っていかれるが、もちろん千秋がそんな羽目に陥るはずもない。すぐにコッキング、スコープで相手の状態を確認した。

 わずかに風を読み違えたか、それとも焦りが出たせいか、銃を狙ったはずが肩を射貫いていた。防弾ベストを着ていても、ライフル弾ならあっさり貫通する。引鉄を引くのは千秋の方が早かったようだ。向こうに硝煙らしきものは見えない。サイレンサーをかませたところで、硝煙を消すことはできないのだ。

 競り勝ったことに息をついて、千秋は今度は誤差を考慮し、落ち着いて狙った。さっきの一発で、相手はこちらの存在に気づいた。失敗を悟り、ライフルを置いたまま逃げようとする。

(逃がさねぇよ)

 一発目で風の流れは大体読めた。照準合わせ、発射。向こうの屋上のドアノブを吹っ飛ばした。コッキングして第三射。足が止まった相手の、左足を掠める。まともに当てたら出血多量で死なせる可能性がある。そこまでやると過剰防衛に問われかねない。

 必要以上の怪我を負わせず、動きは止めるという離れ業を成功させて、千秋はインカムで近くのポイントに連絡する。

「ポイント18の屋上で、狙撃手を一人撃った。肩と足に一発ずつぶち込んであるから動けないはずだ。押さえてくれ」

『了解した』

 短い返答から数分と経たずに、向こうの屋上のドアが蹴破られた。同僚たちに狙撃手が取り押さえられるのを確認して、千秋はようやくスコープから目を離し、身を起こした。

 カウンタースナイピング。それが千秋の役目だった。遠距離からの狙撃が怖ければ、逆にその狙撃手を狙撃し返してやればいい。その発想のもとに、護衛チームには複数の狙撃手が所属している。千秋はその中でもトップクラスの腕前の持ち主だった。

 下のロータリーでは、セレモニーが終わろうとしていた。頭上で狙撃戦が行われたことを、ほとんどの客は気づいていないようだ。藤城の周囲を護衛チームが固め、特別仕様の車に乗り込むのを確認して、千秋はSSG3000をライフルケースにしまった。薬莢も拾い上げてポケットに突っ込むと、ホテルの屋上を後にした。

 エレベーターで地下駐車場まで下りると、チームの同僚が待っていた。

「会長は?」

「現在移動中だ。狙撃手を押さえたそうだな。よくやった」

 リーダーの大杉(おおすぎ)のねぎらいに、気になったことを尋ねる。

「そういや、あそこの警備してた連中は?」

「襲われたそうだ。二人、重体で病院に担ぎ込まれた」

「そっか……」

 覚悟の上の職場とはいえ、いい気分ではない。

「今度はどこかな」

「狙撃手の他に数人、押さえてある。吐かせるさ」

 大杉が言うと凄みがある。身長百九十に届こうという長身とそれに見合った逞しい体格。初めて会う人間はほとんど、威圧されてしまって目を合わせられないという。性格は至って物静かなのだが、仕事となれば相手に容赦などしないだろう。

 相手の狙撃手たちに少々同情しながら、千秋は同僚たちと共に黒のヴォクシーに乗り込んだ。何台かに分乗した護衛チームが、次々に駐車場を出て行った。

「今日はもう、外出はないだろ?」

「ああ、あのまま自宅に戻られるそうだ」

「やれやれ、じゃあ俺らの今日の仕事はこれで終わりってことか」

 戻ったら、SSG3000を念入りにメンテナンスしなければなるまい。今日の殊勲者だ。

 千秋は車窓から見える景色にぼんやりと見入る。

 ふと、≪ペニーハウス≫のコーヒーが飲みたくなった。ついでにメンテナンスも斎に頼んで……と考えたところで、舌打ちする。

 今日は定休日だった。




 帰宅後、那々はマンションの十四階にある直美の部屋を訪れていた。チャイムを押すと、直美ではなく家政婦の女性がドアを開けてくれた。直美の親が、娘のために通いの家政婦を雇っているらしい。

