まあ何にしても、『人生ってのは思うに任せない』ってことだよね。でもさ、自分以外の人のことは、たとえ自分の子供でもすべて思い通りにはできなくても、自分自身のことならある程度は何とかなるでしょ?
まあ何にしても、
『人生ってのは思うに任せない』
ってことだよね。でもさ、自分以外の人のことは、たとえ自分の子供でもすべて思い通りにはできなくても、自分自身のことならある程度は何とかなるでしょ?
顔の造形なんかはどうにもならなくても、身嗜みくらいならどうにでもなるじゃん。だったらそういう部分から努力するっていうのはぜんぜんありだと思うよ。
逆に、
『身嗜みとかに神経を使いたくない』
って言うんだったらさ、他人からどう思われるとかなんて気にしてちゃダメじゃん。自分は何も努力せずに周りから高評価を得ようなんて、そんなムシのいい話は残念ながらないんだよ。この世にはね。
確かに 生まれつき見た目が整ってたり、裕福な家庭に生まれてたら、それだけで高評価が得られたりするかもしれないけど、そんなのは所詮たまたまだし、他人のそういうのを妬んだところで自分の評価が上がるわけじゃないんだよね。
私が他人のそういうのを妬んで引きずり下ろそうとするようなタイプだったら、ダンナは私を選んでくれてないよ。さくらもそう。
それは間違いない。
対して私の両親も兄も、強烈に他人を妬む人達だったな。それに加えてただただ自分の都合を周りに一方的に押し付けようとする人達だった。そんなあの人達の様子を見てたらさ、『類は友を呼ぶ』って言葉の意味がものすごく真に迫ってくるんだよ。
そうしたらもう、同じようにはしていられない。ましてや子供達に 同じような生き方をさせたくない。
と思えるんだよね。
まあ、さくらと出逢ったのはダンナと出逢うずっと前だから、その頃は自分が子供を育てるどころか結婚する気もサラサラなかったんだけどさ。
それでも両親や兄と同じような生き方をするのも真っ平ごめん だとは思ってたよ。
それも事実。
だから自分の都合を他の人に一方的に押し付けようとも思わなかったし、自分の思い通りにいかないからってキレて他人に八つ当たりするつもりもなかった。
そうしたら、私と同じように考えてるさくらと親しくなれたんだよ。
彼女と出会えたのが 偶然でも、彼女と親しくなれたのは偶然じゃない。
両親や兄みたいな人でも賛同してくれる人はそれなりにいるんだけど、それってやっぱり同じようなタイプの人達なんだよね。
『自分が付き合う相手は自分で選ぶ』って考えてる人らは特に、自分が共感できる相手を選ぶじゃん? それかまあ、
<都合よく操れる相手>
かな。両親や兄の周りにいたのは、まさしくそういう人達だった。私はそれを羨ましいとは微塵も思わない。




