そうだね。『騙された』とか『そんな人だとは思わなかった』とか『裏切られた』とかすぐ口にするけど、それってつまり、<他人を自分の思い通りに操れてないっていう証拠>そのものだよね。だってのになんで他人を
そうだね。『騙された』とか『そんな人だとは思わなかった』とか『裏切られた』とかすぐ口にするけど、それってつまり、
<他人を自分の思い通りに操れてないっていう証拠>
そのものだよね。
だってのになんで他人を思い通りに操れるなんて考えられるんだろ?
結局のところ自分自身のことさえままならないって話じゃん。ましてや他人をとか、もはや意味が分からない。
『騙される』っていうのは、単純に『他人を無闇に信じてるから』っていうのだけじゃなく、
『他人は自分にとって都合よく動いてくれるのが当たり前』
とか、
『自分なら他人を思い通りに操れる』
とか思ってるからそんなことになるんだろうなっていうのもある気がする。
いわゆる<調子に乗ってる人>が騙されたりするのってこういうことも少なくないんじゃないの?
私は他人が自分の思い通りに操れるなんて考えないから、そういう形で騙されるっていうのはないかな。あくまで、
『うっかり信じちゃって、結果として騙される』
ってことはありそうだけど。
『私は騙されたりしない』
とは思わないよ。そこまで思い上がれない。
だからこそ、子供達に対しても、
『私の思い通りに操れて当たり前』
とは思わないんだ。
だったら、自分の思い通りになってくれないからってキレる必要もないよね。
『キレる』ってのは、要するに相手が自分の思い通りになってくれるのが当たり前だとか思ってるからでしょ? 最初からそう思ってなきゃキレる必要もないしね。
要するに<未熟>なんだ。経験値も足りないし、経験したことを活かせてないってこと。
それ自体、『どうすればいいのか?』ってのを習ってないからなんだろうけどさ。
だったら私は自分の子供達に対してちゃんと教えてあげなきゃね。
自分の感情ばっかり優先してキレてたってさ、その時は言うこと聞いてもらえたとしても、いつか相手も我慢の限界を迎えるかもしれないじゃん。てか、<熟年離婚>なんてのはそれこそそういうのの典型例でしょ。
相手に一方的に我慢だけを強いるとか、そんなことがいつまでも通用するわけじゃないっていう証拠じゃん。
こう言うと、
『自分も我慢してた!』
とかまたキレるんだろうけど、<自分がしてた我慢>と<相手がしてた我慢>が釣り合ってなかったからそんなことになったんじゃないの?
まあそんなことを比べること自体が不可能だし、意味がないけどさ。
私が子供達の話に耳を傾けるのも、それが苦痛な人にとっては<我慢>かもしれなくても、私は別に我慢してるわけじゃないから。