 部屋に上げてもらうと、直美はリビングでDVDを観ていた。

「何だ、元気そうじゃん。休むっていうから、寝込んでると思ってた」

「朝の内はホントに起きられなかったんだもん……」

 直美はDVDを止め、口を尖らせる。

「……学校、何か言ってた?」

「そんなには。事件のこと、先生しか知らないし。特に何か言われたり、ってのはなかったよ。――あ」

 思い出して、那々は顔をしかめた。

「そういや、ストーカーからまた手紙来た……」

「え~っ、ホントぉ? 今日もまた、おんなじような内容で?」

「それが違うの。何かさ、昨日のこと知ってたんだよね。『昨日は大変だったね』って」

「え、じゃあ昨日、ストーカーがあたしたち見張ってたワケ? 気持ち悪~っ!」

「しかも、手紙があったのって家のポストじゃなくて学校の下駄箱だよ。ストーカーは十中八九、ウチの生徒とみた」

「うっそ」

 直美が目を丸くした。

「じゃああれよ、隣のクラスの佐野! なぁんかさ、怪しくない? 暗そうだもん」

「暗いからってストーカーじゃ、今頃世の中ストーカーだらけだって。それに、話したこともないよ?」

「一方的に好きになってつきまとうのが、ストーカーなんじゃない」

「……そりゃそうだけど」

 妙に納得。

「ていうか直美、いきなり元気になったね」

「そりゃあ、ストーカーの正体に迫ろうってところだもん。許すまじ、よ」

「その意見には賛成。襲ってきたら殴り飛ばしてやる」

 ばしん、と拳を掌に打ち付ける。今どきの女子高生、ナメたら痛い目に遭うことを覚えてもらおう。

「けどさあ」

 ふと、直美が目を輝かせた。

「あのウェイターのお兄さん、天瀬さん、だっけ? 無茶苦茶かっこ良かったよね~」

「……あの状況で何言ってんの」

「だって、見たでしょ、あれ? アクションスターみたいじゃない。あたし、やっぱ狙っちゃおっかな」

「あ、あんた彼氏いるじゃない!」

「そんなの気にしない、気にしな~い。――って言いたいトコだけど」

 にやり、としか形容できない笑みを、直美は浮かべる。

「那々、気になるでしょ」

「っ、あたしは別に」

「那々の好みのストライクゾーンだもんね~、腕っ節強くて優しいハンサムなお兄さん」

「そうだけど、っていうか!」

 那々は目を伏せた。

「似てる、んだよね。あの人に、すっごく似てる。生きてたらこんな風になってただろうなって、思うくらい」

「……那々」

「年もさ、生きてたらちょうどあれくらいで。――でもさ、だから分かんなくなりそうなんだ。もし好きになっても、どっちを好きなのかって。本人を好きなのか、それとも似てるから好きなのか、分かんなくなりそうで、それがやだ」

 “彼”の顔が、頭に浮かんだ。面影があの青年に重なる。

「似すぎてて……はまりすぎてて、何か、さ」

 ため息をついた那々に、直美があっさりと言った。

「いいじゃん、別に」

「何が」

「最初は“似てるから好き”かもしんないけどさ、その内“本人が好き”になるんじゃない? そんなもん、一日二日じゃ分かんないよ」

「そうかもしんないけどさ」

「だからさ、とりあえず告っちゃえ」

「何でそうなるの!?」

「だって、那々が好きかもっていう相手、好きになるわけにいかないじゃない。大丈夫、那々が振られたら、改めてあたしが告るから」

「あのねー!!」

 ちょっと感謝しかけたのに、キレイさっぱり吹っ飛んだ。

 相談相手間違ったかも……。

 直美がすっかり元気になったのは喜ばしいものの、那々はこっそりため息をついた。




 午後五時。斎はなぜか、警視庁にいた。

 昼過ぎにいきなりかかってきた電話で、本庁まで呼びつけられたのだ。昨日の事件で、犯人逮捕に貢献したということで感謝状を渡すとかという話だった。辞退しようかとも思ったのだが、

『公安の“姫”がわめいてるぞ。こっちが忙しくておまえの顔見られないのに、俺だけ会うのは抜け駆けだってな。このままじゃ本庁が崩壊する。東京の治安のためにも、感謝状は受け取りに来てくれ。金一封もつくぞ』

