なんかさあ、いつものことなんだろうけど、子供が何か事件を起こしたらそれこそ、『親も被害者だ』的な空気があったりするけど、私は自分自身が<親>だからこそそういうのには違和感しかないんだよねえ。だってさ
なんかさあ、いつものことなんだろうけど、子供が何か事件を起こしたらそれこそ、
『親も被害者だ』
的な空気があったりするけど、私は自分自身が<親>だからこそそういうのには違和感しかないんだよねえ。だってさ、
<普段は温厚そうな人>
<教育熱心な人>
とかいう<周囲の人間の評判>なんてロクにあてにならないことくらい、知ってるはずだけど? なんでこういう時に限ってはその評判通りって考えんの? おかしいじゃん。
ネットの匿名の陰に隠れてどこかの誰かを死ぬまで追い詰めようとしてる人らだってさあ、リアルじゃ、
<おとなしい人>
<人畜無害そうな人>
みたいに思われてるのがいたりするんじゃないの? なにか思ってることがあっても面と向かっては言えなくて、だからネットの匿名の陰に隠れてってのが少なくないんじゃないの?
だから、どれほど、
<人当たりが良くて真面目そうに見える親>
だって、必ずそうとは限らないって考える方が自然だとは思わない?
『親だって人間だ』
って言うならなおさら。
人間ってそんな綺麗なもんじゃないじゃん。しかも、『親だって人間だ』みたいなことを言う時って、だいたいロクでもない行いを正当化しようとしてる場合が多い印象があるけど? 浮気とか不倫とか無責任な振る舞いを正当化しようとして言ってるって印象がさ。
なのに、
『子供が事件を起こした』
みたいな話になった途端に<いい親><まともな親>って評価になったりするのはなんで? おかしいでしょ。
てか、本当に<いい親><まともな親>だったら、子供だってそんなことしないでしょ。する必要もないでしょ。
だからって別に親を責めろって言いたいわけじゃないんだよ。そんなことしなくても子供が事件を起こしてそれに巻き込まれたらもう平穏に生きていくこともままならないだろうし、それ自体が十分に<報い>になってると思うから、その上でまるで関係のない人間から罵られたるするのとかはまったく必要ないでしょ。
ここでも赤の他人がするべきことは、
『それを他山の石として活かす』
だけだと私は思う。自らの振る舞いを省みて、同じようなことにならないようにするためには何が必要なのかをよく考えることだとしか思わないんだよ。
『批判と称して攻撃する』
ことじゃないはずなんだ。そんなことをしてる時間さえ惜しいはずなんだけどな。
少なくとも私はそんなことに時間を割くつもりはないよ。そんなことをしてる暇があるなら子供達の顔を見るし、話をする。
子供達のストレス発散に付き合うよ。溜め込んだストレスをどこかの誰かにぶつけてほしくないからね。




