誰かと一緒に人生を歩んでいくには、その<誰か>についてよく知らなきゃ駄目だよね。よく知らないわけの分からない相手と一緒に歩んでいくなんて、そりゃできないでしょ。そんな恐ろしいこと、私は心底勘弁して
誰かと一緒に人生を歩んでいくには、その<誰か>についてよく知らなきゃ駄目だよね。よく知らないわけの分からない相手と一緒に歩んでいくなんて、そりゃできないでしょ。
そんな恐ろしいこと、私は心底勘弁してほしいとしか思わないけど?
結局、そういうことなんだよね。私がダンナと一緒に人生を歩んでいく決断ができたのは、彼がどういうヒトかを、少なくとも私自身が納得できる程度には理解できたからだしね。
そりゃもちろん、すべてが分かったわけじゃないよ。
『え? そうだったの!?』
って感じることはいまだにある。でもね、そういう部分があるだろうなというのは分かってたし、そういう部分があったとしても大丈夫と確信できたから今の在り方を選択できたんだよ。そして自分のその選択の責任については、自分で背負う覚悟ももちろんある。
それをちゃんと覚悟してるとさ、割と気楽なもんだよ人生なんて。自分に都合よく行ってくれるのが当たり前だと考えてたら辛いばっかりだけどさ。
非正規雇用 の話にしたって、非正規雇用も正規雇用もどちらも<労働者>であることに変わりないけど、雇用形態が違うというのも事実なんだから、それは事前に分かることなんだから、どうしてそれをちゃんと先に理解しておこうとしないんだろうって私は思うんだけどな。
どちらも同じ 労働者なのは事実でも、雇用条件まで全く同じである必要はないと思うんだ。
だって、非正規雇用と正規雇用という区分がある以上は違いがないとおかしいし。
全ての労働者が同じような条件で雇われるべきだというのなら、そもそも 非正規雇用という 雇用形態をなくすこと自体が必要になると思うけど?
非正規雇用という 雇用形態は憲法違反だ
みたいな主張するんだったらまだわかるんだけどね。
まあ それが通るとは正直 思えないけど。
だって事前に条件はちゃんと確認できるんだからさ。しかも別に小難しい説明をされるわけじゃないじゃん?
ボーナスがあるかないかとか有給休暇があるかないかとか、あらかじめ分かるじゃん。それをわざと隠してたんだったら問題だけど、隠されてるわけでもないことを確認しなかったんだったら、そりゃ自分の責任でしょ。
前に触れた、自分の息子さんと一緒に派遣として現場に入ったりしてるお父さんは、本業があるのもあって、ちゃんと非正規雇用と正規雇用の違いも理解してて、それについても息子さんにしっかり説明してるんだって。
『それが親の役目だから』
って言って。