 諸角の口説き落としに負けた。金一封はともかく(あって困るものでもないが)、公安のあの“お姉様”を放っておくのが怖い。

 捜査一課の部屋は、相変わらずがらんとしていた。これだけ広い部屋に、余すところなくデスクが並んでいるというのに、人の姿が見事にない。さすがに警視庁、捜査員も多いが抱えた事件はそれに倍して多い。

 斎を見つけた諸角は、上機嫌で近寄ってきた。

「早かったな」

「叔父さんに送ってもらいました」

 斎は車やバイクを持っていない。本来ならあった方がいいのだろうが、あまり運転はしたくないのだ。身分証明に便利なので免許だけは取ったが、まったくのペーパードライバーである。だからこういう時は、叔父に送ってもらうか公共交通機関を使うかだ。交通網の発達した大都市はありがたい。

「でも、昨日の今日で感謝状って、異様に早くないですか?」

「“姫”がごねた。昨日も同じ本庁内にいたのに、ニアミスで会えなかったのが相当悔しかったらしいな」

「……警視庁がそんなんで動かされちゃっていいんですか」

「諦めろ。あの“姫”の言うことだぞ」

 確かに、諦めるしかなさそうだ。斎はため息をついた。

 その時、捜査一課の入口から黄色い声があがった。

「斎くん! 久しぶりねえ!」

 振り向くが早いか、すぐ眼前に瞬間移動のごときスピードで移動していた相手に、心持ちのけぞる。下手をすれば抱きつかれかねない勢いだ。

 明るい栗色の髪をアップにまとめて、ベージュのパンツスーツに身を包んだ美女。年は三十前というのが二年前からの自己申告だ。そう高いヒールを履いているわけでもないのに、斎と同じくらいの身長があった。ちなみに斎は一七五センチ。

「お久しぶりです、氷峰(ひみね)さん」

「斎くんが来るっていうから、一番のお気に入り着て来たわよォ。似合ってる?」

「似合ってますよ。知的美人って感じです」

「やっだ、嬉しいこと言ってくれるじゃない。あなたも相変わらずいい男ね。彼女はできた?」

「まだですよ」

「あらら、そういう方面は奥手ねえ。いっそわたしが、見繕ってあげましょうか?」

「遠慮します!」

 見かねた諸角が、助け舟を出した。

「そろそろこっちの用事を済ませてもいいか? 感謝状の授与があるんだが」

「あら、そんなの後でもどうとでもなりますでしょ?」

 助け舟、あっさり撃沈。

「新聞社の方にも、写真の撮影は断ってあるから大丈夫よ。こーんな美形なのに写真が嫌いなんて、もったいないわねぇ」

「嫌いっていうか、苦手なんですよ。身内の記念写真程度ならともかく、大人数に見られる写真っていうのが、ちょっと……」

「あーんもう、人見知りがまた可愛いのよね」

 二十二の男が可愛いなんて言われても嬉しくないです。ついでに人見知りってわけじゃないんですが。

 無論面と向かってなど言えやしないので、あやふやな笑みを浮かべてお茶を濁す。

 まだまだ話し足りなさそうな彼女のポケットで、その時携帯の着信が鳴り響いた。

「はい、氷峰。――出動ォ? 集会ぃ? こっちは今貴重なランデブーの時間を……あーっもう、分かったわよ、行きゃあいいんでしょ! ったく、あンの薄らハゲ、後でじっくり締め上げてやる!」

 鼻息も荒く電話を切った彼女は、これ以上ないような悔しそうな表情でヒールを踏み鳴らした。

「ああ、ったく! せっかくの潤いの時間だったのにィ!」

「大変ですね」

「ものすっごく悔しいけど、一応仕事はしなきゃね。じゃね、斎くん。また来てね」

「はあ……できれば事件以外で来たいんですけどね」

「待ってるわ」

 軽く投げキスを残して、彼女はヒールの音も高らかに捜査一課を後にした。

 ……嵐が去った……。

 見送った斎と諸角は、揃って息をついた。

「今日はいつになくハイでしたね、氷峰さん……」

「ストレス溜まってたんだろうな。やれやれ、今日公安の世話になる奴は悲惨だぞ」

 諸角の慨嘆に、斎は乾いた笑いを浮かべた。

 氷峰凛子(りんこ)。警視庁公安部に所属する彼女は、本庁では密かに“姫”と呼びならわされていた。彼女の父親は国家公安委員長。警察庁の大ボスである。だからといって彼女が親の七光りで警視庁に所属しているかといえば大間違いで、彼女は東大法学部主席卒業、国家Ⅰ種ストレート合格という恐ろしい経歴の持ち主だ。泣く子も黙るキャリア組。

