第8話 これからの時間を
エンティリア伯爵家で二つの夜を過ごした後、私はラーカンス子爵家へ戻ってきていた。
お父様とお母様に何があったのかを報告した後、私は自室でゆっくりとしていた。
やはり、我が家というものはいい。思う存分、リラックスすることができる。
「お姉様、少しいいですか?」
「え? ああ、いいわよ。入って」
そんな私は、聞き覚えのある声にベッドの上から起き上がった。
その直後に目に入ってきたのは、弟のイグルと妹のウェレナが部屋に入ってくる光景だった。
まだまだ幼い二人は、いつもと違い遠慮がちにこちらに近寄ってくる。一応、長旅で疲れている私に気を遣ってくれているのだろうか。
「お姉様、おかえりなさい。長い旅でしたね?」
「ええ、色々とあったから」
「エンティリア伯爵家はどうでしたか?」
「皆温かく迎えてくれたわ」
イグルとウェレナは、私にそれぞれ質問してきた。
双子であるためか、二人はいつもそんな感じである。通じ合っているからか、交互に喋ることが多いのだ。
「えっと、お姉様は明日からお暇ですか?」
「ええ、特に予定はないけれど」
「それなら、一緒にお出掛けしませんか?」
「お出掛け? えっと……明日でなければいけないの?」
私の質問に、イグルとウェレナは顔を見合わせた。
二人の間に、特に会話はない。ただ、この二人のことだから見つめ合っただけでお互いの気持ちはわかるのだろう。すぐに頷き合って、私の方を向いてきた。
「明日でなくても大丈夫です」
「明後日とかでもいいです。でも、近い内にお出掛けしたいです」
「そう? そうね……そういうことなら、近い内にお出掛けしましょうか」
イグルとウェレナの提案に、私はとりあえず頷いた。
しかし妙である。今日の二人は、なんというか変なのだ。
「二人とも、何かあったの?」
「……え?」
「……どういうことですか?」
「なんだか、二人とも変よ? 気付いていないの?」
私の質問に、二人は再び顔を見合わせていた。
どうやら、自覚はなかったようである。そうなってくると、益々心配だ。
「二人とも、悩みがあったら私でもお父様でもお母様でもいいから相談した方がいいわよ? 抱え込んでいてもいいことなんてないんだから」
「別に……」
「悩みなんてありません」
私の言葉に、二人は強い否定の言葉を返してきた。それは何か悩みがあることの証明であるように思える。
よくわからないが、私に言えるような悩みではないのだろうか。それなら、お父様やお母様に相談して欲しいものである。
二人で悩んでも、恐らくそれ程進展はないだろう。むしろドツボに嵌っていくだろうし、誰かに相談してくれるといいのだが。
◇◇◇
約束をしてから二日後、私はイグルとウェレナとともにバンティスの丘まで来ていた。
この丘は、私達の家からそれ程遠くない場所にある丘で、よく家族でピクニックに来ている場所である。
お父様とお母様は忙しかったらしく、私と双子だけで出かけることになった。よく考えてみれば、この丘に三人で来るのは随分と久し振りである。
「ふう……やっぱりここは気持ちがいい場所ね」
丘の上にある大樹の下に、私達はゆっくりと腰掛ける。
周囲を見渡すと、広大な自然が広がっていた。そこから吹き抜けてくる風は、なんとも気持ちがいい。
こういう風にのどかな自然に触れるのも久し振りであるような気がする。
「お姉様、お弁当にはまだ早いですかね?」
「え? ええ、そうね。早いのではないかしら?」
「今日のお弁当は、私とお兄様も手伝ったんです。料理人さんに無理を言って、色々と教えてもらいました」
「あら、そうなのね……」
イグルとウェレナは、バスケットを私に見せながら事情を説明してくれた。
それは、驚くべきことである。まさかこの双子が、お弁当を作ってきてくれていたなんて思ってもいなかった。
なんというか、二人は最近様子が少しおかしいような気がする。一体何があったのだろうか。本当に心配だ。
「二人も成長しているということかしら?」
「成長……そうですか?」
「ええ、そう思うわ。日に日に大きくなっているでしょう?」
「はい。背は伸びています」
「まあ、背だけの話ではないけれど……」
この弟と妹も、日々成長しているということなのだろうか。二人のおかしな様子に、私はそんなことを思っていた。
思い返してみると、ガラルト様との婚約が決まってから二人のことをそこまで見てあげられていなかったような気がする。私も、色々と忙しかったからだ。
その空白期間で、二人はいつの間にか成長したということだろうか。それはなんというか、少し寂しいような気もする。
「……二人にこんなことを言うのは、少々酷なような気もするけれど」
「はい? なんですか?」
「ラーカンス子爵家のことをお願いね。あなた達は、これからきっと色々な困難に立ち向かうことになるけれど、二人で助け合って、この家を守ってちょうだい」
「あっ……」
「……あら?」
そこで私は、二人にラーカンス子爵家のことを頼んだ。それは近い内に家を去る私が、かけておくべき言葉だと思ったからだ。
しかしその言葉によって、イグルとウェレナの様子が変わった。二人とも、絶望的な表情で私の顔を見てきたのだ。
