物事にはどうしたって<流行り廃り>ってのがあるからね。どんなに気に入らなくたってそれが現実なんだよ。今じゃほとんど歴史上の人物扱いにもなってるような<文豪>と言われる人達の作品だって、発表された当時に
物事にはどうしたって<流行り廃り>ってのがあるからね。どんなに気に入らなくたってそれが現実なんだよ。今じゃほとんど歴史上の人物扱いにもなってるような<文豪>と言われる人達の作品だって、発表された当時には眉をひそめられることだってあったみたいだし、得てしてそういうものでしょ。
だから自分の好みに合わない作品が人気集めたからってそれに文句言うのとか、ただの思い上がりってもんだと思うよ?
で、こう言うと また、
『意見を述べるのは自由なんだろ!?』
みたいに言ってくるのがいると思うけど、別に私は『意見を述べるな』と言ってるわけじゃないからね?
あくまで、
『意見を述べるのは勝手だけど、それが通ると思うのはお門違い』
ってだけだから。
<個人の好み>なんて、商業主義の前じゃただの塵芥なんだよ。
創作者が自分の好き勝手に作品作りができなかったりするのがまさにその証拠だよ。
個人の好みが常に優先されるんだったら、作者の好き勝手に作品作りができなきゃそれこそおかしいって。
だけど現実はそうじゃない。
商業的に成立させるためには、書きたいものを書きたいように書くっていうのじゃダメな場合もある。
私もそれは分かってる。つくづく思い知ってきた。思い知らされてきた。
現に私が好きなように書いて無料で公開してる作品は、揃いも揃ってぜんぜん跳ねないしね。
だけどそれはそれでいいんだよ。あくまで、
『好きなものを好きなように書く』
ってのが目的なんだからさ。それができてれば基本的には満足。ストレス発散にもなってるし。
だから原則、読者の意見には耳を傾けない。それをしてたんじゃ本末転倒だから。そのための<無料公開>だから。
まあこれもあくまで『私にとっては』だから、何を目的にして発表するかは、利用規約に反しない限りはそれぞれの自由だと思うけど。
プロを目指して<売れるもの>を書くのもいい。だけど同時に、
『売れなくてもいいから好きなように書きたい』
ってのも否定されるいわれはないよね。それを否定されるような状況は、<健全>じゃないと思う。
『好みじゃない作品は見ない。買わない』
という権利があるんだから、ただそれを黙って行使すればいいだけなんだよ。そこで自分の好みがさもスタンダードであるかのように余計なことを言おうとするから面倒なことになる。
それが分からないというのが私には理解できない。
どうしてこんなことに拘らずにいられないんだろうね?
そんなに自分に自信がないの?