 そんな彼女の目下のお気に入りは、斎だった。どうも彼女は年下好みらしい。銃の修理で≪ペニーハウス≫を訪れた時に一目で気に入られ、以来何かにつけて構い倒されている。

「さて、と。時間取らせて悪かったな。こっからが本題だ」

「……忘れてました」

 実際、感謝状のことなど頭から飛んでいた。まあもう少し付き合え、と肩を叩かれて、ため息をつきながら従う。

 本来の用件だったはずの感謝状授与の方がよっぽどあっさり終わって、それでも斎が解放されたのは、警視庁に来てから一時間近く経ってからのことだった。近くで時間を潰している立河に連絡してから、正面玄関から出ようとして、エントランスの張り紙に目が留まる。

【この顔にピンと来たら110番】というお馴染みのフレーズの下に、ずらりと写真やモンタージュが並んでいた。その中に一際スペースを割いて、数人の男女の顔が配置されている。

【≪青銀天聖教団≫幹部たち】。

 斎の表情がわずかにこわばる。目をそらして、エントランスを出た。

 しばらく待っていると、立河のフィットが見えた。駆け寄って乗り込むと、深々と息をつく。

「どうした、えらく疲れて」

「氷峰さんの勢いに負けたの」

「彼女はおまえを気に入ってるからなぁ」

 笑いながら、立河はフィットを車の流れに滑り込ませる。遠ざかる警視庁を見ながら、斎はぽつりと呟いた。

「……教団の残りのメンバー、まだ捕まってないみたいだね。張り紙があった」

「おまえにはもう、関係ないことだ」

「うん、でも……もし。万一、僕のことがばれたら」

「その時は、俺も一蓮托生だな。諸共に刑務所か」

「違うよ。警察にじゃなくて。――教団の残党は、僕のこと恨んでるよ。教団の崩壊のきっかけになったのは僕だから。報復くらい、してきかねない。時々、怖くなるんだ。もし今、教団が襲ってきたらどうしようかって」

「斎、」

「僕だけならまだ構わない。けど、叔父さんや周りの人が巻き込まれたらって思うと……いっそ、僕だけ消えちゃった方がいいんじゃないかって、何度も考えて」

「≪ペインレス・ドッグ≫はもういない。海の藻屑になって消えた。それが事実なんだ。そうだろう?」

「でも僕は、顔を変えてない」

 ガラスに映り込む自分の顔を、斎は見据えた。

「教団の人間が見れば、すぐ分かるよ。あの子にだって、顔を見せてる。――あの子、覚えてるみたいだった」

「五年経っててか?」

「……似てるって、言われた」

「知ってるか? 世の中には三人、似た顔の人間がいるんだとよ」

「それで、言い逃れるの?」

 くすくす笑ってそう言えば、大真面目に肯かれた。

「≪ペインレス・ドッグ≫は天涯孤独だったんだろ? おまえには俺っていう、立派な保護者がいるじゃないか」

「……僕一応成人してるんだけど」

「親にとっちゃ、子供はいくつになっても子供なんだよ。もっとも、叔父と甥だから“子供みたいなもの”か」


 ――ああ、このひとも。

 同じことを、言う。

 自分の“親”だったがために、死んでしまったあの人と――。


 気がつくと、ガラスの中の自分が泣いていた。

「おい、斎……?」

 気遣わしげな立河に、ふるふると首を振る。

「ちが……あのさ」

 これは、五年前の自分の涙だ。とまらない。

「……僕が、守るからね。誰かが僕らを狙ってきたら、戦ってでも――その人を、撃つことになっても。叔父さんたちを、守るから」

 そのために斎は、銃を持ち続けている。

 戦うための爪と牙を、捨てずにいるのだから。

 例え、誰かを傷つけ――その命を奪うことになったとしても、大切な人を守るためならば、何も感じずにいられる気がした。

 あの頃と同じように。

(……やっぱり僕は、≪ペインレス・ドッグ≫のままか)

