<とにかく誰かを見下して蔑んで嘲りたい人>って、自分に共感してくれる人は周りに置くこともできるけど、基本的にそれって典型的な『類は友を呼ぶ』だから、自分の思ってること自分に都合のいいこと以外の世界
そうだね。<とにかく誰かを見下して蔑んで嘲りたい人>には関わらないのが得策だと思う。少なくとも私は関わらない。関わらないように心掛けてる。
そう考えるとさ、<とにかく誰かを見下して蔑んで嘲りたい人>って、自分に共感してくれる人は周りに置くこともできるけど、基本的にそれって典型的な、
『類は友を呼ぶ』
だから、自分の思ってること自分に都合のいいこと以外の世界ってのに触れることができなくなるんじゃないかな。
まあこれも、
『<小さな世界>で満足してる』
のは私も同じだからそれ自体は別に悪いこととは思わないよ? ただ、<とにかく誰かを見下して蔑んで嘲りたい人>ってホントにちょっとしたことでそれまで味方だと思ってた人でも敵認定して攻撃仕掛けそうで、不安しかないんだよね。
とても安心して関わってられないよ。
だから私は遠慮するんだ。そういう人と親しくなるのをさ。
で、親しいわけじゃないから困ってたって積極的に力になろうとも思わないし、正直なところ、
『どうでもいい』
と思っちゃうんだよね。
『偉そうに言ってるくせに、それが本性なんだな!』
って? いや、私は以前から、
『善人なんかじゃない』
って言ってるし、
『究極、自分と自分の大切な人達以外のことはどうでもいいと思ってる』
と明言してきてるはずだけどな。ただ、『どうでもいい』からと言って、手が届く範囲内にいる人が困ってて、手を差し出す余裕が自分にある場合には、まあなんだかんだと『余裕がある範囲内で』力を貸すことだってあるかもだけどさ。やっぱ、分かってて見捨てたら気分もよくないし。
ただそれも、<とにかく誰かを見下して蔑んで嘲りたい人>が相手だと、そんな気になれないかなあ。
それが<答>だよね。
そうやって自分が困ってる時に助けてもらえないかもしれないのを覚悟の上でやってるんでしょ? じゃあそれでいいじゃん。ま、そもそも<共感してくれる人>を周りに置いてるだろうから、その人達が助けてくれるかもだし、私が力を貸す必要もないよね。
『お前の力なんか借りたくもねーし!』
って? じゃあ万事解決だね。心配しなくても私からは関わらないよ。
好きにすればいい。
私は私の大切な人達と力を合わせて生きていくからさ。
もし何か困ったことがあっても泣き言を口にしないのなら、どういう生き方をしてもいいと思う。それを選択する自由はある。誰かに危害を加えたり誰かの権利を侵害したりしなければね。
ああでも、『誰かを攻撃する』ってのは、相手の権利を侵害することにもなりかねないのか。
大変だね。