「二人とも、どうかしたの?」
表情を変えた弟と妹に対して、私は困惑しながらも優しく声をかけた。
二人の表情の意味が、よくわからない。確かに私は厳しいことを言ったような気もするが、家のことを任せると言って、ここまで絶望的な顔をするのは変だ。
「お姉様……」
「行かないでください……」
「え?」
「僕達、嫌なんです」
「お姉様が出て行くのが嫌なんです……」
「あなた達……」
二人の頬から涙が流れていくのを見て、私はやっと弟と妹が何に苦しんでいるのかを理解した。
私が家からいなくなる。それは二人にとって、私が思っていた以上に嫌なことであったらしい。
それは私にとって、とても意外なことだった。なんというか、突然殴られたような気分だ。私の心は、大きく揺らいでいる。
「そう……だったのね」
やっとのことで振り絞れたのは、そんな力のない一言だけだった。
私は、姉として失格である。二人がこんなにも苦しんでいたのに気付いてあげられなかったのは、失態としか言いようがない。
そんな私に、何ができるのだろうか。それを必死で考える。とにかく今は、この二人の弟と妹の不安を少しでも拭ってあげたかった。
「ごめんなさい。私は行かなければならないの。それが私が生まれた時からの役目だから……」
「でも……」
「私も、あなた達やお父様やお母様から離れるのは寂しいわ。でも別に、二度と会えなくなる訳じゃないの。会おうと思えば、いつだって会えるし……それに心は繋がっている」
「心?」
私は、イグルとウェレナをゆっくりと抱き寄せた。
まだ小さな双子は、私の胸の中で泣きながら言葉を返してくれる。この二人も、必死で納得しようとしているのだろう。それが伝わってきた。
二人が、ここまで私のことを想ってくれていたというのは正直意外でもある。
いつもやんちゃで、時々私のことを蔑ろにしたりするので、私が出て行くことにも呆気らかんとしていると思っていた。
でもそれはきっと、私が表面しか見られていなかったということなのだろう。考えてみれば、私だってそうだ。二人に抱いている愛情を、全て包み隠さず表に出せられている訳ではない。
「私とイグルとウェレナは、離れていても兄弟なのよ。それは絶対に変わらないことなの。その絆がある限り、私達は繋がっている。だからきっと大丈夫……」
「……お姉様」
「お姉様……」
そこで私は、自分の非力さを痛感していた。
どれだけ論を述べても、この二人を本当に安心させることができないと思ったからだ。
行かない。あなた達の傍にいる。そう言えたらどれだけ良かっただろうか。
だがそれを口にすることは決してできないため、私はただ二人を強く抱きしめることしかできなかった。
◇◇◇
「正直な所、少し驚いています」
「そう……そうね。きっと、そういうものなのでしょうね?」
「ああ、わからないものだよ。きっと、そういうことは……」
ピクニックから帰って来て、イグルとウェレナは泣きつかれたのか眠ってしまった。
そんな二人がぐっすりと眠っていることを確認してから、私はお父様とお母様に何があったのかを報告していた。
二人は、それ程驚いていない。ということは、イグルとウェレナの悩みをなんとなくわかっていたということなのだろう。
「イグルとウェレナは、お前のことが大好きだった。憎まれ口を叩くこともあったかもしれないが、それもまた一つの愛情表現だったのだろう」
「二人がそんな風に言えるのは、あなたがそう言っても大丈夫な相手だとわかっているからなのよ。私やこの人には、そんなことは言わない。二人が本当の意味で心を許すことができるのは、お互いとあなただけだったのよ」
「……そうなのでしょうね」
お父様とお母様の言葉に、私はゆっくりと頷いた。
二人が言ったことは、私も心のどこかでは気付いていたことだ。イグルもウェレナも、私に対しては気楽に接していた。それが何よりの愛情表現だったのだろう。
そう考えれば考える程に、私の中にあった愛情も溢れ出てくる。昨日まではちっとも思っていなかったのに、今は二人と別れるのがすごく辛くなっていた。
「別れというものは、辛いものですね……」
「ああ、私達だって辛いさ」
「……でも、あなたを送り出すことが私達の使命なの。幸いにも、あなたは良き婚約者に巡り会えた。今の私達にとって、幸いなのはそのことね」
「うむ、改めてよかったと思う。言い方は悪いが、ガラルトの元に送り出す時よりも、心はずっと晴れやかだ」
家族との別れ、私はそれを改めて実感していた。
私は、ここから去って行く。それはきっと、とても大きなことなのだ。私はやっと、嫁ぐということの大きさを理解できたのかもしれない。
「これからは二人との時間を、これまで以上に大切にしていきます」
「ああ、それがいいだろう。そうしてやってくれ」
「多分二人も、今まで以上にあなたに甘えるのではないかしら? 時間は限られている訳だし、体裁なんて気にしていられないもの」
「ふふ、それはなんというか、少し楽しみですね」
両親の言葉に、私は笑ってみせた。
時間は限られている。だが限られているからこそ、これからの時間を大切にしていきたい。
私はそう思いながら、再び愛する弟と妹の元へ、向かうことにするのだった。