 身体も心も痛みを感じない、ただ戦うだけの犬。

 ガラスの中の自分を嘲笑うように唇を歪めて、斎は少し乱暴に両眼を拭った。




 今日もまた、下駄箱の中に手紙がある。那々はうんざりした気分で、それをゴミ箱に叩き込んだ。朝っぱらから、いきなり気分をブルーにしてくれる。

「何かもう、ここまで来ると根性じゃない? ホントに読まれてるって思ってんのかな」

「知らない。っていうかもうゴミ箱に放り込むのすら面倒になってきたんだけど」

「いっそポストでもつけてあげれば?」

「それこそ逆効果だって。調子に乗られたらどうすんの」

 ため息をついて、那々は上履きに履き替え、教室へ向かう。すると、追いついてきた直美が腕を引っ張ってきた。

「ねえねえ、今日、あのお店行かない? ≪ペニーハウス≫」

「え? あそこに?」

「そ。だってまだ、お礼言ってないじゃない? 警察に呼ばれた時は、それどころじゃなかったしさ」

「……って言いつつ、実はもっかい天瀬さんに会いたいだけでしょ」

「あら、那々だって嫌なわけじゃないでしょ? それに、これってチャンスよ?」

「チャンス?」

「彼と接近するチャンスってことよ。ああもう、あたしって友達思いよね」

「あのねえ!」

「で? どうする?」

「…………行く」

 そう、助けられた礼を言いに行くくらいは、当たり前のことだ。直美の思惑に乗るのはともかく、那々は肯いた。

「そー来なくちゃ! じゃあ放課後――」

「直美!」

 那々が声をかけたが、遅かった。話し込んでいて前を見ていなかった直美が、階段の降り口からひょいと出て来た女子生徒にまともにぶつかったのだ。

「ごっめーん……」

 ぶつかった相手を見て、直美は絶句した。

 長く垂らしたストレートの髪は、ほとんど金に近いほど徹底的に脱色されている。切れ長の目がきつい印象を与えるが、クールな雰囲気の美人だった。どちらかといえばいいところの子女が多いこの学校では、あまりいないタイプだ。

