ところでさ、自分の家があるのにそれに帰ろうとしないでわざわざ他人の家を泊まり歩いたり、行きずりの相手を頼ったりするのって、何なんだろうね? ましてや 子供がどうしてそんなことしなきゃいけないんだろ
ところでさ、自分の家があるのにそれに帰ろうとしないでわざわざ他人の家を泊まり歩いたり、行きずりの相手を頼ったりするのって、何なんだろうね? ましてや 子供がどうしてそんなことしなきゃいけないんだろ。
だって本来なら何もしなくても、普通は衣食住が保証されるんだよ? それを何でわざわざ危険を冒すようなことしなきゃなんないの? それってつまり、
<危険を冒した方がまだマシだと子供に認識されてる場所>
ってことじゃないの? 私は親としてこんな情けないこともないと思うんだけどな。
なのにそれを子供の所為にするのが多いんでしょ?
あのさあ、本来なら親の庇護を受けてりゃいい子供がそれを拒絶せずにいられないっていうのは、そもそもまともなことじゃないはずだよ? それを選択せずにいられないというのはどういうことなのか、なんで考えようとしないの? それが物事を深く考えてる人間のすること? 私にはとてもそうは思えないんだけどな。
物事を自分にばっかり都合よく解釈してそれで分かった気になってる人間のすることとしか思えないんだけどな。
『親に不満があってもちゃんと家に帰る子供がほとんどだ!』
って言うかもだけど、いやいや、それは、
<それで我慢できる親>
ってだけでしょ。じゃなくて、<家に帰らない子供>の場合は、そうやって耐えることができないような親だから、
<危険を冒してでも家に帰らないという選択>
を行うしかなくなるんじゃないの? 何でその程度のことも考えられないの?
ねえ、何で?
こう言うと今度は、
『世界には帰る家もない子供もいる!』
とか言うかもだけど、だからさあ、
『帰る家がそもそもないから帰れない』
なら、それこそ是も否もないけど、
『帰る家があるのに帰れない』
というのはどういうことか考えてみたらどうなの?って言ってんの。
普通に考えたらただの我儘でできるようなことじゃないよ。
私も家に居場所がないどころか、危うく兄の性欲処理の道具にされそうになってたりもしたけど、それでも大学生になるまでは家を出る決心がつかなかったからね。
これについても、
『お前がビビリなだけだろ!』
とか言うかもだけど、そうだね。当時の私はそういう点では臆病だったと思う。
だけどさ、臆病な私でギリギリだったんだよ。
毎日真剣に、どうやって家を出るかって考えてた。それくらい追い詰められてた。それくらい子供を追い詰める家だったってことだよ。
私の場合はかろうじて大学進学まで持ちこたえられただけなんだ。




