まだまだ触れたいことはなくならない
私のこれも、もうすでに長編一本分くらいのボリュームになると思う。
でも、まだまだ触れたいことはなくならない。
何度も同じようなことを言ってたりもするけど、それも改めて考えた時にどうなるか?ってのも目的の一つなんだ。
で、
『言いたいことも言えない世の中なんておかしい!』
について改めて考えてみる。
だけど、それが正しいなら、私のこれだって普通に発信できなきゃおかしいはずなのに、今の私がそれやったら、出版社に迷惑掛かるんだよなあ。
おかしいよね。『言いたいことも言えない世の中なんておかしい!』はずなのにね。発信そのものをやめさせようとするのがいるんだよ? おかしいじゃん。
だから現実には、
『何を言っても構わない』
わけじゃないんだよ。
それにさ、
『マナーは、他人を不快にさせないようにするためにある』
のなら、他人の作品を貶したり腐したりってのを他人から見えるように発信するってのはマナー違反になるはずなんだよね。ましてや貶したり腐したりってのを目的にやるのなら、意図的にマナーに反したことをしてるってことじゃん?
親にちゃんと躾けてもらった人のすることじゃないよね?
ホント何度も言うけど、私は、自分の子供達がそんなことしてたら放っておかないよ。たとえ子供達が何歳になってもね。子供が何歳になろうが、私があの子達をこの世に送り出したっていう事実は消えてなくならないんだから。
そして、ちゃんと教えなきゃと思ったことが伝わってないと感じたら、教えないといけないと思うんだよ。
だって、そうじゃなきゃ、適当にいい加減に手を抜いて子供が<大人>って呼ばれる年齢にさえなったら、
『はい、もう私は関係ありません。子供が何やったって私には責任ありません』
ってできるんだったら、それって、
<逃げ得>
ってやつじゃないの?
自分がこの世に送り出した子供が他人様に迷惑掛けてんのを見て見ぬフリって、おかしくない?
『犯罪にだって時効ってもんがあるだろ!?』
とか言うかもだけど、いやいや、子供がそれこそ消息不明にでもなってなきゃ、
『時効が成立する』
なんて考え方がまずおかしいじゃん。犯罪における時効だって、容疑者を確保して起訴にまで持ち込めないから成立するんでしょ? どこにいるのか分かってるのに放っておいたんなら、それ、警察や検察だと関係者の首が飛ぶぐらいの大問題だよね?
自分がマナーに反したことをしてるってのに、自分の子供がマナーに反したことをして他人様に迷惑掛けてんのに、何で大きな顔してんの? って思うんだけど?
その一方で、
<不快>
って言葉も、最近は他人を攻撃するために使われてることが多い気がする。
『その表現が<不快>だからやめろ!!』
みたいな感じでさ。
これも本当におかしいと思う。だってそうやって他人を攻撃することで不快にさせてるんだから。
『自分が不快になるのは許せないけど他人を不快にするのは構わない』
なんて、ホント、何考えてるんだろうね。