 彼女は落としたバッグを拾い上げ、さっさと廊下を歩いて行った。

 ぽかんとそれを見送り、二人は何となく顔を見合わせた。

「……あんな子、いたっけ? 今まで見たことないけど……」

「学年違うんじゃない?」

「でも、上履きの色おんなじだったよ。ウチって上履きの色で学年分かるじゃん」

「けど、何かきつそうな子よね」

 直美が眉を寄せる。彼女とは、あまり合わないタイプに見えた。

 教室に入ろうとした時、那々は一人の男子生徒に呼び止められた。上履きの色は二年生の青。

「ねえ、君、今朝手紙捨ててたよね?」

「……そうですけど?」

 別に他人にどうこう言われる筋合いはない、と言おうとすると、彼は意外なことを口にした。

「あのさ、俺、その手紙入れてたっぽい奴、見たんだ」

「ええ!?」

 那々と直美は、思わず揃って声をあげた。

「それって、どんな奴でした? 実はこの子、ストーカーされてて――」

「ちょっと、直美!」

 いきなり核心の話をしようとする直美を、慌てて止める。あまり吹聴したい話ではない。しかし、彼はあまり動じた様子もなかった。

「そうなんだ。だったらやっぱり、声かけてよかったよ。そいつ、君らと同じ学年みたいだったな。上履きの色が同じだったんだ」

「名前とか、分かります?」

「さあ……そこまでは。学年違っちゃうと、もう誰が誰だか分かんないし。けど、何か下駄箱でがさがさやってて、変な奴だと思ったからさ」

「そうなんですか……どうも、ありがとうございました。学年も何も分かんなくて、気持ち悪いと思ってたんです」

「いや、役に立ってよかったよ。じゃあ、俺はそろそろ教室戻るから」

 男子生徒が行ってしまうと、那々は直美と顔を見合わせた。直美が勢い込む。

「やっぱさあ、隣のクラスのあいつじゃないの?」

「まだ分かんないよ。――けど、おんなじ学年ならまだ気が楽だよね。二、三年とかだったら、断るにしても何か気まずいじゃん」

「えーでもさ、同学年は三年間一緒なんだよ? そっちの方が嫌じゃない?」

「う、それはそうかも」

 一長一短。那々は複雑な気分でこめかみを押さえる。

「とにかく、一歩前進かぁ。よかったじゃん。解決の日は近いかもよ」

「だといいけど」

 あまり期待せずにぼやいて、那々は自分の席に腰を下ろした。




 哲治は、弾むような足どりで教室に向かっていた。

 彼女と話せた!

 今まで遠目にしか見たことのなかった星海那々と、間近で話したのだ。響きのいい、柔らかい声。はきはきした物言いが心地よかった。緩みそうになった頬を押さえるので必死だった。

 我ながら、いい手だと思う。協力者を装えば、絶対に疑われることはない。現に彼女だって、感謝してくれた。

 そうだ。俺はいつだって、彼女の味方だ。

 やはり≪ヴァンパイア・キス≫は手放せない。これがあれば、何でもできそうな気がする。

 哲治はそっと、ポケットに手をやった。そこには、小さな袋に詰めた粉末状の≪ヴァンパイア・キス≫が入っている。

 昨日、一錠分を潰しておいた。気づかれないよう他人に飲ませるには、錠剤では都合が悪い。粉状にしたものを何かに溶かして、飲ませるつもりだった。この一錠はもちろん、自分の取り分から出したものだ。痛いが、仕方ない。成功すれば、≪ヴァンパイア・キス≫も、そして那々も手に入るのだから。

 飲ませる相手は、決まっていた。

 沖田直美。

 沖田商事の社長の娘で、那々の親友。生贄としては、これ以上ない存在だ。彼女を引き込めば、“彼ら”も哲治を認めるだろう。

 不思議と、那々自身に≪ヴァンパイア・キス≫を飲ませようとは思わなかった。昨日は、彼女を思いのままにできるという一言に強く惹かれたが、時間が経つにつれて考えが変わってきたのだ。

 薬で振り向かせても意味がない。自分自身を、那々に認めてもらうのだ。そして互いに想い合うようになってから、≪ヴァンパイア・キス≫を使っても遅くはない。

 それに、哲治が直美に≪ヴァンパイア・キス≫を飲ませようと決めたのは、他にも理由がある。

 一昨日の事件。

 直美があの店に引っ張って行かなければ、那々があんな危険な目に遭うことはなかったのだ。そして、彼女を救いに飛び出せなかった哲治が、身を焼かれるような嫉妬と屈辱を感じることも。

 すべての原因は、あの女だ。

 だから、めちゃくちゃにしてやる。

 あの女を薬漬けにして“彼ら”にくれてやる。“彼ら”は喜ぶだろう。何せ、高嶺の花のお嬢様だ。豊富なドラッグで、身も心も犯し尽くしていくのは目に見えていた。

 当然の報いだ。那々を危険に晒したことへの。

 そのためにも、彼女たちに近づく必要があった。

 最初の一手は、思った以上にうまく行った。彼女たちはまったく、哲治を疑っていない。後は、彼女たちに協力するふりをしながら、機会を見計らって直美に≪ヴァンパイア・キス≫を飲ませればいい。一度飲ませれば、後は坂を転がり落ちるようにのめり込む。哲治自身が、そうだったように。

(明日辺り、また同じ奴見かけたって言ってやろうか。それから、誰か適当な奴をストーカーに仕立て上げて……)

 ≪ヴァンパイア・キス≫を摂取した頭は、目まぐるしく回転し、作戦を練り上げていく。その感覚が心地よく、哲治はくつくつと喉を鳴らした。

 予鈴のチャイムが、校舎内に響き渡った。



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