結局大事なのは、自分の選択に自分自身が 責任を負うことなんだろうなってしみじみ思うよ。なんだかんだ言ってもそれに尽きる。それができてない人があれこれ偉そうなこと言ったって響かないでしょ?
結局大事なのは、自分の選択に自分自身が 責任を負うことなんだろうなってしみじみ思うよ。なんだかんだ言ってもそれに尽きる。
それができてない人があれこれ偉そうなこと言ったって響かないでしょ?
私の言ってることを素直に聞こうって気にならないのは、私がいくらあれこれ言葉を並べてみても、私自身が本当に自分の選択に責任を届けるかどうかが分からないからっていうのもあるでしょ? 私が自分自身の経験の上で語ってることでも、私のことをよく知ってる人以外は、それが果たして本当のことなのかどうかも分からない。
<客観的に確認も検証もできない個人的な実体験>
なんて、赤の他人からすれば何の根拠にもならないんだよ。
『ソースはオレ』
みたいなのがネットではよく使われてるけど、ただのネタとしてなら、別に面白くもなんともなくてもまあ『好きにすれば?』とは思うにしても、そんなものが本気でソースになると思ってるのなら、残念すぎる。
言葉だけなら何とでも取り繕えるからね。
私だってそんなのをそのまま信用なんかできないよ。自分がそういうのを信用できないんだから、他の人が私を信用できなくたって当たり前だって思うよ。
だから私は自分が信用されたり信頼されて当然だとは思ってない。
それに値する具体的な根拠を示すことができてないからね。
なのに世の中には、自分の立場や肩書きを根拠に一方的に信用しろ信頼しろと求めてくる人もいたりする。
いやいや無理だって。本人が自称してるだけの立場や肩書きなんか何の根拠にもならないから。
だから私が<人の親>だということも、事実婚を選択したシングルマザーだということも、それを立証する方法がない以上はなんの根拠にもならないよね。
<蒼井霧雨>
という作家自身、プロフィールの一切を公表してない、
<覆面作家>
だしさ。
プライベートで関わりがある人以外はそれを知りようもないんだよ。蒼井霧雨宛に発信すれば私に届くから、チャンネル自体は解放されてる状態だとしても、私を本当に信用したり信頼したりする根拠はないと思う。
だから私の言ってることをそのまま信用する必要も信頼する必要もない。
フィクションの中の話と同じだから。
でもね、具体的な話であればあるほど、自分に当てはめて考えやすくなるでしょ?
だから私が自分の作品に自身の経験から得たあれこれを盛り込むのを、決して無駄だとは思わない。
普通の親の場合は、そういうのを示せるのは自分の子供だけというのがほとんどだろうけどさ、たとえ一人でも二人でも、どこかの誰かに伝われば、すごいよね。




