とにかく大人が自分を正当化しようとするばっかりで、日常的にそんな<悪い見本>を子供に示してて、なんで真っ当に育つと思えるのかが理解できない。そんなご都合主義がまかり通ると考えられるのかが理解できない
とにかく大人が自分を正当化しようとするばっかりで、日常的にそんな<悪い見本>を子供に示してて、なんで真っ当に育つと思えるのかが理解できない。そんなご都合主義がまかり通ると考えられるのかが理解できない。
その帳尻合わせのための躾に躍起になるもんだから、ますます歪みがひどくなる。自分にばっかり都合のいい子を作り上げようとして、結果、外面だけ取り繕ってればいいと考える人間が出来上がってく。
その場凌ぎさえできれば許されると考える人間が出来上がってく。
帳尻さえ合わせられれば過程はどうでもいいって考える人間が量産されてく。
結局そういうことだと思うんだけどなあ。
せめて自分とは関係ないどこかの誰かに粘着するんじゃなくて、そんなことしてる時間を使って自分のすぐ身近にいる人をきちんと受け止めてあげられればまだフォローもできるかもだけど、それすらしないんじゃねえ。
ましてやどこかの誰かに対して偉そうに言ってる内容がまんま当人に跳ね返ってきてるような様子見てたら、そりゃ信頼も尊敬もされるはずないでしょ。
まあそれでも<賛同してくれる人><共感してくれる人>ってのはこの世にはいて、ネットってのはそういう人を見付けるには本当に都合のいいツールだよね。
<自己肯定感>や<承認欲求>をお手軽に満たせるよね。そりゃ依存しちゃうわけだわ。
だけどそれは同時に、自分の考えとはとことん合わない相手とも簡単に出会えちゃう、自分を攻撃してくる相手に見付かっちゃうということでもある。
その両面について私はちゃんと子供達に教えておいてあげなきゃと思ってる。
仮にも人生の先輩だしね。
そうなんだよね。親はあくまで、
<子供にとって最も身近にいる人生の先輩>
でしかない。決して<創造主>てもなければ<絶対神>てもないんだよ。どこまでいってもたたの人間の一人でしかない。
その現実とも向き合えないで、
『現実を見ろ』
なんて、とんでもないブーメランだよね。
私はそれをちゃんとわきまえないといけないと思ってる。<現実と向き合おうとする姿勢>についても、口であれこれ言うんじゃなくて、自分の普段の振る舞いで手本として示していかなきゃと思ってるんだ。
まあ、言葉としても一応は示すけどさ。でも あんまり偉そうな感じで言うと、私自身がロクでもない人間だから、説得力がないどころか完全に反発されるだけだからね。
自分がそういう人に反発するのを分かってるから、子供らに反発されるのも簡単に想像がつくよ。




