自分以外の誰かが自分を完璧に理解してくれるなんて、そんなムシのいい話は現実には存在しないよ。私自身、自分の人生でそれを思い知ってきた。ダンナはすごく私のことを分かってくれてるけど、でも決して<完璧>
自分以外の誰かが自分を完璧に理解してくれるなんて、そんなムシのいい話は現実には存在しないよ。
私自身、自分の人生でそれを思い知ってきた。
ダンナはすごく私のことを分かってくれてるけど、でも決して<完璧>じゃない。
私のことが分かってないなあと感じることは度々ある。
でもその一方で 私もダンナのことを完璧に分かってるか?って言われたら、
『分かってないよなあ』
としか思わない。だから結局はお互い様なんだよね。
それが大事なんだって つくづく思う。
『どっちもどっち』
ってのをすごく毛嫌いする人がいるけど、それって結局、
『自分だけが一方的に甘やかされたい』
っていうただの願望だよね。直接 自分に関わることじゃなくても、赤の他人同士の諍いの場合でも、自分が共感してる方が正しいって思いたいだけでしょ?
『どっちもどっち』が成立しないのは、親が子供を虐待してるとか、本当に行きずりの犯罪に一方的に巻き込まれた時くらいだよね。
ただ『どっちもどっち』という話とそこに<不法行為>があったかどうかというのはまた別の話だよ。
<イジメ>において、
『被害者側にそれを誘発する原因があった』
のと、
『イジメという犯罪行為を実行する』
のとは、まったく別の話。だっていくらムカついたからってイジメない人はイジメないからね。
これもまた、
『理由があるからって何をしてもいいわけじゃない』
って話でしょ。
『迷惑掛けられたからって相手のコレクションを勝手に処分していいわけじゃない』
のも同じ。
それと同時に、
『自分の趣味を相手が完璧に理解してくれるなんてことは有り得ないというのをわきまえておくべきだったね』
って話でもある。
私はそれをわきまえないというのは理解できないよ。
私が自分の作品自体が私の趣味を反映してるものが多いけど、人気出なかったりするからね。
編集部からOKの出た作品についてはまあちゃんと利益が出る程度には売れてくれてるんだけど、ボツになった作品を小説投稿サイトで公開しても閲覧数はまったく伸びないんだよね。
それはつまり私の趣味が理解されてないということでもあると思う。
だけど私自身はそれを当然だとも思ってる。私じゃない人が私の趣味を完全に理解してくれるなんて、どう考えたって有り得ないよね。
何より私自身がそんなことを期待せずにいられないほど精神的に追い詰められてもいないしさ。
そんなことを期待せずにいられないというのは、結局のところそれだけ精神に余裕がないってことだろうって気がするよ。




