だいたいさ『路上喫煙は禁止。ってことに決まった』のも手続き上は<多数決>だよね?それに反対する人が少数だったからそう決まったんだよね?しかもそれって<煙草を吸わない人の意見>だけじゃないんじゃないの?
だいたいさ、
『路上喫煙は禁止。ってことに決まった』
のも、手続き上は<多数決>だよね? それに反対する人が少数だったからそう決まったんだよね?
しかもそれって、
<煙草を吸わない人の意見>
だけじゃないんじゃないの? 喫煙者だけど、路上喫煙する人のマナーの悪さを問題だと感じてる人がいたからこそ、そういう流れになった。
自転車に対する取り締まりが厳しくなりそうなのも、あくまで<努力義務>という形であっても、
<自転車でのヘルメット着用の義務化>
の流れになってるのも、結局は自転車を使う人のマナーが悪くてトラブルが絶えないからでしょ?
私も普段から自転車を使うけど、そもそも免許持ってないから自転車使うしかないんだけど、ヘルメット被るようにしてるよ。
まず親が手本を示さなきゃ、子供だって納得してくれないしね。
ヘルメットを買う時も、
『子供と一緒にショッピングを楽しむ』
って形だったな。
『親からの一方的なお仕着せ』
じゃないから素直に使ってくれてるっていうのもあると思う。
人間ってやっぱり、『押し付けられる』ってのを嫌う生き物じゃん?
『路上喫煙は禁止』
みたいのも、
『押し付けられてる気がするから嫌だ』
的に反発してる人もいるんじゃないかな?
で、自分はそうやって押し付けられるのを嫌うクセに他の誰かには押し付けようとするとか、身勝手にもほどがあるよね。
そして子供だって人間なんだから一方的に押し付けられても嬉しくなかったりするのはぜんぜんおかしくない。
そこで、
『子供は人間じゃない』
とか思ってるからピンとこない。それどころか、他の誰かのことさえ、
<人間じゃないもの>
と見做したりする。それが人間として好ましい行いかどうか、考えてみたら?
<子供>だって<気に入らない相手>だって、何をどう屁理屈コネたって人間なんだよ。それを認めないのは、
<現実を見てる人>
のすることじゃないって。
私はそう思うから子供達のことを最初から、
<私とは別の人格を有した存在>
としか思わなかったし、そう考えて接することにもなんの抵抗もなかった。そしたらさ、子供達も私のことを人間として認めてくれるようになったんだよね。
『相手を自分とは別の人格を有した存在と認めること』
は、私にとってはそんなに難しいことじゃなかった。現実を現実として受け止めればそれ以外にやりようもないしさ。
正直、私にとっては、
『それができない』
というのが分からないんだよ。『今の私にとっては』ね。




