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とにかく、自分の身近な人の振る舞いすら改めさせられないような人は、 『批判することで相手の至らない点を改めさせる』 なんて理窟は成立しないって自覚した方がいいと思うよ? 現にできてないんだから

とにかく、自分の身近な人の振る舞いすら改めさせられないような人は、


『批判することで相手の至らない点を改めさせる』


なんて理窟は成立しないって自覚した方がいいと思うよ? 現にできてないんだから。


私も、両親や兄の振る舞いを改めさせられてないからさ、そんな自分がどこの誰かも分からない人の振る舞いを改めさせるなんてできるはずがないって思うんだよね。そんなことができるならとっくに両親や兄を変えることができてたと思う。


だけど実際にはできてない。


でも、あの人達への批判的な気持ちは確かにある。


だからあの人達を批判する気持ちを、自分自身への戒めとして、子供達が同じようになってしまわないために考える時の見本として、利用してるだけなんだよ。


正直なところそれしかやりようがない。あの人達については私もホントお手上げ。そんな私が他の誰かを熱心に改めさせようとしてたら、


『まずはお前の親と兄貴をどうにかしろよ!』


って思わない? 思うんだったらそれが答だよね。


だけど私にもあの人達はどうにもできない。そんな私に他の誰かの至らなさを改めさせるなんてできるはずもない。だからやらない。


単純明快じゃん。


あとさ、誰かが亡くなってからその人から受けた被害について訴え出るってことがあると思うけど、これは別に<批判>じゃないよね。実際に受けた被害について訴え出てるんだったらさ。批判じゃなくて<告白>でしょ。


もちろんそれが事実であることが前提だろうけど。


いずれにしても直接被害を受けた人の場合は、それを訴え出る権利も資格もあると思う。むしろそうじゃないとダメだと思う。


でもね、直接被害を受けてないどころかまるっきり縁もゆかりもない人の場合は、<言論の自由>はあっても、自分のしようとしてることが果たして本当に適切なのかどうかを考える必要はあるはずだよ。


<自由>というのは決して無法や理不尽を肯定するものじゃないからね。


そもそも少し考えたら分かるでしょ? 言論の自由を保証してるのはあくまでも<憲法>という法なんだから、<法>が<無法>を保証するとかとんだ矛盾じゃん。


法でそれが保証されるというのは、当然、


『法の下の秩序が維持される』


という前提での話でしょ? だからこそ<攻撃される側の人権>だって保証されてるんだから、無秩序な好き勝手が許されるんだったら人権なんか保証できないじゃん。


自分の権利のためなら他の人の権利なんて無視していいってわけじゃないんだからね?



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